癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第六章:集う者たち

絶望②

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 彼が何を言っているのかが、ディアンナには理解できない。これが普通の状態ではないことだけは判る。
「ですが……ですが、マギクは癒しの魔法があるでしょう?」
 何か身体的に問題があれば、魔法を使って癒せばいい。その稀有な力故に、マギクでは老衰以外の死者は滅多に出なかった筈だ。
 だが、ディアンナのその指摘に、マギは小さくかぶりを振る。

「癒しの魔法は、効きません。何度も試しましたが、誰一人として、癒せなかった」
 彼の言ったことの内容よりも、その声にどうしようもなく染み出している絶望の響きに、ディアンナは二の句を継げなくなった。黙ったままの彼女から箱の中の『子ども』へ茫洋とした眼差しを移し、マギは続ける。
「初めのうちは、年に数人、死んで産まれる子や産まれても何かしらの問題があり、永くは生きられない子どもが生まれるようになりました。それがひと月に数人となり、やがて全ての子どもがまともに産まれなくなった。生まれた時に命があっても、数年のうちに命を落とした。健康だった筈の子どもも、この数年の間に成人することなく死にました。マギクに新しい命は生まれない――マギクは、もう終わりなのです」

 それは、決定的な死刑宣告のようなものだった。
 だからエデストルを裏切ったのですか? 自分達に未来が無いから、わたくしたちも巻き添えにしようと? あるいは、もう全てがどうでも良いから、と?

 そんな台詞がディアンナの喉元まで込み上げてくる。それをグッと呑み込んで、彼女は他の問いを発する。

「原因は判らないのですか?」
「判りません。大人は子どもほど顕著な影響を受けていないが……以前よりも早く死んでいきます。四、五万はいた我が国の民は、もう二万もいない。魔物との戦いで命を落とした者よりも、ただ死んでいく者の方が、多いくらいだ。魔物とであれば、戦える。しかし……」
 淡々とした、全てを諦めきったような、声――いや、実際に、彼の中にあるのは諦念と絶望だけなのだろう。
 ゆるりとマギが顔を上げ、ディアンナを見る。

「魔物の群れは、シュリータまで到達したそうです。シュリータには、現在、エディ王子、トール王子、ヤン王も集っているとか。かつての英雄が揃い踏みですね」
 そこで彼は小さく嗤った。そこに含まれるのは自嘲の響きだ。

 ディアンナは無意識のうちに両手を組み合わせ、マギに向けて言い募る。
「貴方も英雄の一人でしょう? 今からでも遅くはありません。力を併せてこの試練に挑んで――」
「魔物を倒せと? それでどうなるというんです? 今更魔物を追い払ったところで、何も変わらない。マギクは滅びるのですから」

 生気のない、呟き。

 彼の眼差し、声、身にまとう空気、全てが何もかもを拒絶している。
 それがありありと伝わってくる。

 ディアンナは箱の中へと目を向け、そこに置かれているものを見つめた。
 マギの心を変えさせたかったけれど、その為に何をどう言ったら良いのかが判らない。

 彼女が見守る中で、マギが我が子へと手を伸ばした。柔らかそうな素肌に触れて、そっと撫でる。
「……リリィは――王妃は、この子をこの世に送り出して、命を落としました。危険だと判っていたのに、どうしても産みたがった。私には、もう何も残ってはいない」
「ですが、まだ、貴方には民が残っているでしょう?」
 王であれば、民を守り束ねる義務がある。それは厳然たる事実だ。投げ出したいと思っても、投げ出せるものではない。
 けれど、しばしの沈黙の後マギが口にしたのは、彼女の問いに対する答えではなかった。
「そろそろ、兵士が捜しに来る時間です。お戻りください」
 それは婉曲にこの部屋からの退出を命じるもので、ディアンナはキュッと唇を引き結ぶ。そのまま従うこともできなくて、彼女はもう一度部屋の中を見渡した。

 溢れかえる光と色彩と香り。

(この場所には、命が満ちているのに)

 どこか、寒々しい。

 きっとそれはマギ王の心を映したもので。
 この事実を知ったばかりのディアンナには頭の中を整理するのが精一杯で、彼にかける言葉を見つけることができない。
 ディアンナは小さなため息を吐き出し、静かに踵を返して廊下へと向かう。が、彼女が外へ一歩踏み出した時だった。

「貴女が――」
 独り言めいた背後からの声に、ディアンナは足を止めて振り返る。見えたのは、広い、けれど覇気の欠片もない、マギの背中だった。
 ディアンナは、息をひそめて彼の言葉を待つ。
 彼女の元まで届くか届かないかというほどの、かすれ声。
「貴女が国に戻られる時、この子を――」

 その先は、続かなかった。

 マギの声の代わりに、ディアンナの後ろ――廊下の方から声が呼び掛けられる。
「ディアンナ様、こちらへ」
 いつの間に姿を現したのか、そこにいたのは今までにも何度か顔を見たことのあるマギク兵だった。
 ディアンナはマギの望みを聴きたくて、彼の背中を見つめる。けれど、長衣の裾がわずかに揺らぐこともなく、彼の心は分厚い氷の奥に閉じ込められてしまっているかのようだった。
 小さなため息をつき、ディアンナはマギク兵の方へと向かう。そうして、歩き出した彼に従った。
(彼は、わたくしに何を望んでいるのかしら?)
 未来が見えていないマギにとって、きっと選択肢は多くない。
 あの子をここから連れ出すこと?
 それとも――あの子をここで安らかな永久の眠りに就かせること?
 そんな考えが頭の中をよぎり、ディアンナはフルリと身体を震わせた。
 マギクに、いったい何が起きているというのだろう。
 問題は、魔物の襲撃だけだと思っていた。
 だが、違う。
 そんな表面的なものだけではない、何かがある。その何かを解決しなければ、マギクは滅びてしまうのだ。

(いいえ、もしかしたら、このルニア大陸全てが)
 この異常がマギクだけに止まるという保証はない――きっと、止まらない。
 マギからは、事態を終息させようという気概は全く感じられなかった。もう、全てを諦めきってしまっている。大事な者を喪ってしまって、袋小路の未来しか見えていなくて、前を見る力を失ってしまっている。

 このままでいい筈がない。
 けれど、ディアンナには何をどうすればいいのか判らなかった。

(エディ……フロアール……)
 彼女はそっと目を伏せ、二人の無事を祈った。
 そして、『印』を引き継ぐ彼が、この世界を救ってくれることを――かつての英雄が、そうしたように。
 エディはまだ十五歳。身体も心も、未熟だ。
 その彼にこんな重荷を背負わせることは、間違っているのだろうか。

 ディアンナは自問し、かぶりを振る。
「いいえ、できるわ。あの子は、あの人の息子ですもの」
 そう、小さな声で囁いた。

 彼女の脳裏に、息子と同じ太陽のような髪、夏の空のような瞳を持った精悍な面差しが浮かぶ。
 大事な者を守る為、一歩たりとも退かなかった人。
 今はもういない、最愛の人。

 ほんの一瞬、視界がにじんだ。ディアンナはそれを強い瞬きで晴らして、背筋を伸ばす。

 そうして、顎を上げて真っ直ぐ前を向き、しっかりと一歩一歩を踏み締めた。
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