癒しの乙女の永久なる祈り

トウリン

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第九章:剣士の帰還

克己①

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 エデストルの城は、広場から南に進んだところにある。
 大人の男の胸の辺りまでの高さに整えられた生け垣にぐるりと取り囲まれているその建物は、『城』というよりも『屋敷』と呼んだ方が良いかもしれない。
 エデストルの建築物は、様々な大きさに整えられた木材を組み上げるようにして造られていて、トルベスタやシュリータのように上に積み上げることなく、平屋だ。
 基本的には木造りで、壁には土が塗り込められている部分もあるが、飛竜が体当たりすれば簡単に穴が開くだろう。
 華奢にも見えるそれらに、武骨なヤンはしきりに物珍しそうな眼差しを向けていた。

 一同が向かったのは、屋敷の敷地内の最奥の一画だ。
 元々城はそびえる切り立った崖を背にしていて、正面以外からは進入できないようになっている。
 聖剣が安置されている社は、その崖に殆ど包まれるようにして建てられていた。
 白い小石が敷き詰められた前庭には人気が無く、しんと静まり返っている。

「ここに剣があるのか?」
 ジャリ、と石を踏み締める音を立てて、百歩もあればその周りをグルリとまわりきってしまうだろう程の大きさの建物を前に、ヤンがエディを振り返った。
「こんな所に剣を置いているのか?」
 ヤンは、見張りも付けず、斧の一撃で粉砕できそうな代物の中に聖剣を放置している事が納得いかないらしい。
 だが、そもそもここには代々『印』を持つ者以外は立ち入ることができず、王妃のディアンナやフロアールも足を踏み入れたことがない。

「まあ、宝物ってわけじゃないですし、誰も盗みになんて来やしませんしねぇ」
 頭を掻きながら答えたのはサビエだ。
「で、本当に行くんですか?」
「行く。さっさと取ってくる」
 きっぱりと言い切ったエディに、スクートとサビエが顔を見合わせる。
 何か含みがある双子の態度に、トールがいぶかしげに眉根を寄せた。
「何でそんなに心配げなの? 別に、この社《やしろ》がエディを取って食ってしまうってわけでもないんでしょ?」
 冗談混じりの隣国の王子の茶々に、二人はまた視線を交わした。それを見て、トールも真面目な顔になる。
「何か、あるんだ?」
 と、エデストルに着いてから無言を貫いていたソワレが、不意に口を開く。

「術がかけられているな」
 彼の目は聖剣が納められている社に向けられている。
「術?」
 気遣わしげな声でその言葉を繰り返したルゥナを見下ろして、ソワレは小さく頷いた。
「ああ。発動していないからどんな術なのかははっきりしないけど……仕掛けられたのはだいぶ前っぽいな。多分、そいつが入ったら何かが始まるんだろう」
 肩をすくめたソワレは、いかにも興味なさそうにエディを目で示した。
「何かって――何?」
 ルゥナがエディを見つめ、ソワレ以外の皆がそれに倣《なら》う。

「……剣を受け継ぐ前に試練がある、とは聞いている」
 一同の視線に促されてそう答えたものの、エディ自身も詳しいことは聞かされていなかった。父のレジールは、ヒトの悪い笑みを浮かべながら、「強さを試される」とだけ言っていたのだ。
「試練、って……」
 いかにも不安そうなルゥナの眼差しから無理やり自分を引き剥がすようにして、エディは社に顔を向けた。
「まあ、とにかく、行ってくる」
 そう残し、それ以上の引き止めは一切聞かんとばかりに歩き出す。

 ザクザクと音を立てて小石を踏み締めながら、三段ほどの階段に辿り着いた。それを上って、木製格子の観音開きの扉の前に立つ。
 それを開いたことは、まだない。
 五つかそこらの時に父に連れられてこの場所に立ったことはあったが、それきりだ。
 外から察するに、内部はそれほど広くはないはずだ。
 けれど、扉の格子は手を差し込めそうなほどの隙間もあるというのに、中の方が暗い為か、目をすがめて見てもどうなっているのかは全く見て取れない。
 エディは小さく息を吸い込み、溜めて、手を上げる。
 鍵があるとは聞いていなかった。
 ただ、入る資格がある者しか、その扉を開くことはできないのだという。
 その『資格』というものが、単なる血筋の問題だけなのか、それとも他に何かがあるのか。

(もしも、自分にその『資格』がなかったら……?)
 たとえば、強さとか、覚悟とか、決意とか。
 ほんの一瞬、エディの中にはそんな思いが湧いたが、彼は即座にそれを打ち消した。

(俺は、やれる)
 胸の内でそう宣言し、手のひらを扉に押し当てる。
 腕に力を込める。

 扉は――軋み一つ立てず、ほんのわずかな抵抗もなく、するりと開いた。
 あまりに軽いその動きにエディは一瞬拍子抜けし、最初から扉など存在していなかったかのように感じてしまう。
(まあ、少なくとも入れてはくれるってわけだ)
 胸の中でそう呟きながら履き物を脱いで板張りの床に足を踏み入れたエディは、中ほどまで進む。と、不意に視界が暗転した。

 いや、違う。
 光がなくなった、だ。

「何だ?」
 窓一つないが扉は格子なのだからたとえ閉まっても光は入る筈だ。
 眉をひそめてその方向に振り返ると、扉がない。
 灯りは一つもないのに暗闇ではなく、壁と床は見て取れた。自分の身体を見下ろせば、細部まで確認できる。
 奇妙な空間で、やけに広く感じられた。
 エディはグルリと中を見渡す。
 そして彼は、眉間に寄せた皺をいっそう深くした。

「剣なんて、無いじゃないか」
 思わず、呟く。
 真四角の部屋の中には、それらしいものは、何一つない。というよりも、エディしか存在していないのだ。

 さて、どうしたものか。
 ここから出ようにも、扉は消えてしまった。

(この中で瞑想でもしてろってのか?)
 そんな時間はないというのに。
 エディは未練がましく扉があった辺りを振り返り、そちらに足を向ける。

 刹那。

 ゾワリと、首筋の毛が逆立った。
「何だ?」
 剣の柄に手をかけ、彼は身を翻す。
 何も存在していなかった筈だった――少なくとも、ついさっきまでは。

 だが、今は。

 何かが、いる。

 エディは、目を見開いて一点を凝視した。
 部屋の中央、暗がりの中に凝《こご》った、黒い塊。
 初めは仔犬ほどの大きさだったそれが、みるみる大きくなっていく。エディが目を瞠《みは》る前で、あっという間に大人の男ほどの大きさになって立ち上がった。
 いや実際に、どこからどう見ても、長衣を頭から被った人間、だ。体格は細身ではあるが、女性でないのは見て取れる。
 ほんの少しでも不穏な動きがあれば即座に剣を抜こうと身構えるエディの前で、その――男は、無言のままに両手を上げ、顔の半分まで被さっている布を首の後ろへと追いやった。
 そこから現れた顔形に、エディは思わず息を詰める。

「ッ――マギ、王!」
 唸るようにその名を呼ばわっても、長衣の男は微動だにしなかった。
 だが、たとえエディの呼びかけに応じなくても、彼はどこからどう見ても明らかにマギクの王だ。
 頬に刻まれた『印』は暗がりの中でぼんやりと光を放っているよう見える。
 マギ王は、淡々とした視線をエディに向けていた。
 彼からは、まるで何も感じられない――戦意も、罪悪感も。
 さながら等身大の人形のように、静かに佇んでいる。
 エディが彼と顔を合わせたのは、もう十年以上前のことだ。どことなく母ディアンナに似たその王は穏やかで、優しげだった。
 レジールも猛々しい王ではなかったが、武人らしい『芯』のようなものがあって、マギクの王とは全く違う。魔物との戦いが激化してきた時、エディは、あの王が戦うことなどできるのだろうかとその身を案じたものだ。

 ――その柔和さも寸分違わず。

 今目の前に立つ男は、彼の記憶に残るマギ王そのものだった。

 エディはとっさに腰の剣の柄を握り締める。
 こいつは、仇だ。
 その思いで、目の前が赤くなる。
 レジールの、ベリートの、数多くのエデストルの兵士たちの命を奪ったにも等しい男なのだ。

 だが――
 エディの脳裏に、束の間、懇願するようなルゥナの瞳が閃く。
 ――マギクは、もう、『敵』ではない。

 エデストル領内をうろついていたマギク兵は皆、自ら出頭し、全く抵抗を見せることなく城の牢獄に収容されたと聞いている。
 だから、マギ王がここにいるのも、害意があってのことではないのだろう。
 実際、目の前に立つ男からは、何かを為そうという覇気は全く伝わってこなかった。
 エディは大きく一つ息を吸い、そして吐く。
「父たちの仇を討ちたい」という感情と、「話しをしなければ」という理性が、彼の中でせめぎ合った。ギリギリのところでぎらつく感情をかろうじて押さえつけ、エディは努めて冷静な声を心がける。

「ここで、何をしている――何故、ここに入れたんだ?」
 一瞬の、間。
 そして、問うたエディに答えを与えようとするかのように、マギの手が上がる。肩の高さまで来て、エディに向けて真っ直ぐに腕が伸ばされる。
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