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第2章:落ちこぼれの箱舟
2-2:24人の他人
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施設は、外見以上に荒廃していた。
エントランスホールは薄暗く、天井の照明は半分以上が切れている。床には埃が積もり、壁の塗装は至る所で剥がれ落ちていた。黴と、古い機械油と、そしてオゾンの匂いが混じり合った独特の空気が、大地の肺を満たす。
だが、そこは無人ではなかった。
ホールのあちこちに、二十人ほどの若者たちが、互いに距離を置きながら集まっていた。誰もが大地と同じように、この場違いな光景に戸惑い、警戒しているように見えた。
その中で、ひときわ異質な存在感を放つ数人が、大地の目に留まった。
薄汚れた大きな窓のそばに、一人の少女が立っていた。セピア色の外光を背に受けて、そのシルエットだけが浮かび上がっている。耳には高価そうなヘッドホン。周囲の全てを拒絶するかのような、張り詰めたオーラ。大地はその横顔に見覚えがあった。数年前まで、テレビで見ない日はないほどの人気を誇っていた元国民的アイドル、星乃しずくだ。
ホールの中心近くでは、一人の男が仁王立ちになっていた。短く刈り込んだ髪。分厚い胸板と、Tシャツの上からでもわかるほど鍛えられた腕。その鋭い眼光は、まるで敵地を偵察する兵士のように、周囲の人間一人ひとりを値踏みしている。彼が、元自衛官候補生の雨宮健吾だった。
健吾とは対照的に、床に直接座り込んでいる少女もいた。着古した作業着姿で、油に汚れた指先で、手にしたスパナを器用に回している。その瞳は、周囲の誰でもなく、ただ手の中の工具だけを見つめていた。元ヤンで、天才的なメカニックの腕を持つ佐藤結実。
そして、巨大な柱の影。そこに、まるで闇の一部であるかのように、一人の青年が蹲っていた。深く被ったフードで顔は見えない。ただ、そこから漏れる気配は、極端なまでに他者との接触を恐れていた。引きこもりの天才ハッカー、工藤蓮。
(……なんだ、この集まりは)
大地は壁際に背を預け、改めてホールに集う若者たちを見渡した。24人。自分を含めて25人。それは、学校のクラスよりも少しだけ少ない、奇妙な規模の集団だった。
元国民的アイドルの星乃しずく。彼女は、大地のような凡人が雑誌のグラビアでしか見たことのない、完璧な造形美を持っていた。だが、その表情は能面のように感情がなく、耳を塞ぐヘッドホンは物理的な音だけでなく、この世界の全てを遮断しているように見える。スキャンダルで芸能界を追われたという噂は、大地の耳にも入っていた。彼女のその瞳の奥には、一体どれほどの失望が渦巻いているのだろうか。
元自衛官候補生の雨宮健吾。彼の立ち姿には、一切の隙がなかった。周囲を観察する視線は、仲間を探すものではなく、敵や脅威を判別するためのものに近い。その全身から発せられる「俺は違う」というオーラは、彼がここでリーダーシップを取ろうとしていることの現れか、あるいは過去に何か大きな挫折を経験し、二度と失敗は許されないと己を追い込んでいるかのどちらかだろう。
作業着姿の佐藤結実は、健吾とは対極に、地面に最も近い場所で自分の世界に没頭していた。カチャ、カチャ、と小気味よくスパナを回すその指先は、驚くほど繊細で美しい。まるで、硬質な機械と対話しているかのようだ。彼女がなぜここにいるのか。その汚れた作業着の下に、どんな過去を隠しているのか。
そして、柱の影に潜む工藤蓮。彼は、この場にいる誰よりも「消えたい」と願っているように見えた。気配すらも消し去ろうとするその姿は、痛々しいほどだ。彼がそのフードの下の瞳で世界をどう見ているのか、大地には想像もつかなかった。
彼らだけではない。
窓際に立ち、腕を組んで一点を凝視している、モデルのように長身痩躯の青年。彼は元クライマーで、世界大会の最終選考で事故を起こした橘涼介だと、後で知ることになる。
床に座り込み、小さなスケッチブックに何かを猛然と描きつけている小柄な少女。吃音持ちで、言葉で表現する代わりに、全てを絵に描き出す小鳥遊ひまり。
誰もが、何かを失い、何かから逃げ、あるいは何かを諦めた末に、この場所に流れ着いた漂流者のようだった。共通しているのは、社会という名の船から、自ら飛び降りたか、あるいは突き落とされたという事実だけ。
大地は、自分の両手を見つめた。
何も掴んでいない、空っぽの手。自分には、彼らのような強烈な個性すらない。アイドルだったわけでも、自衛官を目指したわけでも、特別な技術があるわけでもない。ただ、無気力に流されて、ここにいる。
(俺は、この中で一番、空っぽだ)
その事実は、大地に安堵と、そして微かな自己嫌悪をもたらした。
ホールの重苦しい沈黙は、まるで濃霧のように立ち込めていた。誰もが互いを窺い、値踏みし、そして無関心を装っている。この25人が、一つの船に乗る仲間になるなど、この時の大地には到底信じられなかった。
その時だった。
ホールの奥にある、重厚な二重扉が、静かに、しかし抗いがたい力で開かれた。そして、一人の小柄な老人が、そこに立っていた。
彼の登場が、この長い長い物語の、本当の始まりを告げる合図だった。
エントランスホールは薄暗く、天井の照明は半分以上が切れている。床には埃が積もり、壁の塗装は至る所で剥がれ落ちていた。黴と、古い機械油と、そしてオゾンの匂いが混じり合った独特の空気が、大地の肺を満たす。
だが、そこは無人ではなかった。
ホールのあちこちに、二十人ほどの若者たちが、互いに距離を置きながら集まっていた。誰もが大地と同じように、この場違いな光景に戸惑い、警戒しているように見えた。
その中で、ひときわ異質な存在感を放つ数人が、大地の目に留まった。
薄汚れた大きな窓のそばに、一人の少女が立っていた。セピア色の外光を背に受けて、そのシルエットだけが浮かび上がっている。耳には高価そうなヘッドホン。周囲の全てを拒絶するかのような、張り詰めたオーラ。大地はその横顔に見覚えがあった。数年前まで、テレビで見ない日はないほどの人気を誇っていた元国民的アイドル、星乃しずくだ。
ホールの中心近くでは、一人の男が仁王立ちになっていた。短く刈り込んだ髪。分厚い胸板と、Tシャツの上からでもわかるほど鍛えられた腕。その鋭い眼光は、まるで敵地を偵察する兵士のように、周囲の人間一人ひとりを値踏みしている。彼が、元自衛官候補生の雨宮健吾だった。
健吾とは対照的に、床に直接座り込んでいる少女もいた。着古した作業着姿で、油に汚れた指先で、手にしたスパナを器用に回している。その瞳は、周囲の誰でもなく、ただ手の中の工具だけを見つめていた。元ヤンで、天才的なメカニックの腕を持つ佐藤結実。
そして、巨大な柱の影。そこに、まるで闇の一部であるかのように、一人の青年が蹲っていた。深く被ったフードで顔は見えない。ただ、そこから漏れる気配は、極端なまでに他者との接触を恐れていた。引きこもりの天才ハッカー、工藤蓮。
(……なんだ、この集まりは)
大地は壁際に背を預け、改めてホールに集う若者たちを見渡した。24人。自分を含めて25人。それは、学校のクラスよりも少しだけ少ない、奇妙な規模の集団だった。
元国民的アイドルの星乃しずく。彼女は、大地のような凡人が雑誌のグラビアでしか見たことのない、完璧な造形美を持っていた。だが、その表情は能面のように感情がなく、耳を塞ぐヘッドホンは物理的な音だけでなく、この世界の全てを遮断しているように見える。スキャンダルで芸能界を追われたという噂は、大地の耳にも入っていた。彼女のその瞳の奥には、一体どれほどの失望が渦巻いているのだろうか。
元自衛官候補生の雨宮健吾。彼の立ち姿には、一切の隙がなかった。周囲を観察する視線は、仲間を探すものではなく、敵や脅威を判別するためのものに近い。その全身から発せられる「俺は違う」というオーラは、彼がここでリーダーシップを取ろうとしていることの現れか、あるいは過去に何か大きな挫折を経験し、二度と失敗は許されないと己を追い込んでいるかのどちらかだろう。
作業着姿の佐藤結実は、健吾とは対極に、地面に最も近い場所で自分の世界に没頭していた。カチャ、カチャ、と小気味よくスパナを回すその指先は、驚くほど繊細で美しい。まるで、硬質な機械と対話しているかのようだ。彼女がなぜここにいるのか。その汚れた作業着の下に、どんな過去を隠しているのか。
そして、柱の影に潜む工藤蓮。彼は、この場にいる誰よりも「消えたい」と願っているように見えた。気配すらも消し去ろうとするその姿は、痛々しいほどだ。彼がそのフードの下の瞳で世界をどう見ているのか、大地には想像もつかなかった。
彼らだけではない。
窓際に立ち、腕を組んで一点を凝視している、モデルのように長身痩躯の青年。彼は元クライマーで、世界大会の最終選考で事故を起こした橘涼介だと、後で知ることになる。
床に座り込み、小さなスケッチブックに何かを猛然と描きつけている小柄な少女。吃音持ちで、言葉で表現する代わりに、全てを絵に描き出す小鳥遊ひまり。
誰もが、何かを失い、何かから逃げ、あるいは何かを諦めた末に、この場所に流れ着いた漂流者のようだった。共通しているのは、社会という名の船から、自ら飛び降りたか、あるいは突き落とされたという事実だけ。
大地は、自分の両手を見つめた。
何も掴んでいない、空っぽの手。自分には、彼らのような強烈な個性すらない。アイドルだったわけでも、自衛官を目指したわけでも、特別な技術があるわけでもない。ただ、無気力に流されて、ここにいる。
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その事実は、大地に安堵と、そして微かな自己嫌悪をもたらした。
ホールの重苦しい沈黙は、まるで濃霧のように立ち込めていた。誰もが互いを窺い、値踏みし、そして無関心を装っている。この25人が、一つの船に乗る仲間になるなど、この時の大地には到底信じられなかった。
その時だった。
ホールの奥にある、重厚な二重扉が、静かに、しかし抗いがたい力で開かれた。そして、一人の小柄な老人が、そこに立っていた。
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