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帰着
封神
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目指した場所に辿り着いた未明は、断固たる意志と共に、それを見据えた。
『亀裂』は初めて見た時とは比較にならないほどに拡がっており、あろうことか、数本の触手がそこから伸ばされているではないか。まるで、『亀裂』という産道を通って、異形の神がこの世界に産まれ出ようとしているかのようだった。
未明は、その貪欲さ、残酷さをよく知っている。
だから。
――そんなこと、絶対にさせない。
グッと奥歯を噛み締め、未明は、両腕を前に向けて真っ直ぐに伸ばす。声を出せない分、より集中を要する。その上、精神体では彼女自身が『グールムアール』そのものとも言える状態になるが為に微調整が効きにくく、放出する魔力も桁外れになるのだ。故に、これまで、未明は精神体で『グールムアール』の魔力を解放させたことはなかった。とにかくその力が暴走しないように、コントロールに細心の注意を払わねばならない。
――キ・サム・エ・スト・シャム。
慎重に、確実に、未明は呪文を唱える。力の解放を求める呪文を。それに答えた『グールムアール』が力を放出し始めると、彼女の全身が光を帯び、次第に強まっていく。
――アラーラ・ナム・ト・オル・フォル。
全てのものを、あるべき姿に。
そう、世界はあるべき姿に戻るべきなのだ――彼女自身も含めて。『グールムアール』を封印し、未明は未明を取り戻す。
――ディ・ウァル・ズ・ユヌ・バール。
唱える言葉で想起するのは、不変の障壁。この世界を守るもの。
そう、この世界は変わらない。決して変えさせない。
呪文に決意を上書きし、未明は身体中にみなぎる力に方向性を持たせ、一気に解き放った。
未明から放たれる魔力は、質量を持って『亀裂』に向かい、そこからもがき出ようとしているオスラムの触手を押し戻す。欲望を妨げられた怪異は、キイともギイともつかない、聞く者の神経を掻き毟るような雄叫びで海水を震わせた。
両者の力は拮抗か、あるいは、未明の方がわずかに勝っているかのように見えた。だが、決定的な差ではない。それは即ち、未明の敗北を意味する。何故ならば、『グールムアール』とオスラムはほぼ互角だったとしても。未明はそうではないからだ。彼女は『グールムアールの器』でしかない。そして、本来ただのヒトでしかない未明自身の力は、いずれ尽きる。
――もう少し……もう少しなのに!!
力はオスラムを押し戻すのに費やされ、『亀裂』の修復にまでまわらない。
アレを『亀裂』に押し込むことができれば、未明の勝ちだ。
だが――。
押していた未明の力と退き気味だったオスラムの力が、完全に拮抗し始める。まるでそこに見えない壁でも作られたかのように、ピタリと動かなくなった。
――やっぱり、無理、なの……?
アンサムで――未明の生まれた世界で『旧き神々』たちを封じたときは、何十、いや、何百人もの魔道師たちが命を賭した。それだけの犠牲を払って、ようやくこの怪物を次元の外へと追いやれたのだ。
けれど、今は、未明一人きり。
ほんのわずかな間でもいい。アレを押し留めておいてくれるものがいれば――。
一瞬の焦りが、未明の集中を揺るがせた。
――!
それを契機に、未明はジリジリと押され始める。立て直そうと試みても、一度崩れ始めた体勢を覆すのは困難だった。
――くぅッ!
未明は奥歯を噛み締める。決して、諦めはしない。
しかし。
ギ、キィィィ!!
勢いづいたオスラムの触手が『亀裂』からはみ出し、ビチビチとのた打ち回る。
――ああ、誰か、……こうへい、康平!
思わず、その名を呼んだ。
それに何も返らないことは――返せないことは、彼女自身がよく解っている。けれども、口にせずにはいられなかった。
そう、康平の声は、返らない。
代わりに響いたのは、別の声。
――仕方がないな。ほら、ちょっとだけ手伝ってあげるから、さっさと穴を閉じちゃってよ。
その声と共に、ギリギリと押し寄せていた抵抗が、フッと消える。
あまりに大きく、未明は、初めそれに気付かなかった。
いつの間にかすぐ隣に現れていた、半透明の巨体。上半身は人の身体に近いようだったが、腕は左右に六本あった。下半身は、蛇。その尾の先が何処にあるのか、見て取ることはできない。
――ほら、早く。僕だってこの世界にとったら邪魔ものなんだからね。いつまでもこうしてはいられないんだから。
せっつくように、ソレが言う。未明が見上げ、彼女を見下ろしてくるソレの顔は、何もなかった。目も、口も、鼻も。
――どうするの? いいの? いらないなら、僕は帰るよ?
こんな切羽詰った状況だというのに、相変らず、軽い。
――ううん。ありがとう。
未明は慌ててそう答えて視線を前に戻すと、ソレが押し込んだオスラムが、『亀裂』の向こうでもがいているのが見て取れた。
未明は再び、渾身の力を振り絞る。もう、残る力は少なかったが、魔力が足りないというのなら、自分の命すら使うだろう。
彼女の力を受けて、『亀裂』は次第に修復されていく。
キ、ギキギィィ……。
狭くなった『亀裂』から、声が漏れ聞こえてくる。それはもう未明を脅かすものではなく、微かな断末魔にも似たものだった。
――あと、少し……。
やがて『亀裂』はただの『隙間』となる。
――僕は、もう行くから。じゃあね。
未明には、それに応える余裕はない。ソレの気配が消え失せても、ただ、力の最後の一滴まで注ぎ込み続ける。
――もう、終わる……あと、ちょっと……。
『隙間』が完全に閉じるのを薄れゆく視界に捉えたのを最後に、未明の意識はろうそくの炎のように掻き消された。
『亀裂』は初めて見た時とは比較にならないほどに拡がっており、あろうことか、数本の触手がそこから伸ばされているではないか。まるで、『亀裂』という産道を通って、異形の神がこの世界に産まれ出ようとしているかのようだった。
未明は、その貪欲さ、残酷さをよく知っている。
だから。
――そんなこと、絶対にさせない。
グッと奥歯を噛み締め、未明は、両腕を前に向けて真っ直ぐに伸ばす。声を出せない分、より集中を要する。その上、精神体では彼女自身が『グールムアール』そのものとも言える状態になるが為に微調整が効きにくく、放出する魔力も桁外れになるのだ。故に、これまで、未明は精神体で『グールムアール』の魔力を解放させたことはなかった。とにかくその力が暴走しないように、コントロールに細心の注意を払わねばならない。
――キ・サム・エ・スト・シャム。
慎重に、確実に、未明は呪文を唱える。力の解放を求める呪文を。それに答えた『グールムアール』が力を放出し始めると、彼女の全身が光を帯び、次第に強まっていく。
――アラーラ・ナム・ト・オル・フォル。
全てのものを、あるべき姿に。
そう、世界はあるべき姿に戻るべきなのだ――彼女自身も含めて。『グールムアール』を封印し、未明は未明を取り戻す。
――ディ・ウァル・ズ・ユヌ・バール。
唱える言葉で想起するのは、不変の障壁。この世界を守るもの。
そう、この世界は変わらない。決して変えさせない。
呪文に決意を上書きし、未明は身体中にみなぎる力に方向性を持たせ、一気に解き放った。
未明から放たれる魔力は、質量を持って『亀裂』に向かい、そこからもがき出ようとしているオスラムの触手を押し戻す。欲望を妨げられた怪異は、キイともギイともつかない、聞く者の神経を掻き毟るような雄叫びで海水を震わせた。
両者の力は拮抗か、あるいは、未明の方がわずかに勝っているかのように見えた。だが、決定的な差ではない。それは即ち、未明の敗北を意味する。何故ならば、『グールムアール』とオスラムはほぼ互角だったとしても。未明はそうではないからだ。彼女は『グールムアールの器』でしかない。そして、本来ただのヒトでしかない未明自身の力は、いずれ尽きる。
――もう少し……もう少しなのに!!
力はオスラムを押し戻すのに費やされ、『亀裂』の修復にまでまわらない。
アレを『亀裂』に押し込むことができれば、未明の勝ちだ。
だが――。
押していた未明の力と退き気味だったオスラムの力が、完全に拮抗し始める。まるでそこに見えない壁でも作られたかのように、ピタリと動かなくなった。
――やっぱり、無理、なの……?
アンサムで――未明の生まれた世界で『旧き神々』たちを封じたときは、何十、いや、何百人もの魔道師たちが命を賭した。それだけの犠牲を払って、ようやくこの怪物を次元の外へと追いやれたのだ。
けれど、今は、未明一人きり。
ほんのわずかな間でもいい。アレを押し留めておいてくれるものがいれば――。
一瞬の焦りが、未明の集中を揺るがせた。
――!
それを契機に、未明はジリジリと押され始める。立て直そうと試みても、一度崩れ始めた体勢を覆すのは困難だった。
――くぅッ!
未明は奥歯を噛み締める。決して、諦めはしない。
しかし。
ギ、キィィィ!!
勢いづいたオスラムの触手が『亀裂』からはみ出し、ビチビチとのた打ち回る。
――ああ、誰か、……こうへい、康平!
思わず、その名を呼んだ。
それに何も返らないことは――返せないことは、彼女自身がよく解っている。けれども、口にせずにはいられなかった。
そう、康平の声は、返らない。
代わりに響いたのは、別の声。
――仕方がないな。ほら、ちょっとだけ手伝ってあげるから、さっさと穴を閉じちゃってよ。
その声と共に、ギリギリと押し寄せていた抵抗が、フッと消える。
あまりに大きく、未明は、初めそれに気付かなかった。
いつの間にかすぐ隣に現れていた、半透明の巨体。上半身は人の身体に近いようだったが、腕は左右に六本あった。下半身は、蛇。その尾の先が何処にあるのか、見て取ることはできない。
――ほら、早く。僕だってこの世界にとったら邪魔ものなんだからね。いつまでもこうしてはいられないんだから。
せっつくように、ソレが言う。未明が見上げ、彼女を見下ろしてくるソレの顔は、何もなかった。目も、口も、鼻も。
――どうするの? いいの? いらないなら、僕は帰るよ?
こんな切羽詰った状況だというのに、相変らず、軽い。
――ううん。ありがとう。
未明は慌ててそう答えて視線を前に戻すと、ソレが押し込んだオスラムが、『亀裂』の向こうでもがいているのが見て取れた。
未明は再び、渾身の力を振り絞る。もう、残る力は少なかったが、魔力が足りないというのなら、自分の命すら使うだろう。
彼女の力を受けて、『亀裂』は次第に修復されていく。
キ、ギキギィィ……。
狭くなった『亀裂』から、声が漏れ聞こえてくる。それはもう未明を脅かすものではなく、微かな断末魔にも似たものだった。
――あと、少し……。
やがて『亀裂』はただの『隙間』となる。
――僕は、もう行くから。じゃあね。
未明には、それに応える余裕はない。ソレの気配が消え失せても、ただ、力の最後の一滴まで注ぎ込み続ける。
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