冷徹社長と完璧秘書、二人きりの“業務報告”は蜜の味

どえろん

文字の大きさ
20 / 35

第20話:氷の刃と、亀裂の入った聖域

しおりを挟む
 書斎での激しい交わりは、イザベラという悪魔を祓う儀式になるはずだった。 だが、それは逆効果だった。 雫の心は、蓮が自分を慰めようとすればするほど、惨めな嫉妬の泥沼に深く沈んでいった。

(……慰め、だ)

 蓮さんの優しさは、あの女には敵わない、哀れな私への“同情”なのだ。 彼は、私を傷つけまいとして、過去の真実を隠している。 その“優しさ”が、雫にとっては、何よりも残酷な刃となっていた。

 二人の関係は、修復不可能なほどに歪み始めていた。 天空の城オフィスでは、蓮と雫は完璧なキングとクイーンを演じ続ける。スタッフたちも、二人の間に生まれた見えない亀裂には、まだ気づいていない。 だが、ペントハウスに戻り、二人きりになった瞬間、空気は凍りつく。

 蓮は、どう接すればいいのか分からなかった。 下手に過去を語れば、それが更なる火種になることを恐れ、かといって沈黙すれば、雫の不信感を煽る。 彼は、愛する女を前にして、初めて無力感を覚えていた。

 そして、雫は、嫉妬という名の病に、その身を任せるようになっていた。 蓮が会議でイザベラの名前を口にするだけで、指先が冷たくなる。 蓮が海外出張で、イザベラと同じ都市に滞在すると知った夜には、一人でウォッカを煽り、シーツを涙で濡らした。

(わたくしは、女王クイーンなんかじゃない。ただの、捨てられるのを待つ女……)

 そんな二人の歪んだ関係を、氷の女王が見逃すはずがなかった。

 その日、ネオ・フロンティアは、業界の未来を左右するほど巨大な国際プロジェクトのコンペに参加していた。 最終選考に残ったのは、俺たち『ネオ・フロンティア』と、イザベラ率いる『サーベラス・キャピタル』。 事実上、俺とイザベラの、一騎打ちだった。

 会場となったホテルの大ホールは、異様な熱気に包まれていた。 俺は壇上で、これまでの人生の全てを懸けた、完璧なプレゼンテーションを行った。技術力、未来へのビジョン、そして情熱。 会場は万雷の拍手に包まれ、誰もが俺たちの勝利を確信した。

 だが、最後に登壇したイザベラは、余裕の笑みを崩さなかった。 彼女がモニターに映し出したのは、事業計画書ではなかった。

「……皆様、素晴らしい夢物語をありがとうございました、レン」

 彼女は、マイクを通して、俺だけを挑発するように言った。

「ですが、ビジネスは“信頼”が全て。皆様は、自らのパートナーの“心”さえマネジメントできない男に、数百億ドルの未来を託せると、本気でお思いですの?」

 会場が、ざわめく。 イザベラが何を言おうとしているのか、俺は血の気が引くのを感じた。

「彼は、素晴らしい才能を持っています。ですが、同時に、致命的な“弱点”も抱えている。……それは、感情のコントロールができない、不安定な女を、公私混同して傍に置いていることです」

 イザベラはそう言うと、オペレーターに合図を送った。 モニターに映し出されたのは、一枚のレポート。

 それは、雫が通っている心療内科の、診断記録だった。 『重度の不安障害、及び、嫉妬に起因するうつ状態』 盗撮されたものだろうか、薬局で処方箋を受け取る雫の写真まで添えられている。

「……っ!」

 俺の隣で、雫が息を呑み、その場に崩れ落ちそうになるのを、俺はかろうじて支えた。 会場は、水を打ったように静まり返る。

 イザベラは、その地獄のような静寂の中で、悪魔のように、優雅に告げた。

「わたくしは、彼のように、私情でビジネスを危機に晒したりは致しません。わたくしが愛するのは、数字と、確実な勝利だけ。……皆様、どちらが“信頼”に足るパートナーか、もうお分かりですわね?」

 それは、完璧なプレゼンテーションを、たった一つの“スキャンダル”で覆す、イザベラにしかできない、冷酷非情な攻撃だった。 技術や未来ではなく、俺たちの愛の、その最も脆い部分を、満座の前で引き裂いてみせたのだ。

 コンペの結果は、言うまでもなかった。 勝利の女神は、イザベラに微笑んだ。

 ペントハウスへの帰り道、車の中は、死んだような沈黙に満ちていた。 雫は、窓の外を虚ろな目で見つめたまま、一言も発しない。

 俺は、怒りで、腸が煮えくり返っていた。 イザベラへの怒り。そして、何よりも、雫の苦しみに気づけず、こんな形で彼女を衆目に晒してしまった、自分自身への激しい怒り。

 部屋に着くなり、俺は雫の肩を掴んだ。

「……なぜ、言わなかった」 
「……」 
「病院に通っていたこと、薬を飲んでいたこと……なぜ、俺に隠していた!」

 それは、彼女を心配するがゆえの言葉だった。 だが、その激情は、最も残酷な形で、彼女に突き刺さった。

「……言えるはずが、ないでしょう」

 雫は、人形のような無表情で、ゆっくりと顔を上げた。 その瞳から、光は完全に消えていた。

「あなたの“弱点”だと、あの人に言われて……。これ以上、あなたの足手まといになりたくなかった……!」 
「足手まといだと!?」
 「そうです! あなたは、わたくしがいない方が、もっと自由に戦える! あの人の言う通りだわ……わたくしが、あなたの“獣”を、弱くしていたのよ!」

「違う!!」

 俺は叫び、彼女を壁に押し付けた。 だが、彼女はもう、怯えなかった。

「……もう、終わりにしましょう、蓮さん」

 彼女は、氷のように冷たい声で、告げた。

「わたくしでは、あなたの女王クイーンにはなれない。……あなたのお荷物になるくらいなら、わたくしは……あなたを、解放します」

「……ふざけるな!」

 俺は、彼女の言葉を否定するように、その唇を塞いだ。 だが、そこに、いつもの熱はなかった。 彼女の唇は、まるで死んだように冷たく、俺のキスを、ただ無抵抗に受け入れているだけだった。 それは、生きている女を抱いているのではなく、精巧に作られた、冷たい人形を抱いているかのようだった。

 俺たちの聖域に走った亀裂は、今、修復不可能なほど、深く、大きく広がってしまっていた。

【続く】
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

M&A成立の代償は、冷徹CEOとの夜の“特別業務”でした〜完璧な右腕(秘書)は、幼馴染の執着から逃げられない〜

どえろん
経済・企業
経営危機に陥った老舗メーカーを立て直すべく、若くしてCEOに就任した御堂 蓮(みどう れん)。その完璧な右腕として冷徹に業務を遂行する敏腕秘書の結衣(ゆい)。 社内では「氷の最強タッグ」と恐れられる二人だが、実は幼馴染。ある夜、大型買収(M&A)の成功を祝う社長室で、張り詰めていた糸が切れ、二人は“一夜の過ち”を犯してしまう。 「ビジネスパートナー」という一線を越えた日から、昼間は厳しい上司、夜は結衣を甘く縛り付ける雄へと変貌する蓮。企業戦略の裏で繰り広げられる、執着と快楽のオフィス・ラブストーリー。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...