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第三十二章 着せ替え
甘やかな諦め
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夜になっていた。麓戸のマンションの部屋に戻ると、深い静けさが漂っていた。
照明は落とされており、壁際のフロアランプだけが、ぼんやりと暖かい光を放っていた。
ドアの前で立ち尽くしていたオデトは、玄関の鍵が閉まる音に、ようやく足を踏み出す。
脱いだコートをハンガーにかけようとして、ふと――目に入った。
部屋の奥、ベッドルームのドアがわずかに開いていた。
その中、ガラスのトルソーに掛けられていたのは――あの服だった。
視線が、吸い寄せられた。
一度も袖を通していない、新しい服。艶のあるサテンとシフォンが織り交ざり、背中が大胆に開いている。編み上げ式のガーターが合わせてセットされていた。
――“君が俺のものになる瞬間”のための服だ。
麓戸の声が、鼓膜の奥に蘇った。
(……あれを着るのか)
足先は、もうその服へと向かっていた。
――着られるわけがない。恥ずかしい。
けれど、これを着るのだと思うと胸が高鳴る。
服に触れた指先が、かすかに震える。サテンが、冷たい。
ハイヒールも隣に揃えられていた。レースアップの、7.5センチ。
気がつけば、着ていた。
コルセットの締めつけ、背中を這うリボン、
首元まで肌をなぞるレースの感触。
ヒールを履いて立ち上がった瞬間、床の感触が遠くなった。
そのまま、オデトは姿見の前へと歩く。
鏡の中。違う自分がいた。
他人に仕立てられるのではなく、自ら、着てしまった。
胸に手を当てた。
肌の奥から、疼くような熱。誰かに命じられたから着たのではない。では、なぜ。
ただ、「見られたい」「認められたい」「抱かれたい」――そのすべてが、自分の中にあった。
「……ああ、やはり僕は……」
そう呟いたとき、後ろから足音が近づいてきた。
「やっぱり、着たな」
麓戸の声だった。低く、嬉しそうで、どこか甘やかすような声音。
「俺が言わなくても、自分で着る日が来るって……思ってたよ」
そっと、背中に手が添えられた。まだ冷たいリボンを撫でるように、指先が腰に沿う。
「どうする? このまま、“仕上げて”やろうか」
その声に、オデトは顔を背けられなかった。
鏡の中、ヒールのまま立ち尽くす自分と、背後からその身体を抱く麓戸の姿。
ふたりの視線が、鏡の中で重なったとき――オデトの瞳は、静かに濡れていた。
照明は落とされており、壁際のフロアランプだけが、ぼんやりと暖かい光を放っていた。
ドアの前で立ち尽くしていたオデトは、玄関の鍵が閉まる音に、ようやく足を踏み出す。
脱いだコートをハンガーにかけようとして、ふと――目に入った。
部屋の奥、ベッドルームのドアがわずかに開いていた。
その中、ガラスのトルソーに掛けられていたのは――あの服だった。
視線が、吸い寄せられた。
一度も袖を通していない、新しい服。艶のあるサテンとシフォンが織り交ざり、背中が大胆に開いている。編み上げ式のガーターが合わせてセットされていた。
――“君が俺のものになる瞬間”のための服だ。
麓戸の声が、鼓膜の奥に蘇った。
(……あれを着るのか)
足先は、もうその服へと向かっていた。
――着られるわけがない。恥ずかしい。
けれど、これを着るのだと思うと胸が高鳴る。
服に触れた指先が、かすかに震える。サテンが、冷たい。
ハイヒールも隣に揃えられていた。レースアップの、7.5センチ。
気がつけば、着ていた。
コルセットの締めつけ、背中を這うリボン、
首元まで肌をなぞるレースの感触。
ヒールを履いて立ち上がった瞬間、床の感触が遠くなった。
そのまま、オデトは姿見の前へと歩く。
鏡の中。違う自分がいた。
他人に仕立てられるのではなく、自ら、着てしまった。
胸に手を当てた。
肌の奥から、疼くような熱。誰かに命じられたから着たのではない。では、なぜ。
ただ、「見られたい」「認められたい」「抱かれたい」――そのすべてが、自分の中にあった。
「……ああ、やはり僕は……」
そう呟いたとき、後ろから足音が近づいてきた。
「やっぱり、着たな」
麓戸の声だった。低く、嬉しそうで、どこか甘やかすような声音。
「俺が言わなくても、自分で着る日が来るって……思ってたよ」
そっと、背中に手が添えられた。まだ冷たいリボンを撫でるように、指先が腰に沿う。
「どうする? このまま、“仕上げて”やろうか」
その声に、オデトは顔を背けられなかった。
鏡の中、ヒールのまま立ち尽くす自分と、背後からその身体を抱く麓戸の姿。
ふたりの視線が、鏡の中で重なったとき――オデトの瞳は、静かに濡れていた。
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