凍える夜、優しい温もり

トウリン

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<破壊を恐れずに>

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「好きだ」と言って相手を怒らせるというのは、どういう事態なのだろう。いや、実際に口にしたのは「愛している」という言葉だったが、まともに受け取られるような状況ではなかった筈だ。

(いや、だから、なのか?)

 颯斗はやとはピタリと固まった。
 軽い気持ちで言ったから、綾音あやねは怒ったのだろうか。
 彼女にとっては軽いものではなかったから、怒ったのか。

(だけど、綾音の方から『好き』とか言い出したんだろ)

 綾音にとっての颯斗の『愛している』より、颯斗にとっての綾音の『好き』の方が遥かに重い。
 ヒトの気も知らないであんなことを気軽に口にする綾音だって、ひどいじゃないか。

(――まあ、俺の気持ちなんか、全然知らないんだから仕方ないんだろうけどさ)
 颯斗は深々とため息をつく。

『愛している』。

 ついこぼしてしまったあの一言のせいで、もう二週間近く、颯斗は悶々と悩んでいた。
 表現は悪いが売り言葉に買い言葉、単なる言葉遊びに近い感覚だったと思うのだ、あの『告白』は。
 それなのに、綾音のあの過剰な反応は何だったのだろう。
 いや、颯斗の『好き』自体は至って真面目、至って本気のものだが、あの流れではそんなに真剣には受け取らないだろう、普通。
 ため息混じりに、彼は胸の中でそうぼやく。
 てっきり、「ふざけないでよ、もう!」くらいの返事がある程度だと思っていたのに。

 ――母親が突然訪ねてきたあの日以来、綾音はガチで颯斗を避けている。というか、颯斗から逃げている。
 何かの拍子にたまたま目が合うとパッと顔ごと逸らすし、うっかり指先が触れようものなら火にでも触ったように引っ込める。

(そんなに、イヤだったのか?)

 能天気なざわめきが満ちた教室の中、右腕で頭を抱え込み、颯斗は机に突っ伏した。
 けれど、いっそう彼を混乱させるのは、そんなふうにするくせに、綾音の方から話しかけてくる時は、まるきり普通だということだ。まあ、『普通』と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、少なくともびくついてはいない。
 なんというか、興味があるものにそろそろ近づいてくるのに、爪の先でチョンと触ると飛びのいて逃げていってしまう仔猫か何かのようだ。

 近付きたい、けれど、怖い。
 そんな感じ。

 しかし、綾音との付き合いはもう二年以上にもなるのに、今さらそんな行動はおかし過ぎる。
 以前に彼女が熱を出した後に挙動不審になった時は、納得できた。
 ああ、照れているんだろうな、気まずいのだろうな、と。
 今回はさっぱり解からない。
 教室の窓の外には秋晴れの空が青々と透き通っているというのに、颯斗の心の中はじめじめした梅雨もいいところだった。

「もう、訳わかんねぇよ」
 思わず呻いた、その時だった。

「何が?」

 不意に頭の上から降ってきた声に顔を上げると、机の横に立ったたかしが颯斗を見下ろしていた。彼は前の席の椅子にまたがると、背もたれに両腕を乗せて颯斗を覗き込んでくる。

「綾音さん、今度はどうしたん?」

 颯斗を悩ませているのが彼女だと決めてかかっている隆に、颯斗はムッと眉間にしわを寄せた。

「何で彼女の名前が出てくるんだよ」
「だって、お前が悩む原因なんか他にはないじゃんか。オレらが期末ヤバい! とか言ってる時も飄々としてやがって。少なくとも、学校生活の中でお前が焦ってるとこなんて見たことないからな」

 違うか? と目顔で問われて、颯斗はかぶりを振ることはできなかった。
 颯斗にとって、たいていのことは『どうにかなる』ことで、『どうでもいい』ことだ。
 その中で、綾音だけはどうにかなるともどうでもいいとも思えない。
 颯斗は身体を起こして、頬杖をつく。顔を横に向けて、彼の悩みを投げたくらいではほんの少しも曇りそうもない青空を眺めた。

「……愛してると言ったら、避けられるようになった」
「は? アイ――って、綾音さんに? 言ったの?」
「ちょっと、会話の流れというか、そんな感じで」
「何それ」
 隆はいぶかしげな顔をしている。

「別に、本気で告白したとかそういうわけじゃない」

 颯斗はむっつりと言った。気持ちそのものは心の底からのものだが、あんな流れで本心を打ち明けたつもりはなかった。

「綾音が軽く『好きだ』とか言うから、俺は愛してるって返した。でも、聞くなり綾音は怒り出して、それから、なんか避けられてる」
「あっちゃぁ……」

 呻いた隆が、片手で顔を覆って天を仰ぐ。その芝居がかった仕草に、颯斗はイラッとした。

「あんな遣り取り今までにも何度もしてきたんだよ。……さすがに、『愛……』ってのはなかったけどさ」

 綾音はいつでも颯斗のことをまさに近所の子ども扱いしていたのだ。まさか、彼の台詞にあんなふうに反応するとは、予想外だった。
 クシャリと前髪を掴んだ颯斗をしばらく隆は黙って眺めていたが、やがてポツリと言った。

「なあ、それってさ、綾音さんの中でなんか変わってきてるってことじゃねぇの?」
「はあ?」
「ほら、お前のこと、意識してきてる、とか……」
「ないない、それはない」

 期待するのもバカらしいほど有り得ない事を言う隆に、颯斗は自嘲の笑いを漏らす。そうして、彼から窓の外へと目を向けた。
 そんな颯斗を隆はしばらく見つめていたけれど、やがて彼と同じように青空を見やる。

「あのさ、オレもそうだったんだよ」
「え?」
桃子とうこに告ったら逃げまくられてる。ちなみに現在進行形」
「は?」

 思いも寄らない話の流れに、颯斗は思わずポカンと隆を見つめてしまった。
 隆は彼の視線を横顔に受けたまま、続ける。

「ほら、夏休み、綾音さんのとこで勉強一緒にしただろ? あのすぐ後、天文部の合宿だったんだよな。そん時告った」

 全然、気付かなかった。その後は夏休み中に彼らと会うことはなかったのだ。そう言えば、二学期が始まってからもうひと月近く経つけれど、以前のように二人が一緒にいる姿を、しばらく目にしていない気がする。

「オレもいい加減限界だったんだよなぁ。あいつとは付き合い長くてさ、あっちは全然オレのことなんか男として見てなかったわけ。でも、オレらって高校生男児だろ? 好きなやつには触りたいし抱き締めたいしキスとか、まあ、それ以上のことだってしたいわけ」
 そこまで言って、隆ははぁ、と息をついた。

「最近さ、あいつ、高校入ってから友達になった子のことばっか言っててさ。いや、女の子なんだけど、寝ても覚めてもその子のことしか口にしなくて、なんか、つい、やっちまったんだ」
「で――」
「絶賛避けられまくり中」
 はは、と力無く笑った隆はがっくりと頭を垂れて、背後の机に寄り掛かった。

「そうか……」

 励ましか慰めの言葉をかけてやった方がいいのだろうが、その姿に思いきり自分の姿が被ってしまった颯斗には、何も思い付けない。
 気詰まりな沈黙は、長くは続かなかった。
 不意に顔を上げた隆の目には、意外なほど明るい光が宿っている。

「まあ、避けられてはいるんだけどさ、後悔はしてないんだ。衝動的にしでかしちまったことではあるけど、いいきっかけだったかなって」
「そうなのか?」
「ああ。だって、オレ、一生あいつの『お友達』とかしてる気なかったし。悠長に待ってて他の男に持ってかれでもしたら、それこそショックだよ。取り敢えず、避けられる程度には意識してくれてるんだと考えることにした」
「お前……図太いな」

 あっけらかんとした隆に、颯斗は眉をひそめた。彼には、とうていそんなふうには思えない。
 今でさえ滅茶苦茶落ち込んでるのに、これ以上綾音と距離ができてしまったら、それこそ、死にたくなる。
 綾音は未だに荘一郎そういちろうのことしか見えていないから、少なくとも、他の男に掻っ攫われるということはないはずだ。今は避けられているけれど、ほとぼりが冷めれば、きっとまた前のような彼女に戻るに違いない。綾音だって、多分、以前のような颯斗との関係を望んでいるのだろうから。

 ――颯斗が動かなければ彼女との関係は近付きもしないが、遠くもならずに済む。

 甚だ情けないとは思うが、それが今の颯斗の正直な気持ちだった。
 と、不意に、隆が身を乗り出して彼を覗き込んでくる。

「お前もそろそろ腹をくくったら?」
「え」
「本気で、ちゃんと、好きだって伝えてみろよ」

 いつもふざけている隆の眼差しは、真剣だった。颯斗は彼から目を逸らし、もごもごと口の中で返す。

「だけど綾音が……」

 言い逃れじみた声だと、颯斗自身も思った。当然、隆もそう思ったのだろう。

「違うだろ」
 叩くように、ピシャリと投げられた一言。

「え?」
 パッと隆を見ると、颯斗は真っ直ぐに向けられている彼の眼差しと行き合った。

「お前が、ビビってんだよ。あの人との関係、変えたくないとか思ってないか? 今より悪くなったらどうしよう、とか」

 思い切り、図星だ。
 まるでさっきの心の中での呟きを聞かれたかのように思い切り自分の弱さを見透かされて固まった颯斗に、隆は苦笑する。

「あのさ、お前って対人スキル滅茶苦茶低いから、色々不安なんだろうなとは思うよ? 今――まあ、今は多少うまくいってないんだろうけど、今の関係が壊れて気まずくなって綾音さんにそっぽ向かれたらどうしようとか、ビクついてんだろ?」
 隆は椅子の背に両腕をかけて、颯斗の方に少し身を乗り出してきた。
「だけどさ、綾音さんって、そういう人か? 自分が気まずいからって、お前のこと放り出すような人なのか?」

 それは、違う。
 断じて。
 今彼女が颯斗を避けているのも、きっとそういう理由でではない。

 綾音は、きっと、颯斗に気を使わせないように接しようとしている。彼女の方から近付いてくる時は、『普通』にしようとしているのがありありと伝わってくるのだ。

 人当たりが良い綾音は、同時に、不器用で臆病だ。
 ――颯斗と同じくらいに。

 お互いにビクついて安全な距離を測ったままでいたら、多分、一生近付けない。
 颯斗は奥歯を噛み締める。
 そんな彼に、隆は少し表情を緩めて言う。

「なあ、一回仕切り直したらどうだよ? フラれたらフラれたでまた考えろよ。人間関係ってさ、もろいところもあるけど意外と頑丈だったりするし、壊れたらそれっきり元に戻せないってもんでもないしさ」
 能天気なチャイムの音が、休み時間の終わりを告げた。隆はニッと笑って立ち上がる。
「お前って、対人関係は基本的に『受け身』じゃんか? 本当に欲しいと思うなら、自分から動いてみろよ。この優秀な脳みそ、勉強以外のことにもちゃんと使ってさ」
 トンと颯斗の頭を指で小突きながらそう言うと、彼は去っていった。

 独り残された颯斗は、また窓の外に目を向ける。
 ベランダの手すりに雀がとまり、ククッと左右に首をかしげる。
 颯斗がほんの少し腕を動かすと、一瞬にしてどこかへ飛んでいってしまった。

 その様子が、なんとなく綾音と被る。
 ビクビクして、こちらが近寄る気配を見せただけでも逃げていってしまう、小鳥。
 けれど雀だって、何度も何度もこちらから手を伸ばして何も怖いことはないのだと伝えてやれれば、この手にとまるようにもなってくれるのではないだろうか。
 一度や二度ではなく、時間をかけて、確実に距離を詰めていけば。

 綾音は、怯えている。

(だけど、何が怖いんだろう?)

 以前に彼女が言っていたように、人を近付けて、また失ってしまうことだろうか。
 もしもそれを恐れているだけなのであれば。

(絶対、俺は諦めない)

 綾音さえ傍にいることを許してくれるのであれば、颯斗は彼女からけっして離れやしない。
 確かに、隆が言うとおり、一度今の関係を完全に壊してしまわなければならないのかもしれない。新しい何かを建てる時には、いったん更地に戻さなければならないのと同じように。
 颯斗は、そう思った。

 ――たとえそれが心地良く安定したものであったとしても。
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