前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可

文字の大きさ
12 / 16

第12話 春風の約束

 昼下がりの庭に、春風が吹き抜けた。
 陽光に照らされた花壇は鮮やかで、スノードロップに続いてパンジーやチューリップが咲き誇っている。

「ミカ先生、見て! ほら、こっちの花、昨日より大きくなった!」

 リアムの声が弾む。

「ほんとだ。ちゃんとお日さまの方を向いてるね」

「お花って、太陽が好きなんだね」

「うん。生きてる証拠だよ」

 ミカは膝をついてリアムの帽子を直してやる。
 陽光が髪に反射し、風が頬をなでた。
 その横顔を見つめながら、ダリウスは穏やかな笑みを浮かべる。

 彼の手には湯気の立つ紅茶。
 庭のテーブルに置かれたティーポットからは、ベルフラワーの花びらが浮かぶ香りがした。

「……こうしていると、時間を止めたくなるな」

 ダリウスの言葉に、ミカはふと顔を上げる。

「え?」

「……お前が来てから、この館が生き返ったように明るくなった。リアムの楽しそうに過ごしている。このままこのの穏やかな時間が続けばと思ってな」

 ミカは頬を染めて俯く。

「そんな……僕は何も……」

「いや。お前が笑うだけで、空気が柔らかくなる」

 静かな声に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
 リアムが花冠を持って駆け寄ってきた。

「パパにも! はい!」

「……これは、少し小さいな。」

「だってパパの頭、大きいんだもん!」

 ミカが吹き出し、ダリウスも珍しく声を立てて笑った。
 その笑顔があまりにも穏やかで、ミカは今までにない幸福感を感じていた。

 ──しかし、その午後。

 玄関の方から、蹄の音が響いた。
 重い扉が叩かれ、ジェスの声が低く響く。

「旦那様、王都からの使者が参りました」

 その言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。
 ダリウスは紅茶を置き、静かに立ち上がる。

「ミカ、リアムを頼む」

「……はい」

 館の広間には、王家の紋章を刻んだ書簡を持つ男が立っていた。
 甲冑の胸当てには雪獅子の紋。
 帝都直属の伝令だ。

「辺境伯ダリウス・レーヴェンス殿。
 陛下より召喚の勅書をお持ちしました」

「……召喚?」

 封蝋を割り、文を開く。
 そこには、帝都北部の治安および軍備再編に関する会議が開かれる旨、そして“前線経験を有する貴公を陛下自らが望む”と書かれていた。
 ダリウスは静かに文をたたみ、眉間に皺を寄せた。

「……すぐに発たねばならんのか」

「3日以内にご出発を、とございます」

 返す言葉もなく、伝令が頭を下げて去っていく。
 重い扉が閉じた瞬間、館の空気が変わった。
 ジェスが心配そうに口を開く。

「……旦那様」

「心配はいらん。留守は任せる」

「承知いたしました」

 ◇

 その夜、ミカは温室の窓辺で、外に浮かぶ月をぼんやりと見上げていた。
 足音に気づき、振り返る。

「……ダリウス様」

「眠れないのか」

「……はい。王都へ行かれるって、聞きました」

 ダリウスは静かに頷く。

「陛下の命とあれば、従うしかない」

「でも、遠いですよね……」

「王都までは馬で10日ほどだ」


 ミカは唇を噛む。
 その距離の意味を、痛いほど感じた。

「リアムくんが寂しがります」

「……そうだな。だが、あの子のそばにお前がいる」

 そう言いながら、ダリウスはミカの髪に手を伸ばした。
 指先がそっと触れる。

「お前がいれば、リアムは大丈夫だ」

「でも……」

 ミカは顔を上げた。
 灰色の瞳が、月光の下で深く揺れている。

「僕も……寂しいです」

 小さな声。
 ダリウスの胸の奥で何かがきしむ。

「ゆう」

 名を呼ばれた瞬間、ミカの胸が鳴った。
 ダリウスはミカを強く引き寄せ、キスをした。
 そのまま抱き寄せ、ミカの耳元で囁く。

「そんなことを言われては、離れがたくなるだろう?
 ……ゆう、今回は国の治安維持の会議に出席するだけだ。この春が終わるころには戻る。……約束する」

「約束……」

「だから、待っていてくれ」

 その声が低く、やさしく響く。
 ミカはゆっくりと頷いた。

「……はい。待っています」

 その答えにダリウスがそっとミカの頬に触れ、微笑む。
 その仕草は、言葉よりも確かな温度を持っていた。

 もう一度唇を重ねそうになったが、ダリウスは途中で息を止めた。
 理性が、彼を止める。
 今ここで触れたら、離れがたくなるから。

 彼はそっとミカの髪を撫で、代わりに額へ軽くキスを落とした。

「……これが、約束の印だ」

 ミカは目を閉じ、頬を染めた。
 そのまま静かに微笑み、囁く。

「必ず……無事に戻ってきてください。」

 夜風が温室を抜け、花々が揺れた。
 スノードロップが月に照らされ、二人の影を柔らかく包み込む。

 ――春風の約束は、静かに交わされた。

 ◇

 夜明けの光が、館の屋根を白く染めた。
 春の風はまだ冷たく、庭の花びらをそっと揺らしている。

 玄関前の石畳には、馬車が一台。
 従者たちが荷を積み込み、馬の吐く白い息が朝の冷気に溶けていった。

「パパ、ほんとに行くの?」

 リアムの声が、少し震えていた。
 ダリウスは膝をつき、リアムの肩に手を置いた。

「しばらく、王都でお仕事だ」

「……やだ。僕も行く」

「駄目だ。長い旅になる」

 穏やかな声。けれど、どこかに寂しさが滲んでいる。

「でも……」

「大丈夫だ、ミカもジェスもいるだろう。いい子で待てるな?」

「……うん」

 リアムは唇をかみしめ、ぎゅっとダリウスの胸にしがみついた。
 その小さな腕を抱きしめ返しながら、ダリウスは目を閉じる。

「すぐに戻る。約束だ」

「……ほんと?」

「ああ。約束だ」

 ミカは少し離れた場所でその光景を見つめていた。
 朝露が草の上で光り、馬の鞍の金具が冷たくきらめく。

 リアムがジェスに連れられて玄関の中へ戻っていく。
 扉が閉じられ、庭に残ったのは、ミカとダリウス、二人だけだった。

「……寂しがっていましたね」

「仕方ない。まだ幼いからな」

「でも、ダリウス様がちゃんと帰るって言ったから、
 きっと信じて待っています」

 ミカは微笑みながら言った。
 けれどその笑みの奥に、自分でも抑えきれない痛みがあった。

「あなたがいない間、この館を守ります」

「頼もしい言葉だ」

 ダリウスがふっと笑う。
 その灰色の瞳がミカを見た瞬間、笑みがわずかに揺れた。
 何かを言いかけて、やめたような表情。

「ゆう」
 その名を呼ばれた瞬間、胸の奥にあの夜の温もりが蘇る。

「はい」

「……お前がここにいてくれることが、何よりも救いだ。きっとお前がいなければ、安心して、王都に行けることはなかっただろう」

「……はい」

 沈黙が降りた。ミカは想いが溢れすぎて、言葉にならない。
 伝え方がわからない。
 鳥の声すら遠のいて、風の音だけが二人の間を通り抜ける。

 ダリウスは一歩近づき、そのままミカの手を取った。
 大きな掌のぬくもり。
 それだけで、息が詰まりそうになる。

「……もう一度、約束をしよう」

「はい」

「春が終わる前に戻る。どんなことがあっても」

 その声は低く、確信に満ちていた。
 ミカは強く頷いた。

「はい……待っています。ダリウス様」

 ダリウスが微笑む。
 その目に、かすかな情が揺れていた。
 理性と感情が、ぎりぎりでせめぎ合うように。

 そして――

 ダリウスはゆっくりと身をかがめ、ミカの額に口づけを落とした。
 ひんやりとした朝の空気の中、その一瞬だけが、やけに温かかった。

「リアムを、ここを頼む」

「はい……ダリウス様、どうかご無事で」

 馬車の扉が閉じる。
 車輪が石畳を叩く音が響く。
 馬が蹄を鳴らし、ゆっくりと走り出した。

 ミカは玄関前に立ち尽くし、遠ざかる馬車を見送った。
 風が外套の裾を揺らす。

(……どうか、無事に帰ってきてください。)

 目を閉じると、昨夜の声が耳の奥で蘇った。

 ――「待っていてくれ。」

 その言葉に応えるように、ミカは胸の前で両手を組んだ。

「約束ですから」

 風がやさしく頬を撫でる。
 遠くへ行く背中に、見えない糸が確かに繋がっているような気がした。
 やがて馬車の姿が森の向こうに消えると、ミカは深く息を吸った。

 今日からは、自分がこの館を守る番だ。
 リアムを、花々を、ダリウスの帰る場所を。
 胸の奥で小さく呟く。

「――待っています」

 朝日が高く昇り、館の屋根に光が差した。
 風が花々を撫で、遠くで、春を告げる鐘が鳴った。
感想 1

あなたにおすすめの小説

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

お宝は二人の食卓に。~万能鑑定士と風来坊の騎士が綴る世界一周のんびり冒険譚~』

たら昆布
BL
無口な最強騎士×のんびり鑑定士

続・聖女の兄で、すみません!

たっぷりチョコ
BL
『聖女の兄で、すみません!』(完結)の続編になります。 あらすじ  異世界に再び召喚され、一ヶ月経った主人公の古河大矢(こがだいや)。妹の桃花が聖女になりアリッシュは魔物のいない平和な国になったが、新たな問題が発生していた。

俺がイケメン皇子に溺愛されるまでの物語 ~ただし勘違い中~

空兎
BL
大国の第一皇子と結婚する予定だった姉ちゃんが失踪したせいで俺が身代わりに嫁ぐ羽目になった。ええええっ、俺自国でハーレム作るつもりだったのに何でこんな目に!?しかもなんかよくわからんが皇子にめっちゃ嫌われているんですけど!?このままだと自国の存続が危なそうなので仕方なしにチートスキル使いながらラザール帝国で自分の有用性アピールして人間関係を築いているんだけどその度に皇子が不機嫌になります。なにこれめんどい。

紳士オークの保護的な溺愛

flour7g
BL
■ 世界と舞台の概要 ここはオークの国「トールキン」。 魔法、冒険者、ギルド、ダンジョン、獣人やドラゴンが存在する、いわゆる“典型的な異世界”だが、この国の特徴はオークが長命で、理知的な文明社会を築いていることにある。 トールキンのオークたちは、 灰色がかった緑や青の肌 鋭く澄んだ眼差し 鍛え上げられた筋骨隆々の体躯 を持ち、外見こそ威圧的だが、礼節と合理性を重んじる国民性をしている。 異世界から来る存在は非常に珍しい。 しかしオークは千年を生きる種族ゆえ、**長い歴史の中で「時折起こる出来事」**として、記録にも記憶にも残されてきた。 ⸻ ■ ガスパールというオーク ガスパールは、この国でも名の知れた貴族家系の三男として生まれた。 薄く灰を帯びた緑の肌、 赤い虹彩に金色の瞳孔という、どこか神話的な目。 分厚い肩と胸板、鍛え抜かれた腹筋は鎧に覆われずとも堅牢で、 銀色に輝く胸当てと腰当てには、代々受け継がれてきた宝石が嵌め込まれている。 ざらついた低音の声だが、語調は穏やかで、 貴族らしい品と、年齢を重ねた余裕がにじむ話し方をする。 ● 彼の性格 • 極めて面倒見がよく、観察力が高い • 感情を声高に表に出さないが、内側は情に厚い • 責任を引き受けることを当然のように思っている • 自分が誰かに寄りかかることだけは、少し苦手 どこか「自分は脇役でいい」と思っている節があり、それが彼の誠実さと同時に、不器用さでもあった。 ⸻ ■ 過去と喪失 ――愛したオーク ガスパールはかつて、平民出身のオーク男性と結ばれていた。 家柄も立場も違う相手だったが、 彼はその伴侶の、 不器用な優しさ 朝食を焦がしてしまうところ 眠る前に必ず手を探してくる癖 を、何よりも大切にしていた。 しかし、その伴侶はすでにこの世を去っている。 現在ガスパールが暮らしているのは、 貴族街から少し離れた、二階建ての小さな屋敷。 華美ではないが、掃除が行き届き、静かな温もりのある家だ。 彼は今も毎日のように墓参りを欠かさない。 それは悲嘆というより、対話に近い行為だった。 ⸻ ■ 現在の生活 ガスパールは現在、 街の流通を取り仕切る代表的な役職に就いている。 多忙な職務の合間にも、 洗濯、掃除、料理 帳簿の整理 屋敷の修繕 をすべて自分でこなす。 仕事、家事、墓参り。 規則正しく、静かな日々。 ――あなたが現れるまでは。

魔力ゼロのポーション屋手伝い

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
15歳で測定する魔力の量によって、人生の大部分が左右されてしまう世界。 そんな世界で、運命の日を迎えたひとりの平凡な少年──リクは、抱いた淡い期待を大きく裏切られる。魔力が前代未聞のゼロと言い渡されたのだ。 深い絶望とともに頭を抱えていたとき、森でポーション屋を営んでいるというくたびれた男が声をかける。路頭に迷っていたリクは、店で手伝いをしてはどうかという彼の誘いを受けることにする。 捨てかけた夢を拾ってもらった少年と、拾った男。ふたりが絆を深めていく、ポーション屋でのお話です。 一人称おじさんくたびれ男性×魔力ゼロ以外平凡青年のBLです。 カクヨムにも載せています。(完結済み)