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第二部:らいおんはうさぎにこがれる
新たな一歩
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もうじき、梅雨入りの時期だ。
膝に頬杖を突いた司はぼんやりとそんなことを考えながら、宇佐美家のリビングから庭を彩る鮮やかな紫陽花を眺めやる。
巳之口の別荘から花を連れ戻した後、司は彼女の両親とも顔を合わせ、二人から感謝の言葉を雨あられとばかりにと浴びせられた。花を案じるあまりにそこまで気が向いていなかったのか、あるいは、宇佐美家の団欒ですでに司のことは話に上がっていたのか、いずれにせよ、彼らは司の凶悪な人相のことなどさっぱり目に入っていないようだった。
あの男が再び捕らえられ、もう花を送る必要はなくなったのだが、司は週二ペースで宇佐美家を訪れ夕飯の相伴にあずかっている。以前と違うのは、彼女の両親の在不在が関係なくなったことくらいだ。
もちろん、司は、巳之口の再逮捕を潮時に、終わりにするつもりだったのだ。だが、あの一件から三日後、当然のように花に「今日寄っていく?」と訊かれ、なし崩しに今に至っている。
(あいつ、翌日には学校に来たんだよな)
あれほどのことがあったのだ。てっきり、花はしばらく休むのだろうと思っていた。だから、その予測に反して天文サークルの部室に座っている彼女を目にしたとき、思わず、「何でここにいる!?」と声を上げてしまったのだ。
(意外と図太いよな)
司は正直拍子抜けし、そして、同時に安堵してもいた。花が独り閉じこもるという事態に陥らずにいてくれたことに。
もしかしたら、いつものカラ元気なのかもしれない。
そう思ってしばらく花の様子に目を光らせていたが、ひと月以上が経った今、ようやく、司も本当に彼女はもう吹っ切れているのだと確信しつつある。
「取り敢えずは、一件落着、か」
司が、そう呟いた時。
「いらっしゃい、獅子王さん」
司は、掛けられたその声に振り返る。
「空」
「今日はバイトはないんですか?」
ソファを回って司のはす向かいに腰を下ろした空が、そう訊いてきた。
「ああ」
「じゃあ、ゆっくりしていけるんですね。父と母が会いたがってましたよ」
軽く首をかしげると、空は姉にそっくりになる。殆ど双子と言ってもいいほどで、花に見つめられた時のようなそわそわした気分にならないのが、不思議なくらいだ。
そのまま、空はジッと司を見つめてきた。あまりにまじまじと凝視され、司は眉をひそめる。
「何だ?」
「ああ、いえ、獅子王さん、もううちの両親公認じゃないですか?」
「公認?」
司は眉間にしわを刻んで空が口にしたその言葉を繰り返した。空は頷き、サラリとした口調で問いを投げてくる。
「ええ。姉さんと獅子王さんって、出会ってから、もう四年にはなりますよね。で、今、二人はどこまで行ってるんです?」
「……は?」
顔中に疑問符を浮かべていたと見え、空がため息をこぼす。
「何か、中学生を相手にしてるみたいだな。じゃあちょっと質問替えますけど、獅子王さんは姉さんのことどう思ってるんですか?」
司は、答えに詰まった。
「どう、と言われても――」
渋面で呟いて、グッと眉根を寄せる。
「彼女のことは、支えてやりたいと思っている」
言葉を探りながら返した答えに、空が眉を上げた。
「はぁ?」
心底呆れたと言わんばかりの声を上げた彼は、また、ため息を一つこぼした。先ほどよりも盛大に。
「そうじゃなくて、もっと、こう、……もしかして、姉と二人の時もそんな感じなんですか?」
「そんな感じとは?」
眉をひそめた司に、空は「あんた何をふざけたことを」とでも言いたそうな顔になる。
「本気で自覚ないのか」
何やらブツブツと呟いていたと思ったら、微かに眇めた窺うような視線を向けてきた。
「支えてやりたいって、じゃあ、支えるだけでいいんですか?」
「ああ」
即答した司に、空の顔から一瞬表情が抜け落ちた。
「――なら、ちょっと想像してみてくださいよ。姉に誰か他の男がキスしたらどう思います?」
彼女の同意を得ずにということだろうか。
「殴るな」
「じゃあ、抱き締めたら?」
「剥がす」
「触るだけ」
「むかつく。……何が言いたいんだ?」
「だから――」
空が更に言い募ろうとしたところで、パタパタと軽い足音と共に、廊下から花がヒョコリと顔をのぞかせる。
「あ、空くんお帰り。獅子王くん、ご飯できたよ。空くんも来て」
それだけ言って、また廊下を戻っていこうとする花を、空が引き留めた。
「ちょっと待って、姉さん」
花はクルリと振り返り、小首をかしげて空を見つめる。先ほどの空と同じポーズだが、可愛らしさが段違いだ。
キョトンと目を丸くしている花に、空がにこりと笑いかける。
「姉さんはどうなの?」
「え?」
「姉さん、獅子王さんのことをどう思ってるのさ。親公認の間柄なんだから、そろそろはっきりさせておいてもいいんじゃないの?」
空は笑みを浮かべているが、微妙に生温さがあるというかなんというか。司が睨み付けてもどこ吹く風という風情だ。
花はしばし空を見つめ、次いで、司に眼を移した。
まじまじと凝視され、司は眉をひそめる。
「……何だ?」
気まずさもあって不愛想に問うた司に、花が少しばかり唇を尖らせた。
「獅子王くんって、わたしのこと、小さい子どもみたいに思ってるよね」
「は?」
唐突且つ全く想定外の彼女の台詞に、司は思いきり間の抜けた声を上げてしまう。これっぽっちもそんなことは思っていなかったから、返す言葉も見つけられない。
そんな彼の反応をスルーして、花は続ける。
「こう、頼りないなぁとか。だから、傍にいて色々してくれるんでしょう? ていうか、つい、手が出ちゃうんだよね、きっと」
「違う」
残念そうな花の台詞を、司は即座に否定した。
じゃあどうして彼女に構ってしまうのかと問われたら理路整然とは答えられないが、少なくとも、子どものようだとは思っていない。そういう理由とは、むしろ逆の方向を向いていると思う。
むぅと唇を引き結ぶ司と唇を噛んでいる姉との間で視線を行き来させ、空がため息をついた。いかにも、「しょうがないな」というふうに。
「傍から見てたらこれ以上ないって程明らかなんだけどなぁ……」
「何が?」
訊ねた花に、空はにこりと笑った。そうして、よいしょと立ち上がる。
「悔しいから教えない。獅子王さん、ちょっと二人でそこら辺について話し合ってみたらどうです? 僕はいなくなるんで。少なくとも、頭の中に在ることを、声に出してあげてくださいよ――姉さんの為に」
「おい……?」
司と花を置いてリビングを出ていきかけたところで、空がクルリと振り返る。
「僕は、獅子王さんならいいですよ」
そんな台詞を残して彼は姿を消してしまった。
「えっと……獅子王くん?」
二人きりとなってしんと静まり返ったリビングでためらいがちな声で名を呼ばれ、司は首を巡らせ花を見る。彼女は少し困ったような笑みを浮かべていた。
花と、話し合う。
(何を――?)
判らない。
だが、判らないと立ち止まったままでは、いつまで経っても判らないままだ。
あまり自分の考えを声に出すことは得意ではないが、取り敢えず、一番大きな誤解だけは解いておくべきだろう。
司は息を吸い込み崖から飛び下りる気分で最初の一歩を踏み出した。
「俺は、あんたのことを頼りないとは、思っていない」
「え?」
「むしろ、強い奴だと思っている。俺よりも」
司の台詞によほど面食らったのか、花は目をしばたたかせている。
「俺があんたに手を出してしまうのは、頼りないからじゃない。単純にそうしたいからだ。できたら、俺が手を出す前に頼って欲しいと思う」
「え、と……そんなこと言われたら、わたし、甘えたになっちゃうよ」
花に言われて、司はそんな彼女を想像してみた。
悪くない。
「他の奴に対してもそうだったら腹が立つ気がするが、俺に対してなら構わない」
至極真面目に答えると、花はピシリと固まった。次いで、丸い頬がじわじわと紅く染まっていく。司は何故か無性にそれに触ってみたくなったが、そこは正直に出すべきじゃないという理性はかろうじて働いた。そして同時に、触れても許される間柄とは、どんなものだろうかという疑問も頭をよぎる。
「獅子王くんといたら、きっと、ダメな子になる」
紅い顔のまま言った花は不服そうだったが、それが悪いことだとは司には思えない。
「俺の前でだけなら別にいいだろう。宇佐美の強さは尊敬するが、同じくらい、もどかしいような気分になる」
「もどかしい?」
「ああ。多分、俺のことなど必要ないと言われている気分になるからだろう。だからかもしれないが、弱いあんたを見せてくれると、俺は嬉しくなる」
「うれ、しい……?」
たどたどしい花の呟きに司は首肯する。
「ああ」
「そう、なんだ……」
戸惑っているような彼女を見つめながら、司は思った。
こんなに、頭に思い浮かぶまま一切吟味せずに考えを吐き出すのは初めてのことかもしれない。
そもそも司は、そうしたいと思ったことが今までなかったのだ。人からどう思われようと構わなかったし、自分の考えを理解して欲しいと思ったこともなかった。
(だが、こいつには解かっておいて欲しい)
彼が何を考え、何を欲しているのか。
それに応じてくれとまでは望まない。まだ、そこまでは望んでいないが。
思いを吐露しきった司は口をつぐむ。
彼の前で花は身じろぎ一つせず固まっていたが、唐突に膝の上に顔を伏せた。そのまま、ボソボソと呟くようにこぼす。
「そんなこと言われたら、わたしの方が嬉しくなっちゃうよ」
「宇佐美がそう思うなら、俺はその数倍嬉しい」
これもまた、嘘偽りのない本心だ。
花はしばらくそのままでいて、やがて、面を上げる。
目が合って、彼女はふわりと笑んだ。
司は、これまで数えきれないほど花が笑うところを見てきた。中には見ていて苦しくなるものもあったけれど、殆どは、彼の心を温めて心地良くしてくれるものだった。
だが、今の花が浮かべているものは、それらの比ではない。その大輪の花が綻ぶような笑顔ほど、司の胸に深く刺さるものはなかった。
こんなふうに、笑っていて欲しい。
心の底から、司はそう思った。
多分、これから先も、花は何度も笑うだろう。少なくとも、司が傍にいる限り、そうさせるつもりだ。
その全てが、今の彼女が浮かべているようなものであって欲しいと、切に望む。
その為ならどんなことでもしてみせようと、司は、心の奥深くに刻み込んだ。
膝に頬杖を突いた司はぼんやりとそんなことを考えながら、宇佐美家のリビングから庭を彩る鮮やかな紫陽花を眺めやる。
巳之口の別荘から花を連れ戻した後、司は彼女の両親とも顔を合わせ、二人から感謝の言葉を雨あられとばかりにと浴びせられた。花を案じるあまりにそこまで気が向いていなかったのか、あるいは、宇佐美家の団欒ですでに司のことは話に上がっていたのか、いずれにせよ、彼らは司の凶悪な人相のことなどさっぱり目に入っていないようだった。
あの男が再び捕らえられ、もう花を送る必要はなくなったのだが、司は週二ペースで宇佐美家を訪れ夕飯の相伴にあずかっている。以前と違うのは、彼女の両親の在不在が関係なくなったことくらいだ。
もちろん、司は、巳之口の再逮捕を潮時に、終わりにするつもりだったのだ。だが、あの一件から三日後、当然のように花に「今日寄っていく?」と訊かれ、なし崩しに今に至っている。
(あいつ、翌日には学校に来たんだよな)
あれほどのことがあったのだ。てっきり、花はしばらく休むのだろうと思っていた。だから、その予測に反して天文サークルの部室に座っている彼女を目にしたとき、思わず、「何でここにいる!?」と声を上げてしまったのだ。
(意外と図太いよな)
司は正直拍子抜けし、そして、同時に安堵してもいた。花が独り閉じこもるという事態に陥らずにいてくれたことに。
もしかしたら、いつものカラ元気なのかもしれない。
そう思ってしばらく花の様子に目を光らせていたが、ひと月以上が経った今、ようやく、司も本当に彼女はもう吹っ切れているのだと確信しつつある。
「取り敢えずは、一件落着、か」
司が、そう呟いた時。
「いらっしゃい、獅子王さん」
司は、掛けられたその声に振り返る。
「空」
「今日はバイトはないんですか?」
ソファを回って司のはす向かいに腰を下ろした空が、そう訊いてきた。
「ああ」
「じゃあ、ゆっくりしていけるんですね。父と母が会いたがってましたよ」
軽く首をかしげると、空は姉にそっくりになる。殆ど双子と言ってもいいほどで、花に見つめられた時のようなそわそわした気分にならないのが、不思議なくらいだ。
そのまま、空はジッと司を見つめてきた。あまりにまじまじと凝視され、司は眉をひそめる。
「何だ?」
「ああ、いえ、獅子王さん、もううちの両親公認じゃないですか?」
「公認?」
司は眉間にしわを刻んで空が口にしたその言葉を繰り返した。空は頷き、サラリとした口調で問いを投げてくる。
「ええ。姉さんと獅子王さんって、出会ってから、もう四年にはなりますよね。で、今、二人はどこまで行ってるんです?」
「……は?」
顔中に疑問符を浮かべていたと見え、空がため息をこぼす。
「何か、中学生を相手にしてるみたいだな。じゃあちょっと質問替えますけど、獅子王さんは姉さんのことどう思ってるんですか?」
司は、答えに詰まった。
「どう、と言われても――」
渋面で呟いて、グッと眉根を寄せる。
「彼女のことは、支えてやりたいと思っている」
言葉を探りながら返した答えに、空が眉を上げた。
「はぁ?」
心底呆れたと言わんばかりの声を上げた彼は、また、ため息を一つこぼした。先ほどよりも盛大に。
「そうじゃなくて、もっと、こう、……もしかして、姉と二人の時もそんな感じなんですか?」
「そんな感じとは?」
眉をひそめた司に、空は「あんた何をふざけたことを」とでも言いたそうな顔になる。
「本気で自覚ないのか」
何やらブツブツと呟いていたと思ったら、微かに眇めた窺うような視線を向けてきた。
「支えてやりたいって、じゃあ、支えるだけでいいんですか?」
「ああ」
即答した司に、空の顔から一瞬表情が抜け落ちた。
「――なら、ちょっと想像してみてくださいよ。姉に誰か他の男がキスしたらどう思います?」
彼女の同意を得ずにということだろうか。
「殴るな」
「じゃあ、抱き締めたら?」
「剥がす」
「触るだけ」
「むかつく。……何が言いたいんだ?」
「だから――」
空が更に言い募ろうとしたところで、パタパタと軽い足音と共に、廊下から花がヒョコリと顔をのぞかせる。
「あ、空くんお帰り。獅子王くん、ご飯できたよ。空くんも来て」
それだけ言って、また廊下を戻っていこうとする花を、空が引き留めた。
「ちょっと待って、姉さん」
花はクルリと振り返り、小首をかしげて空を見つめる。先ほどの空と同じポーズだが、可愛らしさが段違いだ。
キョトンと目を丸くしている花に、空がにこりと笑いかける。
「姉さんはどうなの?」
「え?」
「姉さん、獅子王さんのことをどう思ってるのさ。親公認の間柄なんだから、そろそろはっきりさせておいてもいいんじゃないの?」
空は笑みを浮かべているが、微妙に生温さがあるというかなんというか。司が睨み付けてもどこ吹く風という風情だ。
花はしばし空を見つめ、次いで、司に眼を移した。
まじまじと凝視され、司は眉をひそめる。
「……何だ?」
気まずさもあって不愛想に問うた司に、花が少しばかり唇を尖らせた。
「獅子王くんって、わたしのこと、小さい子どもみたいに思ってるよね」
「は?」
唐突且つ全く想定外の彼女の台詞に、司は思いきり間の抜けた声を上げてしまう。これっぽっちもそんなことは思っていなかったから、返す言葉も見つけられない。
そんな彼の反応をスルーして、花は続ける。
「こう、頼りないなぁとか。だから、傍にいて色々してくれるんでしょう? ていうか、つい、手が出ちゃうんだよね、きっと」
「違う」
残念そうな花の台詞を、司は即座に否定した。
じゃあどうして彼女に構ってしまうのかと問われたら理路整然とは答えられないが、少なくとも、子どものようだとは思っていない。そういう理由とは、むしろ逆の方向を向いていると思う。
むぅと唇を引き結ぶ司と唇を噛んでいる姉との間で視線を行き来させ、空がため息をついた。いかにも、「しょうがないな」というふうに。
「傍から見てたらこれ以上ないって程明らかなんだけどなぁ……」
「何が?」
訊ねた花に、空はにこりと笑った。そうして、よいしょと立ち上がる。
「悔しいから教えない。獅子王さん、ちょっと二人でそこら辺について話し合ってみたらどうです? 僕はいなくなるんで。少なくとも、頭の中に在ることを、声に出してあげてくださいよ――姉さんの為に」
「おい……?」
司と花を置いてリビングを出ていきかけたところで、空がクルリと振り返る。
「僕は、獅子王さんならいいですよ」
そんな台詞を残して彼は姿を消してしまった。
「えっと……獅子王くん?」
二人きりとなってしんと静まり返ったリビングでためらいがちな声で名を呼ばれ、司は首を巡らせ花を見る。彼女は少し困ったような笑みを浮かべていた。
花と、話し合う。
(何を――?)
判らない。
だが、判らないと立ち止まったままでは、いつまで経っても判らないままだ。
あまり自分の考えを声に出すことは得意ではないが、取り敢えず、一番大きな誤解だけは解いておくべきだろう。
司は息を吸い込み崖から飛び下りる気分で最初の一歩を踏み出した。
「俺は、あんたのことを頼りないとは、思っていない」
「え?」
「むしろ、強い奴だと思っている。俺よりも」
司の台詞によほど面食らったのか、花は目をしばたたかせている。
「俺があんたに手を出してしまうのは、頼りないからじゃない。単純にそうしたいからだ。できたら、俺が手を出す前に頼って欲しいと思う」
「え、と……そんなこと言われたら、わたし、甘えたになっちゃうよ」
花に言われて、司はそんな彼女を想像してみた。
悪くない。
「他の奴に対してもそうだったら腹が立つ気がするが、俺に対してなら構わない」
至極真面目に答えると、花はピシリと固まった。次いで、丸い頬がじわじわと紅く染まっていく。司は何故か無性にそれに触ってみたくなったが、そこは正直に出すべきじゃないという理性はかろうじて働いた。そして同時に、触れても許される間柄とは、どんなものだろうかという疑問も頭をよぎる。
「獅子王くんといたら、きっと、ダメな子になる」
紅い顔のまま言った花は不服そうだったが、それが悪いことだとは司には思えない。
「俺の前でだけなら別にいいだろう。宇佐美の強さは尊敬するが、同じくらい、もどかしいような気分になる」
「もどかしい?」
「ああ。多分、俺のことなど必要ないと言われている気分になるからだろう。だからかもしれないが、弱いあんたを見せてくれると、俺は嬉しくなる」
「うれ、しい……?」
たどたどしい花の呟きに司は首肯する。
「ああ」
「そう、なんだ……」
戸惑っているような彼女を見つめながら、司は思った。
こんなに、頭に思い浮かぶまま一切吟味せずに考えを吐き出すのは初めてのことかもしれない。
そもそも司は、そうしたいと思ったことが今までなかったのだ。人からどう思われようと構わなかったし、自分の考えを理解して欲しいと思ったこともなかった。
(だが、こいつには解かっておいて欲しい)
彼が何を考え、何を欲しているのか。
それに応じてくれとまでは望まない。まだ、そこまでは望んでいないが。
思いを吐露しきった司は口をつぐむ。
彼の前で花は身じろぎ一つせず固まっていたが、唐突に膝の上に顔を伏せた。そのまま、ボソボソと呟くようにこぼす。
「そんなこと言われたら、わたしの方が嬉しくなっちゃうよ」
「宇佐美がそう思うなら、俺はその数倍嬉しい」
これもまた、嘘偽りのない本心だ。
花はしばらくそのままでいて、やがて、面を上げる。
目が合って、彼女はふわりと笑んだ。
司は、これまで数えきれないほど花が笑うところを見てきた。中には見ていて苦しくなるものもあったけれど、殆どは、彼の心を温めて心地良くしてくれるものだった。
だが、今の花が浮かべているものは、それらの比ではない。その大輪の花が綻ぶような笑顔ほど、司の胸に深く刺さるものはなかった。
こんなふうに、笑っていて欲しい。
心の底から、司はそう思った。
多分、これから先も、花は何度も笑うだろう。少なくとも、司が傍にいる限り、そうさせるつもりだ。
その全てが、今の彼女が浮かべているようなものであって欲しいと、切に望む。
その為ならどんなことでもしてみせようと、司は、心の奥深くに刻み込んだ。
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