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エピローグ
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ピシカは次元の隙間からするりと身を滑らせる。
途端、全身を包み込んだのは、懐かしい空気。
彼女が感知する全てが、ここはあの世界なのだと教えてくれた。
――帰ってきた。
大地に足を付け、空を仰ぐ。
そうしてピシカはあたりを見渡して、ふと眉をひそめた。
「少し、ずれたかな」
ぼやいたのは、自分が最初に目にするだろうと思っていた風景と、実際に目にした光景とが、あまりにかけ離れていたからだ。
そう、彼女はイシュラに出る予定だった。
けれど、この景色は、そうじゃない。
イシュラは岩ばかりの荒れ地だったのに、彼女の足元は青々とした下生えが茂り、そこかしこに木々が育ち花も咲いている。乾いているはずの空気は瑞々しく、小鳥のさえずりも聞こえる。
もしかしたら、ルゥナへの想いが強すぎて、この世界に出る道を開くとき、エデストルのことを考えてしまったのかもしれない。
苦笑しかけて、ピシカはふと微かな残滓に気付いた。
「これは……」
大地に膝をつき、地面に両手のひらを押し当てる。
伝わってくるのは――
「ユクレア」
確かに、あの子だ。
もう明確な気配ではないけれど、ピシカが『対』の存在であるユクレアのことを間違えるはずがない。
「そっか」
無意識のうちにピシカの口元はほころんだ。
(そうなんだ)
ユクレアはこの世界に溶けて、この世界の一部であり全てになった――この、心地良い世界の。
多分、ユクレアのあの力の欠片が、この地を賦活させたのだ。
(もともと、あの子の力は、そういうものだった)
生命力を高め、活性化させる。
そういう、良い方向に働く力だったのだ――ピシカによって、歪められてしまうまでは。
(本当のあの子に、戻れたんだ)
この地の変化に、ピシカはそう実感した。
もうじき、ピシカもユクレアと同じ道を辿るだろう。ピシカもいつか生を終え、この世界に溶けていく。
その時には、二つの存在はまた一つになれるのだ。
ピシカは大地に伏せ、頬でその微かな『温もり』を感じ取る。かつて、ルゥナに触れられたとき、感じていたのとよく似た『温もり』を。
「ああ、アンタに逢いたいわ」
想いを馳せれば、そんな呟きがこぼれてしまう。
ここに帰ってくるまでにどれほどの時間がかかってしまったのかは判らない。けれど、あの白銀の少女がもういないことだけは、判っていた。
震える吐息を漏らした、その時。
「わあ、神さまだ」
喜びに満ちた高い声が、唐突に響き渡る。
両手をついて身体を起こすと、幼い少女が目を丸くしてピシカを見つめていた。こんな子どもがうろついているということは、近くに村があるということなのだろう。
かつてのイシュラを知っているピシカにしてみれば、それも驚きだった。
何も言わないピシカに、少女が首をかしげる
「お姉ちゃん、神さまじゃないの?」
「神様?」
懐かしい、言葉だ。ルゥナは、ピシカのことをよくそう呼んでいた。
「『でんせつ』の神さま、だよ……ちがうの? お姉ちゃんとおんなじ色をしてるんだって。そんな色してる人、あたし見たことないけどなぁ」
少女はムゥッと唇を尖らせて眉根を寄せている。
「『伝説』?」
「そう。知らないの? 昔々ずっと昔ね、神さまと五人の『えいゆう』がこのイシュラを助けてくれたんだよ」
少女は得意げにそう説明する。
「それって何年前のこと?」
「なんねん?」
「どのくらい昔のことなのかってことよ」
ピシカの問いに、少女は立てた人差し指を顎に当て、小さく首をかしげる。
「えぇっとねぇ……あたしのおばあちゃんのおばあちゃんのそのおばあちゃんくらい?」
それは、多分、ヒトの時間では途方もない『大昔』のことなのだ。
こうやって抽象的な『伝説』は残っていても、もちろん、ピシカという存在のことなど、とっくに忘れ去られているだろう。
もちろん、判っていたことだけれど。
覚悟はしていたけれど、やっぱり、つらい。
少女はうつむいたピシカには気付いていない様子で、足元に咲く花を摘みながら話し続ける。
「エデストルって国ではね、秋になったらお祭りするんだよ」
「お祭り?」
少女は嬉しそうににっこりと笑う。
「うん。神さま神さま、早く帰ってきてくださいって。」
「帰って来て……?」
ピシカは、その言葉を繰り返した。
「あたしも毎年連れてってもらってるんだ。それにね、エデストルの一番目のお姫さまは、みんな『ピシカ』ってお名前なの。大事な名前だから忘れないようにって、『えいゆう』の王妃さまになった人がお願いしたんだって――って、お姉ちゃん、泣いてるの!? なんで!?」
小さな両手いっぱいに摘んだ花がバラバラと零れ落ちた。
「泣いてる? アタシが?」
「うん、だってほっぺぬれてるよ?」
少女は手のひらをいっぱいに広げて、ピシカの頭を撫でる。
その感触は、とても心地良くて、どこか懐かしくて。
確かにルゥナという少女の形はもうないのかもしれないけれど、ピシカには彼女の存在が、彼女の祈りが、まざまざと感じられる。
鈴が転がるような声でお帰りと言い、夜の空を映した瞳で笑いかけ、その温かな手で抱き締めてくれるのを、感じ取った。
ルゥナが愛し守ろうとしたこの世界は、きっと、彼女そのものなのだ。
そしてこの世界は、ピシカを優しく包み込んでくれている。
今も昔も、いつだって、ルゥナはピシカを助け、守ろうとしてくれていた。
「――その伝説は、ちょっと違うんだ」
「え?」
少女の手が、ピタリと止まる。
ピシカは笑って続けた。
「神様もね、英雄に助けてもらったんだ。英雄が、神様を助けてくれたんだよ」
そして、彼女の祈りは今もピシカを救ってくれている。
「ふうん?」
首を傾げた少女にもう一度笑いかけ、ピシカは大地に仰向けに寝転んだ。
見上げれば、高く広がる青い空。
もう少ししたら、それはルゥナの色になる。
「ただいま、ルゥナ」
そっと囁き、ピシカはその空へ向けて、両手を差し伸べた。
途端、全身を包み込んだのは、懐かしい空気。
彼女が感知する全てが、ここはあの世界なのだと教えてくれた。
――帰ってきた。
大地に足を付け、空を仰ぐ。
そうしてピシカはあたりを見渡して、ふと眉をひそめた。
「少し、ずれたかな」
ぼやいたのは、自分が最初に目にするだろうと思っていた風景と、実際に目にした光景とが、あまりにかけ離れていたからだ。
そう、彼女はイシュラに出る予定だった。
けれど、この景色は、そうじゃない。
イシュラは岩ばかりの荒れ地だったのに、彼女の足元は青々とした下生えが茂り、そこかしこに木々が育ち花も咲いている。乾いているはずの空気は瑞々しく、小鳥のさえずりも聞こえる。
もしかしたら、ルゥナへの想いが強すぎて、この世界に出る道を開くとき、エデストルのことを考えてしまったのかもしれない。
苦笑しかけて、ピシカはふと微かな残滓に気付いた。
「これは……」
大地に膝をつき、地面に両手のひらを押し当てる。
伝わってくるのは――
「ユクレア」
確かに、あの子だ。
もう明確な気配ではないけれど、ピシカが『対』の存在であるユクレアのことを間違えるはずがない。
「そっか」
無意識のうちにピシカの口元はほころんだ。
(そうなんだ)
ユクレアはこの世界に溶けて、この世界の一部であり全てになった――この、心地良い世界の。
多分、ユクレアのあの力の欠片が、この地を賦活させたのだ。
(もともと、あの子の力は、そういうものだった)
生命力を高め、活性化させる。
そういう、良い方向に働く力だったのだ――ピシカによって、歪められてしまうまでは。
(本当のあの子に、戻れたんだ)
この地の変化に、ピシカはそう実感した。
もうじき、ピシカもユクレアと同じ道を辿るだろう。ピシカもいつか生を終え、この世界に溶けていく。
その時には、二つの存在はまた一つになれるのだ。
ピシカは大地に伏せ、頬でその微かな『温もり』を感じ取る。かつて、ルゥナに触れられたとき、感じていたのとよく似た『温もり』を。
「ああ、アンタに逢いたいわ」
想いを馳せれば、そんな呟きがこぼれてしまう。
ここに帰ってくるまでにどれほどの時間がかかってしまったのかは判らない。けれど、あの白銀の少女がもういないことだけは、判っていた。
震える吐息を漏らした、その時。
「わあ、神さまだ」
喜びに満ちた高い声が、唐突に響き渡る。
両手をついて身体を起こすと、幼い少女が目を丸くしてピシカを見つめていた。こんな子どもがうろついているということは、近くに村があるということなのだろう。
かつてのイシュラを知っているピシカにしてみれば、それも驚きだった。
何も言わないピシカに、少女が首をかしげる
「お姉ちゃん、神さまじゃないの?」
「神様?」
懐かしい、言葉だ。ルゥナは、ピシカのことをよくそう呼んでいた。
「『でんせつ』の神さま、だよ……ちがうの? お姉ちゃんとおんなじ色をしてるんだって。そんな色してる人、あたし見たことないけどなぁ」
少女はムゥッと唇を尖らせて眉根を寄せている。
「『伝説』?」
「そう。知らないの? 昔々ずっと昔ね、神さまと五人の『えいゆう』がこのイシュラを助けてくれたんだよ」
少女は得意げにそう説明する。
「それって何年前のこと?」
「なんねん?」
「どのくらい昔のことなのかってことよ」
ピシカの問いに、少女は立てた人差し指を顎に当て、小さく首をかしげる。
「えぇっとねぇ……あたしのおばあちゃんのおばあちゃんのそのおばあちゃんくらい?」
それは、多分、ヒトの時間では途方もない『大昔』のことなのだ。
こうやって抽象的な『伝説』は残っていても、もちろん、ピシカという存在のことなど、とっくに忘れ去られているだろう。
もちろん、判っていたことだけれど。
覚悟はしていたけれど、やっぱり、つらい。
少女はうつむいたピシカには気付いていない様子で、足元に咲く花を摘みながら話し続ける。
「エデストルって国ではね、秋になったらお祭りするんだよ」
「お祭り?」
少女は嬉しそうににっこりと笑う。
「うん。神さま神さま、早く帰ってきてくださいって。」
「帰って来て……?」
ピシカは、その言葉を繰り返した。
「あたしも毎年連れてってもらってるんだ。それにね、エデストルの一番目のお姫さまは、みんな『ピシカ』ってお名前なの。大事な名前だから忘れないようにって、『えいゆう』の王妃さまになった人がお願いしたんだって――って、お姉ちゃん、泣いてるの!? なんで!?」
小さな両手いっぱいに摘んだ花がバラバラと零れ落ちた。
「泣いてる? アタシが?」
「うん、だってほっぺぬれてるよ?」
少女は手のひらをいっぱいに広げて、ピシカの頭を撫でる。
その感触は、とても心地良くて、どこか懐かしくて。
確かにルゥナという少女の形はもうないのかもしれないけれど、ピシカには彼女の存在が、彼女の祈りが、まざまざと感じられる。
鈴が転がるような声でお帰りと言い、夜の空を映した瞳で笑いかけ、その温かな手で抱き締めてくれるのを、感じ取った。
ルゥナが愛し守ろうとしたこの世界は、きっと、彼女そのものなのだ。
そしてこの世界は、ピシカを優しく包み込んでくれている。
今も昔も、いつだって、ルゥナはピシカを助け、守ろうとしてくれていた。
「――その伝説は、ちょっと違うんだ」
「え?」
少女の手が、ピタリと止まる。
ピシカは笑って続けた。
「神様もね、英雄に助けてもらったんだ。英雄が、神様を助けてくれたんだよ」
そして、彼女の祈りは今もピシカを救ってくれている。
「ふうん?」
首を傾げた少女にもう一度笑いかけ、ピシカは大地に仰向けに寝転んだ。
見上げれば、高く広がる青い空。
もう少ししたら、それはルゥナの色になる。
「ただいま、ルゥナ」
そっと囁き、ピシカはその空へ向けて、両手を差し伸べた。
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