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第一話
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金曜の夜、23時半。
渋谷スクランブル交差点の夥しい人波の中で、俺は幻を見たんだと思う。
4年前、すべてを懸けて愛し、そしてあっけなく失った女。
三浦栞が、そこにいた。
「……湊?」
人混みに逆らうように立ち尽くす俺に、彼女が先に気づいた。
学生時代と変わらない、少しあどけなさの残る声。でも、その声色が思い出の中のそれより、ほんの少しだけ低いことに、すぐに気づいてしまった。
「栞……だよな? マジかよ」
偶然、なんて言葉で片付けるには、出来すぎた再会だった。
太陽みたいに笑っていた昔の面影はそのままに、知らないブランドのトレンチコートを着て、大人びたメイクを施した栞が、驚いたように目を丸くしている。
そして、ふわりと風が運んできたのは、俺の知らない甘い香水の匂い。それが、俺たちの間に横たわる4年という歳月を、残酷なまでに突きつけてきた。
「……久しぶり。元気だった?」
「まあ、それなりに。栞こそ。……いや、すげえ綺麗になった」
我ながら、月並みなセリフしか出てこない。
空白の時間を埋めるように、吸い寄せられるように、俺たちはガード下の喧騒に満ちた居酒屋の暖簾をくぐっていた。
「湊は、変わらないね」
ジョッキの泡を一口飲んで、彼女が笑う。
「そんなことねえよ。腹も出てきたし、上司に頭下げるのも上手くなった」
「ふふ、社会人だね」
他愛ない会話。近況報告。お互いの知らない同僚の話。
けれど、その言葉の端々から、俺たちは必死にお互いの“今”を探り合っていた。
俺が知らない男と付き合い、肌を重ねてきたこと。彼女が知らない女の部屋に、俺が泊まってきたこと。
その事実が、チリチリとした嫉妬と、背徳的な興奮を燻らせる。
「……最近、仕事どう?」
ふと、彼女が真顔になって尋ねた。
「んー、まあ、それなりにね。栞は?」
「私も、それなり」
その“それなり”という言葉に、どれだけの諦めが滲んでいるか。社会人3年目の俺たちには、痛いほど分かった。
栞がテーブルの下でスマホの画面に目を落とし、一瞬だけ表情を曇らせたのを、俺は見逃さなかった。
こいつ、何かから逃げてきたな、と直感的に思う。
気づけば、とっくに終電の時間は過ぎていた。
アルコールのせいか、再会の高揚感のせいか。どちらが先に言い出したのかは、もう覚えていない。
「……この後、どうする?」
その言葉は、魔法だった。
俺たちの間に残っていた最後の理性の壁を、いともたやすく打ち砕く。
渋谷の円山町。けばけばしいネオンが、お互いの気まずさを隠してくれる。
無言で歩きながら、ふと触れた彼女の指先が、驚くほど冷たいことに気づいた。
俺は、何も言わずにその手を握る。栞は少し驚いたように肩を揺らしたが、振り払うことはしなかった。
ラブホテルの、無機質なドアが閉まる。
静寂の中で、彼女の甘い香水の匂いが、より一層濃くなった気がした。
「……シャワー、浴びてくるね」
そう言ってバスルームに消える彼女の背中は、やけに小さく見えた。
一人、ベッドの端に腰掛けながら、心臓が馬鹿みたいに鳴っている。
(元カノと、ヤるのか。4年ぶりに)
最低な思考だと自嘲しながらも、身体の熱は正直に昂っていく。
ざあ、というシャワーの音が止まる。
数分が、数時間にも感じられた。
すりガラスの向こう側で、ぼんやりとした彼女のシルエットが動いている。
髪を拭き、身体を拭き、そして……。
ドアが開き、濡れた髪のまま、真っ白なバスローブをまとった栞が出てきた。
上気した頬。潤んだ瞳。
あの頃より少しだけ、胸の膨らみは大きくなっただろうか。
「……湊の裸、見るの、何年ぶりだっけ」
彼女が、震える声で言った。
「さあな。忘れたよ」
嘘だ。忘れるわけがない。
俺は立ち上がり、彼女の前に立つ。
ゆっくりとバスローブの紐に手をかけた。
「触れていい?」
俺の問いに、栞は何も言わずにこくりと頷いた。
その瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちる。
ああ、これはただのセックスじゃない。
傷ついた彼女が発した、無言の“助けて”という叫びだ。
そして俺は、それに気づかないふりをして、彼女を抱くのだろう。
はらり、とバスローブが滑り落ち、月明かりに照らされた栞の白い肌が露わになる。
俺は衝動のままにその身体を抱きしめ、唇を貪った。
「んっ……♡」
懐かしい感触。思い出よりずっと柔らかい唇。
だが、俺の舌を迎え入れる彼女の舌遣いは、昔よりずっと大胆で、巧みだった。
それが誰に教えられたものなのか、考えたくもなかった。
「湊のキス……昔と同じ味……♡ でも、ちょっとだけ……苦い……」
「お互い様だろ」
俺たちは獣のように求め合い、ベッドになだれ込む。
4年分の空白を埋めるように。
いや、ただ、目の前の温もりから逃げないように。
これが、過ちだとしても。
夜が明ける頃、俺たちはまた他人同士に戻るのだとしても。
今だけは。
この温もりだけは、本物だと思いたかった。
【続く】
渋谷スクランブル交差点の夥しい人波の中で、俺は幻を見たんだと思う。
4年前、すべてを懸けて愛し、そしてあっけなく失った女。
三浦栞が、そこにいた。
「……湊?」
人混みに逆らうように立ち尽くす俺に、彼女が先に気づいた。
学生時代と変わらない、少しあどけなさの残る声。でも、その声色が思い出の中のそれより、ほんの少しだけ低いことに、すぐに気づいてしまった。
「栞……だよな? マジかよ」
偶然、なんて言葉で片付けるには、出来すぎた再会だった。
太陽みたいに笑っていた昔の面影はそのままに、知らないブランドのトレンチコートを着て、大人びたメイクを施した栞が、驚いたように目を丸くしている。
そして、ふわりと風が運んできたのは、俺の知らない甘い香水の匂い。それが、俺たちの間に横たわる4年という歳月を、残酷なまでに突きつけてきた。
「……久しぶり。元気だった?」
「まあ、それなりに。栞こそ。……いや、すげえ綺麗になった」
我ながら、月並みなセリフしか出てこない。
空白の時間を埋めるように、吸い寄せられるように、俺たちはガード下の喧騒に満ちた居酒屋の暖簾をくぐっていた。
「湊は、変わらないね」
ジョッキの泡を一口飲んで、彼女が笑う。
「そんなことねえよ。腹も出てきたし、上司に頭下げるのも上手くなった」
「ふふ、社会人だね」
他愛ない会話。近況報告。お互いの知らない同僚の話。
けれど、その言葉の端々から、俺たちは必死にお互いの“今”を探り合っていた。
俺が知らない男と付き合い、肌を重ねてきたこと。彼女が知らない女の部屋に、俺が泊まってきたこと。
その事実が、チリチリとした嫉妬と、背徳的な興奮を燻らせる。
「……最近、仕事どう?」
ふと、彼女が真顔になって尋ねた。
「んー、まあ、それなりにね。栞は?」
「私も、それなり」
その“それなり”という言葉に、どれだけの諦めが滲んでいるか。社会人3年目の俺たちには、痛いほど分かった。
栞がテーブルの下でスマホの画面に目を落とし、一瞬だけ表情を曇らせたのを、俺は見逃さなかった。
こいつ、何かから逃げてきたな、と直感的に思う。
気づけば、とっくに終電の時間は過ぎていた。
アルコールのせいか、再会の高揚感のせいか。どちらが先に言い出したのかは、もう覚えていない。
「……この後、どうする?」
その言葉は、魔法だった。
俺たちの間に残っていた最後の理性の壁を、いともたやすく打ち砕く。
渋谷の円山町。けばけばしいネオンが、お互いの気まずさを隠してくれる。
無言で歩きながら、ふと触れた彼女の指先が、驚くほど冷たいことに気づいた。
俺は、何も言わずにその手を握る。栞は少し驚いたように肩を揺らしたが、振り払うことはしなかった。
ラブホテルの、無機質なドアが閉まる。
静寂の中で、彼女の甘い香水の匂いが、より一層濃くなった気がした。
「……シャワー、浴びてくるね」
そう言ってバスルームに消える彼女の背中は、やけに小さく見えた。
一人、ベッドの端に腰掛けながら、心臓が馬鹿みたいに鳴っている。
(元カノと、ヤるのか。4年ぶりに)
最低な思考だと自嘲しながらも、身体の熱は正直に昂っていく。
ざあ、というシャワーの音が止まる。
数分が、数時間にも感じられた。
すりガラスの向こう側で、ぼんやりとした彼女のシルエットが動いている。
髪を拭き、身体を拭き、そして……。
ドアが開き、濡れた髪のまま、真っ白なバスローブをまとった栞が出てきた。
上気した頬。潤んだ瞳。
あの頃より少しだけ、胸の膨らみは大きくなっただろうか。
「……湊の裸、見るの、何年ぶりだっけ」
彼女が、震える声で言った。
「さあな。忘れたよ」
嘘だ。忘れるわけがない。
俺は立ち上がり、彼女の前に立つ。
ゆっくりとバスローブの紐に手をかけた。
「触れていい?」
俺の問いに、栞は何も言わずにこくりと頷いた。
その瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちる。
ああ、これはただのセックスじゃない。
傷ついた彼女が発した、無言の“助けて”という叫びだ。
そして俺は、それに気づかないふりをして、彼女を抱くのだろう。
はらり、とバスローブが滑り落ち、月明かりに照らされた栞の白い肌が露わになる。
俺は衝動のままにその身体を抱きしめ、唇を貪った。
「んっ……♡」
懐かしい感触。思い出よりずっと柔らかい唇。
だが、俺の舌を迎え入れる彼女の舌遣いは、昔よりずっと大胆で、巧みだった。
それが誰に教えられたものなのか、考えたくもなかった。
「湊のキス……昔と同じ味……♡ でも、ちょっとだけ……苦い……」
「お互い様だろ」
俺たちは獣のように求め合い、ベッドになだれ込む。
4年分の空白を埋めるように。
いや、ただ、目の前の温もりから逃げないように。
これが、過ちだとしても。
夜が明ける頃、俺たちはまた他人同士に戻るのだとしても。
今だけは。
この温もりだけは、本物だと思いたかった。
【続く】
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