盲目的な献身

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罪業深重

21. ひだまり園 -2 ※

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※虐待・残虐なシーンがあります。


それからのるいは、まるで魂を抜かれた抜け殻のようだった。

一番の変化は、風呂の時間だった。あれほどはじめみおと一緒に湯船で騒ぐのが好きだったるいが、頑なに「後で一人で入る」と言い張り、一緒に入るのを拒むようになった。

さらに、歩き方もどこかぎこちない。太ももの痛みを庇うように、引きずるような歩き方。そして何より、佐々木先生が視界に入るたび、るいの指先は目に見えて震え、顔からは血の気が引いた。

おかしくないか……?

はじめの疑念が確信に変わったのは、ある夜のことだった。
隣で寝ているはずのるいの姿がなく、はじめは胸騒ぎを覚えて廊下へ出た。

重い静寂に包まれた園舎に、微かに明かりが漏れる部屋がある。

――先生の部屋だ。

はじめは息を殺し、半開きになったドアの隙間から中を覗き込んだ。
そこで繰り広げられていたのは、およそ正気を疑う光景だった。

テーブルの上に強引に広げられた、るいの細い脚。
その太ももには、鋭い刃物で刻まれたような赤黒い「痕」が幾筋も走っている。るいは顔を歪め、声を殺して泣いていた。

佐々木は、溢れ出す鮮血をうっとりと眺めると、震えるるいの肌を指でなぞり、指先についた赤を迷わず口に運んだ。

「……そんなに震えないで。怖がれば怖がるほど、血が熱くなって、もっと美味しくなる……。あぁ、最高だ……」

佐々木は、溢れ出す鮮血をうっとりと眺めると、恍惚とした表情でるいの傷口に直接唇を寄せた。

「……っ!」

るいはびくりと身体を跳ね上げた。
逃げ場のないテーブルの上、執拗に舌を這わせる生々しい水音だけが、部屋の中に響き渡る。

はじめは、自分の心臓の音が廊下に響き渡るのではないかと思うほど激しく打ち鳴らされるのを感じた。

――先生が、るいを……。

そのおぞましい事実を理解した瞬間、はじめの指先は怒りと恐怖で凍りついた。


三日後、またその時はきた。
寝室のドアが静かに開き、見慣れた長身の影が滑り込んでくる。

るいくん、おいで」

暗闇に溶けるような、穏やかで低い声。るいはガタガタと震えながらも、呪縛に操られるように身を起こした。
その細い手首を、横からはじめが強く掴む。

「……行っちゃダメだ、るい

はじめの声は怒りと恐怖で震えていた。るいは弾かれたようにはじめを見たが、すぐに絶望に染まった目で首を振る。

「だめなんだ、はじめ。離して……僕が行かないと、皆が……っ」

騒ぎになれば、みおまで起きてしまう。そうなれば佐々木が何を言い出すか分からない。るいはじめの手を必死に振り解くと、自ら佐々木の待つ闇へと足を踏み出した。
背後で佐々木が、はじめに向けて不気味な笑みを浮かべたのを、はじめは一生忘れないだろう。

部屋に戻った佐々木は、るいの太ももに刃を立てながら、冷徹に思考を巡らせていた。

……はじめに見られてしまった。

確実に見られた。あの目は、すべてを理解した者の目だ。
このまま放っておけば、明日には園長や周囲にぶちまけられるだろう。そうなれば、この「行為」も、築き上げてきた地位もすべて台無しになる。

血に濡れたるいの肌を舐め取りながら、佐々木の瞳にどろりとした殺意が宿る。
はじめを殺害するための算段を立て始めた佐々木の口元には、歪な笑窪が浮かんでいた。



翌日、佐々木は「天気がいいから、みんなで野草や虫を探しに森へ行こう」と、自然観察の名目で遠出を提案した。いつもの穏やかな笑顔。誰もが、その裏に研ぎ澄まされた刃が隠されているとは気づかなかった。

るいは、はじめのそばにいることができなかった。
昨夜、あのおぞましい行為をはじめに見られた。その事実が、るいの心に泥のような羞恥を植え付けていた。先生に弄ばれ、血を啜られている自分。それをはじめに知られた惨めさに耐えられず、るいは逃げるように、無邪気なみおの手だけを引いて歩いた。

自由時間が終わり、集合の合図が鳴る。
集まった園児たちの中に、はじめの姿だけがない。

「……はじめくん、どこへ行ったのかな」

心配そうにざわつく大人たち。るいは血の気の引いた顔で、佐々木をちらりと盗み見た。
佐々木は困ったような顔をしながらも、るいと目が合った瞬間、その口元に不気味な笑窪を浮かべた。その瞳は、邪魔な石ころを片付けた後のような、異様な清々しさに満ちていた。

心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
けれど、頭をよぎりそうになる最悪の想像を、累は全力で振り払った。そんなはずはない。はじめは、ただどこかで隠れているだけだ。

はじめ! はじめ!!」

周囲の制止を振り切り、累は弾かれたように森の奥へと飛び出した。

喉が焼けるほど叫び、道なき道を進む。鋭い枝が、累の透き通るような白い肌を容赦なく切り裂き、さらさらとした白金の髪に枯れ葉が絡みついていく。泥に汚れ、涙に濡れた薄桃色の瞳は、必死に兄の背中を追い求めていた。

最悪の事態なんて、微塵も考えたくなかった。そんなことを一度でも認めれば、それがこの世界の真実になってしまう気がしたのだ。だから累は、ただ必死に、どこかで転んで動けなくなっているだけのはじめを心に描き続けた。
昨夜、自分を助けようとしてくれたのだから、自分も助けに行かなければならない。その一念だけが、震える足を前に進ませていた。

「……はじめ、お願い、返事をして……っ」

嗚咽を漏らしながら茂みを掻き分けた先、不意に、長い影が累の頭上を覆った。

「累くん、こんなところにいたのか」

穏やかで、吐き気がするほど優しい声。顔を上げると、そこにはいつもの聖人のような微笑を浮かべた佐々木大地が立っていた。

「もう日が暮れる。危ないから一緒に帰ろう。はじめくんのことは警察に任せて、僕たちは園に戻るんだ」

差し出された白く清潔な手。累はその手を、汚らわしい害虫でも見るような目で弾き飛ばした。

「……お前が……っ、お前が何かしたんだろ! はじめをどこへ隠したんだ!! 返せよ……はじめを返せ!!」

絶叫に近い怒声が森の静寂を切り裂く。
喉元まで出かかった糾弾を、累は必死に飲み込んだ。そんな言葉を吐いて、もし目の前の男がそれを認めてしまったら。そうなれば、はじめがもう戻ってこないことが確定し、自分は二度と立ち上がれなくなる。目の前の男が不気味に笑っているのは、自分を怖がらせるためだけの嫌がらせで、はじめはどこかで生きている。そう自分に言い聞かせるように、累はただ、返せとだけ叫び続けた。

佐々木は眉一つ動かさず、心底悲しそうに目を伏せた。その手が、累が森を駆ける際にできた頬の傷に、そっと触れる。指先に滲んだ赤い血を、佐々木は迷いなく自分の口に運び、うっとりと目を細めた。

「何を言っているんだい。ショックなのは分かるけれど、先生を疑うなんて悲しいな。彼はきっと、道に迷ってどこかで心細い思いをしているだけだよ」

白々しい言葉が、累の神経を逆撫でする。

自分の血以外に興味のないこの男にとって、はじめという存在は、自分たちの関係を維持するうえで邪魔な障害物に過ぎないのだ。その冷徹な真実から目を逸らすように、累はただ、暗い森の奥を睨み続けた。

やがて空が濃紫に染まり、森の境界が闇に溶け始めていく。

警察が到着し、大人たちに半ば強引に抱きかかえられて森を後にする間も、累はあそこにはじめがいるんだと自分を呪縛し、声を枯らして泣き叫び続けた。





数日後、はじめは森の奥深く、獣道から外れた斜面の下で見つかった。
首元を無惨に食い破られた、変わり果てた姿で。

安置されたはじめと対面したとき、るいは声も出なかった。

警察は「野良犬の群れに襲われた不運な事故」と片付けた。だが、るいは悟っていた。佐々木にとって、自分以外の血など価値のないゴミに過ぎない。だからこそ、彼ははじめを殺害した後、その遺体を文字通り「犬の餌」として放置したのだ。はじめが、獣に食い散らかされたという事実に、るいは胃の底からせり上がる嗚咽を必死に飲み込んだ。

火葬場。
煙突から昇る白煙を見つめながら、るいの心は冷え切った怒りと、自分を責める後悔で満たされていった。

「……お兄ちゃん、お兄ちゃん……っ」

隣では、みおが声を上げて泣きじゃくっている。
るいは、みおの手を、痛いほど強く握りしめた。

このままでは、みおも殺される。
正義感の強いみおのことだ。もしるいと先生の秘密を知れば、彼女もまたはじめと同じように先生に立ち向かい、そして同じように、ゴミのように捨てられてしまうだろう。
あの男の機嫌一つで、たった一人の妹さえも奪われてしまう。

るいの瞳には底なしの憎悪が宿った。

殺そう。僕の手で、あの男を……

その脳裏では、佐々木大地を最も確実に屠るための計画が、形を成し始めていた。

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