癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第九章:剣士の帰還

呪縛

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 室の中は、暗く冷え切っていた。
 数日前まで咲き誇っていた花々はもう花柄すら残しておらず、茶色くしなびた残骸がカサついた音を立てるのみだ。
 揺りかごが安置されていた台の前に佇むマギは、もう何もなくなってしまったそこをぼんやりと見つめていた。
 城には人の気配もなく、その中で動くものといえばマギだけだ。その彼も、一日のうちのほとんどを、こうやって、身じろぎもせず立ち竦んで過ごしている。
 我が子の為に魔力で無理矢理生い茂らせていた草花は、力を注がなくなれば三日で枯れ果てた。その光景が、マギには自分の内面を表しているように思える。
 彼には、もう、何一つ残っていなかった。
 民には、無条件でシュリータもしくはエデストルに投降するように指示を出した。
 彼にとって唯一無二の存在だった妻は、とうにこの世から去っている。
 我が子も、ディアンナに託してしまった。自然の力に満ち溢れたエデストルであれば、あの子は生きていける。
 きっと、亡き妻によく似た彼女は彼よりもあの子を慈しんでくれるだろう。

 そして。

 マギは手を上げ、左の頬に触れた。
 そこに刻まれていた『印』も、何ものとも知れぬ異形のモノに渡してしまった。
 『マギク』の証を、その存在理由とも言える『印』を、まるでゴミでも投げ捨てるように、彼は手放した。

 ――どうすることが、一番正しい方法だったのだろう。
 マギはもう何度も繰り返した自問を、また頭の中で呟く。
 魔物の群れが襲いかかってきた時――いや、子ども達に異変が現れ、微かな疑問を抱いた時点で、さっさとこの土地を捨てて逃げれば良かったのだろうか。

(たとえマギクの民がその力を失ったとしても)
 そうすれば、少なくともエデストルの王はまだレジールのままであったかもしれない。
 トルベスタも、魔物に蹂躙されずに済んでいただろう。
 マギは手のひらの上に炎を灯し、束の間見つめた後、ゆっくりと握り込んだ。
 マギクの魔法の力は、住む土地に大きく影響されると考えられている。
 子どもが産まれなくなっても、魔物の襲撃を受けても彼がこの地を捨てようとしなかったのは、その為だった。
 他国の者がマギクの土地に根付いても、同じように魔力を持つようにはならない。マギクの民がマギクの地にいて初めて、意味を持つのだ。
 恐らく、マギクの民の血筋の中には、この土地の力を受けやすい何かの素因があるのだろう。
 マギクの民は、魔法を操る。魔法を操る者が、マギクの民だ。
 だが、この土地を離れれば離れるほど、魔力を発現させる者は減っていくのだ。

 マギクからシュリータへ移り住んだ者は、三世代も経れば殆ど魔法を使えなくなる。時たま隔世でマギの民並みに使える者が生まれることもあるが、かなり稀だ。
 隣国のエデストルですら魔法を操れる者は多くなく、マギク以外の土地で生まれたにもかかわらずかなり強力な治癒の力を発揮するフロアールのような存在は、滅多にいない。
 この土地を捨てればやがて魔法を使える者は殆どいなくなるだろう。
 それは果たしてマギクの民と呼べるのか。
 魔法を有したままマギクの民として滅びるか、それとも、魔法を手放し名のない民として生き延びるか。

 マギは、後者を選んだ。
 多くの犠牲を払った末に。
 そしてそれにより、マギクという国は消滅した――彼は、それを招いた王だった。

「私には、もう、何もない」
 そう声に出して呟くと、空ろな石室の中でやけに大きく響く。
 間もなく、エデストルの王子がマギの前に立つだろう。そうして、彼を断罪する。
 ――その時が、待ち遠しくてならなかった。

「早く、来てくれ」
 この場にいない者に、そう囁く。
 それは聞く者のない声の筈だった。

 だが。

「誰のこと?」
 不意に背後から響いた声に、マギは険しい顔で振り返る。ここには、もう彼以外はいない筈だった。
 見据えた先にいた者に、マギは一瞬虚を突かれる。
 そこに立っているのは、一人の少女だった。
 まだ十四、五歳ほどだろうか。
 顔立ちは可愛らしいとさえいえる――眼差しの暗さと鋭さを除けば。それは少女にはそぐわないものだった。その不釣り合いさに比べれば、彼女が薄紅色の髪、金色の瞳をしていることなど、些細なことだ。
「お前は……?」
 眉をひそめて問うと、少女は微かに首をかしげた。
「ピシカ」
 恐らく、名前なのだろう。
 だが、マギは名前を訊いたわけではない。
 半身のまま、彼はスッと目を細める。

「何者だ?」
「神サマよ。アンタを助けに来てあげたの」
 そう言って、少女はフフッと嗤った。その空ろな嗤い声に、マギの背筋には、下から上へ撫で上げられたような、寒気に近い感覚が走った。
 彼女を見ていると、誰かを思い出させる。姿ではなく、その身にまとっている空気が。
(あの、男だ)
 マギは苦い思いと共に、胸の中で呟いた。
 かつてマギに『救い』の手を差し伸べた、異形の男。
 今目の前にいるこの少女は、姿が違うのが不思議なほどに、あの男と『同じ』だった。

(私は、もう、二度と……)
 マギはきつく奥歯を噛み締める。
 異形の男から与えられたのは、『救い』という名の『逃げ』だった。
 もう、同じ過ちは繰り返さない。
「私は、お前の助けなどいらぬ」
 刻一刻とその場に満ちていく不穏な空気に、マギはゆっくりと少女の方に向き直りながら拒絶の言葉を口にする。だが、彼女はまた嗤った。
「あら、そう? でも、アタシにはアンタが必要だから、もらっていくわ」
 その台詞と共に、少女が軽やかに一歩を踏み出した。

 マギは、堪らなく嫌な予感がした。
 近付きつつあるのは、一見、髪の色が変わっているだけのただの少女だ。
 だが、彼の頭の奥深くに潜む何かが、彼女を近寄らせてはいけないと、声高に叫んでいる。

「去れ。さもなくば力ずくでこの城から出ていってもらう」
「へえ。そんなこと、できると思う?」
 小ばかにしたように、少女は首をかしげる。
 マギは、その問いには答えなかった。
 代わりに右手に力を凝集させる。
 『印』がなくとも、マギはマギクの長だった。その身に秘める魔力は民の誰よりも抜きんでている。
 一瞬で満ちたそれを、少女に向けて放った。
 風の力の塊は真っ直ぐに少女に向かい、そして、彼女を弾き飛ばす。
 マギは、彼女の命を奪うつもりはなかった。
 ただ、唯々諾々と従うつもりはないという意志を伝え、この場から追い払えればよいだけだった。
 力はまともに少女にぶつかり、彼女は指で弾かれた小石のように吹き飛んだ。そのまま部屋の外で倒れ伏す――はずだった。

 が、しかし。

 飛んだのは、ほんの一瞬。

 直後高所から落ちた猫がそうするように身を捻った彼女は、そのままひらりと地面に下り立った。
 何事もなかったかのように、平然と。
 マギはわずかに眉をひそめ、続けざまに力を放った。初めのものよりも勢いと強さを増したそれを、少女はクスクスと笑いながら身軽くかわしていく。
「これだけ? これだけなの? 『印』も、民も、国も、子どもも、何もかも投げ出したんだから、ホントは、その身体だってもう要らないんでしょ? ねえ、そんなやる気のない『抵抗』なんてして見せなくていいのよ?」
 歌うような――嘲笑うような、少女の声。
「チッ」
 小さな舌打ちと共に、マギは膝を折って地面に両手を叩き付けた。彼の思い描くままに力は発現し、刹那地響きを轟かせて少女の真下から岩の槍がいくつも突き上げる。それは少女の小さな姿を埋め尽くし、瞬き一つの間に天井まで貫いた。
 石室が揺れ、余波で天井がボロボロと崩れ落ちる。
 小さくはない岩石の塊がマギの傍をかすめていったが、彼は目をすがめて前方を見据え続けた。
 もうもうと土煙がたちこめる中、マギは微動だにせず佇む。
 声も、何かが動く気配も、無かった。

「倒した、か?」
 呟きに、すぐ傍で嗤いを含んだ声が答える。
「残念でした」
 真後ろから聞こえたそれにマギが振り返るのと、彼の額に小さく冷たい手が押し付けられるのとは、ほぼ同時のことだった。
 土煙が薄らいで、ふわふわと宙に浮いている少女が真っ直ぐに彼の額に手を伸ばしている姿がはっきりと見えてくる。
 少女の手には、力はこもっていない。ただ触れているだけのその手に、マギは拘束される。

「何一つ守れなかった王サマ」
 揶揄するように、少女は歌った。
 そうして伸ばしていた肘を曲げ、クッと顔を近付けてくる。
 有り得ないほど輝く黄金色の瞳は、マギの目を貫くようだ。
 喉に何かが詰まっているかのように呻き声すら発することのできない彼に向けて、少女は囁く。

「アタシがアンタに、力をあげるわ。世界を救える力。一緒にあの子を取り返しに行きましょう?」
「な、にを――」
 かろうじてしわがれた声をこぼすことができたが、それだけだった。
 少女はニッと嗤う。

「おやすみ」

 刹那、マギの額が燃え上がった。植え付けた種が芽吹き根を張り巡らせるように、それは一気に彼の全身を覆い尽くす。
「!」
 灼熱の炎が彼の脳髄を焼き尽くす――彼には、そんなふうにしか感じられなかった。
 苦痛、ではない。
 苦しみは感じなかった。
 マギを襲うのは、ただただ、自分が消えていくという感覚だけ。
 薄れていく記憶。
 民たち、リリィ、そして慈しむことのできなかった我が子。
 それらが彼の脳裏で揺らぎ、融けていく。

 ――そして、マギという男は、消え失せた。
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