前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

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第6話 触れたぬくもり

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 夜明けの光が、窓辺の雪を淡く照らしていた。
 いつのまにか雪は止み、館の庭には白銀の丘が静かに広がっている。
 暖炉の火はまだ赤く、部屋には昨夜の温もりが残っていた。

 ミカはゆっくりと瞼を開けた。
 額に乗せられていた布はぬるく、少し汗ばんだ身体に夜着が纏わりついている。
 熱は――もう引いたようだった。

 身を起こそうとしたそのとき、扉が静かに開く音がした。
 黒の上着を着たダリウスが入ってくる。
 手には湯気の立つカップ。
 その姿を見て、ミカは驚いたように瞬きをした。

「……おはようございます。もしかして、ずっと見ていてくれたんですか?」

「昨夜は熱が高かったからな。医師を呼ぶか迷ったほどだ」

「そんな……ご迷惑を……」

 言いかけた言葉を、ダリウスが軽く首を振って遮った。

「迷惑などと思うな。お前の熱が下がるまで、見ていたかっただけだ」

 その声音が、やけに静かに響いた。
 カップを差し出され、ミカは両手で受け取る。
 香草の匂いがやさしく鼻をくすぐった。

「体に良い薬草茶だ。まだ熱が残っているかもしれん。少しずつ飲め」

「はい、ありがとうございます。」

 一口含むと、喉を通る温かさがじんわりと広がった。
 ダリウスはその様子を黙って見つめていた。
 その目に、昨夜とは違う柔らかな光が宿っている。
 沈黙の中、ミカがそっと言った。

「……旦那様、本当に、ありがとうございました。
 僕、こんなに人に心配されたの、初めてで……」

「そんなはずはない」

 ダリウスの声は静かだが、どこか熱を帯びていた。

「お前のように人を気遣える者が、誰にも大事にされなかったとは思えない」

 ミカは目を伏せた。
 “前の世界”で、子どもたちに囲まれていた。
 彼らに好かれてはいても、自分は彼らを守る立場だった。
 自分が誰かに守られることは少なかった。

「……不思議ですね。
 この館に来てから、皆さんが優しくしてくれる。
 自分が、また人の中で生きていいんだって思えるようになりました」

 その言葉に、ダリウスはふと息を呑んだ。
 彼の中で、何かが小さく鳴った。
 ミカの言葉はいつも静かで、まっすぐだ。
 それが誰の言葉よりも、自分の胸の奥に届く。

「ミカ」

「はい?」

 ダリウスはゆっくりと近づいた。
 椅子を退け、ベッドに腰を下ろす。
 その距離が、いつもより近い。

「もう大丈夫なのか?」

 そう言いながら、彼は手を伸ばした。
 熱を確かめるように、ミカの頬に触れる。

「……っ!」

 ミカの心臓が跳ねた。
 大きな掌が、頬から耳へとすべる。

(う、わ……、旦那様が近い……。なんか、なんか……)

 その手つきは驚くほど優しく、熱が残っていないか確かめるだけの仕草のはずなのに、指先が肌に触れるたび、胸の奥がかすかに震えた。

「……まだ少し温いな。」

 低い声が耳もとで落ちる。
 それだけで、息が詰まりそうになる。

「だ、大丈夫です。もう熱は下がって……!」

「そうか」

 ダリウスは手を離そうとしたが、その一瞬、指先がミカの耳のあたりをかすめた。
 そのぬくもりがあまりにも鮮明で、ミカの頬は一気に赤く染まる。

「顔が赤いな。やはりまだ熱が――」

「ち、ちが……っ、これは……その……!」

 言葉にならず、ミカは視線を逸らした。
 耳まで真っ赤になっているのを悟られまいと、毛布を引き寄せて俯く。

(旦那様がこんな甘いなんて。恥ずかしすぎる……)

 ダリウスは困ったように眉を寄せた。
 自分の指先がわずかに熱を持っていることに気づく。
 理性を働かせ、ゆっくり息を整えた。

「……すまない。乱暴だったか?」

「い、いえっ、そんなこと……ありません……!」

 ミカの声は小さく震え、その頬の赤さがますます濃くなっていく。
 ダリウスは視線を落とし、微かに笑った。

「安心しろ。確認しただけだ。……熱も、もうないようだな」

「は、はい……」

 その笑みがあまりにも穏やかで、かえって胸が苦しくなる。
 どうして、こんなに優しい人なんだろう。
 こんなふうに名前を呼ばれるだけで、心が揺れてしまう。
 しばしの沈黙のあと、ダリウスが立ち上がった。

「医師には、念のため一度診せなさい。
 今日は部屋で休め」

「……はい。お願いします」

 扉へ向かいかけて、ダリウスはふと振り返った。

「雪がやんだら、またリアムと外へ出てやってくれ。
 ……ただし、今度は無理をしないように」

 その言葉には心からの願いが滲んでいた。
 扉が静かに閉じたあと、ミカは胸に手を当て、息を整えた。
 頬の熱はまだ冷めない。
 風邪ではなく、別の熱が残っている。

「……どうして、こんな……旦那様」

 窓の外では、陽の光が雪を溶かしていた。
 冬の終わりを告げるその光のように、ミカの胸の中でも、何かがゆっくりと溶けはじめていた。
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