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帰着
最後の戦いへ
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古戦場跡の広場から臨む海は、大荒れだった。
空には厚く雲が立ち込めており、月を拝むことはできない。しかし、そんな空にも拘らず、まるで満月に照らされているかのように、周囲の様子は見て取れた。もしかすると、雲のように見えるものは、雲以外の何かなのかもしれない。
(まあ、今更、何があっても驚かねぇけどな)
康平は空を見上げて胸の内でぼやいた。
未明と出逢ってからというもの、それはもうおかしなことばかりなのだ。アヤシゲな雲の一つや二つ、どうということはない。
分厚い雲があっても大気は気味が悪いほど静かで、雨も風もない。その沈黙とは裏腹に、海面だけは激しく逆巻いていた。柵から離れたところに立っていても、砕けた波の飛沫顔に感じる。特に激しく波打っているのは、関門橋の真下辺り――すなわち、『亀裂』がある場所だった。
彼よりも三歩分ほど前に立って海を見据えていた未明が、振り返る。
「間違いなく、『亀裂』の所為ね。でも、こんなに外に影響が出ているなんて……嫌な予感がする」
端正な顔を曇らせ、彼女は言った。少女の姿の時にも漂っていた国籍不明の風情が、未明曰く『本来の姿』ではいっそう際立っている。
今の未明の頭は康平の肩よりも少し上あたりにあった。いつもと違ってあまり見下ろす必要がないのだが、この目線にそのうち慣れる日が来るのだろうかと、康平は切羽詰まった現状にそぐわないようなことを考えてしまう。だが、これが本当の姿だというなら、彼女の中の『魔導書』とやらがなくなったら、ずっとこのままのはずなのだ。
康平に小児性愛者の気はないが、この未明には、正直、しばらく戸惑いを抱くだろう。
そんな呑気な彼の心中など全く知らない未明は、真剣この上ない面持ちだ。いつもの距離まで歩み寄ってきた彼女は、少し硬い声で告げる。
「康平、私、行って来る。多分、キンベルが来ると思うわ。それに、アレイスも」
「大丈夫、俺がきっちり相手してやるさ」
「お願いね」
信頼の笑みを残して出発しようとした未明だが、ふと思い出したように目を開いた。
「そういえば、私のあげた護符は持っているよね?」
「ああ、あるぜ」
「それ、ちゃんと自分で使ってね。私の身体に使おうなんて考えたって、無駄なんだからね」
康平は、図星を指されて動きが止まる。そんな彼に、彼女はムッと唇を尖らせた。そういう顔は、いつもの未明だ。
「やっぱり。あの護符は装着者の精神エネルギーを増幅して効果を発揮するものだから、抜け殻になった私の身体では使えないの。だから、ちゃんと康平自身で使ってよ?」
そう言って睨んでくる未明に、康平は肩を竦めて返した。
「わかったよ」
「まったくもう。お願いだから、自分の身を第一に考えて」
最後にもう一度念を押して、未明は海の底へと飛ぶ。
康平は未明の『抜け殻』が地に伏す前にを捉えて抱き上げると、少し離れた場所に建てられた知盛と義経の像の間に寄りかからせた。二つの像の間であれば、多少のガードになってくれるだろう。持ってきておいた例の剣を彼女の胸の上に置き、その上から自分のジャケットをかける。最後にサッと一瞥し、立ち上がり際に頭の天辺当たりに口付けた。
そうしておいて、腰の後ろに挿しておいたコンバットナイフを抜き放ちつつ振り返る。少しでも未明の力を温存するため、ギリギリまで、彼女が康平の左手に刻んだ文様の力を使うつもりはなかった。
「さあ、始めようか? 不意打ちは無駄だと、もう思い知っただろう?」
康平が視線を向けているのは、街灯と街灯の間の、暗がり。その暗さは不自然なほどの闇を作っている。ジッと睨み据える彼の眼差しに先に、のっそりと、漆黒の巨体が現われる。
「……ミアカスールは我が神の元か」
低い声が、荒れ狂う波の音を縫って響く。
「ああ。あんたの尊敬する化けモンを封じに行ったよ。未明とあんたの追いかけっこも、ここでお終いにさせてもらうぜ。あんたがこれから俺らとは関係なくおとなしく生きてってくれるなら、『さようなら』だ。これからも色々ちょっかいを出すつもりなら……今ここで殺す」
何の気負いもなく、康平は最後の言葉を口にする。彼にとって、それは能力的にも、心理的にも容易なことだ。キンベルに選択肢を与えたのは、単に未明であればそう望むだろうと思ったからで、彼自身としては、さっさと片を着けてしまいたかった。
康平の目の前で、キンベルが返事の代わりに大剣を抜き放つ。
「やっぱり、そうだよな」
呟いた彼の唇は、不敵な笑みの形を刻む。
そうして、一気に地面を蹴った。
空には厚く雲が立ち込めており、月を拝むことはできない。しかし、そんな空にも拘らず、まるで満月に照らされているかのように、周囲の様子は見て取れた。もしかすると、雲のように見えるものは、雲以外の何かなのかもしれない。
(まあ、今更、何があっても驚かねぇけどな)
康平は空を見上げて胸の内でぼやいた。
未明と出逢ってからというもの、それはもうおかしなことばかりなのだ。アヤシゲな雲の一つや二つ、どうということはない。
分厚い雲があっても大気は気味が悪いほど静かで、雨も風もない。その沈黙とは裏腹に、海面だけは激しく逆巻いていた。柵から離れたところに立っていても、砕けた波の飛沫顔に感じる。特に激しく波打っているのは、関門橋の真下辺り――すなわち、『亀裂』がある場所だった。
彼よりも三歩分ほど前に立って海を見据えていた未明が、振り返る。
「間違いなく、『亀裂』の所為ね。でも、こんなに外に影響が出ているなんて……嫌な予感がする」
端正な顔を曇らせ、彼女は言った。少女の姿の時にも漂っていた国籍不明の風情が、未明曰く『本来の姿』ではいっそう際立っている。
今の未明の頭は康平の肩よりも少し上あたりにあった。いつもと違ってあまり見下ろす必要がないのだが、この目線にそのうち慣れる日が来るのだろうかと、康平は切羽詰まった現状にそぐわないようなことを考えてしまう。だが、これが本当の姿だというなら、彼女の中の『魔導書』とやらがなくなったら、ずっとこのままのはずなのだ。
康平に小児性愛者の気はないが、この未明には、正直、しばらく戸惑いを抱くだろう。
そんな呑気な彼の心中など全く知らない未明は、真剣この上ない面持ちだ。いつもの距離まで歩み寄ってきた彼女は、少し硬い声で告げる。
「康平、私、行って来る。多分、キンベルが来ると思うわ。それに、アレイスも」
「大丈夫、俺がきっちり相手してやるさ」
「お願いね」
信頼の笑みを残して出発しようとした未明だが、ふと思い出したように目を開いた。
「そういえば、私のあげた護符は持っているよね?」
「ああ、あるぜ」
「それ、ちゃんと自分で使ってね。私の身体に使おうなんて考えたって、無駄なんだからね」
康平は、図星を指されて動きが止まる。そんな彼に、彼女はムッと唇を尖らせた。そういう顔は、いつもの未明だ。
「やっぱり。あの護符は装着者の精神エネルギーを増幅して効果を発揮するものだから、抜け殻になった私の身体では使えないの。だから、ちゃんと康平自身で使ってよ?」
そう言って睨んでくる未明に、康平は肩を竦めて返した。
「わかったよ」
「まったくもう。お願いだから、自分の身を第一に考えて」
最後にもう一度念を押して、未明は海の底へと飛ぶ。
康平は未明の『抜け殻』が地に伏す前にを捉えて抱き上げると、少し離れた場所に建てられた知盛と義経の像の間に寄りかからせた。二つの像の間であれば、多少のガードになってくれるだろう。持ってきておいた例の剣を彼女の胸の上に置き、その上から自分のジャケットをかける。最後にサッと一瞥し、立ち上がり際に頭の天辺当たりに口付けた。
そうしておいて、腰の後ろに挿しておいたコンバットナイフを抜き放ちつつ振り返る。少しでも未明の力を温存するため、ギリギリまで、彼女が康平の左手に刻んだ文様の力を使うつもりはなかった。
「さあ、始めようか? 不意打ちは無駄だと、もう思い知っただろう?」
康平が視線を向けているのは、街灯と街灯の間の、暗がり。その暗さは不自然なほどの闇を作っている。ジッと睨み据える彼の眼差しに先に、のっそりと、漆黒の巨体が現われる。
「……ミアカスールは我が神の元か」
低い声が、荒れ狂う波の音を縫って響く。
「ああ。あんたの尊敬する化けモンを封じに行ったよ。未明とあんたの追いかけっこも、ここでお終いにさせてもらうぜ。あんたがこれから俺らとは関係なくおとなしく生きてってくれるなら、『さようなら』だ。これからも色々ちょっかいを出すつもりなら……今ここで殺す」
何の気負いもなく、康平は最後の言葉を口にする。彼にとって、それは能力的にも、心理的にも容易なことだ。キンベルに選択肢を与えたのは、単に未明であればそう望むだろうと思ったからで、彼自身としては、さっさと片を着けてしまいたかった。
康平の目の前で、キンベルが返事の代わりに大剣を抜き放つ。
「やっぱり、そうだよな」
呟いた彼の唇は、不敵な笑みの形を刻む。
そうして、一気に地面を蹴った。
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