長風歌

桂葉

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九章

 あの後、景舜は返す言葉を失った。そのことが幾許かでも蘇汎を失望させたのではないかという懸念が、三日たった今も暗く胸に沈殿している。
「この点において君が私次第だと言うなら、覚悟を決めよう。どうだ。これ以外にまだ吹っ切れぬものがあるのなら、そこからは君次第だ」
 蘇汎はそう言って、その場を収めた。託された彼の心の重さを改めて感じ、今に至る。
 その気になってくれないことに甘んじていたのかもしれない。
 自分さえ蘇汎を想っていればそれでいいと、どこかで逃げていたのかもしれない。
 徐孫苑に言った自分の言葉は紛れもない本心だったが、そのくせ蘇李秀という男を相手と定める重さに、この期に及んでまだ及び腰だったということなのだろうか。
 いや、正直、信じられなかったというのが正しい。そこまでして蘇汎が自分を求めてくるということをだ。折り合わないのならば、いっそ程々の関係でいるのがいいのではないかと思っていたところがある。その方が彼のためだと。一線を越えないままに、いつでもそれぞれの道を選べる関係であった方が、いいのかもしれないと。
 けれども、蘇李秀は自分の立場を犠牲にしてでも徐孫苑の手から逃げた男だ。逆もまた、覚悟を持ってなそうとするということだ。
 俺のために、俺を得るために、あいつは。
 本人がいつか言っていたとおり、かなり不器用な人間だ。生真面目というか、まっすぐ過ぎるというか。肩書と容貌に似合わないそういうところに、ぐっとくる。笑ってしまうほどに、愛しい。
 ならば、こちらも応えねば男が廃るというものだろう。あのまま勢いで行った方がよかったのかもしれないが、そうできなかったのは自分の弱さだと認め、改めて彼の手を取りに行こうと決意を固めた。
 休憩時間、景舜はいつもなら五経の注釈書を前にうなっているところだが、今日は詰め所を出て、役所へと向かった。そこで有伊に取り次いでもらい、蘇汎の行動を知る。今夜訪れることを告げると意味深な笑みを食らったが、頓着しないことにした。
「どうしたよ、何かあった?」
 見回りの相方である貞が、景舜が戻るのを待っていたらしく、詰め所に戻るとちょうど刀を佩いた姿で声をかけてきた。このところ、当番に組まれる相手が違っていたため、こうして顔を合わせるのも少し久しぶりのことになる。
「すまん。大した用じゃない」
「ふうん」
 ふだん、ぎりぎりになっても遅れることのない景舜をよく知る貞は、相応しい理由があったことを疑うのだろう。そういう目を向けられた。
「なんだよ。別になんでもねえって」
 さすがに、これこれこういうことになっているなどと自分から話すことではないので胡麻化したが、貞の方は当然引き下がるわけがない。
「いや、最近どうなのかなって。国試受けるって言い出したのには驚いたけどさ」
「まあ、いろいろだよ。……その関係っちゃそうなんだけど」
それも、そう。しかし、目前に迫る案件と言えば、蘇汎自身のことだ。彼の覚悟に応えるとか言えばもっともらしいが、何をするかと言えば、彼を手に入れるその手筈を整えていたというわけである。
「お前、楽しそうだな」
「え?」
 貞が、そのどこか浮ついた心を見破ったように言った。
「なんつーの、お前ってそういう奴だったんだね」
「……意味わかんねえけど」
「いいよ。俺は見守るって決めたしね。でもお前が都行っても追っかけられねえなって思うと寂しい」
「……」
 細かいことはともかく、つまるところそういうわけだろうと、貞は言った。
 蘇李秀という相手を見つけ、沿う生き方を決めたから、今景舜は生き生きして見えるのだろうと。そして、それはこれから貞の辿る道とは違っていく。その寂しさもあると。
 これまで、二人はこの県府で同じように仕事をし、同じような毎日を過ごし、それに飽きる気持ちさえ分かち合っていくのだと、暗黙に誓ってきたようなものだった。行く先を違えていく相方を見守る貞の心を、察することのできぬ景舜でもなかった。
「そんな顔すんな。男の友情は固い。俺もこっちである程度頑張ってみるし、都にも遊びに行くから」
「貞……。ありがと」
「だからよ、こっちにいるうちは、隠し事は無しだぞ。いいな?」
「なに疑ってんだよ。ちゃんとしたらちゃんと言う」
「なんかあんの?」
「あるかも、しれない」
 そう、それが今夜。
 嬉しがるつもりはないが、もしも蘇汎と心を重ね契りを交わすことができたならば、折を見て、貞にも心配するなくらいは伝えておくべきかもしれないと思った。


     ●


 『夜が更けたら他の官吏は余程でなければ官舎に帰る。残るのは県令と自分だけだ。執務室を訪ねるのはその時間がいい』
 短い伝達で、有伊はそう教えてくれた。立場上、有伊と業務時間内に接触するのにさえ二人ほどの取次が必要になる景舜にとって、そういった情報はかなり重要だ。
 定時に仕事を終えられるどころか、公私の区別さえ危うくなる県令、その行動は読みにくい。彼の身辺をうろつくと目立つうえ、無暗に長官舎を訪ねても、空振りに終わるだけだ。
 景舜にも夜番があるため、私的に蘇汎と逢うにはその機会を作るのが一番苦労である。しかし今日はちょうどうまく都合は合うようだ。夜なら妙な邪魔も入らないと思われるし、用件が用件だけに、昼間でないほうが望ましい。……そういうことだ。
 確かに、夜になれば役所内は人がほとんどいない。各所の扉は固く閉ざされ、機密が守られる。それでも宿直と警備はいて、それらの目に留まらぬように気を付けながら、そっと景舜は長官の執務室を訪ねた。
 夜間だがあまり目立たぬようにか、明かりは抑えられていた。長官の座る机の周囲も今日は暗い。代わりに、その奥の長官室からはしっかりと光が漏れていた。
「どうぞ、こちらへ」
 有伊が出迎えて、中に通された。生ぬるく見守られてしまうのにもそろそろ慣れてくる頃だ。ここで照れてはみっともないので、苦笑も見せず、景舜は目礼で有伊に返した。
 ここに入るのも、何度目かになる。しかし自分から出向いてきたのは、今が初めてではなかっただろうか。それを思うだけでも、少しは緊張が高まる。
 有伊がそっと席を外し、扉を閉めて行った。背に受けたパタンという音が、今日はどこか大きく耳に響いた。
「どうした? 前に詩経の何かを解説してほしいと言っていたが、それかな。勉強は進んでいる?」
 二人きりになってすぐは、蘇汎もこんな調子だ。たちまち特別な雰囲気になるわけではない。いや、今は景舜の出方を見るために、わざと話を遠いところに持って行っている可能性もある。
「まあね。必死こいて勉強してるけど、解説を乞いに来たんじゃない」
 前置きは面倒で、景舜はあっさりと蘇汎の気遣いらしきものを横に置いた。
「では、逢引き?」
 意を汲んでか冗談のつもりか、蘇汎はそんなことを言った。机で何か書き物をしていたようだが、筆を筆掛けに釣るし、そっと書きかけの紙を文箱にしまう。
「まあ、そんなとこ」
「おや。嬉しいことだね」
「だけどその前に、ちょっと話をしなきゃいけないと思ってる。いい?」
 景舜にしては回りくどいと思ったのだろう、意外そうに二度ほど瞬きをした後で、蘇汎は美しい笑みを見せた。
「どこで聞こうか。お茶でも入れる? それとも寝台で聞く話だろうか」
「後者だな」
「!」
 驚いたように立ち上がった蘇汎に、景舜は彼を捕まえるべく近づいた。誘うような問いかけに、疼くものがそうさせた。冗談半分だったのだろうが、そのつもりで来た景舜にとっては好都合だ。甘い言葉で口説くような芸当は持ち合わせていない。
 二人を隔てていた机の向こう側にまわり、彼の手を取ろうとした。しかしその時に、景舜の袖が文箱にひっかかり、それは傾いて落下、中の紙もまたひらりと翻って床に舞い降りた。
「わり。慌て過ぎだな」
 気が急いた自分を恥じ、景舜は文と文箱を拾うべく身を屈めて手を伸ばす。
「あ……」



 蘇汎が少し険しい声を上げたが、景舜は構わずその文を拾い上げた。墨が濃く、ずいぶんと大きな字が書かれていることが不思議でつい目に留まった一通の文。
「景舜それは……」
 引き留めるような蘇汎の声は耳に入らなかった。読むつもりなどなかったが、『お父様へ』そう書かれているのは、紙の裏側からも読み取れた。たちまちそこから目が離せなくなる。
「子供の字……?」
 しかも、父親に宛てられた手紙がなぜここにあるのか。広げて読むほど礼節を欠いてはいないが、既にそれだけで、一つの仮説が景舜の脳裏に浮かんだ。
 浮かんだ仮説は、およそ荒唐無稽と笑えるものではなく、妙に説得力があるような気さえした。
「これ、あんた宛て……?」
 仮説の真偽を明かすための問は、それだけだった。一瞬祈るような呼吸をしたその後に、
「ああ。そうだ」
 重く、蘇汎が答えた。これは、冗談でも何でもないと直感が察する。心がカッと火傷を負った。
「あんた! 子供がいるんじゃないか! 既婚者なんて聞いてない!」
 つい粗ぶった声に、蘇汎は過ぎるほどに冷静だった。
「……言って、いなかったからな」
「ひでえ男だな。嫁がいるくせに年下の男にまで手を出すとか」
「家庭とは別の話だ、というわけにもいかないのだろうな」
「……」
 妙に落ち着いた蘇汎の態度が、癇に障る。なんでだ。どういうことだと、否定してほしい心が駄々をこねて暴れ出す。
 しかし、蘇汎の見せる表情に、すぐに頭が冷やされた。なによりもそれが、事実であることを突き付けてきたからだ。
 一度大きく息を吸い、吐き出した。それを、蘇汎の瞳が静かに見守っている。
「私を、許せないか?」
 ここですぐに謝られていたのならば気が済んだかといえば、余計に逆上していたかもしれなかった。しかしそうはならず、蘇汎があまりにも静かであることに、こちらも状況を飲み込むという余裕が生まれた。
 考えてみれば確かに、この身分この顔この歳で結婚してないのは不自然だ。だがそれは周りの男どもがやかましくて叶わないのかくらいに、景舜は勝手に思い込んでいた。
 字を書くくらいの年齢の子。四つ五つくらいだろうか。そんなのが蘇汎にいただなんて。これまで少しも疑ったことがなかった。そんなそぶりも……見せなかったか?
 そういえば、前に町に出た時の土産という買い物。これはもしや、姉ではなく実際は嫁へのものだったのだろうか。後から付け加えていた手巾はまさに子のためではなかったか。ではなぜ隠していた? 当時はまだ二人は想いを寄せ合う仲ではなかったはずだ。あの時点で事実を伝えてくれていたならば、今のこの状況さえもなかった……おそらく。
「くそっ」
 隠したいならせめて、景舜が来る時くらいこんなもの、しまっておいてほしかった。そう口惜しく思いながら、文を拾った箱の中に収める。
「まあ、怒るな。説明させてくれ」
「勝手にしろよ」
「不誠実だったことは認めるし、謝る」
 変わらず冷静に過ぎる蘇汎が憎たらしかった。一体どういうつもりだったのだ。この事件がなければ自分は蘇汎をこの手に抱いていたはずだ。そうなる前でよかったと、そういうことなのか。
「確かに私は既婚者だ。二十一で妻を持ったが、子を授かってすぐに死別しているよ」
「え……」
 死別。ひどく平坦な声で説明された事の重さに、ぎくりとした。足元に落としていた視線を上げて蘇汎に合わせると、彼はゆっくりとひとつ頷いた。
「こちらに赴任したから、子は姉と乳母に預けている。その手紙の主は、五つになる娘だ」
「……」
 急に、蘇汎の夫としての父親としての姿が、想像された。それに違和感がないことにもまた驚いた。
 そして、その妻との別れを嘆く姿も。
 この身分なら想い合っての結婚ではなかったかもしれない。それでも、蘇汎は妻を慈しんでいたに違いない。こうして手紙をやり取りするくらいに、娘のことも愛しているに違いない。
 なら、なぜ。なぜ景舜に惚れたなどと、言うんだ。その気にさせて、抱かれようなどと、どうして。
 確かに、二人の関係に色恋を持ち込んだのは景舜の方だ。しかし、あの時点で蘇汎がきっぱりと拒むことはできたはずだ。それこそ、本当のことを言うにも適切な機会だったはずではないか。知ってなお引き下がれない自分であるつもりはないのに。
「どうした?」
「なんだよそれ」
「やはり、いけないか?」
「なにがだよ」
「私に妻子がいること、かな。話さなかったことかな」
「どっちもだバーカ」
 蘇汎は確かに馬鹿だ。しかし、景舜にも言えることかもしれない。
 それならば仕方ないなと、蘇汎をまだ許しきれないのだから。……言い出せないほど、蘇汎もまた悩んだのだろう。景舜に向ける特別な想いがそうさせたのだろうとわかるから、ここで蘇汎を許してしまうことがたちまちの別れとなってしまう、それを受け入れられないままの自分も、馬鹿なのだと思う。
 唇を嚙んでうつむく景舜に、蘇汎は一度大きく呼吸を聞かせてから、言った。
「失った妻のことは夫として愛していたよ。だが、人は一度しか恋をしてはならないのか?」
「恋……?」
 なぜかこの場に馴染まないような気がした言葉に、景舜は立ち止まる。
「そうだろう? 私たちのは恋だろう。しかし、君はこれまで一度も誰かに恋をしなかったか? 誰も抱かなかったか?」
「……」
 見れば、蘇汎は白い眉間を苦し気に寄せ、訴えるように更なる言葉を継いだ。
「もちろん、今も私の妻が生きていれば、話は違った。けれど私は妻を失って五年経ち、君に出会った。喪も明けて何にも憚らぬ心で君に惹かれた。君は、どうだ」
「……ずるい言い方すんじゃねえよ」
「私を好いてくれているのではないのか? やはり子持ちではだめか? 君には面倒を掛けることはないと誓う。それでも?」
「好いてるよ。だから腹が立つんだ」
「確かに、隠していたことは謝る。しかし、言えなかった。君が欲しくて、言い出すきっかけを見つけられなかった。だが、これだけだ。他には何もやましいところはない。君が好きなんだ。だが君がこんな私でもいいと言ってくれないならば、叶えることはできない。私では重たすぎるか? 抱えすぎているか? それごと押し付けようなんて無理な話なのか」
 いつも、唐突に少し強引に、望みをぶつけてくる蘇汎だ。これまでは、ちょっとした甘えを孕んだ我儘と言えばそうだった。しかし、今は違う。「仕方ないな」といって景舜がすぐに頷くとは思っていない。
 たぶん、必死。これを機に二人の築いてきた関係そのものが壊れてしまうことを覚悟したうえで、自分を投げ出してきているのがわかる。
「蘇汎……」
「なあ。前にも言ったが、私のものになってくれないか。こんな私だけど」
「……」
「抱かれてもいい。君と交わりたい。どうだろう、飲んでくれないか? 君が欲しい」
 ここで、もらってくれと言わないのがとても蘇汎らしいと思った。
「変な奴だよな、あんた」
「そうかな」
「いろいろ変だよ。大層な肩書と経歴で、奥さんとの別れは気の毒だけど娘までいて、すぐに再婚すりゃいいのにこんな……片田舎で俺みたいなつまんねえ男に惚れちゃって。もっと器用に生きればいいのに、抱かれようとさえすんのな」
「いけないか」
「どうかと思うよ? でも、可愛い」
 手を伸ばし、腕を引いて蘇汎を胸に抱きしめた。勢いあまって体勢を崩した蘇汎を、両手でガシリと受け止めた。
「可愛いとは失礼な」
「抱かれてくれんの? ほんとにそこまでしていいの?」
「要らなくなったか?」
「ほしいさ。でも、ずっと言わないつもりだったわけ?」
「……今日、言わねばならないと思っていた。これは本当だ。深い仲になる前に、言うつもりだった。私から言い出させないでこんな形になって、すまない」
「抱かれてから言おうとしてたんじゃないんだ?」
「そこまで不誠実ではない。しかし、ここまで言えなくて、申し訳なかった」
「まあ、もうちょい早くてもよかったとは思うよ。でもそれは、早く手を離せたからってことじゃなくて、こんなに長く抱えてなくてよかったのにって話」
「……」
「いつ知ってもたぶん驚いたけど、あんたがいいなら、それでいいんだよ、こういうのはさ。この先一生生きていくには寂しいって思うなら、次を求めてもいいと思うよ、俺は。若いんだし」
 あまりうまい言葉で伝えられたとは思えなかった。けれども、蘇汎なら自分の心を、たぶんちゃんと汲み取って、受け取ってくれるだろうと思った。
 スンと、胸元で鼻をすする音がした。
「少し待て」
 少しだけ滲む声で蘇汎は言うと、一度景舜から離れて戸を開ける。部屋からは出ないまま、戸口で有伊を呼んだ。
「しばしここを開けるな。いいか。……先に休んでいい」
「承知しました」
 そんな声が聞こえる。必要な配慮ではあるが、それが何のためかというところに思い至って、妙に鼓動が速くなった。戸に背を向け景舜の前に立った蘇汎の目に、本気が宿っていた。涙が濡らした後に、熱が生まれた。
「君も私を欲しいと言ってくれるのだな?」
「そうだよ。ずっと堪えてたからね」
「なら、今すぐ持っていけ」
 蘇汎は景舜を強く見つめ、その白い指で髻をほどき、髪をおろした。漆黒の絹がはらはらと揺らいでなびき、背を覆う。息を飲む、色気だ。
「話は、それからだ」
 衝動が一気に駆け抜け、欲が脳を占領した。触れたい、抱きしめたい、交わりたいと全身が蘇汎を求める。これほどに情熱が湧き上がるのは初めてだった。想い、想われた相手。それと今情を交わすのだと思うだけではちきれんばかりの熱が景舜を突き動かす。話は後で? 上等である。
 激しい口づけを交わした。互いの体に手を伸ばすのと唇を合わすのが同時だった。
抱きながら体をきつく撫でる。服の上から体の線を探るように、手を這い回す。互いの体が吐息が熱い。
 寝台にもつれるように倒れ込んだが、互いの体を抱く手はゆるまない。奪い合うように交わす口づけは、確かに雄同士の欲を孕むものだった。
「ほんとに、いいのか?」
「いいから……っ。早く、してくれ。でないと……」
「なに?」
「君を抱きたくなる」
 体を押し付け合って触れた情熱は蘇汎も同じようで。ぐいと擦られて景舜も引き返せないところまで熟れていることを自覚した。
「やっぱ無理してんじゃないか?」
「四の五の言うな。する気がないのか? 気が変わるぞ」
「ああ、はいはい」
 これから抱かれる男の台詞ではない。しかし、それだけ求められていることはわかって、彼の思いではない方向で交わることへの少しの遠慮はあった。
 ならばせめて、蘇汎もまた心地よき交わりになるように。頬を赤く染めて雄の欲に抵抗せんとする蘇汎が、景舜を受け入れやすいように抱こうと思った。
 服の帯を解き、襟をはだけさせた。袴の紐を解くまでもなく立ち上がったものに、布の上から触れた。
「ん……」
 蘇汎の唇が甘い呻きを上げ、それはびくりと跳ねるように硬さを増した。すかさず撫で上げる。
「ああっ!」
 袴の中にとどめておくのがかわいそうな状態にまでなった。だから脱がせた。二枚の袴を一気に抜いて床に放り投げた。初めて見る蘇汎のそれはたちまち限界まで充実し、先から白い雫を溢れさせはじめている。欲望の証を間近に見つめ、ゾクゾクと背が痺れた。
「ああ、いいな、なんか嬉しい。俺でこんななってんだろ? はちきれそうだ」
 ここまでなっては急に強い刺激はよくないかと思い、景舜はやわりと手を添えるところから愛撫を始めた。蘇汎が敏感に吐息を跳ねさせる。
「たまんねえ。どんな感じが好き? 教えて? 自分でどんなふうにしてる?」
 そこを愛でながら耳元で囁く。髪に鼻を埋める。滲んだ微かな汗の匂いさえ甘美だった。
「もうっ! 適当でいい。もたないんだ。はやく!」
 息せき切って先を求める、余裕をなくした蘇汎の表情がそそる。閨でももっと年嵩らしくこちらを導くような抱かれ方をするものだと思っていたが、嬉しい方向に景舜の予想は外れたようだ。
「わかった。三回はいけそうな元気だもんなあ」
 腸から湧きたつような情欲が込み上げた。蘇汎の上衣も肌着も肩からおろし、自分もまた諸肌脱ぎになると、改めて素肌で抱き合う。滑らかな手触りに、更なる興奮に火が付いた。
「思いっきり気持ちよくしてやる」
 蘇汎の下肢に顔を寄せ、その屹立に唇を寄せた。したたるものを舌ですくい、なめとるように撫でていく。亀頭を咥えると、蘇汎は泣き声のようなものを上げた。そのまま舌で、そこを刺激する。竿を手でこすりあげながら、先を揉むように唇で吸い上げると、蘇汎は体をしならせて一気に精を果てた。
「よくできました」
「早すぎて呆れたろう。ふつうはこうじゃないんだが」
「いや、すごい御馳走」
 達するときの蘇汎の美しさ艶めかしさは絶品だった。凹凸の少ない男の体はそれだけに、本人の持つ色香をこれでもかと引き立てる。白く引き締まった裸体が歓喜に跳ねて乱れ、同じ男である景舜の劣情をきつく攻め上げてくる。こちらも左程長くは堪えられそうにない。
 一度の開放では満足のいかなかった体は、一度弛緩してもまだなお刺激を求めているようだった。どこもかしこも弄り散らかしてもっと喘がせたいと本気の欲情が暴れ始める。これでもかと煽られる。
 一度蘇汎に視線を合わせ、荒くなる息を整えてから景舜は問うた。
「なあ、一応聞きたい。男と経験、あるの?」
 乱れて頬を覆った髪をけだるげにかき上げ、蘇汎は答える。
「どうだと思う?」
「あのなあ。……ないわけないかなって、思うけど。やっぱあんた、綺麗すぎる」
「ふふ。そうか?」
「そういう顔とか」
「してみれば、いい。そうすればわかるさ」
「言ったな! 後悔すんなよ」
 今蘇汎が放った精を指に絡めとり、後ろにも塗り付けた。更に絡めて、入り口に滑り込ませる。
「んっ!」
 指先をもぐらせただけで、すぐに引き締まった。それを解すべく強めに内側を擽ると、蘇汎は激しくもだえてみせた。
「硬いな。とても俺の一物なんて入らんだろ、これ。ほんとにしたことあんの?」
「いいから、……」
「やっぱあんた、まっさらなんじゃないのか? 駄目だろ、無理したら」
「……」
 蘇汎が、ぷいっと拗ねたように横を向いた。どうも、図星であるようだ。
「信じらんね。なんで……」
 一度指を抜いて向き合うと、蘇汎の憮然とした顔があった。まるで叱られた子供のようだ。
「君のものになりたかった。悪いか」
 そこを譲ってでも誘い込んで契ろうとしたということか。そこまでの想いで。
「わかった。あんたの気持ちは嬉しい。だったらさ、今日はここまでにしよう? な?」
「だが、せっかくこうして……」
「もう胸いっぱいだよ。そこまであんたが想ってくれんなら、なおさらちゃんと大事に抱きたいよ。無理するんじゃなくてさ、一緒に気持ちよくなるようにしようや。な?」
 腕を伸ばし、頭から包むように抱きしめる。燃えるように熱い肌と、心が重なり合う。
 男には抱かれないと言ってのけていた、あの言葉も真実だった。それでも幾度かくらいはあったのではないかと思っていた自分を、景舜は恥じた。いつも、いつでも蘇汎は景舜に偽ることがない。妻子のことも、最後にはちゃんと伝えてくれた。そんな真心に、自分はどれだけ返せるだろう。
 誠実に、大事に。そんな言葉だけではとても足りない。言葉で表せない分は、それはもう一生をかけて伝えていくしかないのだろう。
「あんたの初めてなんだったら、俺……、あんたにも悦んでほしい」
「そうか」
「だから今日のところは……これで」
 景舜は片方の手で蘇汎の手を捉え、自身に触れさせた。熱い塊に指先が絡まる。蘇汎もまた、景舜のものを慈しむように撫でた。
「あんたの手で、して? やらしいあんた見てもうとっくに限界突破」
「なら、互いに」
「それでいい。いっぱいしてやるよ。手がいい? もう一回口がいい?」
「君がしてくれたことを、返そう。されっぱなしは性に合わん」
「やらしい奴だな」
「なんとでも」
「褒めてんだよ。やっぱ男だなって」
「仕方なかろう。男だ」
「はは。いいね、そういう勝気なの。でも、次のために、後ろはたんと慣らしておこうな? 目標は指二本」
「……。……了解した」
 正直なところ、まだ男を受け入れることに自信のなさそうな反応だ。それさえも愛しくて、やはりここはじっくりとその気にさせてやらねばと思う。
 互いに触れながら、景舜は少し体をずらし、蘇汎の白い胸に吸い付く。
「これは、好き?」
「……。どうだろうか」
 舌で先を少し激しめに擦り、吸い上げてみると、甘い声が出た。
「いい調子。でもこれは俺にはやらなくていいぜ」
「残念だ」
 蘇汎が小さく笑ったのが分かった。そのまま擽るように胸の蕾に触れながら、喘ぐ蘇汎の声に応えるように手を激しく動かし、また自分も刺激されながら、今度は二人で精を放つ。
「ありがとな、蘇汎」
 ふせた目が小さく震えたのを見た。その上に、優しく口づけを落とした。


     ●


 ひとしきり触れ合ったあと、息を整えたのはもうずいぶんと夜の更けた時間だった。
 月も上りきったのか、窓からはその姿は見えずに、光だけが空の紫紺を照らしている。時折風が庭の笹を撫でて奏でる音に耳を傾けていると、時が流れる感覚も忘れてしまいそうだ。
「なあ」
 体のけだるさを嚙みしめながら、うとうとと微睡んでいる蘇汎を見ていたのだが、彼がふと瞼を開いたので景舜は話しかけてみた。
 蘇汎は眠たそうな目で景舜を見、「ん?」と小さく言った。景舜が深く胸に抱く体勢なので、ずいぶんと見上げられてしまう。
「会わせろよ、あんたの娘に」
 蘇汎は驚いたように目を見開いた。それも、嬉しそうにというよりは、今の景舜の言葉を疑うように。
「なんでそんな顔すんだよ?」
「怒っていたじゃないか。てっきり愛想を尽かされたと」
「なんでだよ。愛想尽かしてたらこんなコトにはならねえって。言い出せなかったんだよな?、俺に振られんの怖かったんだろ?」
 告げられなかった理由を既に聞いていながらも、敢えて自分の言葉で言い換えてやると、至極単純にまとまった。それを、蘇汎は苦笑で認める。
「はは。そのとおりだ」
 苦笑はほっとしたように解けた。ずっと黙っていたことを、蘇汎が気に病まないはずがない。こうあるべきには厳しく忠実であらんとする蘇汎が、それでも躊躇われたほどに、景舜との縁が断たれることを恐れた。彼の心を思えば、事実を知って少なからず衝撃を受けてしまった自分の度量の狭さもまた悔いられる。
「結果論でしかないんだけどな。隠さなくてよかったんだぞ。子持ちだからって、嫌われると思った? 気持ちはわかる。そんくらい俺に惚れてんだもんな?」
「揶揄うな。わりと大きな問題だ」
「大丈夫。そりゃわかってるつもり。でも例えば俺が女でさ、俺もあんたの子を産む可能性がある場合は、前の女との子って複雑だけど、俺にゃ産めないしあんたにも無理なんだから、むしろ前の嫁さんに感謝だな。あんたに子ども残してくれたんだから。後添が男ってのはあの世でびっくりしてるだろうがな」
 ははっと、景舜は軽く笑ってやった。
 どんなふうに納得し、どんな言葉でそれを伝えてやれるかを、眠る蘇汎を見ながら考えていて、得た一つの結論だ。蘇汎も言ったように、彼の妻との生活は確かに彼にとって大事な経験であり思い出であった。しかしそれが失われてしまっては、代わる安らぎや守りたいものを求めるのは人として至極当然のことだ。むしろ景舜が相手であることで、彼がこれからも一生大事に抱えていたいものを否定しないでやれるのではないかと思った。
 景舜が唯一どうしても与えてやれないものを、彼は既に持ち合わせていた。ならば景舜もそれを同じように慈しみ守っていけばいいと、それごと蘇汎を愛することを幸いとしてもいいだろうと。
「そんなふうに思ってくれるのか」
 細く問うてきた言葉に、返す景舜に躊躇いはない。
「あんたがこの先浮気しなけりゃそうなるだろ」
「しかし私は……」
 せっかく不安を一蹴すべく苦手な言葉を尽くしたのに、蘇汎はまた別の気鬱を思ったようだ。少し面倒になって、景舜は蘇汎の鼻を軽くつまみ、その先に用意されていたであろう湿っぽい言葉を強引に奪った。
「絶対国試合格して、あんたと都へ行く。大出世はできねえけど、そこそこ上狙ってやる。約束だ。あんたを一人にゃしねえ」
「……」
「だから、娘にも紹介してくれよ?」
 良き返事を求めて、蘇汎の鼻の手を離す。
「わかった。中秋節にはこちらに呼ぶつもりだ。新しい母上だと紹介しよう」
「おい!」
「はは。冗談だ。私の大事な人だと胸を張って言おう。君も、もしよかったら可愛がってやってくれると嬉しい」
「可愛いと思うぜ。あんたの娘だもん」
「感謝するよ」
 本当に、感謝すると。蘇汎は重ねて言った。
「だから、安心しろ。なんにも心配いらない。あんたは、思いっきりやりたいように生きればいい。俺はそれに一生付き合いたいんだ。面白そうだからな」
「……わかった」
「俺にしといてよかったな」
「本当に、……そう思うよ」
 まだ一糸まとわぬ景舜の胸に、蘇汎の流した涙が触れて流れた。

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竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
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「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。