パーティーの仲間に冤罪を着せられた最強の剣士が魔王になって復讐をはたすまでの物語

一発逆転

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85.5話 リゼッタ

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「ふう。危ないところでした」

 リゼッタは安堵にため息を漏らす。慌てて口をつぐみ、小さな歩幅でせかせか歩きながら顔をしかめる。考えを口に出すなど、らしくもないミスをしたものだと自己嫌悪に陥っていたのだ。

(やれやれ、この調子では先が思いやられる)

 リゼッタはイリナ姫を残してきた署長室を一度振り返る。

 覚悟はしていたがイリナ姫がこうも早く行動し、危機に陥るとは。これはやはり生半可な任務ではないだろうと思い知らされるようだった。

 リゼッタは偶然などではなく、狙ってイリナ姫を助力した。来てそうそう動きたくはなかったが、あの状況では仕方のないことだった。

 この幼子リゼッタとはただの人間ではなかった。その正体は千変万化の術を操る暗殺者のレゾットだ。監獄都市の厳しい警備、あらゆる魔術の検知を突破することはできるのはレゾットの秘術のみであった。この力は他に類を見ない固有のものであり、あらゆる魔術的な探知をすり抜けた。

(主様。私はやり遂げてみせます)

 姿かたちにあわせて思考の口調も修正する。万に一つも失敗できない任務だ。それもリゼッタ以外の誰にも遂行は不可能な。慎重すぎてちょうどいい。

 リゼッタは息を飲んで足を止める。悪趣味な装飾品の、その滑らかな表面が鏡のようにリゼッタの姿を映し出していたからだ。すぐに慌てて目をそらした。

(まったく忌々しい姿)
 
 ちょうどこのぐらいの年齢だった、リゼッタが己の本当の姿を捨て去ったのは。それから幾年が経過しただろうか。もうとうに本当の自分の姿は忘れてしまった。

『化け物の子』

 どこからか声が聞こえた気がして、はっとして振り返る。しかし周囲には誰もいなかった。リゼッタは何かに追われるように進む足をさらに速めた。

(幻聴だ)

 化け物──幼いリゼッタに対して母は繰り返しそう言った。

『あんたの父親は私を騙した。化け物だった』

 リゼッタの父親は変身能力を持つ男だったという。どんな種族の亜人かも分からないが、人間として過ごし母と恋をして夫婦になった。かつて村一番といっていいほど仲睦まじかったと聞いたことがある。

『おぞましい。あんたは醜い化物だ。生きてる意味のないゴミ』

 そんな生活の中で父は話してしまったのだろう。己の全てを。その先に待っていたのが手痛い拒絶と侮蔑であることを知ってか知らずか。

『あんたは誰からも愛されない。誰からも必要とされてない』

 ここにいるはずのない母の言葉が反響して襲い掛かる。いつまでも脳裏には母の言葉が響いている。

(私は生きる価値のないゴミ)

 気に食わないことがあるとすぐに暴力を振るわれた。いつも体中あざだらけで、ご飯はみんなの残り物を少しだけ食べさせてもらっていた。男がやるようなきつい仕事を一日中やらされ、寝床は馬屋だった。母は見せつけるように新しくできた妹を溺愛した。それとは対照的に、お前は醜い化け物だと囁かれ罵られる生活を物心ついた時から送っていた。

(私は無価値な化け物)

 そんなある日のことだ。リゼッタは鏡を見て悲鳴をあげた。そこに顔の歪んだ醜い化け物が見えたのだ。それは今まで見ていた己の顔とは丸きり違った。そして理解した。母の言うように自分の正体は醜い化け物なんだと。だからこそ母はリゼッタをこれほど憎しみ、蔑んできたのかと理解してしまったのだ。

 一晩中、寝床の藁の中で恐怖に震えながら変わりたいと心の底から思った。いつも幸せそうな顔で笑う妹に。そうすればきっと母は愛してくれたのだと思った。

 朝日が昇り、いつしか眠りについていたリゼッタは目覚めて気が付く、自分の姿が妹とそっくりに変わっていることを。その時にようやく父から受け継がれた力とその使い方を理解した。

 姿を変えたリゼッタを見て母は激怒して狂乱した。その日のうちには家を出て、もう二度と戻らなかった。それ以来、常にあらゆる姿に変身して目深にフードを被って、誰でもないものになることを目指した。だからこんな、もとの姿に近い年若い少女になることは初めての経験だった。この姿をしていると恐怖がぶり返す、鏡で自分の姿を見ることが心底恐ろしかった。

(誰も私なんか必要としない)

 ずっとそう思っていて生きてきた。だが。

「私について来い。お前が必要だ」

 そう言ったのは魔の帝王、残虐王と呼ばれし男だった。かつて主は無価値で醜い化け物のリゼッタに、手を差し伸べて生きる意味と価値を与えてくれた。暗殺と諜報、それに恐ろしく適した秘術を持っていたからだ。

 そしてつい先日。

「監獄都市に潜入しレギル・シルセスを探るんだ。イリナ姫もきっとそうする。お前にはそれをさり気なくバックアップして欲しい」

 リゼッタは主に直々に呼び出され、命令ではなくてお願いをされた。

「やれるか?」

「……ご命令ならば、命に代えても」

「これは命令じゃない。もちろん断っても構わない。あまりに危険な任務だ」

 見つかれば命はないだろう。拷問され嬲り殺しにされるであろう。これまで経験したこともないほど難易度の高い任務だ。わずかに逡巡しなかったと言えば嘘になる。

「断ったところで、お前への信頼が揺らいだりはしない」

 だがこの言葉が全てを吹き飛ばしていた。

「信頼。私を信頼」

 涙がこぼれそうになる。あまりにもったいない言葉、それを思い出しただけで滴が頬を伝った。目の端を拭っていると背後から足音が聞こえた。

「お嬢ちゃん。どうかしたのか?」

「ごめんなさい、道に迷ってしまったんです」

 男性の看守が人の好さそうな顔をして立っていた。リゼッタは心細そうな弱々しい瞳で男を見上げる。

「大丈夫。案内してあげるからついておいで」

「はい! ありがとうございます」

 少女の演技をして対応すると男に頭を撫でられた。虫唾が走って払いのけそうになるのを堪える。人間に媚を売るなど反吐が出そうだった。だがこれも任務と割り切る。

 しかし気分は上々だった。潜入中でなければ鼻歌の一つで歌いたいぐらいだった。なぜならさっそく一つ収穫があったのだから。目標であった看守のゼクトを見つけた。──これで喜んで下さるだろう。

(主様。どうかお任せを)

 亜人一の諜報のエキスパートとしてだけではない、主の期待に応えるため、なんとしても任務を成し遂げなくては。そのためには命など惜しくはなかった。

『死んでしまえ。ゴミ。化け物』

 母の声が頭の中で響き渡る。それをかき消すためにリゼッタは唱えるのだ。

(ああ、主様。主様。主様。主様。主様。主様。主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様主様)

 主の信用を裏切ればもとのゴミに戻ってしまう。彼に捨てられてリゼッタを必要としてくれる人がいなくなってしまうこと。それこそがリゼッタがこの世で一番恐れることだった。

(どうか醜いわたしを憐れんでください。どうか愚かなわたしにお慈悲を与えてください。どうか無価値なわたしを見捨てないでください。どうかどうかどうかどうか) 

 目覚めて以降の主はリゼッタに殺しの命令を出すことがなくなった。その理由は分からないがリゼッタは酷く危機感を覚えていたのだ。主の役に立つことが彼女の生きがいであり存在意義であったから。

 己の主がイリナ姫、人間の姫と親しげに会話する姿を何度も目にした。それは以前の残虐王からすればあり得ない、異常な事態だった。さすがに会話が聞き取れる距離まで近づけば気づかれるため遠目に観察するだけであったが、密会じみた行為などその異常さは明白だった。

 彼女がもしかしたら自らの主を変えてしまったのかもしれない。もしや亜人を捨て人間になびこうとしているのかもしれない、もうリゼッタを必要としなくなってしまうかもしれない。
 
 そんなことは決して許してはならない──その瞳には狂信的な光が宿っていた。


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