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第8話:聖女様の『部屋』は、甘いマナの香りで満たされる
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月明かりが差し込む静かな部屋。
俺とセシリア様は、ただ手を繋いで見つめ合っているだけなのに、互いの身体を流れるマナは熱を帯び、ちりちりと肌を焦がすようだった。
彼女の白い肌はほんのりと上気し、潤んだ瞳は俺を映している。吐息は甘く、その唇は、あの夜の感触を思い出させて、俺の理性をじわじわと溶かしていく。
(……もっと……あなたの、近くに……)
セシリア様の切ない心の声が、マナに乗って流れ込んでくる。
それは、もはや懇願だった。
俺は、吸い寄せられるように彼女の顔に自分の顔を近づけていく。唇と唇が触れ合う、寸前。
――コン、コン。
控えめなノックの音が、部屋の扉から響いた。
俺とセシリア様の身体が、凍り付いたように固まる。
「……セシリア様? 夜分に失礼いたします。アレクシスです」
「……っ!?」
最悪のタイミングだった。
俺たちは慌てて手を離し、距離を取る。繋がっていたマナの流れが途絶え、部屋の熱がすっと引いていくのが分かった。
「……なんでしょう、アレクシス。もう、休もうとしていたのですが」
セシリア様は、必死に平静を装って扉に声をかける。だが、その声は微かに震え、上ずっていた。
扉の向こうのアレクシスは、何かを訝しんだように一瞬沈黙し、そして言った。
「昼間、勇者に渡された魔石の解析結果が出ました。……緊急の、報告事項です」
その言葉に、部屋の甘い空気は完全に霧散した。
場所は変わって、城の地下にある魔術師団の研究室。
俺とセシリア様、そしてアレクシスの三人は、白衣をまとった老魔術師――宮廷魔術師長であるグランデルと向き合っていた。
ガラスケースの中に置かれた黒紫色の魔石は、今も不気味な光を放っている。
「……解析の結果、驚くべきことが判明しました」
グランデルは、重々しく口を開いた。
「この魔石は、生きた人間の魂を核にして作られています。それも、極めて高い魔力を持つ、術者の魂を」
「人間の、魂……?」
俺は息を呑んだ。あのキメラは、ただの魔物ではなかった。元は、人間だったというのか。
「さらに、この魔石の魔力パターンを解析した結果……ある人物の魔力と、酷似していることが分かりました」
「誰です、それは」
アレクシスの問いに、グランデルは苦々しい表情で答えた。
「――5年前に、王国から追放された、元宮廷魔術師。セシリア様の、実の兄君である、カイン殿です」
「……え……?」
セシリア様の顔から、血の気が引いた。
彼女に、兄がいたなんて、初耳だった。
「兄様が……? そん、な……。兄様は、禁忌とされた古代魔術の研究に手を出したことで追放されたと……。魔王軍と、関係があるというのですか!?」
「断定はできん。じゃが、その可能性は極めて高い。カイン殿は、聖女である君にも匹敵するほどの、強大な魔力の持ち主じゃったからな。その彼が、自らの魂の一部を削ってまで、あの程度の魔物を生み出したとは考えにくい。これは、何かの実験……あるいは、王国への警告と見るべきじゃろう」
セシリア様は、ショックのあまり、その場に崩れ落ちそうになった。俺は咄嗟にその肩を支える。
実の兄が、敵かもしれない。
聖女として魔王軍と戦う彼女にとって、これ以上ないほど過酷な事実だった。
自室に戻る廊下を、俺はセシリア様の肩を抱きながら、ゆっくりと歩いていた。
彼女はショックからか、虚ろな表情で、足元もおぼつかない。
「……信じられません。あんなに、優しかった兄様が……」
ぽつり、と漏れた彼女の呟きが、痛いほど胸に響く。
部屋の前に着くと、俺は彼女をベッドに座らせ、温かいお茶を淹れてやった。
「……ありがとう、ございます」
カップを受け取る彼女の手が、小さく震えている。
俺は、何も言わずに彼女の隣に座り、その背中を優しく撫でてやった。言葉なんて、今は何の慰めにもならないだろう。
しばらくして、彼女は顔を上げた。その瞳には、涙が浮かんでいたが、同時に、強い光が宿っていた。
「……わたくしは、聖女です。たとえ、相手が兄様であろうと……世界を脅かすのなら、戦わなければなりません」
「セシリア様……」
「ですが……お願いがあります、勇者」
彼女は、俺の手を、祈るように両手で握りしめた。
「もし、兄様と対峙する時が来たら……どうか、殺さないでほしいのです。必ず、目を覚まさせてみせます。わたくしが、この手で……!」
その悲痛な願いに、俺は強く頷いた。
「……約束します。俺は、あんたの剣になります。あんたの望む未来のために、この力を使います」
その言葉に、彼女の瞳から、堪えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
彼女は、俺の胸に顔をうずめ、子供のように声を殺して泣きじゃくった。
俺は、その小さな身体を、壊れ物を抱きしめるように、ただ、強く、強く抱きしめた。
聖女の仮面を脱ぎ捨て、ただの一人の女の子として泣く彼女を守れるのは、もう、世界で俺しかいない。
その夜、俺は彼女が眠りにつくまで、ずっとそばを離れなかった。
部屋は、彼女の涙の味と、俺たちの決意の匂いが混じり合った、甘くて切ないマナの香りで、満たされていた。
【続く】
俺とセシリア様は、ただ手を繋いで見つめ合っているだけなのに、互いの身体を流れるマナは熱を帯び、ちりちりと肌を焦がすようだった。
彼女の白い肌はほんのりと上気し、潤んだ瞳は俺を映している。吐息は甘く、その唇は、あの夜の感触を思い出させて、俺の理性をじわじわと溶かしていく。
(……もっと……あなたの、近くに……)
セシリア様の切ない心の声が、マナに乗って流れ込んでくる。
それは、もはや懇願だった。
俺は、吸い寄せられるように彼女の顔に自分の顔を近づけていく。唇と唇が触れ合う、寸前。
――コン、コン。
控えめなノックの音が、部屋の扉から響いた。
俺とセシリア様の身体が、凍り付いたように固まる。
「……セシリア様? 夜分に失礼いたします。アレクシスです」
「……っ!?」
最悪のタイミングだった。
俺たちは慌てて手を離し、距離を取る。繋がっていたマナの流れが途絶え、部屋の熱がすっと引いていくのが分かった。
「……なんでしょう、アレクシス。もう、休もうとしていたのですが」
セシリア様は、必死に平静を装って扉に声をかける。だが、その声は微かに震え、上ずっていた。
扉の向こうのアレクシスは、何かを訝しんだように一瞬沈黙し、そして言った。
「昼間、勇者に渡された魔石の解析結果が出ました。……緊急の、報告事項です」
その言葉に、部屋の甘い空気は完全に霧散した。
場所は変わって、城の地下にある魔術師団の研究室。
俺とセシリア様、そしてアレクシスの三人は、白衣をまとった老魔術師――宮廷魔術師長であるグランデルと向き合っていた。
ガラスケースの中に置かれた黒紫色の魔石は、今も不気味な光を放っている。
「……解析の結果、驚くべきことが判明しました」
グランデルは、重々しく口を開いた。
「この魔石は、生きた人間の魂を核にして作られています。それも、極めて高い魔力を持つ、術者の魂を」
「人間の、魂……?」
俺は息を呑んだ。あのキメラは、ただの魔物ではなかった。元は、人間だったというのか。
「さらに、この魔石の魔力パターンを解析した結果……ある人物の魔力と、酷似していることが分かりました」
「誰です、それは」
アレクシスの問いに、グランデルは苦々しい表情で答えた。
「――5年前に、王国から追放された、元宮廷魔術師。セシリア様の、実の兄君である、カイン殿です」
「……え……?」
セシリア様の顔から、血の気が引いた。
彼女に、兄がいたなんて、初耳だった。
「兄様が……? そん、な……。兄様は、禁忌とされた古代魔術の研究に手を出したことで追放されたと……。魔王軍と、関係があるというのですか!?」
「断定はできん。じゃが、その可能性は極めて高い。カイン殿は、聖女である君にも匹敵するほどの、強大な魔力の持ち主じゃったからな。その彼が、自らの魂の一部を削ってまで、あの程度の魔物を生み出したとは考えにくい。これは、何かの実験……あるいは、王国への警告と見るべきじゃろう」
セシリア様は、ショックのあまり、その場に崩れ落ちそうになった。俺は咄嗟にその肩を支える。
実の兄が、敵かもしれない。
聖女として魔王軍と戦う彼女にとって、これ以上ないほど過酷な事実だった。
自室に戻る廊下を、俺はセシリア様の肩を抱きながら、ゆっくりと歩いていた。
彼女はショックからか、虚ろな表情で、足元もおぼつかない。
「……信じられません。あんなに、優しかった兄様が……」
ぽつり、と漏れた彼女の呟きが、痛いほど胸に響く。
部屋の前に着くと、俺は彼女をベッドに座らせ、温かいお茶を淹れてやった。
「……ありがとう、ございます」
カップを受け取る彼女の手が、小さく震えている。
俺は、何も言わずに彼女の隣に座り、その背中を優しく撫でてやった。言葉なんて、今は何の慰めにもならないだろう。
しばらくして、彼女は顔を上げた。その瞳には、涙が浮かんでいたが、同時に、強い光が宿っていた。
「……わたくしは、聖女です。たとえ、相手が兄様であろうと……世界を脅かすのなら、戦わなければなりません」
「セシリア様……」
「ですが……お願いがあります、勇者」
彼女は、俺の手を、祈るように両手で握りしめた。
「もし、兄様と対峙する時が来たら……どうか、殺さないでほしいのです。必ず、目を覚まさせてみせます。わたくしが、この手で……!」
その悲痛な願いに、俺は強く頷いた。
「……約束します。俺は、あんたの剣になります。あんたの望む未来のために、この力を使います」
その言葉に、彼女の瞳から、堪えていた涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
彼女は、俺の胸に顔をうずめ、子供のように声を殺して泣きじゃくった。
俺は、その小さな身体を、壊れ物を抱きしめるように、ただ、強く、強く抱きしめた。
聖女の仮面を脱ぎ捨て、ただの一人の女の子として泣く彼女を守れるのは、もう、世界で俺しかいない。
その夜、俺は彼女が眠りにつくまで、ずっとそばを離れなかった。
部屋は、彼女の涙の味と、俺たちの決意の匂いが混じり合った、甘くて切ないマナの香りで、満たされていた。
【続く】
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