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99話 思惑

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 レギル・シルセスは久しぶりに母国パラディソスの地を踏んでいた。イリナ姫の開放にあたり、一連の事柄を上層部に報告するためだ。

 以前までは気後れなどしない、輝かしい道のりだった。だが足が重く、心中には苛立ちが渦巻いていた。目立つことが好きなレギルだったが人目に触れないように行動していた。

 まずレギルが訪れたのは同じく英雄と呼ばれるもののところだった。根回しのためだ。ロイスの邸宅に押しかけると、出迎えたのはいつもと変わらない冷静沈着な瞳だった。

 温厚そうな顔つきで修道服でいることが多い彼は一見荒事とは無関係の人間に見える。だがごつごつした戦う者の手をしている、さらに服の下にはよく鍛えられた身体があった。

「そうか。ニースがな」

 事情をすべて説明しても彼は顔色一つ変えなかった。連絡は既に聞き及んでいるとしてもだ。あまりに落ち着いていた。普通の人間ならば沈痛な素振りを見せるなり、内心はともかく外面だけは取り繕うものだ。

 いつからだろうかと思う、ロイスがここまで変わったのは。神官の家系で生まれ、その性質は穏やか。寛容な男のはずだった。残虐王を倒してのち、まるで人が変わったようだった。

「ロイス。お前が頼りだ。なんとかして協力して魔王を倒そう」

「言われるまでもない。だがまだ少し時間が必要だ」

「いったい何の時間なんだ。お前がいたらきっと──」

「無理だな」

 レギルの言葉を遮って断言した。

「今のままでは無理だ。あの男の強さはよく知っているだろう?」

「前だって倒せたんだ。今度だっていけるさ」

 まさか戦うつもりはないのかと、引き下がらずに言い募る。

「あの時は5人だった」

「あの邪法のおかげだ!」

 言外の意図を察して反射的に言葉を荒げていた。エル・デ・ラントがいなければ倒せない。そう言われた気がしたのだ。だが無銘の剣に邪法と、特別のものを与えられたがゆえのことだと、レギルはそう信じていた。唯一劣る要素があったとしたら、剣の腕と姫をたらし込む能力ぐらいか。

「今は看守長がいる。あの女はさらに上の力を持っているんだぞ」

「呪いとは」

 熱いレギルとは対照的にロイスは静かに語り始めた。

「自己の命をもちいて他者を害することにこそ本質はある。彼女には狂気が足りない。執念と言ってもいいか。他人から奪った命では強き意思は宿らない。威力が弱まる。前も倒しきれていなかったのに、どうしてそれで倒せるという。もともとリスクなしで力を得ようなど虫が良すぎる話だ」

「ならどうすればいいんだ」

「簡単だ。リスクを負えばいい。彼女は英雄に心酔している。特にレギル、お前にな」

 看守長は劣等感と自己顕示欲の塊だ。幼い頃の両親からの体罰のうっ憤を晴らすかのように囚人をいびり、己の価値を知らしめようと権力や名誉に執着している。

 豚もおだてれば木の登るというもの。

「お前はどうするんだ」

「私にはまだやることがある」

「もう一刻の猶予もないんだぞ。そんな悠長なことを」

 少しため息をついて机の引き出しから小箱を取り出した。

「好きなように使え。ニースに渡したのと同じものだ」

「これはまさか」

 小箱の蓋を少し開けて中身を確かめる。想像通りのものがあった。禍々しい力を感じる宝玉だ。嫌悪感すら感じて蓋を閉じる。これは呪いの産物、命を縮める邪法など下の下、到底自分で使う気はしなかった。

「リナスが時間を稼ぐ。今は待つんだ」

 ロイスはレギルよりも遥かにこの国、この世界の深部にいる。結局は蚊帳の外、そこに踏み入れることができない。

 だがこのままで終るつもりなど毛頭なかった。



 もう窓から茜色の西日が差し込もうという頃合い、楕円形の円卓についた人々は話し合いを行っていた。統一連合の重役ばかりが顔を見せる会議だ。パラディソスの人間が多く、その王の姿さえもある。これはそれだけ重要な場、目下深刻な脅威である残虐王に抗するための討論会だった。

「亜人がいなくなったせいで監獄都市の労働力にもマナの補給にも支障が出る。このままではまともに都市を維持することすら難しい」

 席を立って状況を説明していたレギルの耳にパラパラと書類をめくる音が届いた。発言者は司会進行役の議長だ。

 亜人は農業に工業の労働力、そしてあらゆる設備を稼働させるためのマナの補給原となっていた。人間はマナの回復量が高くない種族だ、犯罪者はいくらでもいるとはいえ効率はどうしても落ちる。

「イリナ姫の開放のためです。彼女の命にはかえられません」

「そもそもそんな事態になるのがおかしいんじゃないか」

「それに魔導兵も、壊滅的打撃ですね」

 財務を担当する人間がわざとらしくもため息をついた。議長がそれに続く。

「子供の玩具じゃないんだ。簡単に壊されては困るんだよ」

「相手は残虐王です。その力は以前よりも増しています」

 レギルは努めて表情を殺しながらも歯噛みする。針の筵とはこのことか。イリナのせいで、とんだとばっちりだった。ロイスもいるというのに助け船を出しもしない。

「私も責任を痛感しております。お望みならば椅子からおりましょう」

「……」

 今までよく回っていた口がぴたりと閉じた。

 この状況では誰もレギルの代わりなどはできない。残虐王と矢面に立って戦う可能性がある任になど手が上がるわけがないのだ。本音で言えばレギルだって誰かに代わってほしいぐらいだ。責任を取らされても、それはそれで構わないような気すらした。結局は命あっての物種、ミスは取り戻せばばいいが命はそうもいかない。

「シルセス殿はこれまでよくやってこられた。ここは多めに見られてはどうですか」

「まだたった一度のミスです。英雄殿ならば必ずや挽回してくれるでしょう」

「そうだな。私も言い過ぎたかもしれない。これもシルセス殿にみなが期待しているということだと理解してほしい。それでは今後も頼むよ。座って結構」

 打ち合わせでもしてあったかのようにとんとんと話は進んだ。

 丸く収まったところで評価に差し障ることは間違いなかった。今まで実績を積み上げて突き進んできた男のはじめての失態だった。咎めるような視線と笑い声が聞こえる。多少乱暴にドカッと座った。

 家柄だけで敬われる有象無象など死んでしまえばいい。それ以降の話を聞き流し、早く終われと考えていた。だがあることがレギルの興味を引いた。 

「残虐王の復活に亜人の開放、これを人々が知れば大きな不安を呼びます。イリナ姫は自分の立場の責任というものを分かっていないのでは」

 イリナに唯一矛先を向けたのはイリナの兄であり、第一王子にあたるオルニス・パラディソスだ。パラディソス王家由来の青色の髪をショートにまとめて清潔感のある風貌をしている。頭脳明晰で魔術も上手い、端正な顔立も兼ね備え国民からの人気は非常に高かった。間違いなく優秀な人間だ。だからこそ彼は納得していない、イリナ姫が次期の王に指名されていることを。

 しばし沈黙がおり、老齢な王が重苦しくも口を開いた。

「これもいい機会だ。姫をを呼び戻すべきだろう。今まで勝手をさせすぎたようだ」

「それでは」 

「後継者として自覚してもらわねばな」

 王子は苦虫を嚙み潰したように顔をゆがめた。周囲の人間たちはいつものことにうんざりしたような、そういう空気感だった。だがレギルの思いは違った。

 この男は利用できる、そんな確信があった。

 ◇◇◇◇◇◇

 それから数日後のことだ。

「あのイリナの大失態に対してなぜあそこまで対応が甘い」

 第一王子オルニスは自室にて苛立ちを隠さずにいた。イリナ姫は勝手なことばかりしているというのにそれが許されている。いくら英雄とはいえ、示しがつかない。それ以上にイリナを引きずり下ろすことができるかと考えていただけに肩透かしをくらった気分だった。

「やはり陛下はイリナを特別視されている。母上に似ているからだ」

 亡き女王は美しく穏やかな性格を持ちたいそう仲睦まじかったという。妻を亡くしてからというもの国王はイリナをことさらに可愛がっていた。

「陛下は目が曇っておられる。女に惑わされて王位を継がせるなど冗談ではない」

「殿下。ここは安全とは言え、お言葉が過ぎます」

 側近である男がたしなめた。

「私は将来を憂いているのだ。このままではいずれ国を傾けるのではないかと。世界統一連合は超大国である我がパラディソスの力によって成り立っているのだ。このままでは世界の分裂を招きかねない」

 忌々しそうに言い放ったところで、側近の男がハッと明後日の方向に目をやった。何だと目を向ければオルニスも息を飲む。

「殿下。ご無礼をお許しください」 

「何の真似だ。レギル・シルセス」

 そこにいたのは英雄、レギル・シルセス。あらゆる魔術の防犯を突破して何の気配もなく、ここまでたどり着いたというのならば、信じがたいことだった。

「重要で、内密なお話があります。そのためこのような手段をとらせていただきました」

 王族の私室に無許可で侵入するなど無礼極まりない行いだった。礼の問題ではとどまらず罪に値する。激怒して詰めよろうとした側近を手で制する。なぜならばレギルがその場で跪いたからだ。何より英雄がもし本気だったならば止められるわけもない。殺すつもりならもうとうにそうしているはずだ。

「どうやら疲れているようだな。顔色が悪い」

 オルニスは平静を取り戻して穏やかに口にする。

「イリナ姫の件でいろいろと後始末がありましたので」

「我が妹君に手を焼いているようだ」
 
「姫は無理をなさる……私は子供はいませんが、親としてはそういうところも可愛いのかもしれませんね。陛下は姫のことをあれほど大事になさっているのですから」

「それで、何の用かな。このような行いをして世間話に来たわけでもあるまい」

 前日の出来事を思い出して気分を害して話を進めた。
 
「どうして陛下はあそこまで姫を大事になさっているのだろう。そうお思いになりませんでしたか」

「さてな」

 話の内容がなかなか穏やかではない。曖昧に返答した。

「賢人会議、その名をご存知ですか」

 オルニスはこつこつとテーブルを指で叩く。

「失礼だが、私はその手の噂話に興味がなくてな。聖典騎士団の財宝がどうのなんて話ではあるまいな」

「彼らは実在します。そしてこの世界を牛耳っている。このパラディソスをも」

 笑い飛ばしてしまうのは簡単だった。だが冗談を言っているような目ではなかった。
 
「次の王を決定するのは彼らです。彼らがイリナ姫を選んだ」

「そんなものがいるならなぜ私が知らない」

「知るのはパラディソスの王位につくものそのと関係者だけ、ということです」

 国王が唯一の手がかりと、そういうわけだった。もし仮に事実であったらの話だったが。今の時点では何の信ぴょう性もないうわさ話にすぎなかった。

「これは私にも賭け。あなたがこの国を正してくれると信じての。これが彼らの耳に入れば私の命も危ない」

 そう言いながらレギルは簡素な小箱を取り出した。

「これをご覧ください」

 その中身は黒い宝玉だった。だがその異様な力を察知して側近がオルニスの傍に寄った。 

「何が起ろうと、お静かに」

 レギルの指が宝玉に触れる、とんと。その瞬間波紋のように力の波動が広がった。同時に宝玉から爆発的に膨れ上がった黒い闇が異形の怪物の姿を成していく。龍に近いだろうか、鱗で覆われた漆黒の化け物だ、皮膚が焼け爛れたようにどろどろで、子供の落書きのように不格好。

「!」

 オルニスは驚きに立ち上がって椅子を倒す。その最中にも化け物はどろどろと溶けていった。完全に消え去ると、まるで何もなかったかのように、ただ残された宝玉だけがきらめいていた。

「今のは蝕害、なのか? ……どういうことだ。これは」 

「これこそが賢人会議が研究をを続けてきた力の一端です」

「……賢人会議」

 目の前の道がばっと開けた気がした、今まであてどなく進んできた。もがき続けてきてようやく差し込む光明を感じた。

「私を信用なさるかどうかは、殿下次第です」

「私を選んだのは賢明だったな。悪いようにはしない」

「ありがとうございます」

 レギルが退室していくと直立不動の側近に目を向ける。

「陛下を監視しろ。危険は冒すなよ。じっくりでいい。もし仮に捕まりそうになったら証拠一つ残すな」

「承知しております」

 あまりに馬鹿らしい話ではあった。しかし、それが事実ならば。寝惚けた老人どもに国を任せてはおけなかった。
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