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船上の事件
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「お嬢様。俺はずっと、貴方だけを見てました」
いつも傍らに立っているギルバートが、ソファに座るマーガレットの隣に腰を落とした。
マーガレットはギルバートの顔を見ることが出来ず、前を見つめたまま自分のスカートを握る。すると、その手の上に、ギルバートが手を置いた。思わず手を引っ込めるマーガレットのその手首を、ギルバートは追いかけるようにつかむ。
そして、決してギルバートを見ようとしないマーガレットの顔を覗き込んだ。
「……逃げないでくださいよ」
距離が近い。いつになく真剣な眼差しを向けられて、心臓が高鳴る。据わり気味の瞼の奥の、ブルーグレーの瞳。
いつもは気の抜けたような顔ばかりしているくせに、ずるい。マーガレットは少し非難の目を向ける。
「怖いですか?」
その目線をどうとらえたのか、ギルバートは手首をつかんだ手とは逆の手で、マーガレットの頬を撫でる。案外大きいその手はあまり柔らかくない。指先が耳たぶに触れ、マーガレットは首をすくめた。
そして、ギルバートの顔が近付いて、マーガレットは思わず目を瞑りーー
「お嬢様? おーい、お嬢様ー!起きてくださいよ」
雑なノックの音と、いつもの調子で自分の名を呼ぶ声に、マーガレットは目を覚ました。
なんて夢を見てしまったんだ、とマーガレットは顔が真っ赤である。
「お嬢様? まだ寝てるんですか?」
「おっ、起きてますわ! すぐに支度をしますから、待っていて頂戴!」
慌てて返事をしたものの、うまく髪が整えられずにあたふたするマーガレットだった。
***
「もう、最悪ですわ……」
しばらくのち、マーガレットは泣きたくなった。髪を整えるのに大変苦労した末、どうにもならなくなってしまったのだ。
マーガレットの髪質はストレートではあるものの、1度癖がつくと頑固である。いつもはメイドが整えてくれていたのだ。そして、毎日見ていたのだからやり方くらいわかると、タカをくくっていた。
こんなに難しいと思わなかった。そもそもマーガレットはあまり器用な方では無い。
「お嬢様?」
あまりにも遅いせいか、ギルバートが怪訝な声色で再びノックする。
そうだ。ギルバートは結構手先が器用だったはず。兄弟男ばかりの育ちではあるが、マーガレットよりはマシかもしれない。そう思い、顔を上げると、鏡に映るのは試行錯誤しすぎてもはやボサボサ髪の自分の姿である。
(これを、ギルに見せますの……?)
昨日までならば、出来たかもしれない。しかし今日はかなり抵抗がある。それに、ギルバートに頼むということは髪を触らせるということ。
そんなこと、想像しただけで顔から火が出そうである。
「ギルバート様。マーガレット様、どうかされたんですか?」
ドアの向こうからハンナの声がする。朝食を共にする約束をしていたのだが、遅いので様子を見に来たのだろう。
「ハンナ……! 助けて下さらないかしら……」
情けない声でマーガレットが懇願する。
「はい。大丈夫ですよ。中に入れてください」
鍵を開けるとハンナは最小限だけドアを開けてするりと中に入ってきてくれた。そして、櫛と髪留めを持って半泣きのマーガレットを見るや、優しく微笑む。
「任せてください。得意なんです、私!」
頼もしくそう言って、優しくマーガレットの髪を梳かしてくれるハンナ。かなり慣れた手つきで癖のついた部分の髪を丁寧に編み込んでいく。
「上手なのね、ハンナ」
「ありがとうございます。修道院では年少の子達にいつもやってあげていましたから」
「それって素敵ですわね」
「はい。とても楽しいんです。マーガレット様のこともとびきり可愛くしましょうね。外でギルバート様が待っておられますし。どんな髪留めにしましょうか。それともリボンがいいかしら?」
楽しそうに笑いながら、ハンナが鏡の中のマーガレットを見る。
「別にギルは、関係なくってよ」
「あら? そうなんですか? てっきり2人は思い合っているとばかり」
「あれは……ノアさんを追い出すための冗談ですわ。きっと……」
また頬を染めながら言うマーガレット。
「マーガレット様はどうなのですか?」
「それは……わかりませんわ。恋など、したことが無いんですもの……多分」
マーガレットは年数こそ生きているものの、17から先の人生を知らない。 どちらも幸せな恋愛には無縁の人生であった。
……いや、1度だけ、恋に落ちたと言える経験はある。しかしだからと言って慣れているということはない。
「ふふ。とても可愛いですよ。マーガレット様」
そう言ってハンナは鏡の中のマーガレットを指し示す。編み込んだハーフアップを青いリボンでまとめ、整えられたスタイルが出来上がった。
「素敵ですわ。とても素敵ね、ハンナ」
「はい。マーガレット様の髪はお綺麗なので、私も楽しかったです」
「また是非、やってもらいたいですわ」
「私で良ければ、毎朝でも」
ニコニコと笑うハンナ。それを聞いて、マーガレットが閃く。お嬢様に社交辞令の概念は無い。
「わたくし、一人部屋予定でしたが……ハンナと同室にしていただけないかしら」
「えっ? それはとっても楽しそうですが、そんなことできるんですか?」
「ゴリ押しますわ。わたくし、我儘言うのは得意ですの」
パチリ、とウインクをする。
……そして、深く深呼吸をしてから、緊張しつつもドアを開けた。
「……待たせたわね、ギル」
「待ちました」
いつも通りの淡々とした口調で生意気な返事をするギルバートに、やや悔しさを覚える。可愛くしてもらった髪を褒めてくれたっていいんじゃないかと。
しかし考えてみればギルバートにそう言った言葉をかけられたことは今まで一度もないのだ。
(でも、うぅ……)
マーガレットはギルバートをじっ、と見上げる。
(意識して見ると、ギルって結構カッコイイかも……)
元から高めだった身長もぐんぐん伸びて、体つきもしっかりして、かなり男らしくなっている。
考えてみれば以前は12歳の時にいなくなってしまったから、こんなギルバートを見るのは初めてなのだ。
「早くしないと朝食、食べ損ねますよ」
「……そうね、行きましょう」
ギルバートは、待っててくれていた。これからもきっと待っていてくれるだろう。今はそれだけでいい気がした。
いつも傍らに立っているギルバートが、ソファに座るマーガレットの隣に腰を落とした。
マーガレットはギルバートの顔を見ることが出来ず、前を見つめたまま自分のスカートを握る。すると、その手の上に、ギルバートが手を置いた。思わず手を引っ込めるマーガレットのその手首を、ギルバートは追いかけるようにつかむ。
そして、決してギルバートを見ようとしないマーガレットの顔を覗き込んだ。
「……逃げないでくださいよ」
距離が近い。いつになく真剣な眼差しを向けられて、心臓が高鳴る。据わり気味の瞼の奥の、ブルーグレーの瞳。
いつもは気の抜けたような顔ばかりしているくせに、ずるい。マーガレットは少し非難の目を向ける。
「怖いですか?」
その目線をどうとらえたのか、ギルバートは手首をつかんだ手とは逆の手で、マーガレットの頬を撫でる。案外大きいその手はあまり柔らかくない。指先が耳たぶに触れ、マーガレットは首をすくめた。
そして、ギルバートの顔が近付いて、マーガレットは思わず目を瞑りーー
「お嬢様? おーい、お嬢様ー!起きてくださいよ」
雑なノックの音と、いつもの調子で自分の名を呼ぶ声に、マーガレットは目を覚ました。
なんて夢を見てしまったんだ、とマーガレットは顔が真っ赤である。
「お嬢様? まだ寝てるんですか?」
「おっ、起きてますわ! すぐに支度をしますから、待っていて頂戴!」
慌てて返事をしたものの、うまく髪が整えられずにあたふたするマーガレットだった。
***
「もう、最悪ですわ……」
しばらくのち、マーガレットは泣きたくなった。髪を整えるのに大変苦労した末、どうにもならなくなってしまったのだ。
マーガレットの髪質はストレートではあるものの、1度癖がつくと頑固である。いつもはメイドが整えてくれていたのだ。そして、毎日見ていたのだからやり方くらいわかると、タカをくくっていた。
こんなに難しいと思わなかった。そもそもマーガレットはあまり器用な方では無い。
「お嬢様?」
あまりにも遅いせいか、ギルバートが怪訝な声色で再びノックする。
そうだ。ギルバートは結構手先が器用だったはず。兄弟男ばかりの育ちではあるが、マーガレットよりはマシかもしれない。そう思い、顔を上げると、鏡に映るのは試行錯誤しすぎてもはやボサボサ髪の自分の姿である。
(これを、ギルに見せますの……?)
昨日までならば、出来たかもしれない。しかし今日はかなり抵抗がある。それに、ギルバートに頼むということは髪を触らせるということ。
そんなこと、想像しただけで顔から火が出そうである。
「ギルバート様。マーガレット様、どうかされたんですか?」
ドアの向こうからハンナの声がする。朝食を共にする約束をしていたのだが、遅いので様子を見に来たのだろう。
「ハンナ……! 助けて下さらないかしら……」
情けない声でマーガレットが懇願する。
「はい。大丈夫ですよ。中に入れてください」
鍵を開けるとハンナは最小限だけドアを開けてするりと中に入ってきてくれた。そして、櫛と髪留めを持って半泣きのマーガレットを見るや、優しく微笑む。
「任せてください。得意なんです、私!」
頼もしくそう言って、優しくマーガレットの髪を梳かしてくれるハンナ。かなり慣れた手つきで癖のついた部分の髪を丁寧に編み込んでいく。
「上手なのね、ハンナ」
「ありがとうございます。修道院では年少の子達にいつもやってあげていましたから」
「それって素敵ですわね」
「はい。とても楽しいんです。マーガレット様のこともとびきり可愛くしましょうね。外でギルバート様が待っておられますし。どんな髪留めにしましょうか。それともリボンがいいかしら?」
楽しそうに笑いながら、ハンナが鏡の中のマーガレットを見る。
「別にギルは、関係なくってよ」
「あら? そうなんですか? てっきり2人は思い合っているとばかり」
「あれは……ノアさんを追い出すための冗談ですわ。きっと……」
また頬を染めながら言うマーガレット。
「マーガレット様はどうなのですか?」
「それは……わかりませんわ。恋など、したことが無いんですもの……多分」
マーガレットは年数こそ生きているものの、17から先の人生を知らない。 どちらも幸せな恋愛には無縁の人生であった。
……いや、1度だけ、恋に落ちたと言える経験はある。しかしだからと言って慣れているということはない。
「ふふ。とても可愛いですよ。マーガレット様」
そう言ってハンナは鏡の中のマーガレットを指し示す。編み込んだハーフアップを青いリボンでまとめ、整えられたスタイルが出来上がった。
「素敵ですわ。とても素敵ね、ハンナ」
「はい。マーガレット様の髪はお綺麗なので、私も楽しかったです」
「また是非、やってもらいたいですわ」
「私で良ければ、毎朝でも」
ニコニコと笑うハンナ。それを聞いて、マーガレットが閃く。お嬢様に社交辞令の概念は無い。
「わたくし、一人部屋予定でしたが……ハンナと同室にしていただけないかしら」
「えっ? それはとっても楽しそうですが、そんなことできるんですか?」
「ゴリ押しますわ。わたくし、我儘言うのは得意ですの」
パチリ、とウインクをする。
……そして、深く深呼吸をしてから、緊張しつつもドアを開けた。
「……待たせたわね、ギル」
「待ちました」
いつも通りの淡々とした口調で生意気な返事をするギルバートに、やや悔しさを覚える。可愛くしてもらった髪を褒めてくれたっていいんじゃないかと。
しかし考えてみればギルバートにそう言った言葉をかけられたことは今まで一度もないのだ。
(でも、うぅ……)
マーガレットはギルバートをじっ、と見上げる。
(意識して見ると、ギルって結構カッコイイかも……)
元から高めだった身長もぐんぐん伸びて、体つきもしっかりして、かなり男らしくなっている。
考えてみれば以前は12歳の時にいなくなってしまったから、こんなギルバートを見るのは初めてなのだ。
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