偽り姫はもう逃げない

木野

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6話

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 その日、中将がこの別邸に来る予定はなかった。

 朝から嵐の予感があった中、つい先ほどに突然使者が来てこれからこちらにやってくると言う。断ろうにも当然中将に物申せる人間がいるはずもなく、問答無用にその来訪を許すことになってしまった。

 天候の悪い日にわざわざやって来たあたり、何か下心を感じる――錦はそう感じた。
 もう暦ではとっくに春だと言うのに外は風が強く、昨夜降り積もった雪が朝にかけて凍ってしまっている。凍てつく風が吹きつける中、わざわざ別邸に来るような用事は考えにくい。

 この屋敷は基本的にひっそりとしていて千代以外の者は皆働く者たちだ。屋敷の主人として指示を仰ぐべき大納言は最低限しか訪れず、未来から来たという千代は当然この世界では浮世離れしている。すると千代に仕える錦自身がかろうじて仕える者たちに指示を出せる立場にあるが、錦が人でないことを薄々感じている者もおり、気味悪がっていると聞く。そんな彼らが素直に言うことを聞いてくれるかと言うと分からなかった。

 錦がそう逡巡していると、唐突に家の者が錦に報告に来た。こんなにも早く中将が到着することに驚き、急ぎ出迎えようとする。すると、その報告を最後まで聞いて錦は出迎えに向かっていた歩みを止める。

「……牛車が倒れた?」

 この悪天候のせいで屋敷の門の前でどこかしらの家の牛車が風に煽られ、倒れてしまったという。そのうえ中にいた人が怪我をしたということでどう対応すべきかと聞きにきたのだった。

「怪我されたのはどういう方か分かる?」
「……蔵人頭さまのようです」

 蔵人頭、と聞いて錦はさらに驚きの色を濃くする。

「急ぎ部屋を整え、その方の手当を!その方は内大臣さまのご子息です。失礼のないように」

 錦はその足で千代の元に向かった。嫌な予感はするが、蔵人頭となればないがしろにできるはずもない。まもなく中将もこちらに来るとなっては人手も足りない。錦は急いで千代姫の元へと行く。

「千代姫さま、たった今、屋敷の前で牛車が倒れて怪我人が出ているということです」
「怪我人?」
「しばらく騒がしくなるかと思いますが、ご容赦を」
「あ、うん」
「私は手伝いに行って参ります。このまま奥でお休みください。それと、中将さまもこちらに来ると言う使いがありましたので、後ほど」

 御簾の仲にそっと入ってそう錦は告げると、千代は表情を分かりやすく歪ませた。

「え、中将が来る予定なんてなかったよね?こんな天気悪くて寒い日に何しに来るんだろう」
「控えの間で待ってもらうように致しますが……千代姫さまも一応ご自分でできる支度はしておいてくださいませ」
 はあい、と気のない返事をした千代を置いて錦はまた戻っていった。






「……この屋敷の主人は、挨拶にもこないのかな?」

 怪我人として上がり込んだ充成が不遜な様子で世話をする者をにらみつける。平身低頭するしかない下働きの者を見下ろしながら悪役は向いてないな、と充成は良心が少し痛んだ。
 ここが大納言の別邸だということは分かっているが、中の様子は千代の手紙だけでは情報がなかった。
 千代の自由が制限されているというわけではなくても、「姫君」として屋敷の奥深くにあっては知らないことの方が多いだろう、というのが充成の考えにあった。

 少なくとも屋敷を取り仕切る誰かがいるはず、と思ってみたがそのような人物はいまのところ充成の前に姿を現さない。控えめに言ってこの世ではかなり高位な身分にある充成に挨拶すらなし、となればその話を少々盛って噂を流してしまえば大納言自身に不利とも言える。

「やあ、蔵人頭じゃないか」
「……左近衛中将」

 思いがけない人に充成も驚きを隠せなかった。確かに左近衛中将が三、四日に一度ほどこの屋敷に出入りしている、と千代の手紙から情報を持ってはいたが、まさかこんな嵐の日に出くわすとは思っていなかった。

 充成が中将と話すのはかなり久しぶりであった。以前から中性的な顔立ちではあったが、それがいっそう際立っている。貴族の男らしからぬ、野心のない瞳が印象的だ。将来的には政敵の可能性すらある充成に対して警戒心というものも感じられなかった。

「すまないね、この屋敷は人が足りないから世話が行き届かなくて」
「いや、僕の方こそすまなかった。ただでさえこんな日に手を煩わせてしまって」
「仕方ないさ。ゆっくりしていくといいよ。ここは父上の別邸ではあるが、普段はあまり使ってないんだ。君の身分に合うようなもてなしは期待しないでくれ」
「中将は普段この屋敷に?確か、去年療養していたよね」
「ああ、そうだよ。去年僕が療養していたのがここだ。ここはちょっと内裏から離れているから静かでね、過ごしやすいんだ。まあ今日は立ち寄っただけなんだ。嵐だからきちんと戸締りとかいいつけようと思ってね」
 
 そうしてしばらく充成と話をしていた中将は下がっていった。




 中将は充成から下がったその足で千代のいる部屋に向かう。
 元々、どこか頭の隅で考えていたことではあった。

 悪天候である今日が好機である、とこの屋敷に前触れなく訪れる予定ではあった。ところがまさかこんな日に出かけるならばあちらでも準備はしたいでしょう、と外出の準備をしているうちに仕える者が気を利かせて使者を送ってしまった。

 送ってしまったものは仕方ない、と別邸に行ってみれば、屋敷の前には倒れた牛車を下働きの者たちが引き起こしている最中で、別邸前はちょっとした騒ぎになっていた。

 急ぎ中に入って状況を確認すると錦があわてて中将の元にやってきた。

「牛車の中におられたのは蔵人頭さまということす。これからご挨拶に伺うところですが、中将さまにお頼みしてもよろしいでしょうか」
「僕?」
「蔵人頭さまとなればこの屋敷の主人たるものが挨拶に向かうべきでしょうが、そのような方は今ここにおりません……」
「姫がいるじゃないか」
「……姫様は、未だ公式には大納言さまが発表されておりません。それを引っ張り出すには少々無謀かと思いまして」
「それもそうか」

 そうして充成に挨拶し、少しばかり雑談をしてから部屋を下がった。
 この嵐、あの牛車ではこのまま宿泊させるしかない。

(しかしこれで錦は充成の世話を指示するしかないのではないか)

 この屋敷にはろくに使用人がいない。当然だ。姫かもしれない、という女ひとりとそれを世話する女房、そしてその下働き程度、である。潤沢な人材はない。挨拶こそ中将にさせたが、他の世話は錦が取り仕切るしかない仕事である。

 ただでさえ少ないこの別邸の下男下女がそちらの世話にまわっている。主人不在となれば錦が仕切るしかない。中将は当初の目的が予定よりずっと簡単に達することができると感じ、少しばかり口角を挙げた。
 遠慮など微塵もなく渡殿を過ぎて目的の部屋の前にたどり着いた。

「嵐のようだけど、妹の気分はどうかと思って来てみたよ」

 遠くからわずかに衣擦れの音がする。
 中将はこの部屋の奥に姫がいるのだと確信した。

「やはり顔は見たい」

 瞬間、御簾を上げ、中将が中に入って来た。そして几帳の中にいる千代を見つけてしまったのだ。突然のことに千代は茫然としたままその様子を見ている。

「なんと……」

 中将の目の前にいるのは、かろうじて背中の中ほどまでのある髪を持つ、健康的な女だった。
 日陰の女が産んだ子と聞いていた中将はその姿が想像と違っていたことにかなり驚いている。顔を隠そうともせずにいる不作法な女に興が乗る。

「本当に、妹、なのか……?」

 いくら身分の低い女から生まれたからと言って、行儀作法すらままならないというのだろうか。だから相槌もほとんどなく、文もいつだって女房の代筆だったのだろうと思い至る。
 まして髪まで短いなど、本当に身分の低いというだけの女だったのかそれすらも怪しい。

「え?中将、……?」

 慌てふためき、動揺することを想像していた中将はそんな様子をみじんもみせないこの奥にいた妹という女にぐっと近づく。
 白くもない肌、艶やかで美しいが一般的な姫君と比較してずっと短い髪、隠そうともしない顔は堂々と中将を見ていて、およそ礼儀作法というものを解してない。
 中将がこれまでに接してきたどんな姫とも女房とも違う、その異質さは恐怖と共に大きな興味が湧く。

「そなたが……、妹……」

 父である大納言とは似ても似つかぬ容姿だった。当然中将と似ている部分も見当たらない。
 御簾を上げて入った上にもはや狼藉とも言えるほどの距離にいるのに全く動じないことにもむしろ中将が吸い込まれるように距離を縮める。もしやはっきりとは分からない出自の女なのではないか、と中将は勘繰った。
 野心ある父のことを中将は煙たく思っている。中将のことさえも駒のひとつにすぎないと思っているからだ。
 内大臣に対抗意識ばかり燃やしてこんな杜撰な方法をとるとなれば帝に対してなんという不敬だろうと父を嘲笑する。

(確かに妹たちは早くに亡くなってしまったが)

 大納言には中将の他その弟が一人、姫が二人いた。北の方から生まれたのは中将だけで、他は異母きょうだいである。

 その異母兄弟は弟が十年前に数え十で、一姫は生後間もなく、末姫は裳着を済ませたばかりの三年前に亡くなった。末姫が亡くなった年には中将の母である大納言の妻も流行り病で亡くなってしまった。

 中将は見送るばかりの自分の立場に無念ばかりを感じていたのである。そんな中、自分の父親がまさかこれ以上の権力を望んでよく分からない女を姫としていることに軽蔑さえ覚える。

「女、そなた本当に父上の子か?」
「私が何か言ったところで信じるというの?」

 言葉遣いの不遜さは貴族の女にはないほどの強さがある。

「加賀野!」

 そこに聞き慣れない声がして中将がはっとする。

「水無瀬!こっち!」

 その声に千代は大きく返答した。
 覚えのある、懐かしいものだ。ようやくこのときがきたのだと、千代は気持ちが解放されるような気がした。

「水無瀬!」

 千代は唐衣の中に隠しておいたスクールバックをしっかり掴むと、重い表衣を肩から落とし、いくらか動きやすいようになってから勢いよく御簾の外に飛び出す。
 そこには狩衣姿の水無瀬悠がなんてことないようにそこにいた。

「おい女!」

 中将も御簾の外へと飛び出した。

「加賀野!なんで、この男誰?来客ある予定じゃなかったろう?」
「こいつが中将!どこ行けばいいの!?っていうか、なんでこんなの着てるの!?」
「夏服とか寒いから仕方ないだろ!」
「お前は誰だ。その女はこちらによこせ」
「こいつが中将か……」

 悠は一枚の人型を取り出すと、それにふうっと息を吹きかけてなにやら唱える。するとその人型はみるみる形を変え、ひとりの人間程度の大きさになるとぺらぺらのままながら中将へと向かって行く。

「な、なんだこれは!?」
「行くぞ」
「どうすんの!?」
「不鬼さんが来る」

 中将はぺらぺらの紙を相手に右往左往している。充成から「武に秀でた男ではない」と情報があったおかげで悠のかなり残念な式でも中将には十分な脅威となっているようだった。

「姫様!?」

 怪我人の世話をしていたはずの錦がこちらに向かってくるのが見えた。

「あれが半人の女房か」
「どうすんの?」

 ふと庭の上から声がして、それが不鬼だと分かると悠と千代は走り出した。
 それを見た錦が神通力で姿を変える。黒髪が黄金と紅のグラデーションに、女房装束から宝髻となり、比礼をまとった。顔には古代の化粧が施され、ぐんと神々しさを纏った。

「烏丸!」
 ばさり、と大きな音がして庭の水たまりを巻き上げるとそれに錦が飛び乗った。
「悠殿!その車に乗り急ぎ逃げられよ!この者は私が止めまする」
「不鬼さん頼んだ!」
 千代と悠の目の前に鬼火を纏った網代車が降りて来る。二人がそれに飛び乗ると、車は大きく高度を上げた。
「姫様!?」

 飛んだ車を追おうとする錦の前には不鬼が立ちふさがった。

「……そなたは、半人か?」
「鬼だと……。なぜ鬼が人の子と組んでいる!?」
「我は鬼であって鬼にあらず。あの者たちを追うならばここで止めるのみ」
「鬼でないと……?どういうことだ」
「語るべきことはない」
「どいてもらうしかあるまい」

 突風が起こり、庭の草木が大きくしなって木の葉を巻き上げ空高く舞って行く。その先には鬼火によって動いている車があった。
 烏丸に乗った錦はそのままぐんと飛び立つ。
 その姿を見て、不鬼は既視感を持った。

(……あの、色が変わりゆく髪……、装束……)

 見覚えのあるの姿に不鬼は自身も鬼火を使って空へと飛び立つ。半分人であるこの者にはあまり大きな妖力はないはずで、そうなると今の状態はかなり切羽詰まっているように思えた。

(であれば、止めるのも容易い。だが……)

 不鬼は自身の周りを縦に一周するように鬼火を展開する。そしてそれを支点にして結界を作り上げ、一気に大きく広げる。そしてそれをまるで投網のように投げると烏丸ごと錦を包んでしまった。

「結界……!?」
「あの者らは諦めてもらう。そなたにこの結界は破れまい」
「貴様!」

 錦は結界の中でそれを破ろうと必死にもがく。しかしそれはかなわず、そのまま地上に縫い留められてしまった。

「しばらくすればその結界もなくなる。それまではそこで大人しくしておるがよかろう」

 不鬼はそのまま鬼火に乗って強い風の向こうへと消えて行った。
 鬼火によってぐんぐん大納言別邸を離れていく網代車の中で、悠と千代はバランスが取れず必死になって車にしがみついていた。
 ようやく安定してきたと分かって外を見るとそこには不鬼がいた。

「では、このまま行くぞ」

 牛使いもおらずどうするのかと思いきや、なんと不鬼が少年に変化してしまった。

「……ねえ、不鬼さんって、チート過ぎない?鬼で何か呼べて術も使えて変身までできちゃうの」
「さあ、俺だって初めて見る」

 ようやく隠れ家に着き、部屋に案内された千代はどっと疲れていた。
 まずは雨に濡れ汚れた装束を脱いで着替えたいところだが、ここには当然錦がいない。

 用意されているものを着ることができずにいると、言葉を発しない、小学生くらいの歳頃の少女が三人ほど千代のまわりで世話を始めた。

「それは晴定さんが用意した加賀野の世話するための式神だそうだ。言葉は発しないが、こちらの言葉は分かる」

 悠はそう言うと自分も着替える、と言って千代の部屋から出て行った。

 着替えたいという意図を察知した童女は手際よく千代の身の回りの世話を始めた。自分より年下のように見える子供に世話をさせるのはどうにも気持ちが落ち着かないが、一人でできないのだから頼るしかなかった。

「……今度、着方教えてくれる?」

 にっこりと笑う童女に少しばかり千代はほっとした。





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