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始まりの本
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満月の夜。月灯りだけが差し込む、塔の牢獄。幽閉された魔女は、絶望した顔で項垂れていた。アメジストに例えられた紫色の瞳は、輝きを失ったように暗い。
稀代の悪女。殺人令嬢。闇に堕ちた魔女。あらゆる恐ろしい名で呼ばれた彼女は、近く火刑に処される。
その彼女の目の前に、月灯りを遮る影がひとつ落ちた。また看守が罵倒し、叩きに来たのだろうと魔女は顔も上げない。
「――君を、盗みに来たよ」
低く、囁くような声。魔女は顔を上げる。
月灯りを背に、格子の向こうに立っているのは――黒い外套、異国の狐面、そして銀色に光る髪の男だった。巷を騒がす、怪盗である。
「魔女を盗むなんて、変わっていますわね。国中に死を望まれている、このわたくしを」
器用に鍵を外す怪盗に、魔女は微笑みかける。
「世界中を敵に回したって構わない。俺はずっと、君だけが欲しかったから」
怪盗の両腕が、魔女を包み込む。その時魔女が落とした涙のことは、誰も知らない物語――。
***
ーー始まり、そして終わりは、一冊のロマンス小説だった。
内容はごくありふれた、少女向けの西洋ファンタジーだ。
むかしむかし、どこか西洋の国の、貧しい家庭に生まれた心優しき少女。彼女の持つ不思議な力が国を救う。そんなお話だ。
だがハッピーエンドでは無い。彼女を愛し、そして支えた王子様が、嫉妬に駆られた悪女によって殺されてしまうのだ。
この悪女は王子の婚約者の立場で、魔女の力を借り、幾人もの邪魔者を葬ってきた恐ろしき殺人鬼でもある。少女は授かった不思議な力と周りの仲間の協力を得て、そんな悪女の罪を暴き、処刑台へと送る。
だが失った恋人は戻らない。心に想い人を刻み、強く生きることを誓いつつ、心優しい少女は悪女の死をも悼むのだ。
「ハンナ、めちゃくちゃいい子……!」
その小説を読み終わった時、思わず口をついて出た言葉がそれだった。幸い個室のベッドの上だから、その大きな独り言を聞いているものはいない。
立花メグは病室のベッドの上でそれを読んでいた。本来なら元気に高校に通う17歳の彼女は幼い頃から原因不明の奇病を患い、度々病院のお世話になっている。とはいえ症状が出ている時以外はもっぱら元気であるし、いくつも検査をして様子を見るだけの入院だ。幸い甲斐甲斐しくお世話をする必要はないので親も仕事に行っている。
それゆえ趣味は読書。とにかく入院中は本を読み漁っていた。好みはもっぱらミステリだが、それ以外のジャンルも何でも楽しんだ。
『クロノス王国~ハンナの物語~』
主人公である17歳の少女、ハンナの横顔がシルエットのシンプルな表紙のハードカバー。書店や図書館で並んでいたとしても、特に興味はそそられなかったであろうタイトルと装丁である。
「あれ、この本……。誰が書いたんだろ」
余韻に浸りつつ本を眺めていてふと気づく。作者の名前がどこにも無いのだ。最後のページをめくってみても、奥付がない。当然ながらバーコードもない。発行年月日も、作者も、出版社も不明である。
「自費出版本なのかな……?」
ものすごく古い本、という痛み方はしていないから、メグに考えられる可能性としてはそのくらいであった。元々この本は、知らない女の子に貸してもらったのだ。
***
病棟の休憩室。個室に閉じこもってばかりだったから気分転換にと飲み物を買いがてら共有スペースに腰掛けて本を読んでいた。ここは入院患者だけではなくお見舞いの家族なんかも来るので比較的元気な人達の会話を聞ける。別に話の内容に興味がある訳では無いけれど、時には開けた場所で雑音にまみれながらの読書もいいものなのだ。本当はカフェや公園で読みたいところだけれど、入院中は我慢するしかない。
「あの……」
高くて、細くて、でも耳触りの心地良いような、可憐な声が聞こえて顔を上げた。
――そこに立っていたのは、ふんわりとした雰囲気の、可愛らしい少女だった。
「読んでいる邪魔をして、ごめんなさい」
「あ、いえ……」
年は多分同じくらいだろう。学校の制服を着ているから、入院患者ではないようだ。
「あの、本がお好きですよね……? 見かけるといつも、本を読んでいたから……」
おずおずと、少し照れたような可愛らしい仕草をしながらそう話す彼女を見て、メグは首を傾げた。
「いつも? よくここに来るんですか?」
おかしいな。こんな可愛い子、見かけたら印象に残らないわけないのに。そう思って、怪訝な表情をしてしまったのだろう。少女は慌てたように口を開いた。
「あ、あの。怪しいものじゃないんです。ただ、ずっと、あの。……お話して、みたくて」
そう言って恥ずかしそうに俯く。メグはつい、ふ、と笑ってしまった。
「私と? ……へえ、変わってるね」
自分で言うのもなんだが、メグは近寄り難い雰囲気を持っていると思う。高めの背に目力ばかりが強いきつめの顔。両親もそれなりに金持ちなもんだから、お近付きにはなりづらい病弱なお嬢様。そんな扱いを受けることが多いのだ。
「よく、言われます。……お隣、いいですか?」
そう言ってメグの隣を指し示す。
「公共の場だし、好きなところに座ったら」
少し遠慮がちに問う彼女に、ついつい敬語を忘れる。彼女はと言うと、嬉しそうにちょこんと隣に座った。
不思議な子だった。初対面なのにまるで昔からの友人であるかのように話が弾んだ。学校もろくに通えず友達もほとんどいないメグにとって同世代の女の子と語らう時間はあっという間であった。
「あっメグちゃん。こんな所にいた。もう検査の時間だから病室に戻ってちょうだい」
すっかり顔馴染みの看護師さんに叱られて、慌てて立ち上がる。
「ごめん、もう行かなきゃ。あの……」
そこで彼女を見下ろしてから、名前すら訊いていなかったことに気づいた。
「……また、お話を」
彼女はここの患者ではない。またの機会なんてあるのだろうか。不安になりつつも声をかけると、彼女はふわりと笑った。
「こんな時間までごめんなさい。ぜひ、また……そうだ!」
そう言って、鞄から一冊の本を取り出す。
「これ、読んでみてほしいの。そして次に会う時に、感想を聞きたいの」
上品な表紙の、ハードカバーの本。『クロノス王国~ハンナの物語~』であった。
***
「あの子が書いたのかな、これ」
そう考えてみると、主人公ハンナは彼女によく似ているような気がした。ハンナ視点の物語だから、ハンナを褒めちぎるような描写があるわけではないけど、周りの人の心も洗われるような清らかさ、優しさ、慈愛に満ちた雰囲気は自然と伝わってくる。そんな物語であった。
……だからこそ、彼女の優しさにすら絆されることなく悪事を重ねていく、悪女マーガレットの凶悪さは際立っている。彼女はハンナと同級で、いかにも高慢な公爵令嬢である。
そしてハンナたちが通う孤島の学園にて恐ろしい事件が立て続けに起こる中、彼女は平然と言い放つ。
「わたくし、やっておりませんわ」
「平民のあなたに、わたくしの何がわかりますの」
繰り返し出てきたマーガレットの言葉を呟いてみると、なぜか妙にしっくりきた。健気にマーガレットのそんな嘘すら信じようとするハンナの言葉を拒絶する、その台詞。
処刑台に送られた彼女のために涙を流したのは、ハンナただ一人であったのに。
「うーん、でも、確かに……」
ペラペラと、ページをめくり返しながら、メグは考える。
……本当に、この物語に出てくる全ての恐ろしい出来事は、マーガレットの仕業なのだろうか。彼女は確かにプライドが高く、不遜で、選民意識も強い。典型的なお嬢様である。意地悪できついところもあり、誉められた性格とは言えないだろう。
だが起きる事件全てにおいて、確たる証拠と言うものは存在しないのだ。邪悪な魔女の仕業であることが示唆され、その周囲に明らかに怪しく彼女の影が見える。
ーーそして、マーガレットは死の瞬間まで、罪を決して認めなかった。
「……もし、これが冤罪だとしたら……なんて悲劇」
これはミステリ小説ではないのだから、そんなことがあるはずはない。そう思いつつもミステリ好きの血が騒ぐのか、ついつい彼女の冤罪の可能性を考えてしまう。
例えばこの、ハンナたちが学園へ向かう船の中での殺人事件。彼女は確かに怪しいし、彼女が持つとされる「魔女の力」とやらを使えば犯行は可能なのだろう。
……でも、本当にそうだろうか? こんなの、単純な密室トリックではないのか。
例えばこうすれば、この人にも犯行は可能で……、
「あ………あっ! ………っっ!!………………」
その時。熱くなるような激痛が、メグの左手を襲った。少し遅れて、心臓を直接つかまれたような感覚。冷や汗が全身から噴き出して、うめき声すら音にならない。
メグの抱えている奇病とは、これである。決まって左手から始まり、その後全身を鎖で締め上げられるような感覚。全身打たれるように激痛が走り、それから全身が焼けるように熱くなる……。
数時間、それが続いたのち、治まった頃にはしばらく動けなくなる。毎度、そのパターンであった。しかし、いくら検査をしても原因はわからない。ただ、それが夢ではないと示すように火傷の跡が残るのだ。決まって左手の甲に、最初はうっすらと、繰り返すたびにどんどん濃くなってきている。何かの紋章の形の様に…………。
(あ、これ、やば……)
声を出すことも、ナースコールを探すこともできず、メグはベッドで喘ぎ苦しむ。喉が焼かれたように、ヒューヒューと息が漏れ、呼吸ができない。
あぁ、まるでこれは……さっき読んだ悪女の末路。罪の刻印を刻まれ、縛られ、鞭で打たれ、火を放たれる。
その罰が、未だに終わっていないかのような。
***
この業火は、たとえ貴女の命尽きようと、永劫にわたり焼き続けるだろう。
地獄の果てだろうと、輪廻転生の先だろうと――。
「ハッ……!」
水の中から急に浮き上がったような感覚。思わず息を吸い込んだら、大層むせてしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「マーガレット様!」
朝の飲み物やら着替えやらを準備していたらしいメイド達が、血相変えて飛んでくる。水差しを持っていたメイドがカップに入れた水を差し出してくる。
「ええ、大丈夫……。少し、悪い夢を見ましたの」
起き上がり、顔は伏せたまま。水は要らないと手のひらを向ける。
メイドたちはさぞ、不思議な顔をしているであろう。あの我儘令嬢のマーガレット様が、こんなに大人しいなんて、と。
悪夢なんて見ようものならベッドメイクに手を抜いたからなどと言いがかりをつけ、解雇せんとばかりにメイドを罵倒する。マーガレット・ルークラフトはそんなお嬢様なのである。
しかし今は、思考の混乱によって余裕がない。マーガレットはメイドに向けていた自らの左手の甲に目を向けた。……白くて小さな手が、そこにはあった。
「お嬢様、なにか……」
「少し、黙っていてくださらない?」
おずおずと顔色を伺うように声をかけてくるメイドを冷たく遮り、マーガレットは目を閉じ、額に先程の左手を当てた。
わたくしはマーガレット・ルークラフト。このクロノス王国の栄誉ある公爵家に生まれ、王位継承権を持つ第一王子アレクサンダー・ブライトウェルと婚約をする予定である。
そして私は立花メグ。平和な国日本の、それなりにお金のある家に生まれたけれど病弱で、さっき病室のベッドの上で苦しんで――多分死んだ。
どういうわけか、このふたつが両立しているのが現在だ。
「……姿見を。………いえ、もう着替えるわ。準備してちょうだい」
そう告げて、鏡の前に座る。目の前に映る美少女は12歳のマーガレット。
青みがかった真っ直ぐな長い黒髪に、紫色の瞳、白い肌。
さっきまで本の中にいたマーガレットが、死んでまた生を得て、再び死んだのち、ここへ戻ってきたのだ。理屈はさっぱり分からないが、状況は受け入れるしかない。
妙に冷静なのは、立花メグとしての短い人生を経験しているからだ。ミステリのみならず、ありとあらゆる分野を読み漁ったし、漫画もゲームも嗜んだ。
その中には、輪廻転生、死に戻り、今回みたいに同じ相手同士への生まれ変わりループものだってあった。
これは不幸な死を続ける運命であったマーガレットの、人生やり直し物語なのかもしれない。今のマーガレットには、全ての記憶がある。そして、自分の無実も知っている。
鏡の中の幼い自分を見つめ、決意を新たに――笑った。
その顔は勝気を通り越して恐ろしく、周りで見ているメイドの手を震えさせた。
稀代の悪女。殺人令嬢。闇に堕ちた魔女。あらゆる恐ろしい名で呼ばれた彼女は、近く火刑に処される。
その彼女の目の前に、月灯りを遮る影がひとつ落ちた。また看守が罵倒し、叩きに来たのだろうと魔女は顔も上げない。
「――君を、盗みに来たよ」
低く、囁くような声。魔女は顔を上げる。
月灯りを背に、格子の向こうに立っているのは――黒い外套、異国の狐面、そして銀色に光る髪の男だった。巷を騒がす、怪盗である。
「魔女を盗むなんて、変わっていますわね。国中に死を望まれている、このわたくしを」
器用に鍵を外す怪盗に、魔女は微笑みかける。
「世界中を敵に回したって構わない。俺はずっと、君だけが欲しかったから」
怪盗の両腕が、魔女を包み込む。その時魔女が落とした涙のことは、誰も知らない物語――。
***
ーー始まり、そして終わりは、一冊のロマンス小説だった。
内容はごくありふれた、少女向けの西洋ファンタジーだ。
むかしむかし、どこか西洋の国の、貧しい家庭に生まれた心優しき少女。彼女の持つ不思議な力が国を救う。そんなお話だ。
だがハッピーエンドでは無い。彼女を愛し、そして支えた王子様が、嫉妬に駆られた悪女によって殺されてしまうのだ。
この悪女は王子の婚約者の立場で、魔女の力を借り、幾人もの邪魔者を葬ってきた恐ろしき殺人鬼でもある。少女は授かった不思議な力と周りの仲間の協力を得て、そんな悪女の罪を暴き、処刑台へと送る。
だが失った恋人は戻らない。心に想い人を刻み、強く生きることを誓いつつ、心優しい少女は悪女の死をも悼むのだ。
「ハンナ、めちゃくちゃいい子……!」
その小説を読み終わった時、思わず口をついて出た言葉がそれだった。幸い個室のベッドの上だから、その大きな独り言を聞いているものはいない。
立花メグは病室のベッドの上でそれを読んでいた。本来なら元気に高校に通う17歳の彼女は幼い頃から原因不明の奇病を患い、度々病院のお世話になっている。とはいえ症状が出ている時以外はもっぱら元気であるし、いくつも検査をして様子を見るだけの入院だ。幸い甲斐甲斐しくお世話をする必要はないので親も仕事に行っている。
それゆえ趣味は読書。とにかく入院中は本を読み漁っていた。好みはもっぱらミステリだが、それ以外のジャンルも何でも楽しんだ。
『クロノス王国~ハンナの物語~』
主人公である17歳の少女、ハンナの横顔がシルエットのシンプルな表紙のハードカバー。書店や図書館で並んでいたとしても、特に興味はそそられなかったであろうタイトルと装丁である。
「あれ、この本……。誰が書いたんだろ」
余韻に浸りつつ本を眺めていてふと気づく。作者の名前がどこにも無いのだ。最後のページをめくってみても、奥付がない。当然ながらバーコードもない。発行年月日も、作者も、出版社も不明である。
「自費出版本なのかな……?」
ものすごく古い本、という痛み方はしていないから、メグに考えられる可能性としてはそのくらいであった。元々この本は、知らない女の子に貸してもらったのだ。
***
病棟の休憩室。個室に閉じこもってばかりだったから気分転換にと飲み物を買いがてら共有スペースに腰掛けて本を読んでいた。ここは入院患者だけではなくお見舞いの家族なんかも来るので比較的元気な人達の会話を聞ける。別に話の内容に興味がある訳では無いけれど、時には開けた場所で雑音にまみれながらの読書もいいものなのだ。本当はカフェや公園で読みたいところだけれど、入院中は我慢するしかない。
「あの……」
高くて、細くて、でも耳触りの心地良いような、可憐な声が聞こえて顔を上げた。
――そこに立っていたのは、ふんわりとした雰囲気の、可愛らしい少女だった。
「読んでいる邪魔をして、ごめんなさい」
「あ、いえ……」
年は多分同じくらいだろう。学校の制服を着ているから、入院患者ではないようだ。
「あの、本がお好きですよね……? 見かけるといつも、本を読んでいたから……」
おずおずと、少し照れたような可愛らしい仕草をしながらそう話す彼女を見て、メグは首を傾げた。
「いつも? よくここに来るんですか?」
おかしいな。こんな可愛い子、見かけたら印象に残らないわけないのに。そう思って、怪訝な表情をしてしまったのだろう。少女は慌てたように口を開いた。
「あ、あの。怪しいものじゃないんです。ただ、ずっと、あの。……お話して、みたくて」
そう言って恥ずかしそうに俯く。メグはつい、ふ、と笑ってしまった。
「私と? ……へえ、変わってるね」
自分で言うのもなんだが、メグは近寄り難い雰囲気を持っていると思う。高めの背に目力ばかりが強いきつめの顔。両親もそれなりに金持ちなもんだから、お近付きにはなりづらい病弱なお嬢様。そんな扱いを受けることが多いのだ。
「よく、言われます。……お隣、いいですか?」
そう言ってメグの隣を指し示す。
「公共の場だし、好きなところに座ったら」
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不思議な子だった。初対面なのにまるで昔からの友人であるかのように話が弾んだ。学校もろくに通えず友達もほとんどいないメグにとって同世代の女の子と語らう時間はあっという間であった。
「あっメグちゃん。こんな所にいた。もう検査の時間だから病室に戻ってちょうだい」
すっかり顔馴染みの看護師さんに叱られて、慌てて立ち上がる。
「ごめん、もう行かなきゃ。あの……」
そこで彼女を見下ろしてから、名前すら訊いていなかったことに気づいた。
「……また、お話を」
彼女はここの患者ではない。またの機会なんてあるのだろうか。不安になりつつも声をかけると、彼女はふわりと笑った。
「こんな時間までごめんなさい。ぜひ、また……そうだ!」
そう言って、鞄から一冊の本を取り出す。
「これ、読んでみてほしいの。そして次に会う時に、感想を聞きたいの」
上品な表紙の、ハードカバーの本。『クロノス王国~ハンナの物語~』であった。
***
「あの子が書いたのかな、これ」
そう考えてみると、主人公ハンナは彼女によく似ているような気がした。ハンナ視点の物語だから、ハンナを褒めちぎるような描写があるわけではないけど、周りの人の心も洗われるような清らかさ、優しさ、慈愛に満ちた雰囲気は自然と伝わってくる。そんな物語であった。
……だからこそ、彼女の優しさにすら絆されることなく悪事を重ねていく、悪女マーガレットの凶悪さは際立っている。彼女はハンナと同級で、いかにも高慢な公爵令嬢である。
そしてハンナたちが通う孤島の学園にて恐ろしい事件が立て続けに起こる中、彼女は平然と言い放つ。
「わたくし、やっておりませんわ」
「平民のあなたに、わたくしの何がわかりますの」
繰り返し出てきたマーガレットの言葉を呟いてみると、なぜか妙にしっくりきた。健気にマーガレットのそんな嘘すら信じようとするハンナの言葉を拒絶する、その台詞。
処刑台に送られた彼女のために涙を流したのは、ハンナただ一人であったのに。
「うーん、でも、確かに……」
ペラペラと、ページをめくり返しながら、メグは考える。
……本当に、この物語に出てくる全ての恐ろしい出来事は、マーガレットの仕業なのだろうか。彼女は確かにプライドが高く、不遜で、選民意識も強い。典型的なお嬢様である。意地悪できついところもあり、誉められた性格とは言えないだろう。
だが起きる事件全てにおいて、確たる証拠と言うものは存在しないのだ。邪悪な魔女の仕業であることが示唆され、その周囲に明らかに怪しく彼女の影が見える。
ーーそして、マーガレットは死の瞬間まで、罪を決して認めなかった。
「……もし、これが冤罪だとしたら……なんて悲劇」
これはミステリ小説ではないのだから、そんなことがあるはずはない。そう思いつつもミステリ好きの血が騒ぐのか、ついつい彼女の冤罪の可能性を考えてしまう。
例えばこの、ハンナたちが学園へ向かう船の中での殺人事件。彼女は確かに怪しいし、彼女が持つとされる「魔女の力」とやらを使えば犯行は可能なのだろう。
……でも、本当にそうだろうか? こんなの、単純な密室トリックではないのか。
例えばこうすれば、この人にも犯行は可能で……、
「あ………あっ! ………っっ!!………………」
その時。熱くなるような激痛が、メグの左手を襲った。少し遅れて、心臓を直接つかまれたような感覚。冷や汗が全身から噴き出して、うめき声すら音にならない。
メグの抱えている奇病とは、これである。決まって左手から始まり、その後全身を鎖で締め上げられるような感覚。全身打たれるように激痛が走り、それから全身が焼けるように熱くなる……。
数時間、それが続いたのち、治まった頃にはしばらく動けなくなる。毎度、そのパターンであった。しかし、いくら検査をしても原因はわからない。ただ、それが夢ではないと示すように火傷の跡が残るのだ。決まって左手の甲に、最初はうっすらと、繰り返すたびにどんどん濃くなってきている。何かの紋章の形の様に…………。
(あ、これ、やば……)
声を出すことも、ナースコールを探すこともできず、メグはベッドで喘ぎ苦しむ。喉が焼かれたように、ヒューヒューと息が漏れ、呼吸ができない。
あぁ、まるでこれは……さっき読んだ悪女の末路。罪の刻印を刻まれ、縛られ、鞭で打たれ、火を放たれる。
その罰が、未だに終わっていないかのような。
***
この業火は、たとえ貴女の命尽きようと、永劫にわたり焼き続けるだろう。
地獄の果てだろうと、輪廻転生の先だろうと――。
「ハッ……!」
水の中から急に浮き上がったような感覚。思わず息を吸い込んだら、大層むせてしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「マーガレット様!」
朝の飲み物やら着替えやらを準備していたらしいメイド達が、血相変えて飛んでくる。水差しを持っていたメイドがカップに入れた水を差し出してくる。
「ええ、大丈夫……。少し、悪い夢を見ましたの」
起き上がり、顔は伏せたまま。水は要らないと手のひらを向ける。
メイドたちはさぞ、不思議な顔をしているであろう。あの我儘令嬢のマーガレット様が、こんなに大人しいなんて、と。
悪夢なんて見ようものならベッドメイクに手を抜いたからなどと言いがかりをつけ、解雇せんとばかりにメイドを罵倒する。マーガレット・ルークラフトはそんなお嬢様なのである。
しかし今は、思考の混乱によって余裕がない。マーガレットはメイドに向けていた自らの左手の甲に目を向けた。……白くて小さな手が、そこにはあった。
「お嬢様、なにか……」
「少し、黙っていてくださらない?」
おずおずと顔色を伺うように声をかけてくるメイドを冷たく遮り、マーガレットは目を閉じ、額に先程の左手を当てた。
わたくしはマーガレット・ルークラフト。このクロノス王国の栄誉ある公爵家に生まれ、王位継承権を持つ第一王子アレクサンダー・ブライトウェルと婚約をする予定である。
そして私は立花メグ。平和な国日本の、それなりにお金のある家に生まれたけれど病弱で、さっき病室のベッドの上で苦しんで――多分死んだ。
どういうわけか、このふたつが両立しているのが現在だ。
「……姿見を。………いえ、もう着替えるわ。準備してちょうだい」
そう告げて、鏡の前に座る。目の前に映る美少女は12歳のマーガレット。
青みがかった真っ直ぐな長い黒髪に、紫色の瞳、白い肌。
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妙に冷静なのは、立花メグとしての短い人生を経験しているからだ。ミステリのみならず、ありとあらゆる分野を読み漁ったし、漫画もゲームも嗜んだ。
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