MAD SEVEN

ウィリー・ウィムジー

文字の大きさ
1 / 2

研究所

しおりを挟む

 とある四月の初めの日曜日。理系の大学を卒業し、研究室の教授の恩師が所長をしているという研究所に勤めることになったわたしは、キャリーバッグを抱えながら鬱蒼とした森の中を歩いていた。道は一応歩ける程度には舗装されているが獣道といった感じで、木の根や雑草が至る所に生えていて何度か足を取られそうになる。住み込みになるらしく必要なものは先に寮に送ってあり、荷物が少ないからと油断していたが、小石や道の窪みに引っかかるキャリーバッグを度々持ち上げて運んでいたらすっかり疲れてしまった。歩きやすいスニーカーで来て本当に良かった。

 しばらく歩くと、木々が途切れ開けた場所に出る。既に日は傾いており、辺りはオレンジ色に染まっていた。見上げれば白いコンクリート壁の二階建ての建物と、その裏手に三階建てのアパートのような建物が見える。道を辿り、数段の階段を昇ればコンクリート壁の建物の扉が見えてきた。着いたら誰でも良いから声をかけるようにと言われていたのを思い出し、出入り口だろう両開きのガラス扉に近づく。それは自動ドアだったらしく、ウィンと小さな音を立てて扉は開いてしまった。

 中に入って通路を歩くが、物音ひとつせず人の気配がない。コツコツと小さな靴音が狭く薄暗い廊下にやけに響く。扉は多いがどれも同じ様子で、表札などもなく勝手に開けるのも忍びない。すると廊下にずらりと並んだ扉のひとつがガコンと鈍い音を立てて開いた。中から出てきたのは白衣を着た、背の高い20代半ばといった風貌の男だ。男はわたしを鋭く睨みつけ、口を開いた。

「お前、どこから入った。部外者はさっさと出ていけ」

低く唸るような声で話しかけられればびくりと肩が震えてしまう。だがここで働きに来たのだ、追い返されてしまったら職をなくしてしまう。それに寮に送った荷物の中には少々大事なものも入っている。

「あ、えっと...ここで働かせてもらうことになった廿日ハツカと言います」

名前を聞いた男は額に寄せたしわを更に深くしてからわたしの頭からつま先までを一瞥した。

「...所長なら今は寮だ。裏手の建物の101号室、わかるか」

少しの沈黙の後に男は口を開く。わたしがゆっくりと首を縦に振れば、はぁ、と小さくため息を吐いて扉の中に引っ込んでいってしまった。さっさと行けということだろうか。行き方はわからないが入ってきた扉から外に出て裏に回れば辿り着けるだろう。覚悟を決めて歩き出そうとしたときまた扉が開き、男が出てくる。先ほどとは違い白衣は着ていない。どうしたのだろうか。

「着いてこい、裏口がある」

指をくい、と動かし男はこちらの様子も伺わずにすたすたと歩き出す。わたしもそれに続いて少し小走りになりながらも廊下を進んだ。何度か角を曲がったためどういう経路で来たのかは覚えていないが、2、3分程度で裏口らしき自動ドアへ辿り着く。正面のものよりも小さい片扉だ。

「ここを出てまっすぐだ。この先はひとりで行け」

そう言いながら男はスイッチに触れて扉を開ける。服の袖から覗いたブレスレットの赤い石が夕陽を反射してキラリと光った。わたしが扉の外に出たのを見て、男は何も言わずに背を向けて歩き出してしまった。案内をしてくれた通り、悪い人ではないのだろう。男の姿が見えなくなったところで名前を聞いていないのを思い出したが、働いていればまた会えるだろうと寮へ向かう。

 寮へ入るためには重たい引き戸があり、中はやや広いホールのような場所になっておりエレベーターが設置されている。ポストは四部屋ずつ、三階分のものがあり使われているのは二階までのようで、三階のポストには表札も鍵もついていない。所長は101号室とあの男が言っていた。ホールから繋がる通路に掛けられたプレートを確認しながら101号室を目指す。表札には“平井ヒライ”と書かれている。大学の教授から聞いた恩師の名前と同じだ。チャイムを鳴らすと中からピンポーンと軽快な音が聞こえ、誰かの足音が近づいてくる。

「はいはぁーい、誰かな。おっと、君はもしかしてハツカちゃん?」

扉を開けてわたしの姿を確認した所長らしき男はにっこりと笑みを浮かべ、そう訪ねてきた。40代後半の教授の恩師だというからもう少し年老いた人物だと思っていたが、どう見積もっても3、40代にしか見えない。若く見えるという次元ではないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「はい、そうです。初めまして、これからよろしくお願いします」

わたしが肯定すると、男はいっそう笑顔になり、よかった...と呟く。

「うん、よろしくね。ボクはヒライ、この研究所の所長だよ」

先ほどの男と比べてヒライは随分と愛想がいい。ほっと安堵してこちらも微笑みを返した。

「部屋に案内するね。ちょっと待ってて。あ、中入ってていいよ」

そう言ってヒライは玄関にわたしを招き入れ、部屋の中へと入っていく。三月と言ってもまだ日が傾けば肌寒い。心遣いに感謝して玄関に足を踏み入れる。手持無沙汰で辺りを見回すが、成人男性の一人暮らしだとは思えないほど綺麗に整頓されていた。すっきりとした香りのリードディフューザー、薄い黄緑色や水色の造花らしき花束、丁寧に揃えられた革靴。ほこりひとつなく掃除された玄関は居心地がいい。

「さぁ、行こうか。...どうかした?」

そうしているうちにヒライが戻ってきて、きょろきょろとしている私を見てきょとんとした顔で首を傾げた。わたしは首を横に振って、靴を履こうとするヒライのためにやや端に身を寄せた。立ち上がって扉を開け、先に出るよう促される。それに従って部屋を出ればヒライも続き、扉はバタンと閉まる。

「一階と二階は埋まっててね、ハツカちゃんはひとりだけ三階だよ」

ホールまで出てエレベーターのボタンを押す。階段もあるがエレベーターがあるというのは便利なものだ。かごは二階にあったらしく、鈍い音を立てて降りてきた。ヒライはどうぞ、と先に乗るようわたしに促す。三階のボタンを押すとすぐにエレベーターは目的地へと動き出し、短い沈黙の後三階へ到着した。

「荷物はもう部屋にあるよ。ベッドとか冷蔵庫とかレンジとか、そういうものは備え付けのを使ってね」

ヒライはポケットから鍵を取り出して301号室の扉を開ける。中は先ほどヒライの部屋の玄関から見た感じとそう変わらず、インテリアがないだけだ。寮と言えばワンルームを思い浮かべていたが、1DKらしく一人暮らしでは持て余すくらいの広さがあった。玄関からは扉で区切られていて部屋の中の様子はわからないが、きっと段ボールが積みあがっているだろう。靴を脱いで上がるヒライに続いてわたしも靴を脱ぐ。床を傷つけたり汚したりしないようキャリーバッグを持ち上げ、部屋へ向かうヒライの背中を追った。

「契約とか規約とか、全部書面でやり取りしたから大丈夫だよね。荷物を置いたら一階のホールへおいで」

部屋の扉を押し開けながらわたしに話しかける。はい、と返事をしてキャリーバッグを床に寝かせた。ヒライは先にホールへ行くようで、鍵をスペアを含め二本渡される。

 キャリーバッグを開いてウェットティッシュを取り出す。車輪についた土や砂を綺麗に拭うと、キッチンにあった備え付けのごみ箱に捨てる。既にごみ袋がついているのは所長の心遣いだろうか。キャリーバッグを壁に寄せ、色々な扉を開けてみる。ベッドが置かれた寝室、たくさん服が入りそうなクローゼット、トイレや浴室など、どこも綺麗に保たれている。一通り見て回り、再び靴を履いて部屋を出る。エレベーターを待っていれば研究所の方から、チャイムの音が聞こえてきた。ポケットからスマホを取り出して時間を見ると18時ちょうどを示している。そういえばと周りをみればもうすっかり日も暮れて暗くなっていた。

 一階に降りるとヒライとあと二人の男が話をしていた。一人はヒライと同じくらいの背丈で、腰に手を当てて笑っている男。もう一人はヒライより背が高く、案内をしてくれた男と同じくらいの背丈で、腕を組んで険しい顔をしながら話している男だ。エレベーターから降りてきたわたしに気付いたヒライはこちらに向かってひらひらと手を振る。それに釣られて二人の男もわたしに気付く。腰に手を当てていた男は片方の手を挙げ挨拶し、腕を組んでいた男はそのまま軽く会釈をした。こんにちは、と声をかけ、三人に近づいていく。

「もう就業のチャイムが鳴ったからみんな戻ってくるよ。この二人はお休みだったから先に来てもらったんだ」

ヒライが男を手で示して説明する。

「こちらはアガタくん、104号室の住人だよ」

ヒライの隣で腰に手を当てて笑っていた男だ。よろしく、と握手を求めてきた右手に紫色の石が嵌まった金属製のバングルがついている。わたしが握手に応じると、うむと頷いて握り返してきた。

「そしてこちらはコサカくん。彼は103号室だよ」

腕を組んだままわたしをじっと眺める。睨まれているといった感じはないが、値踏みされているようで居心地が悪い。組んだ腕の間に覗くネクタイピンに黄色の石が嵌まっっている。ここの研究員は揃って石のついたアクセサリーを持っているのだろうか。だがヒライは何も持っていなかった。

「それで、こちらがハツカちゃん。君たちと同じく、ボクの教え子経由でここに勤めてくれることになったよ」

わたしを指して説明する。やっぱり教え子と言ったがこの人はいったい何歳なのだろう。和やかに、とは言い難いが自己紹介を交わしていると、外から数人の足音が聞こえてきた。見えてきたのは五人。会話をしていたりひとりで歩いていたりする者も見え、その中に案内をしてくれた彼もいた。

「あ、みんな帰ってきたみたいだね。ちょっと多くて覚えきれないかもだけど紹介するね」

ヒライが外を見て住人の帰宅に気付くと、困ったように笑いながら首をすくめる。研究員は七人、ヒライを含めれば八人になるが覚えきれるだろうか。全員の姿を確認して気付いてしまった。研究員は全員男性のようで、助手はわたし一人だけ、ということは女性も一人だということになるんだと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

紅蓮の鬼神と華印の乙女〜神隠しにあった穢れモノの私が、最愛に出逢うまで〜

五城楼スケ(デコスケ)
キャラ文芸
──人とあやかしたちが混在する、大正時代に似たもう一つの世界。 名家、天花寺(てんげいじ)家の娘である琴葉は14歳の頃、十日もの間行方不明になったことがあった。 発見された琴葉にその間の記憶は一切なく、そればかりか彼女の髪の毛は雪のように真っ白に変わってしまっていた。 そんな琴葉を家族や使用人たちは、人目に付かないよう屋敷の奥深くに隠し、”穢れモノ”と呼び虐げるようになった。 神隠しに遭った琴葉を穢らしいと嫌う父からは使用人より下に扱われ、義母や双子の義姉弟たちからいじめられていた琴葉が、十六歳の誕生日を迎える直前、ある転機が訪れる。 琴葉が十六歳になった時、天花寺家の遺産を琴葉が相続するように、と亡くなった母が遺言で残してくれていたのだ。 しかし、琴葉を狙う義兄と憎む義姉の策で、琴葉は絶体絶命の危機に陥ってしまう。 そんな彼女を救ったのは、どこか懐かしい気配を持つ、妖しくも美しい青年だった。 初めて会うはずの美青年は、何故か琴葉のことを知っているようで……?! 神聖な実がなる木を守護する家門に生まれながら、虐げられてきた少女、琴葉。 彼女が十六歳の誕生日を迎えた時、あやかしが、陰陽省が動き出す──。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...