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フォーブス家の事件

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「これはなんですの……」

「良くお似合いですよ、お嬢様」

 長い髪はおさげに結われ、幅の広い麦わら帽子、野暮ったい大きめの吊りズボンに、長靴といった、およそお嬢様らしからぬ姿と化したマーガレットを見て、ギルバートは片眉を上げて緩く笑った。彼も似たような格好に着替えている。

「泥濘なんかもありますし、お召し物が汚れたら大変ですから」

 にこり、とフォーブス夫人が笑う。夫妻もまた、同じような格好に着替えている。

「……まぁ、いいですわ。とにかく行きましょう」

 かくして、牛の引く農作業車へ乗せられて畑へと向かう御一行である。男爵、リチャード、ギルバート、それにマーガレットの護衛やらも連れているので、結構な大所帯だ。

「この匂いはなんですの?」

 農地に近づくにつれ、鼻をつく匂いにマーガレットはつい顔を顰め、ハンカチを鼻に当てる。

「この辺りは畜産もやってますから、フンの匂いが強いんですよ」

「こんなに広い範囲で匂いますのね……。一日中嗅いでいたら鼻がおかしくなりそうですわ」

 まだ目的地に着いてもいないうちから農家の苦労を身に染みるマーガレットである。

 やがて畑に着く頃には、匂いに加え畑道でがたがた揺れる農作業車にすっかり酔ってしまったのか、フラフラの状態であった。

「こちらの畑が主に野菜の品種改良をしているところです。特に苗不足を解消するための接ぎ木が行われていまして……」

「接ぎ木!」

 案内された畑にて、フラフラの体でぼんやりと話を聞いていたマーガレットであったが、そのワードにピン、と背筋を伸ばす。

「それですわ! 接木のナスを全部見せてくださいませ!」

 よほどナスがお好きなんですねと呑気に案内するフォーブス男爵。

「しかしまさか、接ぎ木なんて事をマーガレット様がご存知だとは。お見逸れいたしましたよ」

 接ぎ木とは、別の植物を土台にして同じ科の植物を繋ぎ合わせ栽培する手法。マーガレットはそのように認識している。メリットは増殖やらなんやらあるのだろうが、詳しくは知らない。そんなことはどうでもいいのだ。マーガレットが、いや立花メグが知っているのはただ、日本で起きた珍事件である。

 ダチュラ……別名チョウセンアサガオの苗を土台に接ぎ木して栽培したナスを食べたことによる食中毒事件。

「この台木は、どちらから手に入れたものですの?」

 マーガレットは生来の鋭い目を、男爵の傍らにいる農場主の方へ向けた。

「え……それは、身元の確かな商人でして」

 突然公爵令嬢に話しかけられた農場主は、あたふたしながら答える。

「詳しくお聞きしたいわね」

 ずい、と問い詰めに行くマーガレット。

「では、鑑定の方、よろしくお願いします」

 いつの間にか傍らにいたギルバートが、マーガレットの護衛のひとりに声をかける。フロイラー家お抱えの植物学者を紛れ込ませておいたのである。

「間違いないですね。これはダチュラです。接ぎ木なんかしたら、毒性のあるナスが出来上がるかも知れませんね。見た目は変わらないナスになりますから、かなり危険な行為です」

「え……それはちょっと、何を」

 学者の淡々とした語りに慌てる農場主を、本物の護衛に押さえつけさせ、マーガレットは立ち塞がる。

「お待ちなさい。あなたには聞きたいことがありますの。この世界でもこの植物の毒性は図鑑に載るほど知られておりますのよね。作物のプロであるあなたが、気づかないことは有り得て?」

「お、お嬢様?一体これは何の、」

「ご説明いたしますわ。この者を連行しなさい」

 ビシ、とマーガレットは農場主を指さす。

 名(迷?)探偵令嬢マーガレットと、助手のギルバート。記念すべき初の事件解決の時である。


***


「男爵を陥れようなんて、そんなこと決して考えたわけでは!」

 フォーブス邸にて。フォーブス一家とマーガレットの護衛たちに囲まれた農業主親子。汗をダラダラ流しながら、容疑を否定する。

「うむ、ジョンは昔から品質の良い作物を育ててくれて、私の最も信頼する農夫と言っても過言では無いのだよ。何かの間違いではないかな?」

 そう多くは無い髭を撫でつけながら、フォーブス男爵は困ったように言った。

「フォーブス様……!」

 ジョンと呼ばれた農夫は泣きながら縋るような、情けない目をして男爵を見やる。

「男爵、これは何かに間違いで済まされる問題ではなくってよ。だって、何かの間違いで外交の食事に毒が混ざるなんて事態、国と国であれば戦争が起こりますわよ」

「わ、私は決して、そのような大それたこと………!」

「後生です、許してくだされお嬢様………!」

「彼らもこう言っているのだ。ここは穏便に。幸い国ではなく田舎領地での不祥事ですし、それにまだ未遂………」

「お黙りなさい!!」

 有無を言わさぬ勢いのマーガレットに、農夫ばかりではなく宥めようと口を挟んだ男爵までがヒィ、と声を上げた。まったく、これでは自分一人がいじめっ子の悪者のような構図だとマーガレットは思う。しかしそれも慣れっこである。

「領地での問題だとしてもですわ。もしも、わたくし達が招かれた食事会でこんなものが混入していたら、被害に遭っていたのはこのわたくしですのよ? もしもわたくしがこんなものを食べさせられていたならば、打首でも進言しているところですわ!」

 まだ小娘とは言え魔女だ悪女だと周囲に恐れられ罵られたマーガレットの迫力は鬼気迫るものがある。

「わたくしですら存じ上げている知識ですのよ。栽培を生業とするものが知らなかったでは済まされませんの。ましてろくに味見もせずに大事な席にお出しする物として届けるなんて」

 起こった事件の結末を知っているからこそ、マーガレットは怒りが抑えられない。

「……とはいえ、あなた方になんの得があってこんなことをしでかしているのかは理解ができませんの」

 腕と足を組み、護衛を侍らせ高圧的な態度で座るマーガレット。農作業服を着たこの小娘に圧倒される他の人間は全て萎縮する中、ギルバートだけはちゃっかりマーガレット側にさりげなく立っている。

「徹底的に吐かせますわ。この植物の流通経路と、裏で糸を引く、誰かさんの正体を!」


***


 強気なマーガレットの尋問に、農夫はあっさりと降参して語りだした。

 それによると、このダチュラは異国の商人からかなり安く仕入れたらしい。

「長年の付き合いがある商会からの紹介でして。これを使えば強くて味のいい野菜がたくさん成るのだと、強く勧められました。もちろんこれは毒があると私も言いましたが、接木ならば毒性はなくなり、逆にそれが旨味になるのだと」

「どこの商会ですの、そのインチキ話を持ってきているのは」

「はぁ。レッドラップ商会です」

 ふむ、とマーガレットは唇に指を置いた。その商会の名前は聞いたことがある。かなり手広くやっていて、ドレスや宝石、装飾品の類など、マーガレットもお世話になっているものだ。確か、16歳になったら通うことになる学園にも、そこの商会の孫息子がいたはずだ。

「それで鵜呑みにして収穫物を確認もせずに出荷するのはおかしいのではなくて?」

「え………、いや、それはその」

「マーガレットお嬢様、それは流石にないのではないかな? まだ出荷前の野菜だよ。必ずこれから味などを確認するためにも食するはずさ。きっとそこで食い止められたに違いないよ」

 日和見お人好し男爵が口を挟む。だが農夫は目を白黒させてなぜそれを、と呟いた。

「収穫物は決して自分達で食べてはいけないと。商人の方がおっしゃりまして。収穫の時期になったら確認しにくるから、それを必ず守ってくれと………その」

 歯切れ悪く語り出す農夫。

「金でも包まれたわけですね、ジョンおじさん」

 軽蔑のような、憐れみのような目線を向けながら、珍しくギルバートが口を開いた。

「はい、その通りです坊ちゃん。私どもも生活に困っておりましたし、死ぬほどの毒が混ざるわけでもなし、と………。申し訳ございません………」

「ジョン………」

 肩を落とし泣き崩れる農夫に優しげに声をかける男爵。この後に及んでお人好しだと、マーガレットは呆れ返るばかりだ。

 ……しかし、「甘いですわよ」と、開きかけた口をギルバートが遮る。背後から両手で物理的に。

「むぐ、」

 何をしますの、と振り向くマーガレットに、少しばかり冷ややかな視線を向けるギルバート。

「その辺までにしときましょう」

「あなたまでそんな、」

「金に困ったことがないお嬢様には絶対にわかりません。これが、この国の一般的な平民なんです。ジョンおじさんが特別、金に卑しいだとか、そういうことではないんですよ」

「ギルバート様……」

「農場主っていうのは、そこで働くたくさんの人間に賃金を払わなければならないんです。そこで働く人間たちは、自分で食えるわけでもない食材を必死で育ててるんですよ。ジョンおじさんは、それでもなるべく高い賃金を出そうと身銭を切っているような人、らしいです。……ま、親父の受け売りですが」

「ギルバート様、ご立派になられて……」

 グス、と農夫たちが涙する。子爵夫妻もうんうんと、ハンカチを持って頷く。

(――急に、アウェーな空気になりましたわ)

 マーガレットは思わぬところからの反撃に固まってしまう。悪女慣れしていても、背後の味方からの思わぬ反撃には脆い。論点をずらされている気がしないでも無いが、思いっきり正論でぶん殴られたような感じもあって、手も足も出ない。

 そこで、今まで黙って成り行きを見ていたギルバートの長兄リチャードが口を開く。

「――とはいえ、明らかに怪しい話をクソ真面目に受け取って、味見もしないつもりのおじさんには問題があるし、品種改良の指示をしておいて任せっきりの父さんにだって責任はある。もちろん長男である僕にもだ」

 父親似の柔和な雰囲気の人である。丸く収まる落とし所を探していたのかもしれない。

「うむ、そうだな。責任はもちろん取るつもりだ。収穫物は余すことなくチェックをする体制を作り、確認に来るという商人の身柄も抑えよう。ひとつここは、それで収めてくれまいかな?」

 甘すぎるんじゃないかとか、本当にできるのかとか、またまだ言いたいことが沢山あるマーガレットだが、余計なことを言えばまたギルバートに止められる気がした。見えないけれどそんな圧を、背後から感じるのだ。

「……わかりましたわ。よろしくお願いいたします」

「では、お嬢様。是非うちでお食事を召し上がってくださいな。安全な野菜をジョンに用意していただきますから。ここのお野菜、とっても美味しいんですのよ」

 うふふ、と手を合わせて笑うフォーブス夫人。マーガレットはお言葉に甘えることにした。

 まだギルバートとも話すことがある。それに、服も着替えなくてはならない。

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