前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

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第7話 春の庭に芽吹くもの

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 雪がすっかり解けた。
 館の周囲を覆っていた白銀の世界は、やわらかな土と若草の色に変わってきている。

 朝、ミカは袖を軽くまくり上げ、花壇の前に立っていた。
 陽射しがまだ少し冷たい風に混じりながら、彼の頬をやさしく撫でていく。

「ミカ先生、これ見て! 土があったかい!」

 リアムがしゃがみ込み、小さな手で土を触って笑った。

「そうだね。もう春なんだね」

 ミカは微笑み、手にした木べらで土をほぐしていく。
 花壇の中では、冬越しした根が静かに息を吹き返していた。

「今日はね、いくつか新しい花を植えようと思うんだ。」

「どんな花?」

「まずは“スノードロップ”。白い小さな花でね、冬の終わりを知らせてくれるんだ」

「わぁ……名前がかわいいね。」

 リアムの瞳がきらきらと輝く。
 ミカは袋から球根を取り出し、手のひらに載せて見せた。

「これが種になる部分。少し土を掘って、優しく入れるんだよ」

「こう?」

「そうそう。力を入れすぎないで、そっと……そう、上手」

 二人の指先が並んで土に触れる。
 温かい陽射しの中、静かな笑い声が交わる。

「次は“パンジー”を植えようか。」

「パンジー?」

「うん。いろんな色があるんだ。黄色、紫、白……ほら、この苗がそう」

 ミカが小さな鉢を手渡すと、リアムは大事そうに抱えた。

「お花が咲いたら、ママの温室に飾ろうね!」

「うん、きっと喜んでくれるよ」

 花壇の土を均し、苗を並べ、指先で押さえていく。
 柔らかい風に髪が揺れ、リアムが笑いながら鼻先に土をつけた。

「ミカ先生、ぼくの顔、泥だらけ?」

「うん、ちょっとね」

 ミカがハンカチで優しく拭う。
 その様子を見て、リアムがくすくすと笑う。

「ミカ先生も、ほっぺに土ついてるよ」

「えっ、ほんと?」

 リアムが真似をしてミカの頬を指でぬぐう。
 どちらからともなく笑いが溢れ、花壇のそばには春の音のような笑い声が続いた。

「……お花、咲くの楽しみだね」

「うん、そうだね。
 きっと、ここいっぱいに色が広がるね」

 二人が並んで見上げた空は、淡い雲の向こうに柔らかな陽光が差し込んでいた。

 ◇

 その光景を、館のバルコニーからダリウスは見ていた。
 朝の書類仕事を終え、偶然外を眺めたとき――
 庭にしゃがむ二人の姿が目に入ったのだ。

 ミカの動きはいつも穏やかで、言葉にしなくても相手を包み込むようだった。
 リアムが楽しそうに笑い、その隣でミカも同じように微笑んでいる。

 ――その光景から、どうしようもなく目を離せない。

 ダリウスは欄干に手を置き、静かに息を吐いた。
 胸があたたかく、少し痛む。
 “見ているだけでいい”と、そう思っていた。
 しかし心のどこかで、あの笑顔を自分だけに向けてほしいと思ってしまう。

 リアムがミカの手を引きながら何かを話している。
 風に乗ってその声がかすかに届いた。

 「ミカ先生、パパも今度一緒にお花植えようね!」

 ミカが少し照れたように笑い、「うん、誘ってみようか」と返す。

 その“パパ”という言葉に、ダリウスの心が小さく波打った。
 自分の世界に再び“家族の声”が戻ってきている――
 そう気づいたとき、自分の顔が少し緩んでいるのを感じた。

 ◇

 昼を過ぎ、ミカとリアムは温室に移動した。
 植えた苗を見ながら、お茶を片手に休憩をしている。
 窓越しに差し込む光の中で、ミカの横顔がゆっくりと笑った。

「リアムくん、この花壇、これからどんどん変わっていくよ」

「ほんと?」

「うん。明るい色が増えて、
 冬の白い世界が、まるで絵の具をこぼしたみたいにカラフルになる」

「じゃあ、毎朝見にこよう!」

「そうだね。毎日少しずつ、“育っていく”のを観察しようね」

 リアムは頷き、嬉しそうに言った。

「ミカ先生は、お花の先生みたい!」

「ふふ、そうかな」

 その笑い声に、温室の空気までもがやさしく満たされていく。

 扉の外からその様子を見ていたダリウスは、ふと我知らず笑みをこぼした。
 その微笑みは、かつて失った時間を取り戻すような、そして新しい感情が芽吹くような――
 穏やかで、少し切ないものだった。

 ◇

 夕方、リアムが昼寝に入り、館が静かになった頃、ミカは花壇に戻り、植えた苗を見下ろしていた。
 土の中で眠る小さな命。
 やがて芽吹き、花開くその日を思いながら、両手を胸の前で合わせた。

「……ちゃんと咲きますように」

 背後から、低い声がした。

「願い事か?」

 振り返ると、ダリウスが立っていた。
 夕陽を背にして、いつもよりやわらかい表情をしている。

「リアムのために?」

「いえ……それももちろんありますが、この館のために。
 ここに春が来るように、と」

 ミカの言葉に、ダリウスは小さく笑った。

「もう来ているさ。お前が来てから、ずっと」

(旦那様の視線が、言葉が……前より甘くなってる気が)

 その言葉に、ミカは一瞬息を呑んだ。
 視線が合う。
 穏やかな陽が、二人の間に差し込む。
 そして、ミカは俯き、恥ずかしそうに笑った。

「……じゃあ、もっと咲かせないといけませんね」

「そうだな」

 春風がそっと吹き抜けた。
 まだ咲いていない花壇の上に、
 新しい季節の匂いがふんわりと広がっていく。
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