溺愛王子様の3つの恋物語~第2王子編~

結衣可

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第2話 笑顔

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午後の陽が傾き始めた頃。
宰相カール・ヴァイスベルクは馬車の窓を閉ざし、静かに息を吐いた。

(……報告だけでは足りない。曖昧な言葉では、私の胸の苛立ちは収まらない)

影に尾行を任せるのは容易いが、彼が欲しているのは「確証」ではなく「実感」だった。
この胸を苛む違和感が、単なる職務上の懸念なのか、それとも別の何かなのか――自分の目で見なければならない。

馬車を降りると、石畳は欠け、家並みは煤で黒ずんでいた。
王城の磨き上げられた大理石とはまるで異なる空気。人の喧噪、酒の匂い、遠くで犬が吠える声。
ここは、王族や高官が足を踏み入れることなど決してないはずの街。

「……あれは」

人垣の向こうに、見覚えのある淡金の髪が夕日に揺れた。
粗末な外套に身を包み、フードを被っても、その整った輪郭は隠しきれない。

ライナルト・フォン・グランツ――第2王子。

カールの心臓が強く跳ねた。

ライナは露店の老婆に近づき、小さな果実を手に取り、にこりと笑んだ。

「これ、いただくよ。……代金はこれで足りるかな?」

「おやまぁ……十分すぎるよ、殿下……じゃなかった、お兄さん!」

老婆が慌てて口を押さえる。
ライナは人懐っこい笑みを崩さず、口元に人差し指を立てた。

「ふふ、秘密にしてね」

子どもたちが興味津々に覗き込むと、ライナは懐から小さな包みを取り出し、果物を分け与えた。

「ほら、みんなで食べるともっと美味しいよ」

子どもたちが歓声を上げ、老婆の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
彼の周囲だけが、薄暗い下町の中でふっと明るく灯るように見えた。

――その笑顔。

城内で見せる飄々とした仮面ではない。
計算も虚飾もなく、ただ人を安心させる、まっすぐで温かな光。

(……こんな顔を……するのか)

胸の奥が、強く脈打つ。
カールは足を止め、人々の陰から動けなくなった。

彼が笑いかけるたび、人々の肩の力が抜け、顔が和らいでいく。
その姿は、まるで生まれながらにして「人を照らす力」を持っているかのようだった。

(奔放で、軽薄で……王族らしくないとしか思っていなかった。しかし――)

理性が否定するのに、視線は彼から離れなかった。
心の奥底に、説明のつかないざわめきが広がっていく。

ライナが路地裏に姿を消すまで、カールはただその後ろ姿を凝視していた。

***

夕刻、王城に戻ったライナは、軽やかな足取りで宰相の執務室を訪ねた。
扉をノックし、にやりと笑いながら顔を覗かせる。

「こんにちは、宰相さん。……呼ばれてないのに来ちゃった」

「……殿下」

短く答え、カールは視線を書類から上げた。
冷徹なはずの宰相の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れたのをライナは見逃さなかった。

「ねぇ宰相さん。そんなに僕を見張って、どうしたいの?」

カールの指が止まる。

「……気付かれていたんですか」

「もちろん。君の“影”なんて、すぐに分かるよ」

軽やかに笑いながら、ライナは机の前まで歩み寄る。

「……それに今日は珍しく、宰相さん本人の気配まで感じた。尾行なんて柄じゃないことをするね」

挑発するように首を傾げるライナ。
その瞬間、カールの胸に――下町で目にした、あの笑顔が鮮烈に甦った。
人々に与えていた光。
そして今、目の前で無邪気に笑う顔。

理性が止めろと告げるのに、気づけば手が伸びていた。

「……っ」

驚いたように、ライナの蒼い瞳が揺れる。
頬に触れた感触は、思いのほか柔らかく、温かい。

「……宰相、さん?」

囁くような声。
カールは低く、真剣に言葉を落とした。

「あなたが心配なのだ」

その声音には、普段の冷徹さも皮肉もなかった。
ただ、抑えきれない本心が滲んでいた。
ライナの頬に赤みが差し、耳の先まで熱が広がっていく。
いつもの飄々とした笑みが崩れ、視線を逸らした。

「……そんなの……」

かすれた声で呟き、唇を噛む。

「不意打ちは……ずるいよ」

普段なら軽口でかわすはずの彼が、赤面して俯いている。
その姿を見つめながら、カールは胸の奥に小さな衝撃を覚えていた。

(……私は、この方から目を離せなくなりそうだ)

職務を超えて芽生え始めた感情に、まだ名をつけることはできなかった。
この瞬間――二人の距離は、少しだけ近づいていた。
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