辺境に咲く花

結衣可

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第10話 辺境へ

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 翌朝、王都の空は薄い金色に染まっていた。
 屋根の上を滑る風に、鐘の音が遠くから響く。
 ヴァルガスは部屋の窓を開け、疲れたように眠るアデルの姿に目をやった。

 陽の光を受けた金茶の髪が枕に広がり、穏やかな寝息が静けさを満たしている。
 昨夜、自分の胸に顔を埋めて涙を流した彼の温もりが、まだ腕の内に残っていた。

 ――守るだけでは足りない。
 もう二度と、誰にも触れさせない。

 胸の中で、そんな想いが静かに息づいていた。

「もう……ここに用はない。帰ろう、アデル」

 昨夜無理をさせてしまったアデルをそのまま寝かせ、出発の準備を整え、付き添っていた騎士と共に、荷物を馬車に運び入れた。
 部屋に戻り、「アデル?起きれるか?」と声を掛けた。
 
「……ヴァルガス様?」

「身体は……大丈夫か?」

 昨夜を思い出し、カっと顔を赤らめるアデル。
 それと同時に、力の入らない体に困惑した。

「ヴァルガス様、上手く……動けないのですが……これは」

「悪い、それは俺のせいだな。お前があまりにも可愛くて、手加減ができなかった」

「なっ……!?」

「とりあえず手伝うから、支度するぞ」

「……う~~~はい」

 アデルをゆっくり起こすと、ヴァルガスは夜着を脱がせようと合わせを開いた。
 アデルの白い肌に赤く散った自分の印が目に入ると、その扇情的な姿に手が止まる。

「ヴァルガス様?」

「すまない、これを脱がすと……、またお前を抱いてしまいそうだ」

「?」

「このまま行くぞ」

「え?……」

 よくわかっていないアデルにヴァルガスは苦笑すると、自分の外套を被せ、抱き上げた。

「あ、あの……ヴァルガス様、恥ずかしいのですが」

「なら、目をつぶっていろ」

 宿の前にすでに用意された馬車が待っていた。
 騎士が扉を開け、アデルを抱えたまま、ヴァルガスが中に入る。

「馬車の振動が辛いかもしれない。このままでいいな?」

「い、いいえ、さすがにそれは……申し訳ないです」

「気にするな、休んでいろ」

 腕にアデルを抱えたまま、辺境へ出発した。

 ***

 王都の整然とした石畳が、次第に土の道へと変わり、森の緑が濃くなっていく。
 やがて、砦の見張り台が見えてきた。
 遠くから手を振る兵たちの声が風に乗って届く。

「辺境伯様だ!」

「アデルさんもご一緒だ!」

 砦の門が開かれる。
 懐かしい石壁の匂い、焚き火の煙、遠くから聞こえる鍛冶場の音。
 全てが「帰ってきた」と告げていた。

 出迎えた副官が敬礼する。

「お帰りなさいませ、閣下。長旅、お疲れさまでした」

「異常は?」

「特には。ただ、南の村で小さな魔獣騒ぎがあった程度です」

「後で報告書を」

 淡々と指示を出すヴァルガスの隣で、アデルは微笑んだ。
 彼の指揮に従う兵たちの信頼の色。
 それを間近に見ると、胸の奥が温かくなる。

 ――この人の隣にいられることが、何よりの幸せだ。

 ***

 数日後、砦での生活が戻り、アデルは医官補佐として再び医務室を任された。
 しかし一つだけ、以前と違うことがあった。

 どこに行くにも、ヴァルガスの視線がある。
 誰かと話せば、必ず一歩後ろから様子を見ている。
 書庫で資料を探していれば、気づけば入口の影に立っている。
 その過保護ぶりに、アデルは思わず笑ってしまう。

「……そんなに見張らなくても、逃げませんよ?」

「逃げるかもしれないと思っているわけじゃない」

 ヴァルガスは腕を組みながら、真顔で答える。

「誰かがまた、お前を奪いに来るかもしれない」

「そのときは、ちゃんと対処します」

「……貴族は確実にその手のプロを使う。お前じゃ逃げられない」

「そうかもしれませんが……、ヴァルガス様も忙しいでしょう?」

「……まぁな。しかしお前を守ることの方が大事だ」

「それは嬉しいですけど……あ、ケガの手当てや看病、薬の管理などはここで行うことになりますが、記録や事務仕事はヴァルガス様の執務室でもできますよね?そしたら、一緒にいる時間が増やせます」

「それはいいな。……そうするか」

 「早速、副官に言って……」と真剣に考え出したヴァルガスを見つめる。
 その視線に気が付いたのか、ヴァルガスがアデルを見た。

「どうした?」

「ふふ、なんか仕事にならなくなりそうですね」

 アデルはいたずらっぽく微笑むと、手に持っていた包帯の束を机に置き、彼の前に一歩近づいた。
 そして――そっと両腕を彼の首に回す。

「ね? いつでもこうできてしまう距離……って良くないかも」

 耳元で囁かれた言葉に、ヴァルガスの呼吸が止まる。
 そして、アデルの細い腰を抱き、低い声で囁き返した。

「はぁ、本当に……お前を俺の部屋に閉じ込めたくなる」

「ヴァルガス様……」

「鍵をかけて、誰にも触れさせたくない」

 その言葉には、独占欲という痛切な愛が滲んでいた。
 アデルは微笑みながら彼の胸に顔を寄せる。

「……そんなふうに思ってくれるあなたが、愛しいです」

 ヴァルガスはアデルの髪を撫で、強く抱き締めた。
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