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プロローグ
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風が唸りを上げ、ルゥナの白銀の髪を掻き乱す。
(これは、夢だわ)
彼女にはそうとしか思えなかった――思いたかった。けれど、肩に乗った薄紅色の仔猫が吹き飛ばされまいと立ててくる爪が食い込む痛みが、目の前で起きているのは確かな現実であることを否応なしに突き付けてくる。
今、彼女の前に立ちはだかっているのは、異形の魔物でもなく、災厄をまき散らす邪神でもなく、太陽のような黄金の髪と澄み渡った空の色の瞳を持った、最愛の弟だった。
「ソワレ、何で……何でなの!? 何でこんなことをするの!?」
声を限りに叫んでも、彼は淡く微笑むだけだ。
ルゥナとソワレは母の胎内で命が芽生えたその瞬間から、ずっと一緒だった。二人は、喜びも悲しみも怒りも、みんな分かち合ってきたのだ。ソワレの全ては手に取るようにルゥナに見えていたのに、今、彼が何を考えているのかはさっぱり解からない。
いつも隣に寄り添っていた彼女と大して変わらない背丈が今はずっと遠くにあって、とても小さく見える。
「ねえ、もうやめて、戻って来て!」
懇願した彼女に、彼は無言で小さくかぶりを振る。
「無駄だ、ルゥナ! 下がっていろ!」
鋭い叱責をルゥナに投げ付け、額に剣の『印』を刻まれたエデストルが彼女の前に踏み出した。柄を握る彼の両手に力がこもり、額の『印』が一際輝く。頭上高く振り上げ、刹那一気に振り下ろされた神器から放たれた剣圧が、嵐を切り裂きソワレに向かった。
が。
「無駄よ」
ルゥナの肩に爪を立ててしがみ付く薄紅色の仔猫が呟いた。
ほぼ同時に、エデストルの口から悔しそうな呻きが漏れる。
「クソッ!」
ソワレは微動だにしていない。
しかし、大剣から迸った銀色の光は小柄な彼の前で弾け飛び、その金色の髪を揺らすことさえできなかった。
「彼も『印』を刻まれた者だ。神器の力は効かない」
こんな状況でも冷静な声でそう言ったのは、神斧を携えたヤンダルムだ。
「神器に頼らず、倒さなければ」
「しかし、あの子は元々強大な魔力を操るだろう? 勝ち目があると思うか?」
眉を潜めて神槍使いのシュリータが言うと、魔道書を手にしたマギクがその台詞を後押しする。女性にしては短い淡い金色の髪を、うるさそうに振り払いながら。
「私の魔力じゃ全然歯が立たないわね。『印』を刻まれてようやく並べてるくらいだもの。それが効かないんじゃ、お話にならない」
「グダグダ言ってねぇで、取り敢えずやるしかねぇだろうが!」
「無闇に突っ込んでいっても勝ち目はないぞ」
「同時に一気にかかれば誰か一人はイケるだろ」
ヤンダルムがいなしても、血気盛んなエデストルは今にも飛び出していかんばかりだ。
ルゥナは彼らを見回した。皆、自ら邪神討伐を志願し、その身に『印』を刻んで神器の力を受け入れた者達だ。
そう、倒すべきは魔物とそれを生み出す邪神であって、ルゥナの大事な弟ではない。それなのに、何故、こんなことになっているのだろう。
ルゥナはソワレと彼女との間に立ちはだかる神器を携えた者たちを見渡す。
彼ら五人は、自ら望んでこの旅に身を置いた。
人々の危機を知り、それを救えるのならばと進んで手を上げた。
けれど、ソワレは――ソワレとルゥナは違う。その身体に秘めた魔力故に、望まれた。強大過ぎるその力を疎まれていた二人は、その力故に邪神を封じる者として選ばれたのだ。
魔力を持つ者が生まれ易い土地においても、ルゥナとソワレの力は群を抜いていた。
――人はとかく『自分と違うもの』を排除する。
特にソワレは、その力の特異さ故に恐れられ、忌まれてきた。
それが邪神討伐に身を置くことになって、ガラリと変わったのだ。
忌まれ、疎んじられる者から、期待され、崇められる者となって、行く先々で温かな声をかけられるようになった。
(初めて存在を認められて受け入れられて、ソワレだって、それを誇りに思っていた筈だったのに)
ルゥナは唇を噛み締めた。
タッとソワレの元に駆け出そうとした彼女を、エデストルが捉える。
「お前、待てって」
「放して、わたしがソワレを止めるから!」
「ばか! こんなことしでかしたアイツが今更お前の言うこと聞くと思うか? 第一、お前に攻撃はできないだろうが!」
「でも……でも、わたしが何とかしなくちゃ! わたしのソワレなんだもの!」
腰に回されたエデストルの腕をはがそうと引っ張ったり叩いたりしても、荒縄のようなそれはびくともしない。
「放して!」
と、不意に肩の上の仔猫がピクリとひげを震わせる。爪が一層食い込んできて、ルゥナはその小さな身体が緊張しきっていることに気付いた。
「ピシカ、どうしたの?」
「まずいわね、来るわよ」
薄紅色の仔猫ピシカが毛を逆立てて呟くのと、ルゥナの視界がクラリと揺れたのとは、ほぼ同時の事だった。唐突にエデストルの腕が緩み、ルゥナは地面に落とされる。
「きゃっ!」
辛うじて両手を前に突き出して、顔面が地面に激突するのを避ける。
四つん這いのままパッと顔を上げて辺りを見回すと、エデストルもヤンダルムもシュリータもトルベスタもマギクも、皆力無く崩れ落ちていた。
「これ……」
「眠りの魔法よ」
ピシカが鼻をひくひくさせながら唸る。
「彼らにも効いてるってことは、ソワレ本来の力よね……って、あんたもなのね!?」
悲鳴のようなピシカの声に、ルゥナは返事をすることができなかった。強烈な眠気に抗おうとしても、勝手に目蓋が下りていってしまう。手足の力も抜けて、その場にうずくまった。
「ああ、もう、ルゥナ!?」
ピシカの柔らかな足裏が頬を押しても、何の効果もない。
「ソワレ……」
その名を囁いたのを最後に、ルゥナの意識は闇に呑み込まれていった。
(これは、夢だわ)
彼女にはそうとしか思えなかった――思いたかった。けれど、肩に乗った薄紅色の仔猫が吹き飛ばされまいと立ててくる爪が食い込む痛みが、目の前で起きているのは確かな現実であることを否応なしに突き付けてくる。
今、彼女の前に立ちはだかっているのは、異形の魔物でもなく、災厄をまき散らす邪神でもなく、太陽のような黄金の髪と澄み渡った空の色の瞳を持った、最愛の弟だった。
「ソワレ、何で……何でなの!? 何でこんなことをするの!?」
声を限りに叫んでも、彼は淡く微笑むだけだ。
ルゥナとソワレは母の胎内で命が芽生えたその瞬間から、ずっと一緒だった。二人は、喜びも悲しみも怒りも、みんな分かち合ってきたのだ。ソワレの全ては手に取るようにルゥナに見えていたのに、今、彼が何を考えているのかはさっぱり解からない。
いつも隣に寄り添っていた彼女と大して変わらない背丈が今はずっと遠くにあって、とても小さく見える。
「ねえ、もうやめて、戻って来て!」
懇願した彼女に、彼は無言で小さくかぶりを振る。
「無駄だ、ルゥナ! 下がっていろ!」
鋭い叱責をルゥナに投げ付け、額に剣の『印』を刻まれたエデストルが彼女の前に踏み出した。柄を握る彼の両手に力がこもり、額の『印』が一際輝く。頭上高く振り上げ、刹那一気に振り下ろされた神器から放たれた剣圧が、嵐を切り裂きソワレに向かった。
が。
「無駄よ」
ルゥナの肩に爪を立ててしがみ付く薄紅色の仔猫が呟いた。
ほぼ同時に、エデストルの口から悔しそうな呻きが漏れる。
「クソッ!」
ソワレは微動だにしていない。
しかし、大剣から迸った銀色の光は小柄な彼の前で弾け飛び、その金色の髪を揺らすことさえできなかった。
「彼も『印』を刻まれた者だ。神器の力は効かない」
こんな状況でも冷静な声でそう言ったのは、神斧を携えたヤンダルムだ。
「神器に頼らず、倒さなければ」
「しかし、あの子は元々強大な魔力を操るだろう? 勝ち目があると思うか?」
眉を潜めて神槍使いのシュリータが言うと、魔道書を手にしたマギクがその台詞を後押しする。女性にしては短い淡い金色の髪を、うるさそうに振り払いながら。
「私の魔力じゃ全然歯が立たないわね。『印』を刻まれてようやく並べてるくらいだもの。それが効かないんじゃ、お話にならない」
「グダグダ言ってねぇで、取り敢えずやるしかねぇだろうが!」
「無闇に突っ込んでいっても勝ち目はないぞ」
「同時に一気にかかれば誰か一人はイケるだろ」
ヤンダルムがいなしても、血気盛んなエデストルは今にも飛び出していかんばかりだ。
ルゥナは彼らを見回した。皆、自ら邪神討伐を志願し、その身に『印』を刻んで神器の力を受け入れた者達だ。
そう、倒すべきは魔物とそれを生み出す邪神であって、ルゥナの大事な弟ではない。それなのに、何故、こんなことになっているのだろう。
ルゥナはソワレと彼女との間に立ちはだかる神器を携えた者たちを見渡す。
彼ら五人は、自ら望んでこの旅に身を置いた。
人々の危機を知り、それを救えるのならばと進んで手を上げた。
けれど、ソワレは――ソワレとルゥナは違う。その身体に秘めた魔力故に、望まれた。強大過ぎるその力を疎まれていた二人は、その力故に邪神を封じる者として選ばれたのだ。
魔力を持つ者が生まれ易い土地においても、ルゥナとソワレの力は群を抜いていた。
――人はとかく『自分と違うもの』を排除する。
特にソワレは、その力の特異さ故に恐れられ、忌まれてきた。
それが邪神討伐に身を置くことになって、ガラリと変わったのだ。
忌まれ、疎んじられる者から、期待され、崇められる者となって、行く先々で温かな声をかけられるようになった。
(初めて存在を認められて受け入れられて、ソワレだって、それを誇りに思っていた筈だったのに)
ルゥナは唇を噛み締めた。
タッとソワレの元に駆け出そうとした彼女を、エデストルが捉える。
「お前、待てって」
「放して、わたしがソワレを止めるから!」
「ばか! こんなことしでかしたアイツが今更お前の言うこと聞くと思うか? 第一、お前に攻撃はできないだろうが!」
「でも……でも、わたしが何とかしなくちゃ! わたしのソワレなんだもの!」
腰に回されたエデストルの腕をはがそうと引っ張ったり叩いたりしても、荒縄のようなそれはびくともしない。
「放して!」
と、不意に肩の上の仔猫がピクリとひげを震わせる。爪が一層食い込んできて、ルゥナはその小さな身体が緊張しきっていることに気付いた。
「ピシカ、どうしたの?」
「まずいわね、来るわよ」
薄紅色の仔猫ピシカが毛を逆立てて呟くのと、ルゥナの視界がクラリと揺れたのとは、ほぼ同時の事だった。唐突にエデストルの腕が緩み、ルゥナは地面に落とされる。
「きゃっ!」
辛うじて両手を前に突き出して、顔面が地面に激突するのを避ける。
四つん這いのままパッと顔を上げて辺りを見回すと、エデストルもヤンダルムもシュリータもトルベスタもマギクも、皆力無く崩れ落ちていた。
「これ……」
「眠りの魔法よ」
ピシカが鼻をひくひくさせながら唸る。
「彼らにも効いてるってことは、ソワレ本来の力よね……って、あんたもなのね!?」
悲鳴のようなピシカの声に、ルゥナは返事をすることができなかった。強烈な眠気に抗おうとしても、勝手に目蓋が下りていってしまう。手足の力も抜けて、その場にうずくまった。
「ああ、もう、ルゥナ!?」
ピシカの柔らかな足裏が頬を押しても、何の効果もない。
「ソワレ……」
その名を囁いたのを最後に、ルゥナの意識は闇に呑み込まれていった。
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