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四月四日、事件翌日

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 翌朝、日刊の朝刊新聞と週刊紙と各社の号外続報合わせて十紙を買い込んだ坂本良行は、それらを風呂敷で包んで下宿に持ち帰った。
 週刊紙は、輪転機を止めて無理矢理記事をねじ込んだらしく、ベタ記事よりは大きめに取り上げられてはいるものの、どれも大した事は書かれていない。白黒写真には、美男ではあるがあまり知性は感じない若い猊国人青年が写っており、文中で茶髪にブルーアイであると書かれていた。
 朝刊と号外続報は、華国系は社会面に『新種の奇病か!』と言う見出しが付いたそこそこの記事が出ていたが、猊国系には何故かそれらしい記事は無かった。
 おやっと、良行が首を傾げていると、その背中にしなだれかかる人物がいる。
「おーい、Mr.ヤーマン、腹減った。何か無いの?」
 そう言うのは、東方では稀にしか見られない、鮮やかな緋色の髪の若い――下手すると十代半ばで通りそうな面差しのその人物は、良行やホーク・葉和偉の下に出入りする猊国人青年だ。
 エールオブバリー=イライアス・ホーク・マーヴィン、つまりバリーと言う領地を持つ猊国伯爵の若当主なのだが、当人事件記者を目指しているとかで、この星海の街を歩き回っては休憩所代わりに二人の自室に転がり込んでいる。
「エリー君、今日はお茶菓子ありません。あ、貰い物の豆沙餅タウサーベンならあります」
「何それ」
 そう言いつつ、イライアス・ホークは差し出された紙袋から、小振りなパイ菓子を取って齧った。パイ生地に包まれているのは、甘さ控えめの小豆餡である。
 もこもこと、栗鼠が頬袋に木の実を貯め込むように豆沙餅を食べていたイライアス・ホークは、華国系新聞の一面に掲げられている『奇病』の文字に興味を示した。
「あん? 何これ、未知の病気って意味だよね」
「おや、知りませんでしたか。
 昨日星海大道の停留所で、エリー君の国の人が急死されたのです。
 巡回中のホーク君が行き当たったので、昨日一日、報告の為大変だったそうですよ」
 号外も出ていたと告げれば、赤毛の青年は頭を掻いて知らなかったとぼやいた。
 聞けば、今朝方まで記者の先輩に当たる人物の助手として、星海の水源がある城市の奥にある山まで行って、そこに飛来する鳥の写真を撮っていたのだそうだ。
 星海大学の教授達に同行し、生態調査の取材と同時に彼らに提供する為の写真を撮ったそうだ。
「普段、そう言う写真を一手に撮ってた学生さんが熱出して来れなかったって事で、ドルリーが俺を推したんだよ。
 これから焼くんだけど、出来が良かったら高く買ってくれる約束なんだ」
「そうでしたか」
 何処と無く嬉しそうにそう言った青年は、一瞬置いて「そうじゃない」と頭を振った。
「そうじゃなくて、城市で猊国人がねえ。
 大仙廟を冷やかそうとか? まさか、龍爪塞近くに行こうとしてたとか!?」
「バスの路線的に、どちらでもありそうですねえ」
 渋い顔でイライアス・ホークが上げた場所は、猊国人が騒ぎを起こす場所として名高い所だ。
 大仙廟は、星海で昔から信仰を集めている道教の、八嶋で言う寺社に当たる建物だ。ここで、一神教の牧師達が悶着を起こす事は二、三ヶ月に一回と言う頻度だ。
 龍爪塞は元々華国の守備兵団が詰めていた兵舎だったのが、猊国の支配を拒んだ住民や流れ者、その他華国本土や外国から流れ込んだ犯罪者達によって形成された、ある種の無法地帯だ。兵舎故に猊国の法律が及ばず、されど華国本土からの手は及ばずと言うこの猫の額程の場所に、彼等はドンドン建物を詰め込み暮らしている。そのうち、摩天楼宜しく上に積み上げていくのではないかと、良行は思っている。この辺、八嶋程ではないが地震が起きるらしいのに。
 そんな、星海市警察も滅多に踏み込めない場所は、当然大手を振って売り捌け無い物が出回る。
 例えば盗品の貴金属や芸術品、軍隊から横流しされた最新鋭の武器、そして街で売られているよりもっと純度の高い阿片や、ヘロイン等の薬物だ。
 この時代、鎮痛睡眠剤、及び鎮静剤として阿片チンキは普通に小売店に置かれている――西域薬品を取り扱う店だけだが――し、阿片窟なる店も存在する。滅多に煙草を吸わない良行には、興味のない場所だが。
 そう言う場所で使われたり売られたりされる、希釈されたものではない高濃度の薬液を欲しがって、此処に来る猊国人も少なくない。これはホーク・葉の、溜息混じりのぼやきである。
「確か、スチュワート・ウィルソンと言いましたかねえ、昨日亡くなられた方は」
「え?」
 新聞を畳みながらの良行の言葉に、パイ菓子を食べ終えたイライアス・ホークは目を丸くした。
 転げ落ちそうな琥珀の瞳に、良行は若干の嫌悪と怒りを感じて首を傾げた。
「どうしました、エリー君。お知り合いか何かで?」
「あぁ、顔は知らないけど、俺としては遺恨のある相手。
 そいつ、妹の事娼婦呼ばわりしやがった」
「え、エリー君妹さんいらっしゃったんですか!?」
「え?」
 話し相手の反応に、互いにぽかんと言う反応を見せる。
 ややして立ち直ったのは、赤毛の青年の方だ。
「そっか、話してなかったっけ。
 俺、本国に実家の管理任せてる、年子の妹がいるんだよ。俺は、元々親父について泥蘭市にいたんだけど、一昨年の執事からの手紙で『小公子』に妹が侮辱されたって書かれてさ」
「小公子?」
 ふっと、良行が「そんな題名の児童文学があったな」と思っていると、同じものを思い浮かべたのだろうイライアス・ホークは手を横に振った。
「ああ、あのハッピーエンドの可愛らしい坊やじゃないよ。貧困から一夜で大金持ちって言うのは一緒だけど、奴さん品性ど底辺だって執事が切れてたし」
「はあ」
 頭を掻く物書きの先輩に、見た目と言動はともかく猊国貴族当主である青年は、妹と屋敷とを守る忠臣からの手紙の内容を思い出しつつ語った。
「母方の伯母さんのパーティだったかに、俺や親父の名代で妹が出席した時にそいつに会ったらしいんだけどな。
 妹も俺と同じような赤毛なんだけど、そいつ、妹の髪の色を笑った挙句、十ポンド見せて今晩付き合えってほざいたんだと。
 妹の方は笑って聞き流したんだけど、そいつ本気だったらしくて帰り際に待ち伏せして、自分の蒸気自動車に無理やり乗せようとしたんだと。まあ、うちの使用人連中が助け出したから妹は無事だったけど」
「おおう」
「普段丁寧な読み易い字で手紙を書くうちの執事長が、めちゃめちゃインクが滲んだ刺々しい字で手紙寄越したし、妹のメイド二人からも手紙貰ったもの。
 勝気なマリーはともかく、妹の姉代わりだったリリーまで、あの馬鹿息子どうにかしたいって書いて来たし」

 目を遠くする青年の姿に、頭を掻きつつ良行は声を掛けた。
「随分、無礼な人物ですね。伯爵令嬢にそんな事をした挙句に、拉致未遂ですか。
 どうしてそんな人物に、『小公子』なんて呼び名が付いたのでしょう?」
「ああそれ?
 詳しくは知らないよ、でも貧乏貴族の息子だったところに、馬鹿みたいに金持ちのパトロン、いやマダムが後見に付いたらしいよ」
 そう言って、イライアス・ホーク・マーヴィンは肩を竦めて帰って行った。
 彼を見送ると、坂本良行も新聞を片付けて塒を後にした。

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