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第二十八章 変わりゆく関係
イケメン教師、麓戸からの連絡を待つ
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もう帰ろうと扉に手をかけようとしたところで、小坂は足を止めた。
「……ひとつだけ、聞いてもいいですか」
神崎がゆるく眉を動かした。
「なんだ」
「麓戸さんと、どういう経緯で……そうなったんですか」
その問いに、神崎の指が、肘掛けを軽く叩いた。
すぐには答えない。けれど、逃げもしなかった。
「……とくに経緯というほどのことは、ない」
「そうですか」
小坂の声は静かだった。
「あなたが、奥さんと僕との様子を麓戸さんに“見せていた”のは」
神崎の口元がわずかにゆがむ。
「悪趣味だと思ったか?」
「今さら、そう思うほど子どもじゃありません。……ただ、麓戸さんの方が、あのとき動揺していたようだったから、聞いておきたかったんです」
神崎はしばし黙ってから、言った。
「……あいつの高校時代の“恋人”の話、聞いたことあるか?」
「あります。後輩で、亡くなった方ですよね」
「あいつは、ずっと俺を憎んでた。“あの子を殺したのはあなた”って顔で見てきた。けど、事実じゃなかった。……ただ、事実じゃないってだけじゃ、気は済まなかったんだろうな」
「それで?」
「抱いてやったよ。お互い、そうしたかっただけだ」
吐き捨てるように言ったその声には、過去の重さがにじんでいた。
「……あいつ、泣いたよ。終わったあと、すっきりした顔してた。もう俺を憎まずに済むって。……だから、俺もそれでいいと思った」
小坂は何も言わなかった。
「……おまえにだけは、言っておいてもいい気がした。あいつが言うとは思えないしな」
「……ありがとうございます」
それだけ言って、小坂は引き戸の手掛けに手をかけた。
「麓戸さん、きっと今でも――あなたが好きだったと思いますよ」
神崎は微かに笑った。
「知ってたよ。ずっと、知ってた」
---
小坂が「では、失礼します」と戸口で一礼したとき、神崎がふいに口を開いた。
「……小坂先生」
その声音に、動きを止める。
「何ですか?」
立ち上がった神崎を見る。
「……ありがとうな。いろんな意味で」
曖昧で、けれど含みのあるその言葉に、小坂は少しだけ目を細めた。
「急にどうしたんです。遺言ですか」
「違う」
神崎はかすかに笑って、首を横に振った。
「俺は……かつて、おまえに執着していた。教師としても、人としても、男としても。だが……それが何かを壊していたことに、最近ようやく気づいた」
静かに語るその声に、かつての傲慢さはなかった。
「おまえには……感謝している。今さらだけどな」
小坂は、少しだけ目を伏せて、すぐにまた顔を上げた。
「……なんか、照れますね」
「本当は、握手でも……抱きしめ……いや、やめておこう」
神崎は、言葉だけを差し出した。
かつてなら、触れ合うことでしか示せなかった気持ちを、今はもう――距離のなかに宿せるようになっていた。
小坂は扉に手をかけ、ふと振り返った。
「触れなくて、正解ですよ。……僕、すぐ元に戻りますから」
神崎は目を伏せて笑った。
小坂も、笑った。
風が、校舎に流れ込んできた。
◆
校長室を出て、夕焼けに染まった廊下を歩く。
笑っていた顔の裏で、小坂は胸の奥に沈んだ感情を自分でなぞる。
神崎のことは、もういい。
夫婦の再生も、息子の回復も、奥さんの手料理も――全部、ちゃんと終わって、別の形になった。
でも。
(……麓戸さんは、何も言わない)
なぜ、連絡をよこさないのか。
なぜ、よりを戻したいと言わないのか。
こちらから何も聞かないのは、強さじゃない。
問いただしたら、壊れる気がして――聞けないだけだ。
昔みたいに、声も、体も、全部くれたとしても。
今の麓戸の中に自分がどれくらい残っているかは、わからない。
(……それでも、来てくれたら、僕は、うれしいのだけれど)
自嘲めいた笑みが、ふっと口元に浮かぶ。
心臓の奥で、ぐっと押し込めているものがある。
喉元にまで込みあがってきたその苦さを、今日も小坂は飲み込んだ。
ーーー
作者の新作『君の声しか届かない』公開中。
高校が舞台、無口で毒舌な美形同級生×元女優の母を持つ可愛い演劇部男子。
R18なしですが、心理描写とじれじれ感、切なさはこちらと同様です。こちらより穏やかで癒し系です。
※作品ページ下部のリンク欄から飛べます。
「……ひとつだけ、聞いてもいいですか」
神崎がゆるく眉を動かした。
「なんだ」
「麓戸さんと、どういう経緯で……そうなったんですか」
その問いに、神崎の指が、肘掛けを軽く叩いた。
すぐには答えない。けれど、逃げもしなかった。
「……とくに経緯というほどのことは、ない」
「そうですか」
小坂の声は静かだった。
「あなたが、奥さんと僕との様子を麓戸さんに“見せていた”のは」
神崎の口元がわずかにゆがむ。
「悪趣味だと思ったか?」
「今さら、そう思うほど子どもじゃありません。……ただ、麓戸さんの方が、あのとき動揺していたようだったから、聞いておきたかったんです」
神崎はしばし黙ってから、言った。
「……あいつの高校時代の“恋人”の話、聞いたことあるか?」
「あります。後輩で、亡くなった方ですよね」
「あいつは、ずっと俺を憎んでた。“あの子を殺したのはあなた”って顔で見てきた。けど、事実じゃなかった。……ただ、事実じゃないってだけじゃ、気は済まなかったんだろうな」
「それで?」
「抱いてやったよ。お互い、そうしたかっただけだ」
吐き捨てるように言ったその声には、過去の重さがにじんでいた。
「……あいつ、泣いたよ。終わったあと、すっきりした顔してた。もう俺を憎まずに済むって。……だから、俺もそれでいいと思った」
小坂は何も言わなかった。
「……おまえにだけは、言っておいてもいい気がした。あいつが言うとは思えないしな」
「……ありがとうございます」
それだけ言って、小坂は引き戸の手掛けに手をかけた。
「麓戸さん、きっと今でも――あなたが好きだったと思いますよ」
神崎は微かに笑った。
「知ってたよ。ずっと、知ってた」
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小坂が「では、失礼します」と戸口で一礼したとき、神崎がふいに口を開いた。
「……小坂先生」
その声音に、動きを止める。
「何ですか?」
立ち上がった神崎を見る。
「……ありがとうな。いろんな意味で」
曖昧で、けれど含みのあるその言葉に、小坂は少しだけ目を細めた。
「急にどうしたんです。遺言ですか」
「違う」
神崎はかすかに笑って、首を横に振った。
「俺は……かつて、おまえに執着していた。教師としても、人としても、男としても。だが……それが何かを壊していたことに、最近ようやく気づいた」
静かに語るその声に、かつての傲慢さはなかった。
「おまえには……感謝している。今さらだけどな」
小坂は、少しだけ目を伏せて、すぐにまた顔を上げた。
「……なんか、照れますね」
「本当は、握手でも……抱きしめ……いや、やめておこう」
神崎は、言葉だけを差し出した。
かつてなら、触れ合うことでしか示せなかった気持ちを、今はもう――距離のなかに宿せるようになっていた。
小坂は扉に手をかけ、ふと振り返った。
「触れなくて、正解ですよ。……僕、すぐ元に戻りますから」
神崎は目を伏せて笑った。
小坂も、笑った。
風が、校舎に流れ込んできた。
◆
校長室を出て、夕焼けに染まった廊下を歩く。
笑っていた顔の裏で、小坂は胸の奥に沈んだ感情を自分でなぞる。
神崎のことは、もういい。
夫婦の再生も、息子の回復も、奥さんの手料理も――全部、ちゃんと終わって、別の形になった。
でも。
(……麓戸さんは、何も言わない)
なぜ、連絡をよこさないのか。
なぜ、よりを戻したいと言わないのか。
こちらから何も聞かないのは、強さじゃない。
問いただしたら、壊れる気がして――聞けないだけだ。
昔みたいに、声も、体も、全部くれたとしても。
今の麓戸の中に自分がどれくらい残っているかは、わからない。
(……それでも、来てくれたら、僕は、うれしいのだけれど)
自嘲めいた笑みが、ふっと口元に浮かぶ。
心臓の奥で、ぐっと押し込めているものがある。
喉元にまで込みあがってきたその苦さを、今日も小坂は飲み込んだ。
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