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第九章:剣士の帰還
帰還
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エデストルの地は、変わっていなかった。
季節は秋も深まっていて、平原の緑には赤や黄色に染まり始めた葉を茂らせた木々が交じる。もっと冷え込んでくると下手な花より鮮やかな紅や金色になる葉を持つそれらの樹木は、エデストル特有のものだった。
エデストル国内には五百から千人ほどの住民から成るおよそ三十の村が点在しており、国土のほぼ中央に王城をいただく首都エトルがある。村では各々自治が認められていて、村長が人々を治めていた。エデストルにおける王はそんな彼らのまとめ役――支配者というよりも指導者もしくは調停役と呼んだ方が良いかもしれない。
土地は平原が多く、獣が暮らす森はあるものの、トルベスタのようには深くない。川も多く、肥沃な土が豊かな実りをもたらした。村は基本的に自給自足で成り立っていて、規模に応じてエトルに税を納める。
民は皆巧みに剣を操るが、剣よりも鍬を手にすることを好む、穏やかな気質だった。
魔物との戦いは、エディが物心つく前から始まっていたが、それでも彼の中には『平和』な記憶しかない。
父は留守がちだったがそれを補うように母ディアンナは子ども達のことに心を割いてくれた。
フロアールにはこまっしゃくれた口を叩かれ、ベリートにはしごかれ、サビエにからかわれ、スクートに支えられる、日々。
そんな日々を送った、数か月ぶりの、故郷の姿。
トルベスタとエデストルの国境線である深い森の上空を抜け、見慣れた光景を飛竜の背から俯瞰した時、エディの胸には強い郷愁の想いが込み上げてきた。
平和な日々を送っていたころには感じたことのなかった慕わしさ。
――この地を守らなければ。
かつての平和を取り戻し――いや、今度こそ本物の平和を手に入れ、この地を守っていくのだ。
今更ながら、エディの胸の中にその気持ちが熱く渦巻く。
彼がそんな決意を胸に、エデストルの領空に入って三日が過ぎて。
いよいよ、住み慣れたエトルの都を目にする時がやって来た。
飛竜の背から地上を見下ろし、荒廃した城や街並みを目にするだろうと身構えていたエディだったが、エトルが近付くにつれて眉間の皺が深くなる。
家屋は多少痛んでいる所もありそうだが、破壊の限りを尽くされている、ということはない。むしろ無事な物の方が多かった。
自由に行き交っている人々は皆、どう見てもエデストルの民の衣装を身にまとっている。
別に、魔物に蹂躙し尽くされた祖国を目にしたかったわけではない。
だが――
「これは、どういうことだ……?」
道中、空の上から見かけたいくつかの村は、どれもひどく損壊していたのだ。エトルがこれほどきれいに残っているのは、嬉しいが、奇妙でもあった。
思わずこぼしたエディの呟きにソワレが応じる。
「僕は不要な破壊はしない。他の村は潰れるまで抵抗してきたから仕方がなかったが、エデストルの王妃は、早々に降伏したからな。街中での戦闘は殆どなかった。今は拘束していた民も全て解放されている筈だ」
「母上もか?」
「さあ」
肩をすくめたソワレに、身を乗り出して落ちかけたエディは慌てて姿勢を立て直す。
「さあってなんだよ、さあって!?」
「彼女はマギクの預かりになっている。僕が魔物を撤退させたことは伝わっていると思うけどね。どうするかはマギク次第だ」
自分の知ったことではないと言わんばかりの弟の態度に、彼の腕の中のルゥナが咎める眼差しを向ける。
「ソワレ……」
「ルゥナ、僕は別にマギクに無理強いはしていない。彼の荷物を肩代わりしてやっただけだよ。僕が提案し、彼が選択した。それだけだ。彼はもう何もかもにうんざりしていたようだからね」
「お前がマギ王を操ったんじゃないのかよ」
「力で、と言うなら、そうじゃない。言っただろう? ただ、僕は提案しただけだ。抵抗しなければマギクの民には手を出さないし、なんなら新しい土地をやるってね。ついでに、『印』も引き受けてやった。マギクは肩の荷が下りてホッとしていたようだったよ」
まるで善行を施したとでもいうようなソワレの口振りに、エディはカッと頭に血を上らせる。
「そもそもお前が魔物を操って襲ってきたせいだろ!?」
「あれ以前にマギクにはもう変化の兆しは現れていた。僕の行動は少し彼の背中を押してやったくらいのものさ」
「変化の兆しって?」
口を挟んできたトールにソワレはチラリと目をやり、答える。
「子ども達の異常だ。邪神の力は着実に広まっている。アイツを封じ込めていたイスラから染み出し、とっくの昔にこのルニア大陸にも到達している。あと百年もすれば、シュリータの端まで浸透するかもな。すでに二百年近く生きている身からすると、百年なんて短いものだ」
そこで彼は何かに気付いたようにふと言葉を切って、胸元のルゥナの耳に何かを囁いた。
その声は小さくてエディには聞き取れなかったが、弟が言っていたことで硬くなっていた彼女の表情の変化を見れば、何か慰めの言葉だったのだろうということは見て取れた。
ソワレが優しげな手付きでルゥナの髪を撫でると、彼女は小さく微笑んだ。
見るからに打ち解けたその様子に、エディはモヤモヤした気分で水を注す。
「子ども達の異常って何なんだよ?」
ルゥナに注いでいたものから一転して冷ややかになった眼差しを彼に向けると、ソワレは淡々と続けた。
「マギクでは、もう何年も前からまともな子どもは殆ど生まれなくなっている。僕が魔物を引きつれてこの大陸にやってくる前に、もうそれは始まっていた。新たな民が産まれず、魔物との戦いで民はどんどん死んでいったから、今のマギクの人口は、以前の半分以下になっているんじゃないかな」
「マギ王が父上を裏切ったのは、その所為なのか?」
「彼が何を思っているのかなんて、僕が知るわけないだろう。まあ、理由の一つだろうとは思うけれどね」
淡々と、いかにもどうでもいいと言わんばかりのソワレの態度に、エディが更に食ってかかろうとする。が、その機先を制してヤンがのんびりと口を挟んだ。
「まあ、この場にいない者の思惑は置いておいて、取り敢えず射落とされる前に降りないか?」
「え?」
「エデストルの民の弓の腕がトルベスタ程でなければ良いがな」
彼のその台詞と視線に釣られてエディが眼下を覗くと、頭上を舞う五体の飛竜と一羽の怪鳥を指差している人々の姿があった。何人かは、確かに弓矢を携えている。
身を乗り出した彼の姿に気付いて、人々の間にざわめきが走るのが見て取れた。
「……広場に降りよう」
季節は秋も深まっていて、平原の緑には赤や黄色に染まり始めた葉を茂らせた木々が交じる。もっと冷え込んでくると下手な花より鮮やかな紅や金色になる葉を持つそれらの樹木は、エデストル特有のものだった。
エデストル国内には五百から千人ほどの住民から成るおよそ三十の村が点在しており、国土のほぼ中央に王城をいただく首都エトルがある。村では各々自治が認められていて、村長が人々を治めていた。エデストルにおける王はそんな彼らのまとめ役――支配者というよりも指導者もしくは調停役と呼んだ方が良いかもしれない。
土地は平原が多く、獣が暮らす森はあるものの、トルベスタのようには深くない。川も多く、肥沃な土が豊かな実りをもたらした。村は基本的に自給自足で成り立っていて、規模に応じてエトルに税を納める。
民は皆巧みに剣を操るが、剣よりも鍬を手にすることを好む、穏やかな気質だった。
魔物との戦いは、エディが物心つく前から始まっていたが、それでも彼の中には『平和』な記憶しかない。
父は留守がちだったがそれを補うように母ディアンナは子ども達のことに心を割いてくれた。
フロアールにはこまっしゃくれた口を叩かれ、ベリートにはしごかれ、サビエにからかわれ、スクートに支えられる、日々。
そんな日々を送った、数か月ぶりの、故郷の姿。
トルベスタとエデストルの国境線である深い森の上空を抜け、見慣れた光景を飛竜の背から俯瞰した時、エディの胸には強い郷愁の想いが込み上げてきた。
平和な日々を送っていたころには感じたことのなかった慕わしさ。
――この地を守らなければ。
かつての平和を取り戻し――いや、今度こそ本物の平和を手に入れ、この地を守っていくのだ。
今更ながら、エディの胸の中にその気持ちが熱く渦巻く。
彼がそんな決意を胸に、エデストルの領空に入って三日が過ぎて。
いよいよ、住み慣れたエトルの都を目にする時がやって来た。
飛竜の背から地上を見下ろし、荒廃した城や街並みを目にするだろうと身構えていたエディだったが、エトルが近付くにつれて眉間の皺が深くなる。
家屋は多少痛んでいる所もありそうだが、破壊の限りを尽くされている、ということはない。むしろ無事な物の方が多かった。
自由に行き交っている人々は皆、どう見てもエデストルの民の衣装を身にまとっている。
別に、魔物に蹂躙し尽くされた祖国を目にしたかったわけではない。
だが――
「これは、どういうことだ……?」
道中、空の上から見かけたいくつかの村は、どれもひどく損壊していたのだ。エトルがこれほどきれいに残っているのは、嬉しいが、奇妙でもあった。
思わずこぼしたエディの呟きにソワレが応じる。
「僕は不要な破壊はしない。他の村は潰れるまで抵抗してきたから仕方がなかったが、エデストルの王妃は、早々に降伏したからな。街中での戦闘は殆どなかった。今は拘束していた民も全て解放されている筈だ」
「母上もか?」
「さあ」
肩をすくめたソワレに、身を乗り出して落ちかけたエディは慌てて姿勢を立て直す。
「さあってなんだよ、さあって!?」
「彼女はマギクの預かりになっている。僕が魔物を撤退させたことは伝わっていると思うけどね。どうするかはマギク次第だ」
自分の知ったことではないと言わんばかりの弟の態度に、彼の腕の中のルゥナが咎める眼差しを向ける。
「ソワレ……」
「ルゥナ、僕は別にマギクに無理強いはしていない。彼の荷物を肩代わりしてやっただけだよ。僕が提案し、彼が選択した。それだけだ。彼はもう何もかもにうんざりしていたようだからね」
「お前がマギ王を操ったんじゃないのかよ」
「力で、と言うなら、そうじゃない。言っただろう? ただ、僕は提案しただけだ。抵抗しなければマギクの民には手を出さないし、なんなら新しい土地をやるってね。ついでに、『印』も引き受けてやった。マギクは肩の荷が下りてホッとしていたようだったよ」
まるで善行を施したとでもいうようなソワレの口振りに、エディはカッと頭に血を上らせる。
「そもそもお前が魔物を操って襲ってきたせいだろ!?」
「あれ以前にマギクにはもう変化の兆しは現れていた。僕の行動は少し彼の背中を押してやったくらいのものさ」
「変化の兆しって?」
口を挟んできたトールにソワレはチラリと目をやり、答える。
「子ども達の異常だ。邪神の力は着実に広まっている。アイツを封じ込めていたイスラから染み出し、とっくの昔にこのルニア大陸にも到達している。あと百年もすれば、シュリータの端まで浸透するかもな。すでに二百年近く生きている身からすると、百年なんて短いものだ」
そこで彼は何かに気付いたようにふと言葉を切って、胸元のルゥナの耳に何かを囁いた。
その声は小さくてエディには聞き取れなかったが、弟が言っていたことで硬くなっていた彼女の表情の変化を見れば、何か慰めの言葉だったのだろうということは見て取れた。
ソワレが優しげな手付きでルゥナの髪を撫でると、彼女は小さく微笑んだ。
見るからに打ち解けたその様子に、エディはモヤモヤした気分で水を注す。
「子ども達の異常って何なんだよ?」
ルゥナに注いでいたものから一転して冷ややかになった眼差しを彼に向けると、ソワレは淡々と続けた。
「マギクでは、もう何年も前からまともな子どもは殆ど生まれなくなっている。僕が魔物を引きつれてこの大陸にやってくる前に、もうそれは始まっていた。新たな民が産まれず、魔物との戦いで民はどんどん死んでいったから、今のマギクの人口は、以前の半分以下になっているんじゃないかな」
「マギ王が父上を裏切ったのは、その所為なのか?」
「彼が何を思っているのかなんて、僕が知るわけないだろう。まあ、理由の一つだろうとは思うけれどね」
淡々と、いかにもどうでもいいと言わんばかりのソワレの態度に、エディが更に食ってかかろうとする。が、その機先を制してヤンがのんびりと口を挟んだ。
「まあ、この場にいない者の思惑は置いておいて、取り敢えず射落とされる前に降りないか?」
「え?」
「エデストルの民の弓の腕がトルベスタ程でなければ良いがな」
彼のその台詞と視線に釣られてエディが眼下を覗くと、頭上を舞う五体の飛竜と一羽の怪鳥を指差している人々の姿があった。何人かは、確かに弓矢を携えている。
身を乗り出した彼の姿に気付いて、人々の間にざわめきが走るのが見て取れた。
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