乙女ゲームの片隅で

夢月 なぞる

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乙女ゲームの片隅で

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「おい、お前!」
「っ!」

 俺が声を掛けるとその女は大げさなまでに肩をはねさせた。
 振り返った女は俺を訝しげに睨む。

「な、なによ? あんた。私、急いでいるんだけど……」
「お前、転生者だろ?」
「え? ……なんでそれを」
「……やっぱりな」

 ここは「エーデル☆プリンス」――いわゆる乙女ゲームの世界だ。
 それに気づいたのは王立ア・ラモーダ学園の入学試験を受けるために校門をくぐったときだ。来たときは、始めてきたところのはずなのに、見覚えがあるなという違和感。だが、そのときはあとに迫った入試に頭が一杯で深く考えず、試験終了後に再び校門をくぐってようやく思い出した。
「エーデル☆プリンス」はファンタジー要素の強い乙女ゲームで、攻略対象は王子や貴族の子弟などが主という王道中の王道の乙女ゲームだ。
 なんで、男の俺が乙女ゲームの世界に詳しいか、だって?
 それは前世の嫁がこのゲームに嵌っており、俺はその横で実況付きで延々と画面を見せられたから。その記憶が蘇ったのだ。

 とはいえ、俺はゲームにも名前どころか姿も登場しない貴族の五男だ。
 もともと学園への入学は、王宮騎士を目指すためのもの。跡取りでもない、予備にもなれない五男に、長く実家に居座る権利はなく、15歳から入れる学園に在籍し、なにかしらの職を得て、糊口をしのがなければならない。
 乙女ゲームのストーリーには世界の滅亡とかが関わっていたけど、そんなものは主人公たちに任せておけば良いと思っていた。
 いや、実際俺にできることなんてないからね。
 俺は本当になんのスキルも授かっていない。魔力すらゼロ。知能も体力も平均かそれ以下のキングオブモブだ。それに俺が乙女ゲームで覚えているのは野郎どもの攻略方法。そんなもの一切俺には不要。気持ち悪だけだわ。
 俺は思い出して早々、物語にかかわることを放棄した。傍観者に回ることを決めていたわけだが……。

 俺は学園の廊下を歩いていた。入学式の式典の会場に向かう道すがらだ。
 その途中にすれ違った女がいた。
 学園の女子生徒の制服に身を包んだ、その女はおそらく俺と同じ新入生だろう。ボブカットの栗色の髪に榛の瞳の割と可愛い感じの娘だったが、俺の目を引いたのは別に容姿じゃない。
 そいつは何やら真剣な様子で、歩いていた。口元が動いて、なにかぶつぶつとつぶやいており、すれ違いざまに聞こえたんだ。

「……なら主人公はあそこにいるはず、だから……」

 ほんの微かな声だったが、はっきり聞こえた。
「主人公」なんて言葉はこの世界にない。どう考えても俺と同じ知識を持っているとしか思えなかった。
 そしてそんな言葉を口にするのは日本人だけだろう。そしてこの世界が乙女ゲームの世界だというのなら、答えは一択。
 俺も妻と同様何かしらのおたくで、ラノベなんかもそれなりに嗜んでいた。
 だからこれが異世界転生系のなにかということはわかっていた。だから、慌てた。
 古今東西、この手の話で転生者が物語に関わるととんでもないことが起こる。
 だから、俺は慌てて女を追った。人気のないところで声をかけ、今に至る。

「やっぱりな……てまさか、あんたも?」
「そうだよ。『エーデル☆プリンス』だろ?」

 ゲームの名前まで言うと何故か女が一歩引いた。

「え? なんで男のあんたがゲームの名前まで知って……まさか好きなの?」
 
 男が、と聞こえて俺は慌てて否定する。

「違う! 嫁がハマっていたのを横で見たんだ」

 すると何故か女の瞳に憐れみが浮かぶ。

「そう、奥さん。ゲームに逃げるほど夫婦生活が……」
「いや、順調だったよ! 週末は一緒に旅行でかけるくらいの仲ではあったよ!」

 その旅行の帰りの車にダンプカーが突っ込んだ。それ以降の記憶がないということはおそらくあれで俺は死んだのだろう。あまりに一瞬のことで、痛みを覚えていないのは幸いだった。
 あー、嫁、どうなっただろうか。一応ハンドルとっさに左に切ったつもりだったけど、助かったかな? 助かっててほしいな。俺死んじゃったけど。
 思わず遠い目になった俺を尻目に女は時計を気にしている。

「あのさ、私急いでんだよ。もう行っていい?」

 疑問系なのに、女の足はすでに動いている。俺は慌てて腕を掴んだ。

「ちょっと待てよ。何をするつもりだよ」
「あんたには関係ないわよ」

 その時、鐘の音がなった。
 その音はゲームの効果音でもあり、ふいにあるイベントの記憶が蘇る。
 確かオープニングで主人公と皇太子の出会いイベントがあったな。しかもこの先の広場じゃなかったか。
 それを思い出し、ふとある疑念を抱いた。

「まさか、お前、主人公の代わりに自分が王子とどうこう、と考えているわけじゃないよな?」
「っ……」

 わかりやすい反応に俺は頭痛を感じて、額を抑えた。

「おいおい、勘弁してくれよ。主人公ならいざしらずお前みたいなモブが言ったって相手にされるわけがないだろ?」

 かわいくないとは言わない。むしろ、俺はわりと好みのタイプ。
 しかし、主人公と比べるとタイプが違う。
 少しでも主人公に似せようとしてか、髪型は同じで化粧もしている。
 だが、正直にあっているとは言えなかった。
 容姿を揶揄されたと思った女がムッとした顔で睨んできた。

「わからないじゃない? それに私は全クリしてるから相手の好みを熟知しているわ」

 なんとかしてみせると意気込む姿に俺は呆れた。

「あほか。あんなの主人公補正も入ってるだろう。同じことをモブがしたところで同じ反応があるわけ無いだろう」
「……夢のない男ね。ムカつくわ」

 半眼で睨みつけてくる女の肩を俺は掴んだ。

「いいから、下手に乙女ゲームに関わるなよ。モブが関わっていい話じゃないし、最終的には魔王と戦う的な展開だっただろうが」

 そうなのだ。この作品はベタベタの王道RPGのような展開で話が進む。
 貴族の学校に平民女が入学して、攻略対象との絆を育むけど、身分の高い攻略対象たちの周囲から付き合いを反対される。しかし、最終的には世界の破滅をもたらす魔王的なものを倒して、その功績でハッピーエンドというあまりに王道的な展開なのだ。
 しかもこの手の乙女ゲームにしては珍しく、バッドエンドがない。必ず主人公が魔王を倒す。あとは攻略対象たちとの未来となるか、友情エンドで終わるかは選択肢次第だ。
 ともかく、安全パイなゲームなので、下手に俺らがなにかして流れを変えるのはまずい。
 俺は前世が若くして死んだから、今度こそ老衰で死にたいのだ。できれば美人の嫁さんに可愛い子どもや孫に看取られて、というのが理想です。

「ゲームの世界の記憶があるからって勝手なことをしようとするなよ。お前も見たところモブ転生だろ?」
「何よ。モブ転生が夢見ちゃ悪いっての?」
「相手を考えろ。この国の王子だったり上級貴族だったり面倒くさい連中だったじゃないか」

 攻略対象たちは個性は揃いだが、その分面倒くさい性格をしていた。
 気になって嫁に、こんなのが好みのタイプなのか、と聞いたら、甘いセリフを囁いてくれるのにときめくだけだから良いのだと言ってた。
 現実にいたら願い下げ、と笑い、俺が一番だとも囁いてくれたものだ。
 ……嫁、嫁えぇ。もう一回だけ、会いたいなあ。
 思わず幸せの記憶に思考を飛ばした俺の耳に、女が鼻で笑う音が聞こえた。

「それがなによ? そもそも王子との出会いを潰したって、他にも攻略対象はいるわ。それに、相手は王子様や上級貴族。みんなの憧れ、多少めんどくさかろうが、奪い取れる可能性があるなら試してもいいじゃない」
「っ、お前。自分さえ良ければそれで良いのかよ」
「うるさい!お前に何がわかる!」

 逆ギレに声を荒げる女に対して俺もヒートアップした。

「あーあー、わからないね!それに、みんなが憧れるからって幸せになれるわけじゃないだろ?」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない!」
「わかるさ! 俺もそうだったから!」

 正確には前世の俺だ。前世の俺には夭折した優秀な兄がいて、両親はその身代わりを俺に求めた。ずっと兄のお下がりで、兄の道をたどるように育てられた。だが、兄と違って俺は優秀じゃなかった。常に比べられ、苦しかった。
 そんなとき、俺を救ってくれたのが嫁だった。彼女がありのままの俺の愛してくれて、俺は両親の呪縛を解くことができたんだ。

「相手の好みに合わせて、演じて好きになってもらったところでどうなる?ずっとその演技を続けるのか? そんなの息苦しいだけだ」

 確かにこの女の知識があれば王子を籠絡することもできるかもしれない。だが、それでも王子が恋するのは主人公の影であって、この女自身じゃない。

「しょせん、相手が好きになるのはお前が演じた主人公だ。お前自身じゃない」

 他人の立ち位置奪ったって絶対良いことなんてない。
 説得する俺に女は呆然としている。

「お前の人生、お前の場所で生きないと悲しいだけじゃないのか?」
「……じゃあ、どうすりゃいいのよ……」

 そう言った彼女の目には大粒のナミダが浮かんでいた。

「私だって攻略対象が現実にいたら面倒なイケメンだって理性はあるわよ!主人公ちゃんじゃないんだから近づきたくないわよ!」
「じゃあ、なんで……」
「私にはお金が必要なのよ! このままじゃ、私、成金くそデブ爺に売られちゃう」

 あとで知ったのだが、彼女は貧乏男爵の長女で卒業後、四十以上年上の好色爺のもとに嫁がなければならなかったらしい。実家は借金があり、しかも子爵である爺の申し出を断ることができなかった。
 そんなことを知らない俺はボロボロと溢れる女の涙にうろたえていたら、二回目の鐘がなった。

「ああ、もう!あんたのせいでイベント終わっちゃったじゃない!」
「ご、ごめん、ごめんなさい!」
「最後の希望だったのにいいいい!」

 ポコポコと泣きながら拳を叩きつけてくる女。さして攻撃力は高くないのもあり、激情を受け止めるつもりでその拳を受け止める。

「ああ、もう!せっかくオープニングイベントを主人公から奪うつもりだったのに!あんたのせいだああああ!」

 女の絶叫が森に響き渡り、主人公たちの耳に届いたとか届かなかったとか。

 ☆ ☆ ☆

 ――あれから、六十年のときが流れた。
 私は安楽椅子に座りながら、編み物をしていた。とはいえ、老いた身に長時間の作業は難しく、疲れて、窓の外に視線を向けた。
 そこには田舎の風景が広がり、小さな庭で子どもたちが元気に走り回っている。
 そのうち男の子を追いかけていたボブカットの女の子が転んでしまう。大泣きする女の子に逃げていた男の子は慌てて駆け寄ると、八つ当たりのように女の子が持っていたぬいぐるみを男の子に叩きつけている。男の子は困惑した状態でされるがままだ。
 その姿にかつての自分を重ねて、苦笑いが浮かんだ。

 あのもうひとりの転生者との出会いという衝撃的な出来事とのあと。
 彼が思うところの転生者の女であった私は冒険者となった。
 彼の入れ知恵だ。彼はもともと学園に在籍しながら、冒険者をして稼ぐつもりだったらしい。貴族といても五男である彼への実家からの仕送りはほとんどなく、授業料の一部も自分で稼がなければならない状態だったらしい。私が借金がありながらも学園に通えたのは婚約者だという好色爺が最低限のマナーと教育を受けさせるために、お金を出したためだった。

 彼いわく冒険者は命の危険はあるが、その分実入りもよい。
 彼は玉の輿は諦めて、稼ぎながらお金をためて好色爺から自由の身になるよう提案してくれたのだ。
 当初は面食らった。前世の記憶があったとはいえ、貴族の子女としてどっぷりこの世界で生きてきた私に自分が冒険者をして稼ぐという選択肢が全く頭になかったからだ。
 とはいえ、私の顔面偏差値や淑女能力で借金を肩代わりしてくれるような男を捕まえるのは困難。より確実な方法と思えばやるしかなかった。

 それでも最初はかなり大変だった。
 男と違って女。当然戦闘経験などないお嬢様である私一人で冒険できるはずもない。「自分が誘ったのだから」と彼は私の冒険のパートナーとなってくれた。
 幸い簡単な攻撃魔法と治癒魔法は使えた。
 絶大なる魔力を持った主人公には全く比較にもならないけれど。今思えば、そんな実力で主人公の立ち位置を奪おうなんて考えに至った当時の自分の神経を疑う。
 成金子爵との結婚から逃げたくて必死だったからだとはいえ、黒歴史に相当する。

 それでも彼はいつでも私に協力してくれた。冒険にはいつだって付き合ってくれたし、報酬も平等に分けてくれた。
 今思えば、あくまでもモブ出力で大した経験があるわけでもない私は冒険には全くのお荷物だっただろう。彼一人で冒険したほうが、報酬を分けなくて良い分、実入りも良かったはずだ。それでも彼は一度だって私の誘いを断ることはしなかった。
 勉強の合間に、コツコツと冒険を続け、借金は減っていった。
 学園を卒業するころにはなんとか完済できて、成金子爵との結婚も回避できた。

 そういえば、学園に在学中、私が借金を返すべく冒険者をしていると聞いた成金子爵が無理やり結婚しようとしたことがあったわね。
 あのときはまだ、借金の残高が多くて、危なかったけど、彼が助けてくれた。
 彼は実は伯爵家の人間だったのだ。
 成金子爵も、家格が上の貴族の言葉は無視できなかったようで話は一旦、流れた。
 その時、彼は実家の兄に借りができたらしく、何かにつけて呼び出されてはこき使われていた。大変申し訳無い気持ちでいっぱいだ。

 学園を卒業後、彼は希望通りに王宮騎士になった。
 私はなんと冒険者としての腕を買われて王族の警護を担当する近衛騎士となった。
 まさか自分の未来がこんなふうに開けるなんて思いもしなかったから驚いたものだ。
 私が警護を担当したのは王女様だった。
 乙女ゲームの主人公と王子様の娘だ。
 私は意外に乙女ゲームの登場人物たちの縁があったらしい。
 とはいえ、せいぜい脇役止まり。
 王妃や王様の仲睦まじく美しいお姿を思い出すたび、いかに入学式の自分が無茶なことをしようとしていたのかがわかった。本当に止めてくれた彼には感謝しかない。

 その後も私は近衛騎士を続け、王女が嫁ぐのを期に結婚した。
 小さな田舎の領地をもった騎士のもとに嫁いだ。

「……おい、お前」

 ふいに呼ばれて顔をあげると、夫の姿があった。

「あら、あなた。おかえりなさい」

 私が出迎えの挨拶をして立ち上がろうとすると、夫は手で制した。

「立たなくていいよ。それより今日は寝台にいなくてよいのか?」

 最近私は体調が良くないので、寝台にいることが多かった。そのための心配だろうが、私は笑った。

「ええ。今日は天気がいいからレナに椅子に座らせてもらったのよ」

 レナとは夫と私の娘の名だ。
 夫は私に近づき肩に手を置いた。出会ったときその手はとても大きく、頼もしく感じた。あのとき愚かなことをしようとした私を止めた手。夫はあのときの転生者の彼だった。彼は学園卒業後、王宮騎士として魔王軍の残党処理に当たったりしていた。魔王は倒しておしまいというところではないのが現実。
彼は大きな出世こそなかったものの、何事にもコツコツ取り組む真面目な仕事ぶりが評価され、今の領地を与えられてた。
 いつから、座っていたのか聞かれて答えた時間に夫は渋面を作る。

「そろそろ、寝台に戻りなさい」
「……はい」

 私は夫の過保護にクスクスと笑った。もと騎士であった夫は私を軽々と横抱きにして、寝台に連れて行った。横たえられる際に見えた手は骨ばんで、しわだらけで年月の経過を知らせる。それでも抱えあげられる安心感はいつだって損なわれることはない。

「あまり無茶をしないでくれ」

 私は夫の手で寝台に運ばれ、横たえられ、布団を被された。
 子どもたちには厳しい姿を見せる夫だが、他に人がいないせいか、ふてくされたような、それで懇願するように私の手をにぎる。その姿に私は笑う。

「大げさよ」
「何を言う。先月に続き、先週だって倒れたというのに」

 夫の瞳はわかりやすいくらい不安に揺れている。自分より先に私が逝くこと恐れるような色だ。
 その目に、私は少しだけ恨み言を言いたくなった。
 あらあら、あなたは私をおいて逝ったのに?

 私は前世で夫に先立たれた未亡人だった。
 夫は優しい人で、私のオタクの趣味にも理解があった。乙女ゲームなんてさっぱり興味ないだろうに、私の隣で私がプレイしている姿をずっと見ていてくれるような人だった。
 そんな夫は結婚三年目で事故死した。
 旅行の帰り道、運転を誤ったダンプカーが私も乗った車に衝突してきた。
 助手席に乗っていた私はなんとか命は助かったものの、運転していた夫は助からなかった。彼を失って私の世界は暗転した。
 私はもはや生きる気力を失い、自死も考えた。
 だが、事故を調査した警察は彼が事故の直前にハンドルを左に切っていたことを教えてくれた。通常運転手は自分の身を守るため、ハンドルを右に切ることが多い。自分の身を守ることになるからだ。だが、そこには助手席があって、私が乗っていた。
 彼はとっさの判断でも私を優先し、自分が犠牲になったのだ。
 それを聞かされた私は彼の跡を追うことは許されなかった。
 また、彼の残した種が私のお腹に宿っていたことも一因だ。
 私は娘を生んで、必死に育てた。再婚はしなかった。娘が大きくなって、結婚が決まった。結婚式が終わって、ほっと息をついたとき、急に胸に痛みを感じた。
 そこで意識が途切れているので、おそらく私の前世はそこで終わったのだろう。
 孫を抱くことはなかったけれど、一人娘も嫁にやり終えての人生だった。
 でも、そんなある意味満足した人生の先に乙女ゲームへの転生が待ち受けているとは全く思わなかった。人生何が起きるかわからないとはこのことだ。

 私は、そっと今生の夫を見る。
 なんとなく、なんとなくだが、彼は前世の夫に似ていた。
 顔立ちではない。雰囲気というか……。
 いや、おそらくこれは確信。
 彼は私を置いていった前世の夫だ。
 私達はこうして再びめぐりあい、今度は孫まで抱けた。
 素晴らしい人生であったと思う。

 本当にあのとき、彼が止めてくれてよかった。
 私が私という道を歩めたのは本当に彼のおかげだ。
 彼とともにいられた今生をくれた神様に深く感謝する。

 だが、私は前世のことを彼に訪ねたことはない。
 彼は気づいているだろうか。おそらく気づいていないだろう。
 はっきりと告白するまで、前世も今世も一切私の好意に気づかない人だったから。
 だから、私ももう少し黙っていよう。
 今際の際にでも教えてあげましょう。
 今も昔もあなたに巡り会えたことが私の幸せだった、と。
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