前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

文字の大きさ
9 / 16

第9話 春の花が咲く朝に

しおりを挟む
 春が本格的に訪れた。
 雪解けの小川が音を立てて流れ、館の周りには鳥たちの声が響いている。

 ミカはリアムと朝早くから花壇に出ていた。
 霜に濡れた土の匂いが、どこか懐かしい。
 膝をついて手を伸ばすと、スノードロップの間に紫の小さな花がひとつだけ咲いていた。

「……パンジー、咲いたんだ」

 その声に、隣でリアムが顔を上げた。

「ほんとだ! ねぇミカ先生、ほら、見て見て!」

「うん、きれいだね。よく頑張って咲いたね」

 二人は並んでしゃがみ込み、小さな花を覗き込む。
 柔らかい風が吹いて、花弁が揺れた。

「ミカ先生、これってぼくが植えたやつだよね?」

「そうだよ。リアムくんが土をならしてくれたところ。」

「わぁ! じゃあぼくが育てたんだ!」

「うん。おめでとう。もう立派なお花の先生だね」

 リアムの笑顔が弾ける。
 その顔を見て、ミカの胸も自然と温かくなった。

 ――命を育てるって、こんなに嬉しいことなんだ。

 前の世界でも、子どもたちと一緒に種を植えた春があった。
 その記憶が胸をかすめる。
 でも今は、それを懐かしむより、“今ここにいる自分”が大事だと思えた。

「パパにも見せよう!」

 リアムが駆け出していく。
 その姿を追いかけながら、ミカはふっと笑った。

 ◇

 少しして、ダリウスが庭に姿を現した。
 外套を羽織った姿はいつもより柔らかく、陽の光の中では不思議と優しい印象に見えた。

「リアムが大騒ぎしていた。“花が咲いた”と。」

「はい。……パンジーが咲いてくれました」

 ミカが微笑みながら答える。
 ダリウスはしゃがみ込み、その小さな紫の花を見つめた。

「強い花だな。寒さに負けず咲く」

「ええ。だから好きなんです。
 ……この花を見ると、頑張ろうって思えるんです」

 ダリウスは小さく頷いた。
 そして、視線をゆっくりとミカに移す。

「ゆう」

 たった一言。ミカが目を見開く。
 その名前を呼ばれただけで、胸がきゅっと熱くなった。

「……ここでは、そう呼ぶのは禁止だったか?」

「い、いえ、禁止なんて……でも、リアムくんの前で呼ばれたら、びっくりしちゃうかもしれません」

「そうだな。あの子の前では“ミカ”で通そう」

 そう言って、ダリウスが小さく笑った。
 それだけで、心臓の鼓動が跳ね上がる。

「……ゆう」

 今度は誰にも聞こえないように、ごく静かにその名をもう一度呼ばれた。
 まるであの夜の温室の続きのように。

「はい……」

 ミカは俯いたまま、かすれた声で答える。
 頬が熱い。風が通るたび、顔の温度が上がっていくのがわかる。
 ダリウスは、そんな様子に気づいているのかいないのか、穏やかな声で言葉を継いだ。

「……お前が笑っていると、この庭が明るく見える」

「え?」

「この花より、お前の方が春を連れてきたようだ」

 その言葉に、ミカの呼吸が止まった。
 何も言えずに、ただ花壇の花を見つめる。

(な、なんか、どうしよう。恥ずかしいのに……嬉しいなんて。このままじゃ……)

「……僕なんて、ただ見守ってるだけですから」

「見守るというのはなかなか難しいものだ」

 ダリウスの声が、低く、静かに響く。

「人の笑顔を守ることができる者は、そう多くない」

 その言葉に、ミカの胸がじんと熱くなった。
 何かを言おうとしたが、喉の奥が詰まって言葉にならない。
 代わりに、そっと笑った。

「……ありがとうございます。」

 春の風が二人の間を抜けていく。
 花壇の花弁が揺れ、リアムの笑い声が遠くから響いた。

 その穏やかな光景を見ながら、ダリウスは心の奥で小さく思う。

 ――この日々が、ずっと続けばいい。
 ただそれだけで、充分だ。

 ◇

 その夜、ミカは灯りを消した部屋の窓辺に立ち、外の花壇を見下ろしていた。
 月の光が花々に落ち、淡く輝いている。

 そのとき、遠く廊下を歩く足音が聞こえた。
 そして、静かな声が聞こえてくる。

「ゆう?扉が開いたままになっていたが……」

「あ、すいません!気が付かなくて」

「いや。……まだ夜は冷える。暖かくして寝ろ」

「はい、ありがとうございます」

「……おやすみ、ゆう」

 ダリウスはミカの髪をふわっと撫でると、そっと扉を閉めた。
 ミカは胸の奥でそっとその名を呼び返す。

「おやすみなさい、ダリウス様」

 閉じた扉の向こうで、夜風が春の香りを運んでいった。
 “ゆう”という名前が呼ばれるたびに、この世界が少しずつ、自分の居場所になっていく。
 それが嬉しいはずなのに、今はそれだけでは済まない想いがあふれてしまいそうになっている。

(どうしよう、ダリウス様の存在が……自分の中でどんどん大きくなっている。僕が好きになっても……)

 今日もまた眠れないかもしれない。
 ため息をつくと、ベッドに横たわった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています

八神紫音
BL
 魔道士はひ弱そうだからいらない。  そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。  そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、  ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした

エウラ
BL
どうしてこうなったのか。 僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。 なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい? 孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。 僕、頑張って大きくなって恩返しするからね! 天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。 突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。 不定期投稿です。 本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。

ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!

ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!? 「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される

田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた! なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。 婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?! 従者×悪役令息

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...