もう一度、その腕に

結衣可

文字の大きさ
5 / 10

第5話 守られるということ

しおりを挟む
 春の陽射しは穏やかで、青空には白い雲が流れていた。
 その日、王城から半日ほど離れた村を視察するため、リオネルは従者や近衛を伴って石畳の街道を進んでいた。

 沿道には多くの村人が集まっている。
 行列に向けられる視線は希望に満ち、子どもたちは小さな花を振り、大人たちは深々と礼を取る。笑い声や呼び声が次々と上がり、祭りのような熱気に包まれていた。

 リオネルは軽く歩みを緩め、手を振り返す。
 差し出される小さな手をそっと握り、温かな言葉をかける。その笑顔に人々の緊張が解けていく。
 その様子を、カインは半歩後ろで警戒しながら見守っていた。黒い近衛服の背筋は弓のように伸び、視線は群衆の隅々まで走る。

 ――穏やかに見えたのは、ほんの一瞬だった。

 遠くから、馬のいななき。
 次いで、車輪が石を削る激しい軋み。

 視界の端に、制御を失った荷馬車が突進してくるのが見えた。御者は必死に手綱を引いているが、速度は落ちない。進路の先には――歩みを緩めて村人に笑顔を向けるリオネルの姿。

「――殿下!」

 叫ぶより早く、カインの体が動いた。
 人混みを鋭くかき分け、リオネルの腕を掴む。
 そのまま強く抱き寄せ、近くの石造りの壁際へと押し込むように庇った。

 耳元を掠める、風を裂く音。
 石畳を削りながら駆け抜ける車輪の轟音。
 舞い上がる埃が白く二人を包み、視界が一瞬霞む。

 リオネルは息を呑み、硬直した。
 前にはカインの胸板、背後には冷たい壁。
 両腕に囲われ、逃げ場がない。

「お怪我は!?」

 耳元で響く声は、普段の冷静さとは違って震えていた。
 焦り、安堵――抑えきれない感情が混じっている。

「だ……大丈夫……」

 搾り出すように返した声は、自分でも驚くほどかすれていた。
 胸板越しに伝わる鼓動と熱。囲われた狭い空間に満ちる息遣いに、頭がくらくらする。

 ほんの数秒なのに――永遠にも思える沈黙が流れた。
 カインはゆっくりと体を離したが、片手はリオネルの肩に残し、真っ直ぐに視線を合わせる。

「……殿下。危険な場所では、決して立ち止まらないでください」

 叱責の形を取った言葉。瞳の奥にあるのは怒りではなく、不安と安堵が複雑に入り混じった色だった。
 息が触れそうなほど近い。
 リオネルは小さく瞬きをして、そして微笑んだ。

「……うん。ごめん、カイン」

 謝罪と同時に浮かんだ笑みは、守られた安心と、胸の奥に広がる熱の混じったもの。頬にかすかな赤みが差す。

 カインは息を呑んだ。
 理性が止めなければ、そのまま手を強く引き寄せていたかもしれない。
 だからこそ、視線を逸らし、表情を固く整える。

「行きましょう」

 歩き始めても、肩に置かれた手はすぐには離れなかった。
 群衆のざわめきに戻っていくその中で、二人の間だけに別の鼓動が響いていた。

 村の入り口が見えてきたころ、リオネルはふと気づく。
 肩に残る手の重み。耳に焼き付いた声。そのすべてがまだ自分を包んでいる。

(……カインに守られるのって、なんか……嬉しいのに落ち着かない)

 心の奥でその感覚を反芻しながら、リオネルはそっと横を向いた。
 カインは表情ひとつ変えずに前を見据えている。その歩幅は無意識に自分に合わせられているようで、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚になる。

 春の風が二人の間をすり抜け、花びらをひらひらと舞わせる。
 その白い花びらは、肩先に触れては消え、けれど胸に残る温度だけは決して消えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【BL】無償の愛と愛を知らない僕。

ありま氷炎
BL
何かしないと、人は僕を愛してくれない。 それが嫌で、僕は家を飛び出した。 僕を拾ってくれた人は、何も言わず家に置いてくれた。 両親が迎えにきて、仕方なく家に帰った。 それから十数年後、僕は彼と再会した。

美澄の顔には抗えない。

米奏よぞら
BL
スパダリ美形攻め×流され面食い受け 高校時代に一目惚れした相手と勢いで付き合ったはいいものの、徐々に相手の熱が冷めていっていることに限界を感じた主人公のお話です。 ※なろう、カクヨムでも掲載中です。

末っ子王子は婚約者の愛を信じられない。

めちゅう
BL
 末っ子王子のフランは兄であるカイゼンとその伴侶であるトーマの結婚式で涙を流すトーマ付きの騎士アズランを目にする。密かに慕っていたアズランがトーマに失恋したと思いー。 お読みくださりありがとうございます。

片思いの練習台にされていると思っていたら、自分が本命でした

みゅー
BL
オニキスは幼馴染みに思いを寄せていたが、相手には好きな人がいると知り、更に告白の練習台をお願いされ……と言うお話。 今後ハリーsideを書く予定 気がついたら自分は悪役令嬢だったのにヒロインざまぁしちゃいましたのスピンオフです。 サイデュームの宝石シリーズ番外編なので、今後そのキャラクターが少し関与してきます。 ハリーsideの最後の賭けの部分が変だったので少し改稿しました。

契約結婚だけど大好きです!

泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。 そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。 片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。 しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。 イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。 ...... 「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」  彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。 「すみません。僕はこれから用事があるので」  本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。  この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。 ※小説家になろうにも掲載しております ※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します

追放されたおまけの聖女♂は冷徹王太子の腕の中から離してもらえない〜今さら戻れと言われても、もうこの人の魔力しか受け付けません!〜

たら昆布
BL
聖女のおまけで召喚されたと思われて追放された不憫受けが拾われて愛される話

聖獣召喚に巻き込まれた俺、モフモフの通訳をしてたら冷徹騎士団長に外堀を埋められました

たら昆布
BL
完璧っぽいエリート騎士×無自覚な愛され系

処理中です...