徒然推理覚書  『死蜂冥道』

怪傑忍者猫

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四月一三日、科挙の靴

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 雑誌を見付けて三日、坂本良行はイライアス・ホーク・マーヴィンと共に毎日星海大學図書館に訪れ、アナフィラキシーについての情報を集めた。
 流石に、城市から一々通うのは時間が掛かると言う事で、新城側にあるイライアス・ホークの下宿に泊まらせて貰っている。
 発表から二十数年、とは言うものの研究はまだまだ継続中と言った様子で、拾えた情報は大したものではなかった。
 だがそれでも、食べ物や一部の医薬品、実験に使われたイソギンチャクのみならず、海月や蜂の毒に依っても起きると言う事を、二人は大學に通い書物の中から掘り起こしていた。
「こうして書き出してみると、アナフィラキシーって怖いなあ」
「そうですねえ。
 そう言えば、故郷で猫がいるとくしゃみが止まらなくなるとか、蕎麦を出す屋台の横通って、蕁麻疹出して倒れたとか言う人間の話を聞いたことありましたが、こうしてみるとあれらもアナフィラキシーだったんですねえ」
「そば?」
「ああ、西域じゃあ法蘭フラン国のガレットに良く使われる穀物ですよ。八嶋では麺にして食べる事が多いです」
「ああ、『農民の朝食』か」
 ガレットと言うのは、穀物の粉を練って薄く焼いたパンケーキの一種で、魚介類やハム、チーズなどを包んで食べる。これを小麦粉で作って、クリームなどを巻けばクレープになるそうだ。
 パンケーキ自体が、パンの代用品である事もあり猊国生まれの彼の言葉になったようだ。
「若旦那様、お茶菓子をお持ちしました!」
 元気な声と共に、十三、四歳のお仕着せ姿の華国人少年がワゴンを押しながら入って来た。その少年の頭に、溜息と共に良行と同い年位の青年が拳を落とす。
 少年の方は、この星海の街に来てから雇った従僕フットマン見習いのジム・夏令賢ハー・リンイン、青年の方はイライアス付きの執事バトラーであるヒューゴ・タウンゼントである。
 何でも、いきなり星海に行くと言い出し飛び出した主を追って、一人で遥々南西の泥蘭市からここまで来たそうだ。道理で、ここ二ヶ月ほど前から、自称貴族がそれらしく見えるようになった訳である。尚、ジム少年は、そのヒューゴ氏の懐を狙った巾着切りだったのを、彼にとっ捕まり勉強がてら従僕修行中だそうだ。
「ヒューゴ、もうお茶の時間?」
「そうですよ、若様。さあ、テーブルから紙束を退けて下さいな」
 使用人とは言え、イライアス・ホーク自身が型破りな為か、ヒューゴ・タウンゼントは主に片付けをさせる事に躊躇がない。尤も、ジムに向かっては「主の為人を見極めなさい」と話していたが。
 マーマレードのサンドイッチと、黄色いカスタードパイが並ぶのを見ながら、良行は頭を掻いた。
「取り敢えず、今集められるのはこんなところですかねえ」
「アレルギーの原因は、食べ物云々は省いて良いよなあ。医薬品なら、検死解剖で出そうな気がするし」
 差し出されたミルクティーを受け取り、啜りつつイライアス・ホークがそう言うと、八嶋人も頷きつつメモを見返す。
「察するところ、蜂の毒かクラゲか、判る事は確実にこれは殺人だったと言う事ですね」
「やっぱりそうなっちまうよなあ」
 溜息と共に、二人はお茶に手を付ける事にした。
 お茶を注ぎながら、イライアス付きの執事は幼い頃から付き合って来た主人と、これまでに無く親しく話す東域人を静かに観察しているようだ。
 彼からすると、外面は社交的で陽気だが、実は野良猫以上に警戒心が強く下手な近付き方をすれば噛み付くどころではない反発を見せる若主人が、頻繁に寝食を要求し自身の宿に招いた相手と言う事で興味を抱いたらしい。(因みに、これらのイライアス・ホークに関する述懐は、泊まりに来た初日の執事本人の弁である。)
「ただ以前、確かホーク君から『Mr.ウィルソンの右手の甲に極小さな刺し傷があった』と言う事は聞いていました。恐らく、針か何かで毒を投与したんでしょうね」
「普通の毒殺と違って。少しの量を回数入れた方が効果が出易いんだったな」
「嫌ですがね、こんな方法の殺人。
 それに、必ずそう言う症状が出る訳じゃなくて、体調不良程度の症状の場合も無い訳じゃ無いようですし」
「若様、お客人も、お茶の席で斯様なお話は無しにして頂きたいのですが」
 使用人に釘を差され、緋色の髪を持つ青年がぷくっと頬を膨らませる。
「チェ、堅い事言うなよ、ヤーマン以外いないし」
「いえ、すみません、配慮が足りませんで」
 執事に頭を下げると、ふっと思い立った様子で良行はサンドイッチを食んでいるイライアス・ホークに向き直った。
「ああ、そうだ、今日はこの後下宿に戻ります」
「え? 別に良いのに」
「いえ、どちらかと言うとホークくんの話を聞いておきたいなあと。
 あれから三日ですし、うまく行けば、警察サイドの話を聞けるかと」
「あ、そっか。それもあるか。
 じゃあ、明日……」
「イライアス様、明日はドルリー・アッテンボロー様とのお約束があったかと」
「うわ、そうだった。明後日話聞きに行っていいか?」
「良いですよ、まあ、良い話を聞かせて貰えればいいんですが」
 そこまで話すと、二人は改めてお茶に向き直る事にした。
 ちゃんと消費され始めたお茶と茶菓子に、執事もほっとした事をおくびに出さないようにしつつ横に控えていた。

 午後のお茶を済ませ、新城側から下宿のある佐麻地ジョーマァディ界隈まで戻れば、夕暮れ時を告げる鐘が鳴る時間帯であった。
 女将に、向こうで買った鉄観音茶の茶葉を留守の詫びに渡し、自室に戻った良行は、本を眺めつつ隣人が戻るのを待った。
 部署が変わって以来、ホーク・葉和偉の帰宅は遅くなる傾向にある。
 上司である高級助理処長の命令で、あちこち走り回っては報告書を出すと言う毎日らしい。
 疲れているだろうと、甘いものを用意して帰りを待っていた良行は、この事件が起きて以来、見た事がないほど怒っている警察官を見た。
「ホ、ホーク君?」
「! グッディ、戻ってたのか」
 濃い眉が、ぎりぎりと吊り上がっていたのが、良行の顔を見てふっと力が抜けたらしい。
 途端に、どっと疲れたように肩が落ちたのを見て、良行は慌てて隣人をシャワー室に押し込むと、その間にお茶と菓子とを並べた。
 清潔より、温水によるリフレッシュ目的で、熱めのお湯をかぶって出て来たホーク・葉は、差し出されたお茶を飲み干し、やっと人心地付いた様子で寝台に腰を下ろした。
「事件の進展が、思わしくないので?」
 良行が問うと、警察官二年目の青年は軽く首を横に振った。
「いいや、進展と言うか、捜査項目が増えたと言うか。
 なあグッデイ、八嶋ではグァイ(幽霊)から告発される事ってあるか?」
「何事ですか、それ。
 あー、八嶋の場合、生前の怨みつらみについては、実力行使の方が多いですねえ」
 ざっと、講談や歌舞伎、縁起絵巻に至るまで思い返しても、大物なら天満宮のお人に島流しされて大天狗になった帝、某皿屋敷に芝居の前に挨拶必須の方まで、坂本良行の故国の幽霊は誰かに訴えるよりも、自力で恨みを払う方が多い傾向にある。
 恐らくは、大陸と島国、だけの違いでは無いのだろうが。
「そうか……」
「ホーク君、その口振りでは、退魔班が動くような事でもありましたか?」
 良行がそう問うと、警官は再び首を振った。
「いや、今回は警察じゃなくて、本職の道士様にな」
 湯呑みを卓に戻したホーク・葉和偉は、何かに礼を払うように背筋を伸ばすや、今日見た事を話し始めた。
 それは、西域エレビア人には理解し難い、だが東方アッシア人ならば判ってしまう、そんな事態であった。

 ホーク・葉和偉が語るところによると、事の起こりは今朝だった。
 出勤するなりホーク・葉は、チャールズ・ペンドルトン総督察(警部相当)からアラン・サリヴァン高級助理処長の下へ早急に向かうよう言われたのだと言う。
 ここ最近、宛行われた事務室に書類の山と一日の指示書が置かれている事が日常になっていた為、サリヴァン高級助理処長からの呼び出しにホークは昨日提出した書類の不備があったかと思い、慌てて高級助理処長の執務室へ向かった。
 警署三階フロアの、階段に程近い位置に在る執務室に出頭すると、そこには高級助理処長だけではなくリック・呉格漢ン・ガッホン警長(巡査部長相当)――以前、麺粥店の事件で退魔班として出動した人物だそうだ――もいて、何やら話し込んでいた。
 そして、ホーク・葉の顔を見るなり、サリヴァン高級助理処長は有無を言わさず彼にこう命じた。曰く、
「これからサザーランド商会へ向かう。
 ホーク・葉和偉、君には商会会長と星海人との通訳を命じる」
 思わぬ事を言いつけられ、敬礼したまま問い返しそうになるのをグッとこらえ、彼は上司と共に新城側の銅壺湾カッパージャーベイにあるサザーランド商会星海店へと、向かう事になった。

 サリヴァン高級助理処長とホーク・葉以外にも三人、ただし三人共猊国人警官と言う状況で訪れたサザーランド商会の社屋では、そのまま大会議室へと通された。
 そこには、一眉道長こと林正賢ラム・チェンインとその弟子達によって、本式の祭壇が築かれていた。
 林正賢は、城市側のみならず星海市全体でも名の通った道士であり、ホーク・葉が幼い頃に相次いで両親を亡くした際には、後見人として就職するまで面倒を見てくれた人物でもある。
 奥の方では、背広姿の髭の男性と、例の会長夫人とが椅子に座っていた。夫人の方は、顔に不満たらたらと大描きされて座っており、どうやら何時ぞやの発言から察するに、東方の術者がお気に召さないらしい。
 驚き固まっているホーク・葉に、アラン・サリヴァンは口元に薄く笑みを刷いてこう言った。
「Mr.林と知り合いだそうだね。Mr.サザーランドは江南語については日常会話がやっとでね、古い言い回しや所謂道術に関する専門用語は理解の向こうだ。
 ホーク・葉和偉、君にはその辺りを噛み砕いて会長に伝えて欲しい」
 何とかその言葉に返答を返し、道士とも挨拶した後、ホークは会議室の端で事態を観る事になった。
 鐘が打ち鳴らされ、祭壇上の炉に香と護摩木が投げ込まれ、居並ぶ弟子達と共に道士の詠唱が始まる。
 事態は、程なく始まった。
 供物を捧げ持っていた弟子の一人が、突然床に転がり、喉を掻き毟りながら泣き叫び始めたのだ。猊国語で。
 ホークは、林正賢の弟子達とも顔見知りで、中には今でも休みに一緒に遊ぶ者も少なくはない。だから、今倒れた弟子が猊国語が一言も判らない男である事を知っている。同時に、強烈な感応体質である事も。
 恐らく、今彼はあの死の瞬間の、スチュアート・ウィルソンの状態を追体験している最中なのだ。
 それと同時に、別の弟子がふらふらと祭壇に近付き、そこに置かれていた殆ど使われていない大学用のレポート用紙と鉛筆を取り上げ、物凄い勢いで何かを書き付け始めた。
 彼もまた、先ほどの青年とは別方向の感応体質である事を知っているホークは、書き付けられているものが気になり大外回りで青年に近付いた。
 そして、レポート用紙を覗き込み、そこに書き込まれている物に真っ青になった。

 そこで言葉を切ったホーク・葉に、坂本良行は眉を顰めつつ首を捻って見せた。
「一体何が書かれていたんです」
「うん、十二足の女物の靴。華国風の分が三足に、女中さん達がお仕着せで履いてる編み上げ靴が六足、ハイヒールって言ったっけ、西域の上流階級の女性が履く踵が高い奴、あれが三足、まあ片足だけだったけど」
 そう言う若手警官の顔は、眉を強く顰めていた。
「その靴が問題だった訳ですか?」
「うん。
 グッディは、龍華ロンファ国に大昔から『科挙』と言う役人になる為の試験があるってのは、知ってるかな」
「ええ、確か、鍾馗様が生まれた切っ掛けも『科挙』だったか。ざっと一〇〇〇年程の歴史のある制度だったと記憶していますが」
 良行が頷くと、ホークは頭を掻きつつ言葉を探した。
「あー、まあ、その『科挙』って奴は、人里離れた場所に隔離され、狭い部屋の中でひたすら時間内に課題をこなすってものだったらしいんだけど。そう言う時、受験者の執念に煽られた妄鬼が彷徨いたり、寒さと責任感で極限状態に耐え切れす音を上げたり発狂したり、不眠不休の試験に体力が続かず亡くなる人間とかいたらしいんだけど」
「……話しには聞いてましたが、過酷ですねえ」
「まあ、最終的にはコネと金で出世が決まるのではあるけど、貧乏人が役人になる唯一の手段って事で、十年二十年浪人してでもって人も珍しくなかったそうだからな」
 何でこんな話を始めたのか。
 顔に出ていたのだろう良行に向かって、警官は溜息と共にこう続けた。
「その『科挙』の最中に、発狂した受験生って奴はまあ金持ちのボンボンが多かった訳だが。
 その中に、試験用紙に女物の履物を描いて狂死した奴がいたんだ」
「え?」
「そいつ、受験前に女を強姦して自殺に追いやってたそうだ。
 妄鬼と化した女が乗り込んで来たのに、耐え切れなかったらしくてな、その自殺した女の靴の絵を用紙一杯に描いていたらしい」
 ぽかんと、話を聞いていた良行だったが、暫く頭の中で反芻するうちに事態を飲み込み、握っていた湯呑みを下ろした。
「つまり、Mr.ウィルソンは」
「多分、嘉哥々カーココがレポート用紙を手に取ったのは、試験用紙と同じ学問に関する紙だから。
 そこに片足とは言え十二人分書き込まれてた。最低でも、星海に来てから最低三人、本国でも五人以上女性を殺している事になる」
 ギリッと爪を噛むホーク・葉に、良行はああと思う。
 猊国では『根拠が無い』と流されるかもしれないが、この街は日々の生活と道士が密接に繋がっていて、同時に人々のすぐ傍で怪異達が普通に闊歩している。
 表向きは急病や事故として公表された事件が、怪異や呪詛による殺人だったと言う事もままある街なのだ。
「しかし、Mrs.サザーランドはお怒りだったでしょう。彼女の望む情報ではなかった訳ですし」
「ああ、でものたうち回った冠哥グンコーの姿を見て、Mr.サザーランドの方が思うところがあったらしくて、道長様に食って掛かろうとした奥方叱り飛ばして部屋から追い出してたよ。
 そして、甥っ子の罪を認める発言したから、彼女達は道長様が可能な限り供養するって。ただなあ」
「どうしました? まあ、靴だけで被害者を特定するのは大変だと思いますが」
 年上の言葉に、青年は溜息と共に首を振った。
 そして紡がれた言葉に、良行も背筋を寒くした。曰く。
「いや、Mr.が罪を認めたから、十一人は納得して黄泉路に入ったらしいんだ、時間の経過毎に靴が遠ざかって行くのを俺も見たから。
 問題は、一足だけ。布靴が一足だけ、ずっと留まっているんだ。どうやら、彼女は何か訴えようとして留まってるらしいんだ」

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