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第二十九章 麓戸の家で
試着後半
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「では、スリップをお通ししますね」
洋服担当の男がそう言って、艶やかなサテン地のインナーを差し出す。
ストラップ付きのスリップは、真珠色で、ほんのりと光沢がある。
それを受け取った瞬間、またひとつ、何かを越えてしまう感覚がした。
上半身は、既に補正下着に包まれている。
その上から、滑るようにスリップがかぶせられた。
「……うわ」
思わず、声がこぼれた。
冷たい。薄い。そして、柔らかい質感が、身体をなぞっていく。撫でられた肌が敏感になる。
「お似合いです。次、ワンピースです」
洋服担当者が、次に差し出したのは、絹とシフォンを重ねたワンピースだった。
モーヴがかったグレイッシュピンク。腰からふわりと流れるラインが優美で、肩には控えめなレース。胸元にはブローチのような飾りが添えられ、全体の印象は――舞台衣装のように、完成されていた。
「オデトのために選んだんだ。早く着て見せてほしい」
麓戸が言う。
麓戸さんが、選んでくれた……。そう思うと嬉しいような、恥ずかしいような、期待に沿えなかったらどうしようという不安……。いろんな思いが押し寄せる。
「さあ、どうぞ」
うながされて、小坂は、ワンピースをまとう。
「ぴったりですね」
背中のホックが閉じられ、ウエストラインに細いリボンが結ばれる。
――鏡の中、自分ではない誰かが立っていた。
けれど、間違いなく自分だった。肩の曲線、鎖骨の浮き方、胸元を飾る膨らみ。すべてが、今の自分の身体だ。
肌にぴたりと沿う絹のワンピースは、艶やかな流線を描いていた。腰のライン、歩くときに生じる風の流れまでも、すべてが計算されているようだ。
「……だめですよ、こんな」
恥ずかしさに思わずうつむいた小坂に、麓戸は笑う。
「何がだめだ。綺麗だ、オデト。誰に見せたって恥じない。いや――誰にも、渡したくないくらいに……君は、きれいだ」
その言葉に、小坂は心の奥をくすぐられるような甘さを感じた。
衣裳を一つ一つ身に着けていくたびに、自分が自由になっていくようで――怖くて、でも、嬉しかった。
「では、リップをお引きしますね」
美容担当の男が、すっと細い筆を取り出した。オデトの顎を持ち上げる。
唇に、ひやりとした感触が滑る。ほんのりローズの香りがして、塗られていくたびに唇の輪郭が浮かび上がる。
「……もう、やめて……」
そんな言葉が、喉まで出かかった。じっと見つめられ唇を筆で撫でられる感覚……。
息が浅くなった。
見られている。完成されていく様を、皆が見守っている。
それが――甘く、くるしい。
「お靴を、お履きください」
深くしゃがみ込んだのは、靴担当の男だった。
彼は柔らかく微笑みながら、オデトの足元に、エナメルのヒールを差し出した。
「あの……これは、どれくらい……?」
「5センチヒールです。立つのは大丈夫ですが、無理はなさらないように」
素足で、ヒールに足を入れる。
甲を包む細いストラップが、しゅるりと締められた瞬間――自分の立ち位置が、世界から浮き上がったような錯覚に陥った。
「では、お歩きになってみますか?」
全員の視線が、一瞬オデトに集まった。
ああ、無理だ。そんなこと、できない。足が震える。脚が、見られる。姿勢が、見られる。バランスも、角度も――。
でも、やらなきゃ。
細いヒールが床を叩く音が、思ったよりも大きかった。
一歩、もう一歩。
歩くたびに、揺れる布地。絹がふわりと空気を撫で、太ももをかすめる。
「……綺麗だよ、オデト」
リビングの奥で、麓戸が低く呟いた。
それを聞いた瞬間、背筋が反り、腹筋に力が入った。呼吸が、できない。頭が真っ白だ。なのに――気持ちいい。
見られている。評価されている。作られていく自分を、誰かが受け入れている。
顔が、熱い。唇が、わずかに震えている。
――だめだ、これ以上は。
でも、立ち止まれない。麓戸が見てる。あの人の目が、離れない。
洋服担当の男がそう言って、艶やかなサテン地のインナーを差し出す。
ストラップ付きのスリップは、真珠色で、ほんのりと光沢がある。
それを受け取った瞬間、またひとつ、何かを越えてしまう感覚がした。
上半身は、既に補正下着に包まれている。
その上から、滑るようにスリップがかぶせられた。
「……うわ」
思わず、声がこぼれた。
冷たい。薄い。そして、柔らかい質感が、身体をなぞっていく。撫でられた肌が敏感になる。
「お似合いです。次、ワンピースです」
洋服担当者が、次に差し出したのは、絹とシフォンを重ねたワンピースだった。
モーヴがかったグレイッシュピンク。腰からふわりと流れるラインが優美で、肩には控えめなレース。胸元にはブローチのような飾りが添えられ、全体の印象は――舞台衣装のように、完成されていた。
「オデトのために選んだんだ。早く着て見せてほしい」
麓戸が言う。
麓戸さんが、選んでくれた……。そう思うと嬉しいような、恥ずかしいような、期待に沿えなかったらどうしようという不安……。いろんな思いが押し寄せる。
「さあ、どうぞ」
うながされて、小坂は、ワンピースをまとう。
「ぴったりですね」
背中のホックが閉じられ、ウエストラインに細いリボンが結ばれる。
――鏡の中、自分ではない誰かが立っていた。
けれど、間違いなく自分だった。肩の曲線、鎖骨の浮き方、胸元を飾る膨らみ。すべてが、今の自分の身体だ。
肌にぴたりと沿う絹のワンピースは、艶やかな流線を描いていた。腰のライン、歩くときに生じる風の流れまでも、すべてが計算されているようだ。
「……だめですよ、こんな」
恥ずかしさに思わずうつむいた小坂に、麓戸は笑う。
「何がだめだ。綺麗だ、オデト。誰に見せたって恥じない。いや――誰にも、渡したくないくらいに……君は、きれいだ」
その言葉に、小坂は心の奥をくすぐられるような甘さを感じた。
衣裳を一つ一つ身に着けていくたびに、自分が自由になっていくようで――怖くて、でも、嬉しかった。
「では、リップをお引きしますね」
美容担当の男が、すっと細い筆を取り出した。オデトの顎を持ち上げる。
唇に、ひやりとした感触が滑る。ほんのりローズの香りがして、塗られていくたびに唇の輪郭が浮かび上がる。
「……もう、やめて……」
そんな言葉が、喉まで出かかった。じっと見つめられ唇を筆で撫でられる感覚……。
息が浅くなった。
見られている。完成されていく様を、皆が見守っている。
それが――甘く、くるしい。
「お靴を、お履きください」
深くしゃがみ込んだのは、靴担当の男だった。
彼は柔らかく微笑みながら、オデトの足元に、エナメルのヒールを差し出した。
「あの……これは、どれくらい……?」
「5センチヒールです。立つのは大丈夫ですが、無理はなさらないように」
素足で、ヒールに足を入れる。
甲を包む細いストラップが、しゅるりと締められた瞬間――自分の立ち位置が、世界から浮き上がったような錯覚に陥った。
「では、お歩きになってみますか?」
全員の視線が、一瞬オデトに集まった。
ああ、無理だ。そんなこと、できない。足が震える。脚が、見られる。姿勢が、見られる。バランスも、角度も――。
でも、やらなきゃ。
細いヒールが床を叩く音が、思ったよりも大きかった。
一歩、もう一歩。
歩くたびに、揺れる布地。絹がふわりと空気を撫で、太ももをかすめる。
「……綺麗だよ、オデト」
リビングの奥で、麓戸が低く呟いた。
それを聞いた瞬間、背筋が反り、腹筋に力が入った。呼吸が、できない。頭が真っ白だ。なのに――気持ちいい。
見られている。評価されている。作られていく自分を、誰かが受け入れている。
顔が、熱い。唇が、わずかに震えている。
――だめだ、これ以上は。
でも、立ち止まれない。麓戸が見てる。あの人の目が、離れない。
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