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どんな道でも、二人なら
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「花火を見に行こう」
彼女は突然やってきて、突然、僕にそう誘いをかけた。
花火と言えば、夜のイベントだ。そして、僕は、夜の外出は嫌いだ。
多分、前もって言っていたら何だかんだと逃げられると予想していたからなんだろうな。
渋る僕の手を掴み、彼女は玄関から引っ張り出した。
まだ、陽はその輝きを放ってくれている。けれども、完全に沈んでしまえば、今の僕の目では真の闇の世界になってしまう。街灯があっても、そんなちっぽけな灯りでは、僕の役には立たないのだ。昼間の僕の目は、それでも、まだかろうじてものを映してくれる。だけど、夜はダメだ。夜は、本当に、何も見えなくなる。
言うなれば、失明の予行練習みたいなものなのだ。僕の目は病気が進んでもそんな風に完全に光を失ってしまう、というわけではないらしいけれど、『見えなくなる』という点では大差がない。
いずれ避けられないものなのに、どうして前もって経験しなくちゃいけないんだ?
ブツブツと文句を言う僕には取り合わず、彼女はさっさと歩いていく。浴衣に下駄なのに、速い。
次第に人が増えていき、すぐに誰かにぶつからずには歩けなくなった。もっとも、これは僕の目がどうこうというわけではなく、とにかく人が多いからだけど。
「凄いヒトだね」
さすがに閉口した口調で、彼女が言う。
「だから、止めときゃ良かったんだって」
「やだよ。ずっと、君と来たかったんだもん。なのに、君はいつも部活ばっかりで、誘う隙をくれなかったから」
僕の指先を握る彼女の手に、心持ち力がこもる。
こうやって二人で出歩く時、彼女が僕の手を握ることが増えたけれど、僕が彼女の手を握り返すことはなかった。
そうしてはいけないと、解かっていたから。
「あのさ――」
キュッと唇を噛んだ彼女が、何か言いかけた、その時。
鼓膜を震わせる大きな音とともに、パッと夜空に咲いた、輝く大輪の花。
それは束の間僕の世界を明るく照らす。
「きれいだね」
華やいだ声で、彼女がそう言う。
そう、綺麗だった。
花火が、そして何より、その輝きに照らし出される彼女の横顔が。
この目がそれを映してくれる時間は、あとどれほど残っているのだろうか。
僕が彼女と初めて出会ってから、二十年。この目のことを知ってから一緒に過ごしたのは、七年だ。
僕たちの年頃にとっては、あまりに長い時間だった。
いい加減、彼女を本来の道に帰してやるべきなのだ。
僕は、指先に感じる温もりを握り返したくなるのを、懸命に堪える。
本当は、今頃、僕と彼女の道は遠く離れているはずだった。
本当は七年前に分かれるはずだった道を、僕の弱さが捻じ曲げたのだ。僕の弱さが、彼女の道を無理やり僕の道に重ねさせてしまった。
だけど、もう、僕は独りで立っていられる。時々はへこたれることがあるかもしれないけれど、決して潰れはしない。
その強さを、彼女がくれたから。
花火を見上げながら、僕は心を決める。
それは、もう、ずいぶん前から、いつかは彼女に告げなければならないと思っていたことだった。ズルズルと先延ばしにしていたけれど、今こそ、言わなければ。
――彼女自身の道を、歩いてくれ、と。
決別の言葉を口にしようと、開きかけた、その時。
機先を制するタイミングで、彼女がクルリと僕に向き直った。
そして。
「あのさ、君の一生、わたしにくれる?」
その声は、絶え間なく続く花火の爆音に負けず、驚くほどクリアに僕の耳に届いた。
「はぁ?」
我ながら間の抜けた声だとは思った。思ったけれど、とっさに出てしまったものは仕方がない。
僕が聴き逃したと思ったのか、彼女は軽く首をかしげて、もう一度言った。
「だからさ、わたしと結婚してくれる?」
「お前、何言ってんの?」
他に言いようがなかった。本当に、判らなかった。
「もう、相変わらず鈍いのね。こんなにストレートにプロポーズしてるのに、解からないの?」
呆れたように彼女が言う。
台詞の意味は、解かる。当たり前だ。
だけど、解からないのは、彼女が何を考えてそんなことを言い出したのか、だった。
ヒタと見据えてくる彼女の眼差しからは逃げられず、僕は何とか言葉をひねり出す。
「そんなの、無理だ。僕は自分のことで精一杯なんだぜ? 誰かの……家族の面倒なんて、見られない」
「あら、面倒見て、なんて言ってないじゃない。結婚してって言っただけよ」
「僕は、『普通』の夫や……父親には、なれないんだぜ」
「『普通』って何よ。第一、わたし、最初に言ったよね? わたしが君の傍に居たいと思う限りは、傍に居るって。ここまで一緒にいて、やっぱりまだまだずっと一緒に居たいって思ったんだもの。だったら、結婚するしかないでしょ?」
それは、いったい、どんな理屈なんだよ。呆気に取られながら、僕は何とか逃げ道を探す。
「お前は、子どもが欲しいんだろ? でも、この病気は遺伝するんだ。子どもでは発症しないかもしれないけど、孫には出るかもしれないんだぞ」
僕の必死の剛速球を、彼女はコロコロと笑いながら、いとも簡単に打ち返した。
「あら、そうなったら、きっとわたしみたいないい女を捕まえるわ」
グッと、僕は言葉に詰まる。とっさに言い返せなかった時点で、僕の負けだった。
当たり前だ。
グラグラと揺れながらの僕の考えなんか、少しの振れもない彼女に勝てるわけがない。
「結婚、してね」
そうして、また、花火に負けないほど艶やかに笑う。
僕のちっぽけなプライドは、彼女のその笑みで、まるでろうそくの炎のように吹き消された。
ああ、もう、いいや。
僕だって、彼女と一緒に居たいんだ。彼女が手を伸ばしてくれるなら、こんな僕でも、それを掴んでもいいだろう?
僕は腕を広げて彼女を包み込む。
花火なんてそっちのけで、僕たちは、いつまでもお互いの鼓動に耳を傾けていた。
彼女は突然やってきて、突然、僕にそう誘いをかけた。
花火と言えば、夜のイベントだ。そして、僕は、夜の外出は嫌いだ。
多分、前もって言っていたら何だかんだと逃げられると予想していたからなんだろうな。
渋る僕の手を掴み、彼女は玄関から引っ張り出した。
まだ、陽はその輝きを放ってくれている。けれども、完全に沈んでしまえば、今の僕の目では真の闇の世界になってしまう。街灯があっても、そんなちっぽけな灯りでは、僕の役には立たないのだ。昼間の僕の目は、それでも、まだかろうじてものを映してくれる。だけど、夜はダメだ。夜は、本当に、何も見えなくなる。
言うなれば、失明の予行練習みたいなものなのだ。僕の目は病気が進んでもそんな風に完全に光を失ってしまう、というわけではないらしいけれど、『見えなくなる』という点では大差がない。
いずれ避けられないものなのに、どうして前もって経験しなくちゃいけないんだ?
ブツブツと文句を言う僕には取り合わず、彼女はさっさと歩いていく。浴衣に下駄なのに、速い。
次第に人が増えていき、すぐに誰かにぶつからずには歩けなくなった。もっとも、これは僕の目がどうこうというわけではなく、とにかく人が多いからだけど。
「凄いヒトだね」
さすがに閉口した口調で、彼女が言う。
「だから、止めときゃ良かったんだって」
「やだよ。ずっと、君と来たかったんだもん。なのに、君はいつも部活ばっかりで、誘う隙をくれなかったから」
僕の指先を握る彼女の手に、心持ち力がこもる。
こうやって二人で出歩く時、彼女が僕の手を握ることが増えたけれど、僕が彼女の手を握り返すことはなかった。
そうしてはいけないと、解かっていたから。
「あのさ――」
キュッと唇を噛んだ彼女が、何か言いかけた、その時。
鼓膜を震わせる大きな音とともに、パッと夜空に咲いた、輝く大輪の花。
それは束の間僕の世界を明るく照らす。
「きれいだね」
華やいだ声で、彼女がそう言う。
そう、綺麗だった。
花火が、そして何より、その輝きに照らし出される彼女の横顔が。
この目がそれを映してくれる時間は、あとどれほど残っているのだろうか。
僕が彼女と初めて出会ってから、二十年。この目のことを知ってから一緒に過ごしたのは、七年だ。
僕たちの年頃にとっては、あまりに長い時間だった。
いい加減、彼女を本来の道に帰してやるべきなのだ。
僕は、指先に感じる温もりを握り返したくなるのを、懸命に堪える。
本当は、今頃、僕と彼女の道は遠く離れているはずだった。
本当は七年前に分かれるはずだった道を、僕の弱さが捻じ曲げたのだ。僕の弱さが、彼女の道を無理やり僕の道に重ねさせてしまった。
だけど、もう、僕は独りで立っていられる。時々はへこたれることがあるかもしれないけれど、決して潰れはしない。
その強さを、彼女がくれたから。
花火を見上げながら、僕は心を決める。
それは、もう、ずいぶん前から、いつかは彼女に告げなければならないと思っていたことだった。ズルズルと先延ばしにしていたけれど、今こそ、言わなければ。
――彼女自身の道を、歩いてくれ、と。
決別の言葉を口にしようと、開きかけた、その時。
機先を制するタイミングで、彼女がクルリと僕に向き直った。
そして。
「あのさ、君の一生、わたしにくれる?」
その声は、絶え間なく続く花火の爆音に負けず、驚くほどクリアに僕の耳に届いた。
「はぁ?」
我ながら間の抜けた声だとは思った。思ったけれど、とっさに出てしまったものは仕方がない。
僕が聴き逃したと思ったのか、彼女は軽く首をかしげて、もう一度言った。
「だからさ、わたしと結婚してくれる?」
「お前、何言ってんの?」
他に言いようがなかった。本当に、判らなかった。
「もう、相変わらず鈍いのね。こんなにストレートにプロポーズしてるのに、解からないの?」
呆れたように彼女が言う。
台詞の意味は、解かる。当たり前だ。
だけど、解からないのは、彼女が何を考えてそんなことを言い出したのか、だった。
ヒタと見据えてくる彼女の眼差しからは逃げられず、僕は何とか言葉をひねり出す。
「そんなの、無理だ。僕は自分のことで精一杯なんだぜ? 誰かの……家族の面倒なんて、見られない」
「あら、面倒見て、なんて言ってないじゃない。結婚してって言っただけよ」
「僕は、『普通』の夫や……父親には、なれないんだぜ」
「『普通』って何よ。第一、わたし、最初に言ったよね? わたしが君の傍に居たいと思う限りは、傍に居るって。ここまで一緒にいて、やっぱりまだまだずっと一緒に居たいって思ったんだもの。だったら、結婚するしかないでしょ?」
それは、いったい、どんな理屈なんだよ。呆気に取られながら、僕は何とか逃げ道を探す。
「お前は、子どもが欲しいんだろ? でも、この病気は遺伝するんだ。子どもでは発症しないかもしれないけど、孫には出るかもしれないんだぞ」
僕の必死の剛速球を、彼女はコロコロと笑いながら、いとも簡単に打ち返した。
「あら、そうなったら、きっとわたしみたいないい女を捕まえるわ」
グッと、僕は言葉に詰まる。とっさに言い返せなかった時点で、僕の負けだった。
当たり前だ。
グラグラと揺れながらの僕の考えなんか、少しの振れもない彼女に勝てるわけがない。
「結婚、してね」
そうして、また、花火に負けないほど艶やかに笑う。
僕のちっぽけなプライドは、彼女のその笑みで、まるでろうそくの炎のように吹き消された。
ああ、もう、いいや。
僕だって、彼女と一緒に居たいんだ。彼女が手を伸ばしてくれるなら、こんな僕でも、それを掴んでもいいだろう?
僕は腕を広げて彼女を包み込む。
花火なんてそっちのけで、僕たちは、いつまでもお互いの鼓動に耳を傾けていた。
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