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第18話:女王の“狩猟準備”と、甘い毒の囁き
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イザベラの宣戦布告から数週間。
『ネオ・フロンティア』の周囲には、不気味なほどの静けさが漂っていた。
市場での株の買い占めは止まり、妨害工作も鳴りを潜めている。まるで、嵐の前の静けさのように。
「……嵐が来るわ」
その夜も、イザベラはマンハッタンの聖域で、一人グラスを傾けていた。
カウンターの向こうで、青年が黙ってグラスを磨いている。
彼女は分かっていた。蓮ほどの男が、この静けさを不審に思わないはずがない。彼は今頃、城の守りを固め、来るべき嵐に備えているだろう。
だが、無駄だ。
城壁がどれほど強固でも、その内側から崩れれば、意味がない。
「……レンは、本当に馬鹿な男」
イザベラは、恍惚と、そしてどこか憐れむように呟いた。
「あの男は、自分の最大の弱点が、あの女の“心”だということに、まだ気づいていない」
彼女はグラスを置くと、立ち上がった。
青年が、無言で彼女に手を差し伸べる。
プライベートルームの扉が閉まる。今夜の儀式が、始まる。
だが、今夜のイザベラは、いつもと少しだけ違っていた。
彼女は青年の服を脱がすと、その冷たい身体を隅々まで眺め回し、そして、まるで芸術品を評価するように言った。
「あなた、少しだけ、彼に似ているのよね。その、生意気そうなところが」
青年は何も答えない。
イザベラは、その首に革製の首輪をはめると、満足そうに微笑んだ。
「今夜は、あなたを“レン”だと思って、可愛がってあげる。……私だけの、従順な獣として」
彼女は青年を四つん這いにさせると、その背中に女王のように跨った。
それは、もはや性行為ではなかった。
明日から始まる“狩り”の、シミュレーション。蓮という名の獣を、再び手懐けるための、調教の儀式だった。
「あっ……♡」
イザベラ自身の口から、甘い声が漏れる。
彼女は、青年の身体を、蓮の身体だと思い込もうとしていた。
あの夜、自分を屈服させた、若く獰猛な獣。その獣を、今度こそ自分が支配し尽くす。その妄想が、彼女の身体を熱くさせた。
「いい子ね、レン……♡ そうよ、私の言うことだけを聞いていればいいの……♡」
彼女は青年の黒髪を掴み、耳元で囁く。
その言葉は、青年ではなく、ここにいない蓮に向けての言葉だった。
「あの女は、あなたを弱くするだけの毒よ。本当のあなたを解放できるのは、私だけ……♡」
腰の動きが、激しさを増していく。
虚しいはずの行為が、妄想という媚薬によって、禁断の快楽へと姿を変える。
イザベラは、自分が作り出した幻影の中で、何度も、何度も絶頂を迎えた。
自分が蓮を支配しているという、偽りの征服感に酔いしれながら。
――その翌日。
雫は、新規提携先との会食の帰り、一人で夜の銀座を歩いていた。
蓮は急なトラブル対応でオフィスに戻り、迎えに来るまで、近くのカフェで待っているように言われていた。
「……お久しぶり、水瀬さん」
背後から、鈴の鳴るような、しかし氷のように冷たい声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、イザベラ・ヴォスだった。
偶然を装っているが、明らかに、ここで待ち伏せしていたのだ。
「……ヴォスさん」
「少し、お茶でもいかが? あなたに、ぜひ見せて差し上げたいものがあるの」
断る隙も与えず、イザベラは雫の腕を取り、近くの高級ホテルのラウンジへと誘う。
雫は、逃げることはできないと悟った。これは、自分に向けられた戦いなのだと。
席に着くと、イザベラは優雅に紅茶を口に運びながら、タブレットを取り出した。
「レンは、本当に優秀だったわ。特に、インターンだった頃の彼は、ダイヤモンドの原石そのものだった。……荒々しくて、貪欲で、そして、とても……“情熱的”だった」
イザベラはそう言うと、タブレットの画面を、雫の方へと向けた。
そこに映し出されていたのは、一枚の写真。
撮影されたのは、どこかの豪華なペントハウスのベッドだろうか。
シーツの上で、二人の若い男女が、汗ばんだまま裸で絡み合っている。
女は、満足そうに微笑む、若き日のイザベラ。
そして、その腕の中で、彼女を支配するように覆いかぶさっている男は――紛れもなく、まだあどけなさの残る、若き日の橘 蓮だった。
「……っ!」
雫の呼吸が、止まった。
頭が、真っ白になる。
イザベラは、そんな彼女の反応を、心底楽しむように眺めていた。
「驚いた? これはね、彼が初めて、私の前で“男”になった夜の記念よ」
彼女は、甘い毒を注ぎ込むように、ゆっくりと、残酷な言葉を紡いでいく。
「彼を本当の意味で大人にしたのは、私。彼の身体の隅々まで知り尽くしているのも、私。そして、彼の奥底に眠る、獣のような野心を引きずり出せるのも……私だけ」
イザベラは、怯える雫の手に、そっと自分の手を重ねた。
「あなたには、彼を幸せにはできないわ。なぜなら、あなたは、彼の“獣”を恐れているから。……ねえ、水瀬さん。本当に彼を愛しているのなら、彼を、私に返してくださらない?」
その言葉は、悪魔の囁きそのものだった。
雫の心に築かれた、蓮への信頼という城壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
【続く】
『ネオ・フロンティア』の周囲には、不気味なほどの静けさが漂っていた。
市場での株の買い占めは止まり、妨害工作も鳴りを潜めている。まるで、嵐の前の静けさのように。
「……嵐が来るわ」
その夜も、イザベラはマンハッタンの聖域で、一人グラスを傾けていた。
カウンターの向こうで、青年が黙ってグラスを磨いている。
彼女は分かっていた。蓮ほどの男が、この静けさを不審に思わないはずがない。彼は今頃、城の守りを固め、来るべき嵐に備えているだろう。
だが、無駄だ。
城壁がどれほど強固でも、その内側から崩れれば、意味がない。
「……レンは、本当に馬鹿な男」
イザベラは、恍惚と、そしてどこか憐れむように呟いた。
「あの男は、自分の最大の弱点が、あの女の“心”だということに、まだ気づいていない」
彼女はグラスを置くと、立ち上がった。
青年が、無言で彼女に手を差し伸べる。
プライベートルームの扉が閉まる。今夜の儀式が、始まる。
だが、今夜のイザベラは、いつもと少しだけ違っていた。
彼女は青年の服を脱がすと、その冷たい身体を隅々まで眺め回し、そして、まるで芸術品を評価するように言った。
「あなた、少しだけ、彼に似ているのよね。その、生意気そうなところが」
青年は何も答えない。
イザベラは、その首に革製の首輪をはめると、満足そうに微笑んだ。
「今夜は、あなたを“レン”だと思って、可愛がってあげる。……私だけの、従順な獣として」
彼女は青年を四つん這いにさせると、その背中に女王のように跨った。
それは、もはや性行為ではなかった。
明日から始まる“狩り”の、シミュレーション。蓮という名の獣を、再び手懐けるための、調教の儀式だった。
「あっ……♡」
イザベラ自身の口から、甘い声が漏れる。
彼女は、青年の身体を、蓮の身体だと思い込もうとしていた。
あの夜、自分を屈服させた、若く獰猛な獣。その獣を、今度こそ自分が支配し尽くす。その妄想が、彼女の身体を熱くさせた。
「いい子ね、レン……♡ そうよ、私の言うことだけを聞いていればいいの……♡」
彼女は青年の黒髪を掴み、耳元で囁く。
その言葉は、青年ではなく、ここにいない蓮に向けての言葉だった。
「あの女は、あなたを弱くするだけの毒よ。本当のあなたを解放できるのは、私だけ……♡」
腰の動きが、激しさを増していく。
虚しいはずの行為が、妄想という媚薬によって、禁断の快楽へと姿を変える。
イザベラは、自分が作り出した幻影の中で、何度も、何度も絶頂を迎えた。
自分が蓮を支配しているという、偽りの征服感に酔いしれながら。
――その翌日。
雫は、新規提携先との会食の帰り、一人で夜の銀座を歩いていた。
蓮は急なトラブル対応でオフィスに戻り、迎えに来るまで、近くのカフェで待っているように言われていた。
「……お久しぶり、水瀬さん」
背後から、鈴の鳴るような、しかし氷のように冷たい声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、イザベラ・ヴォスだった。
偶然を装っているが、明らかに、ここで待ち伏せしていたのだ。
「……ヴォスさん」
「少し、お茶でもいかが? あなたに、ぜひ見せて差し上げたいものがあるの」
断る隙も与えず、イザベラは雫の腕を取り、近くの高級ホテルのラウンジへと誘う。
雫は、逃げることはできないと悟った。これは、自分に向けられた戦いなのだと。
席に着くと、イザベラは優雅に紅茶を口に運びながら、タブレットを取り出した。
「レンは、本当に優秀だったわ。特に、インターンだった頃の彼は、ダイヤモンドの原石そのものだった。……荒々しくて、貪欲で、そして、とても……“情熱的”だった」
イザベラはそう言うと、タブレットの画面を、雫の方へと向けた。
そこに映し出されていたのは、一枚の写真。
撮影されたのは、どこかの豪華なペントハウスのベッドだろうか。
シーツの上で、二人の若い男女が、汗ばんだまま裸で絡み合っている。
女は、満足そうに微笑む、若き日のイザベラ。
そして、その腕の中で、彼女を支配するように覆いかぶさっている男は――紛れもなく、まだあどけなさの残る、若き日の橘 蓮だった。
「……っ!」
雫の呼吸が、止まった。
頭が、真っ白になる。
イザベラは、そんな彼女の反応を、心底楽しむように眺めていた。
「驚いた? これはね、彼が初めて、私の前で“男”になった夜の記念よ」
彼女は、甘い毒を注ぎ込むように、ゆっくりと、残酷な言葉を紡いでいく。
「彼を本当の意味で大人にしたのは、私。彼の身体の隅々まで知り尽くしているのも、私。そして、彼の奥底に眠る、獣のような野心を引きずり出せるのも……私だけ」
イザベラは、怯える雫の手に、そっと自分の手を重ねた。
「あなたには、彼を幸せにはできないわ。なぜなら、あなたは、彼の“獣”を恐れているから。……ねえ、水瀬さん。本当に彼を愛しているのなら、彼を、私に返してくださらない?」
その言葉は、悪魔の囁きそのものだった。
雫の心に築かれた、蓮への信頼という城壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
【続く】
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