癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第八章:明かされる真実

比翼

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 ――ルゥナ……ルゥナ。

 あまり聞き覚えのない、それでいてとても懐かしい声が、ルゥナの名前を呼んでいる。深い眠りの底にいる彼女をゆっくり引き上げようとするように。
 それはそっと包み込んでくるような優しい声で、目を閉じたまま、ルゥナは思わず微笑んでしまう。
 誰かが小さく息を呑む音がして、彼女の頬に、何かが押し当てられた。

 硬くて、冷たくて、がさがさしている。

「ルゥナ?」
 頬に触れていた何かが離れ、また呼び掛けられる。声は、さっきよりも鮮明に聞こえた。
「ルゥナ、起きて」
 その瞬間、パッとルゥナは目が醒める。
 最初に見えたのは、ごつごつとした岩でできた高い天井。四角い部屋ではなくて、お椀を伏せたような丸い形をしている。こうやって寝転がってぼんやりとした頭で同じ光景を見上げた記憶がある。見覚えはあるのに、いつ、どこでのことかはっきりとは思い出せない。

(えぇと……)
 ギュッと目を閉じてその記憶を手繰ろうとした。

 と、その時。

「ルゥナ、大丈夫?」
 不意に横から気遣わしげに声をかけられて、ルゥナはずっと自分に呼びかけていた者がすぐ隣にいることに気付いた。
 パッと上半身を起こして、そちらに目を向ける。
「おはよう、ルゥナ」
 微笑みと共に見返してきたのは、縦長をした紅い瞳孔に黒い虹彩の、目だ。
「ソワレ?」
 ポツリと名前を口からこぼすと、彼は「何?」と言いたげに小さく首をかしげた。

 ルゥナは彼女の背丈ほどの高さの台に載せられていて、その上で身体を起こすと目線はソワレとほとんど同じくらいになる。
 シュタで再開した時にはあまりよく見ることができなかった彼の異形を改めて目の当りにし、ルゥナは呆然とする。

「ソワレ……」
 彼女が覚えているのは、金色の髪に青空の色の目をした、ふっくらとした頬の少年だ。浮かべるのはいつもどこか皮肉げな微笑みだったけれど、少女と見紛うような整った容貌だった。

 なのに。

 今も、ソワレはきれいだ。
 髪は闇のような漆黒、紅い目は獣のように光り、眦は釣り上がり、口元には牙も覗いている。

 それでも――いや、それだから、彼は美しかった。

 人外の、美しさ。
 記憶に残る彼の姿とは全く違う、けれどもどこか面影の残るその顔を、ルゥナは悲しい気持ちで見つめ返した。

「ソワレ、何があったの? なんでそんな……」
 可愛らしかった弟の姿は、この時代の人たちが『魔物』と呼ぶモノに変じている。それはつまり、邪神の力を受けていたということで。
「ピシカは、あれから百五十年以上経ってるって言ってたよ? ソワレは……なんで生きているの? なんでそんなふうに変わってしまったの? ――なんで、魔物を操ってみんなを襲わせたりするの?」
 立て続けに質問を並べるルゥナを、ソワレは慈しみを溢れさせた微笑みを浮かべながら見つめている。彼女の口調は彼を責めるものなのに、それでもソワレは嬉しそうだった。まるで枯れかけた花が突然降ってきた雨の雫を吸い取ろうとしているかのように、ルゥナの声も眼差しも受け止めている。

「……なんで、そんなふうに笑ってるの? わたし、怒ってるんだよ? 今のことも、――百五十年前のことも」
 尖った声でそう言い募りながら、ルゥナは身体を捻ってソワレの方に身を乗り出そうとする。彼は、そんなルゥナの頬に手を伸ばしてきた。

 硬くて、冷たくて、ざらついた手のひら。

 ルゥナの左の頬を包み込んでいるその感触は、夢うつつの中の彼女に触れてきたものと同じだった。

(昔のソワレは、温かくて、柔らかだったのに)
 ソワレの手はいつでも温かくて、真冬に凍えるルゥナの手を包み込んでくれた。
 ふと、訳も分からず寂しくなった時、手を伸ばせばいつも握り返してくれた。
 ルゥナは思わず手を上げて頬に添えられたソワレの右手に自分のそれを重ねようとしたけれど、彼女の指先が彼の甲に届く前に、ソワレはそれを避けるように腕を下げてしまった。
 持ち上げかけた手を中空にとどまらせたままのルゥナに、ソワレは少し困ったような顔で微笑む。また手を上げてその甲をルゥナに見せた。
 そこには、びっしりと鋭い鱗が並んでいる。

「ごめんね、下手に触ると君が怪我をしてしまうんだ」
 申し訳なさそうにそう言って、長衣の袖を下げてすっぽりと爪の先まで覆い隠してしまう。
「ねえ、なんで?」
 もう、一つ一つのことを問い質すことができなくて、ルゥナは震える声でそう繰り返した。
 百五十年前、ルゥナはみんなに幸せになって欲しくて、ピシカの申し出を受け入れた。
 『みんな』の中の筆頭は、ソワレだ。
 ソワレには、誰よりも幸せになって欲しかった。
 他の誰よりも、彼の為に、穏やかで平和で変わらない世界を守りたかった。
 それなのに、かつてソワレはルゥナの妨げとなり、今もまるで人間の敵であるかのように振る舞っている。ルゥナが成し遂げようとしていることを、断固として邪魔する構えなのだ。
 ルゥナにとって、この世界が、この世界に溢れる人も動物も鳥も植物も、何もかもが大事だ。
 その中で一番大事でかけがえのない存在がソワレなのに、彼を守る為にしようとしていることを、彼自身が叶えさせてくれない。

「ねえ、お願い。魔物たちを操るのをやめて、ソワレはどこかで待っていて? その姿だって、治してあげるから。どこか、そうだ、エディたちならソワレを受け入れてくれる。最初は怒るかもしれないけど、エディは優しい人だから、ちゃんと謝ったら赦してくれるよ。ね?」
 説き伏せるルゥナに、しかし、不意にソワレはムッとした顔になる。
「ソワレ?」
「『印』持ちの名前は聞きたくない。あいつらは、ルゥナがどんなふうになるか知ってて、ルゥナに全部を負わせようとしてるんだ」
 ソワレの紅い瞳孔が開いて、強い光を放つ。

「今の時代に目覚めた時、どう思った? たった独りでこの世界に放り出されて、どうだった?」
「それは……でも、すぐにエディたちに会えたし……」
「あいつらは『印』持ちだからだ。ある意味、君のことを知っている。君を守り受け入れるように刷り込まれてるようなものだろう? 邪神が消滅して君が解放された時、『彼ら』はいない。本当に独りきりになるんだ。年月だって、百五十年どころじゃない――千年、千年、だ。百五十年でも、君にとっては別世界のように感じられたはずだ。それが、千年。そんな中で君はたった独りで生きていく。僕だって――今の僕だって、きっとそんなに長くは生きられない」
 ルゥナはうつむき、キュッと唇を噛む。
 そんな彼女の様子に、ソワレの声が少し落ちる。
「僕は君を護る為にいるんだ。君の幸せが僕の幸せなんだ」

 それは、ルゥナだって同じだ。
 パッと顔を上げてルゥナがそう返そうとするより先に、彼女の視線を捉えたソワレが続ける。

「見て」
 言いながらソワレは懐を探り、何かを取り出した。手のひらに乗るほどの、小さな漆黒の珠だ。真っ黒なのに、何故か光を放っているようにも見える。
 シュリータの都でいくつか魔晶球を見せてもらったことがある。魔法を封じて、魔力のない者も魔法を使えるようにできるのだと、それを持ってきたルジャニカには説明された。

 アレによく似ているけれど。

「それは?」
 ルゥナは眉根を寄せて、その珠を見つめた。
「これは、魔晶球なんだ。特別製でね――この中に、邪神を閉じ込めているんだよ」
 ソワレの言葉は確かに耳に入ってきたけれど、頭は受け入れてくれなかった。
 ルゥナはポカンとその珠を見つめ、ソワレを見つめ、そしてまた珠を見つめる。
「――え……?」
「そうは見えないだろう? このただの黒い塊が、何の気配もなく、静かに全ての生物を変容させていくんだ」
 言いながら、ソワレはその珠を掲げて透かすような素振りをする。
「こいつをこの中に閉じ込めるのに、百年かかった。何度も失敗したけど、十年くらい前にようやく成功したよ。でも、力自体は全然封じ込められていないんだ。だから、一か所に長くとどまると、その場所にどんどん『魔物』が増えていく。イシュラみたいにね。あの島は、もう『魔物』しかいないよ」
「じゃあ、ここだって――」
「うん。だからあんまり長居はできない。君を眠らせたら、僕は行かなくちゃ」
 淡々としたソワレの台詞に、ルゥナはビクリと肩を震わせる。

「いやだよ! わたしは、もう眠ったりなんかしない!」
 髪を乱してかぶりを振ったルゥナに、ソワレはおとなが子どもを宥める眼差しを向ける。
「いい子だから、寝ていて? きっと、もうじき、力も封じ込めることができるようになる。神器を集めて全ての『印』を僕に移すんだ――ほら」
 言いながら、ソワレは長衣の被り物をおろし、長い髪を爪の先で掻き上げた。その仕草で、そこに隠されていたものが露わになる。

「それ――」
 彼の右頬に刻まれているのは、『印』だ。
 それは、ピシカがソワレに刻んだものとは違う。かつて彼女が施したものは、彼の胸にある筈だった。
 『印』は、それぞれほんの少し形が違う。剣は剣の、弓は弓の、それぞれの形がある。
 今、ソワレの頬に浮かんでいるのは、唯一シュリータに集うことのなかった英雄の末裔に刻まれていたものだ。

 驚愕に目を見開いたルゥナに、ソワレが肩をすくめる。
「そう、マギクのだよ。百五十年の間に、色々なことができるようになったんだ。アイツはもう用済みだし、覇気の欠片も残ってないしね。『印』が刻まれていても、ろくに使えないよ。いずれ、他の奴らの『印』も全部手に入れる。その力を使えば、きっと僕にもなんとかできる」
 そう言って、ソワレは少し苦みを含んだ笑みを浮かべた。それは、どこか悔しげで、そしてどこか寂しげなものだった。

「君は、今のこの世界で大事な人達ができたんだろう? 彼らと共に生きていきたいと思わないかい?」
「それ、は――」

 すこし、いいや、かなり、思った。

 エディやフロアール達と過ごしてきたこの数ヶ月間は、とても幸せだったから。

 言い淀んだルゥナの頭を、大きなソワレの手がそっと撫で下ろす。
「君が僕以外の奴らと仲良くする姿を見るのは、はっきり言ってすごく腹が立つしすごく悔しいしすごく嫌だ。だけど、それでもやっぱり、僕にとって一番大事なのは、君の幸せなんだ」
「それはわたしだって! わたしだって、ソワレに幸せになって欲しいから、邪神を封じようと思ったのに!」
「僕と、その他大勢の為に、だよね。僕は、君だけの幸せを祈ってる。他の奴らに分散させたりはしない。だから君は、僕の気持ちの方を優先させるべきなんだよ」
 滅茶苦茶な理屈で断言して、ソワレは笑った。
「そんなの、違う。そんなことない!」
 白銀の髪を乱してかぶりを振るルゥナに、彼は全く取り合おうとしなかった。

「そうなんだよ。……さあ、そろそろ眠る時間だ。守りを固める為に三日も費やしちゃったからね。ピシカにはこの場所が知られてるから、追い掛けてくる者がいるとしたら、もうじき着く頃だ。彼らを撃退できるのを確認したら、僕も戻らないと」
 ソワレはこともなげにそう言って笑う。
「だめ、みんなに何もしな、い、で――」
 ルゥナは台から降りようとしたけれど、刹那強い眠気に襲われる。
(これ、は……)
「いや……ソワレ……わたしを、眠らせないで……」
 台の上に崩れ落ちながら懸命に手を伸ばして懇願するルゥナから、ソワレは半歩後ずさった。穏やかな彼の眼差しに見守られるルゥナの全身から力が抜けていく。
 ルゥナはなんとか目蓋を上げようと、渾身の力を込めた。

「おねがい、そわれ……いや……」
「ごめんね、ルゥナ。その願いは絶対に聞けないんだ」
 何度か目にした、困ったようなソワレの笑顔。

 それを最後に、ルゥナの意識は闇に呑まれていった。
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