プロジェクト・ニッケルクロム ―銀色の方舟―

どえろん

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第2章:落ちこぼれの箱舟

2-3:三笠博士の演説

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 現れたのは、白衣を着た小柄な老人だった。
 年齢は70歳をとうに超えているだろうか。深く刻まれた皺と、雪のように真っ白な頭髪が、彼の重ねてきた年月を物語っている。しかし、その背筋は驚くほどまっすぐに伸びており、ガラスのように分厚いレンズの奥で輝く瞳は、老いとは無縁の、探求心に満ちた光を宿していた。

 老人は、ゆっくりとした、しかし確かな足取りでホールの中心まで歩いてくると、集まった25人の若者たちを一人ひとり、慈しむように、あるいは何かを見定めるように見渡した。彼の視線が自分を通り過ぎる瞬間、大地はまるで心の中まで見透かされたような錯覚に陥り、思わず身を固くした。

 沈黙が支配する中、老人は穏やかな、それでいてホール全体によく通る声で口を開いた。

「ようこそ、諸君。プロジェクト・ニッケルクロムへ。私が、この計画の責任者をしている、三笠みかさだ」

 誰も、言葉を発しない。ただ、警戒と不審に満ちた視線が、三笠と名乗る老人へと突き刺さる。

「君たちがなぜここに呼ばれたのか、不思議に思っていることだろう。招待状には『人類最後の乗組員候補』とあったはずだ。……馬鹿げた話だと思ったかね?」

 三笠は、ふっと笑みを浮かべた。その笑みは、若者たちの心を試すかのようだった。
 最初に沈黙を破ったのは、雨宮健吾だった。彼は一歩前に出ると、詰問するような鋭い口調で言った。

「茶番はそこまでにしてもらおう。俺たちは、あんたの終末ごっこに付き合うために、こんな場所まで来たんじゃない。単刀直入に聞く。このプロジェクトの目的と、俺たちを集めた理由を説明しろ」

 その言葉が、凍りついていたホールの空気を震わせた。数人が健吾に同調するように頷く。

 三笠は健吾をまっすぐに見つめ、静かに頷いた。
「いいだろう。……だがその前に、一つだけ君たちに認め、受け入れてもらわなければならないことがある」

 彼は一度言葉を切り、そして、残酷なほどに平坦な声で続けた。

「君たちは、社会の基準で言えば、“落伍者”だ」

 その一言は、ナイフのように鋭く、ホールにいた全員のプライドを切り裂いた。
 空気が、一瞬で凍てつく。
 元クライマーの橘涼介の眉がぴくりと動き、スケッチブックを抱きしめていた小鳥遊ひまりの肩が小さく跳ねた。佐藤結実は「あぁ?」と低い声で威嚇し、星乃しずくはヘッドホンに手をかけ、まるで不快な雑音を遮断するかのように音量を上げた。

 三笠は、彼らの反応を意に介することなく、言葉を続ける。
「夢に破れた者。社会に馴染めなかった者。人間を信じられなくなった者。あるいは、そもそも何かを目指すこと自体を諦めてしまった者。……ここにいるのは、そういう者たちだ。アーク計画に乗るエリートたちとは、まさしく対極の存在。それが君たちだ」

「……ふざけるな!」

 健吾が、抑えきれない怒りを込めて叫んだ。
「俺たちは、落ちこぼれなんかじゃない!」

「そうだとも」と、三笠は即座に肯定した。その瞳は、驚くほど真摯だった。
「私は、君たちを落ちこぼれだなどと、微塵も思っていない。私が言いたいのは、ここからだ。よく聞きなさい」

 彼は、ゆっくりと両腕を広げた。
「アークに乗るエリートたちは、既存の社会の価値観における“正解”を積み重ねてきた人間だ。彼らは、我々が作り上げたシステムの頂点にいる。だが、そのシステム自体が、今、滅びようとしている。……滅びゆく世界の“正解”に、果たしてどれほどの価値があるのかね?」

 三笠の言葉は、静かな問いかけでありながら、聞く者の価値観を根底から揺さぶる力を持っていた。

「我々が信じるのは、そこではない。我々は、君たちが持つ“社会不適合性”の中にこそ、人類を存続させるための鍵があると信じているのだ」

 “社会不適合性”――その言葉に、ホールは再びざわめいた。それは、彼らがこれまで社会から押し付けられてきた、負の烙印のはずだった。

「頑固さ、臆病さ、不信感、協調性のなさ、過剰な自尊心、あるいは無気力。それらは、平時の社会においては欠点とされるだろう。だが、あらゆる常識が通用しない極限状態においては、どうだ? 他人を疑う慎重さが、チームの全滅を防ぐかもしれない。一つのことに没頭する集中力が、致命的なエラーを発見するかもしれない。常識に縛られない発想が、誰も思いつかなかった活路を見出すかもしれないのだ」

 三笠は、格納庫の方を指さした。
「あの奥に眠る旧式の宇宙船『SV-25 ニッケルクロム号』で、君たち25人は、この地球を脱出する。そして、人類の新たな種となる。それが、このプロジェクトの全てだ」

 荒唐無稽。非現実的。妄想。
 若者たちの顔に浮かんだのは、そんな言葉だった。
 ホールは、嘲笑と、不信と、そしてかすかな好奇心が入り混じった、混沌としたざわめきに包まれた。

「……本気で、そんなことが可能だと?」
 冷静な声で問うたのは、橘涼介だった。
「我々はパイロットでもなければ、科学者でもない。ただの素人だ。そんな我々に、宇宙船が動かせるとでも?」

「動かせるように、これから訓練するのだよ」
 三笠はこともなげに言った。

 その瞬間、佐藤結実が床にスパナを叩きつけた。甲高い金属音が、ホールに響き渡る。
「くだらねえ。大人の勝手な妄想に付き合ってられるか。あたしは帰る」

 彼女が立ち上がったのを皮切りに、数人が出口に向かって歩き始めた。
 この茶番は終わりだ。誰もがそう思った。
 だが、三笠は彼らを止めるでもなく、静かに、しかし最後の楔を打つように、こう言った。

「……ここに残るも、去るも自由だ。だが、一つだけ覚えておきたまえ。君たちがこの場所から一歩外へ出れば、君たちは再び、ただの“選ばれなかった者”に戻る。そして、この星と共に、静かに消えていくだけだ」

 出口に向かっていた足が、ぴたりと止まった。

「だが、もしここに残るのなら。もし、我々の途方もない計画に乗るのなら……君たちは、世界の終わりに対して中指を立て、未来をその手で掴み取ろうとする、“最後の反逆者”になれる。……さあ、どうするね?」

 三笠の最後の言葉は、悪魔の囁きのようでもあり、神の啓示のようでもあった。
 ホールは、再び水を打ったような静寂に包まれた。
 誰もが、己の心の内で、人生で最も重い選択を迫られていた。
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