捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
7 / 48
Ⅱ:捨てられ王子と金の馬車

望まぬ報せ

しおりを挟む
 その日は、朝から雲が重く垂れこめていた。
 教会の裏庭でアスピルの種の出来具合を確認していたアレッサンドロは、ヒラリと舞い落ちてきた白いものに、空を見上げる。
(雪?)
 上向けた彼の手のひらの上で、ひとひらの六花がジワリと溶けていく。
 この辺りはティスヴァーレの中でも東の方にあって、真冬でもそれほど雪深くなることはない。まだ冬も浅いこの時期に初雪を見ることは、彼がここに来てからの四年間で、初めてのことだった。

(今年はたくさん積もるのかな)
 アレッサンドロは眉根を寄せる。
 寒さが厳しくなれば、いつもよりも薪が必要になる。雪のせいで、ここに植えてある作物もダメになってしまうかもしれないし、森の中でとれるものも減ってしまうかもしれない。つまり、総じて、生活が厳しくなるということだ。
 教会の生活は、もとより楽ではない。
 村の人たちの厚意の寄付があるけれど、養う子どもたちは常に十人ほどはいる。ステラやレイが村で手伝い程度の仕事をしてはいるものの、それで受け取るお金くらいでは、熱した石に水をかけるようにあっという間になくなってしまう。

(僕にも何かできることはないのかな)
 アレッサンドロは自分の小さな両手を見下ろし、ため息をこぼした。
 レイのような力仕事は、できない。
 ステラのように繕い物や料理も、できない。
 アレッサンドロにあるのは知識だけで、それは、この村ではあまり役に立たなかった。
(早く、大きくなりたいのに)
 大きくなって、ステラを助けられるようになりたい。今ステラが頑張っていることを、全部代わりにやれるようになりたい。
「あと三年したら、そうなれるかなぁ」
 ため息混じりに彼が小さく呟いた時だった。

「アレックス!」
 弾む声で呼ばれてアレッサンドロは肩越しに振り返る。
「ステラ」
 その声を聴き、姿を目にするだけで胸の真ん中が温かくなる感じがするのは、どうしてなのだろう。
 アレッサンドロは立ち上がり、駆け寄ってくるステラに向き直った。突進してきた彼女は、その勢いのまま彼をギュッと抱き締めてくる。
 ステラは折に触れ子どもたちを抱き締めたり頭を撫でたりするけれど、これは何かが違っていた。
「どうしたの?」
 訊ねたアレッサンドロから、パッとステラが離れる。そして、明るく響く声で、言った。

「お迎えが来たの!」

「……え?」
「だから、アレックスのお迎えが来たんだよ! アレックスには家族がいたの!」
 ステラの答えを聞いた瞬間、アレッサンドロの頭の中が真っ白になった。
「う、そだ」
「うそじゃないよ。アレックスにはね、お兄さんがいるんだって。ずっと捜してて、ようやく見つけたんだって言ってたよ。ずっと、アレックスのこと捜してくれてたんだよ」
 自分のことのように、ステラは弾んだ声で言った。だが、浮き立つ彼女とは正反対に、アレッサンドロの心は沈み込んでいく。
(迎え……兄上から……?)
 そんなバカな、と思った。彼らが自分を――自分と母を捜すはずがない、と。

「僕じゃ、ないよ」
 低い声で囁いたアレッサンドロをステラが首をかしげて見つめてくる。
「アレックス?」
 アレッサンドロはステラから一歩後ずさった。
「それ、僕のことじゃないよ。僕にはもう家族なんていない。僕を迎えに来る人なんているはずがない」
「でも、見せてくれた絵はアレックスのお母さんとそっくりだったよ」
「絵?」
 繰り返したアレッサンドロに、ステラがコクリと頷く。
「そう。お兄さんとお母さんが描かれてるの。アレックスが生まれる前に描いたんだって。お兄さん、アレックスにそっくりだよ?」
 その報せを聞いてアレッサンドロが浮かべる表情が、ステラが思っていたものとは全く違っていたのだろう。彼女の笑顔に戸惑いを含んだ影が差す。だが、今のアレッサンドロには彼女を気遣う余裕がなかった。

「僕は行かないよ」
 アレッサンドロは硬い声で答えた。
「でも――」
「行かない。会いたくない」
 頑なにかぶりを振るアレッサンドロの頬を、ステラの手が包み込んだ。
「アレックス、聴いて」
 彼女の力は強くない。けれど、アレッサンドロは石膏で固められたようにほんの少しも動けなくなる。
 グッと奥歯を食いしばったアレッサンドロの目を、ステラは少し身を屈めて覗き込んできた。
「アレックスがここにいるのは――ここに来ることになったのには、何か難しい理由があったんだってことは判るよ。でも、五年間も捜してくれてたのは、アレックスのことを大事に想ってるからじゃないのかな」
 優しい声で言われても、アレッサンドロはステラのその言葉に頷くことなどできなかった。彼は両手をきつく握り締める。
(大事、なんて)
「そんなはず、ない」
「アレックス――」
 説得の言葉を重ねようとしたステラを、アレッサンドロは半ば叫ぶようにして遮る。
「あいつらは、僕を――僕と母上を、追い出したんだ!」
 彼が放ったその台詞に、ステラがハッと息を呑んだ。
 静まり返った中、小さな鳥のさえずりだけが通り過ぎて行く。

 ステラの顔に困惑や同情、痛み、そんなものが次々と浮かんでは消えていくのを見て、言わなければ良かったと、アレッサンドロは唇を噛んだ。けれど、発してしまった言葉は、もう取り消せない。
 押し黙る彼の脳裏に溢れ出してきたのは、五年前のことだ。胸の奥の箱に押し込み蓋をして、しっかりと鍵をかけていたはずだったのに、いとも簡単にそれは弾け飛んでしまった。
 父が逝った日の、ここにお前たちの居場所はないと告げたあの人の、美しく、そして憎悪がみなぎる顔が、一瞬にして蘇る。
 あの人だけではない。
(兄上だって――)
 アレッサンドロのことを可愛がってくれていると思っていたその人も、嵐のように母と彼に投げ付けられる痛罵を前に、顔を伏せているだけだった。
 ここでの幸せな日々で塗り替えられて、そんな過去はないものにできたと思っていたのに。

(今さら、どうして)
 深くうつむいたアレッサンドロの手が、温かな手でそっと包まれた。
「ねえ、アレックス」
 アレッサンドロは束の間ためらい、ノロノロと顔を上げる。ステラの顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。
 彼女はアレッサンドロの前にしゃがみ込み、低い位置から彼を見上げてくる。

「今日迎えに来てくれた人はね、お兄さんのお使いの人なんだって。本当はお兄さんが来られたら良かったけど、あんまり身体が強くないんですって。お家はラムバルディアにあって、遠いから、ここまで来るのは難しいんだって。でも、すごくアレックスに会いたがっていて、できたら自分で迎えに行きたいのにって言ってたんだって」
「そんなの、うそだ。要らない。いやだ。僕はここにいたい」
 拒絶の言葉を矢継ぎ早に並べ立てて唇を引き結んだアレッサンドロに、ステラが微笑む。

「わたしも、アレックスにここにいて欲しいよ」
「なら、いいじゃないか」
 アレッサンドロがむっつりと答えると、ステラは困ったような笑みになった。
「でも、本当にそれでいいのかな? お兄さんに、一度だけでも会ってきたらどう?」
 執拗にそんなことを言うステラを、アレッサンドロは睨み付けた。
「会っても同じだよ。何で? 何でそんなに言うの? ステラは僕にここにいて欲しくないの? 出てって欲しいの?」
 半ば八つ当たりのその台詞で、ステラの顔がクシャリと歪んだ。
「そんなことないよ! わたしだって、アレックスと離れたくない」
「だったら――」
 ここから追い出さないで。
 そう乞おうとしたアレッサンドロの口を、苦しげなステラの声が封じる。

「でも、アレックスには幸せになって欲しいの」
 ステラの眼は、真っ直ぐにアレッサンドロに注がれていた。
 少し潤んだ栗色の瞳の中で、緑の星がキラキラと瞬いていて、アレッサンドロは、こんな時なのに、それを綺麗だと思ってしまう。
「ここにいることが、僕の幸せだよ。ステラと一緒にいるのが、一番幸せなんだ」
「でも、もっと大きな幸せが、お兄さんのところにはあるかもしれないよ」
 そんなことはあり得ないと、アレッサンドロは声を大にして訴えたかった。自分の幸せは、ステラと共に在ることでしか、手に入らないのだと。
 だが、そうしようとするアレッサンドロを、ステラがふわりと抱き締めて、彼が紡ごうとした言葉は喉の奥に押し止められてしまう。

「わたしは、アレックスに一番幸せになる道を選んで欲しいの。だからね、一度はお兄さんに会って来て欲しい」
「あそこで僕が幸せになれるわけがないよ」
 あの場所で、ましてや、ステラがいないのに。
 ステラの肩にしがみついたアレッサンドロの背中を、彼女は優しく撫で下ろす。
「行ってみて、もしもダメなら戻ってきたらいいよ」
「……ホントに?」
 呟いたアレッサンドロをステラはそっと離して、彼の目を見つめながら頷く。
「もちろん。お兄さんと会ってお話をして、それでも帰ってきたいって思ってくれたら、帰ってきて。わたしはアレックスのこといつまでだって待ってる。それに、もしもあっちで暮らすことになったとしても、いつでも会いに来てくれたらいいんだから。ラムバルディアからはちょっと遠いかもしれないけど、もう二度と会えないわけじゃないんだよ?」
 だから、ね? とステラが微笑んだ。

 アレサンドロはスンと鼻をすする。
 ここから離れたくなどない。ステラが傍にいない日々など、一日たりともあって欲しくないけれど。
 きっと、何もしないままではステラは納得してくれないだろう。
(一度だけ。ちょっと行って、すぐに帰ってきたらいい)
 
「……わかった」
 アレッサンドロは、ステラの為に、そう言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中

白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。 思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。 愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ 向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。 アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。 そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___ 異世界恋愛 《完結しました》

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安
恋愛
穏やかな美青年王子が、即位した途端に冷酷な王に変貌した。そしてそれが、不羈の令嬢ベアトリスの政略結婚相手。 ポストファンタジー宮廷ロマンス小説。 ※拙作「山賊王女と楽園の涯」の完結編という位置づけでもありますが、知らなくとも問題ないよう書いてあります。興味があればそちらもお読みください(ただしずいぶんジャンルが違い、とても長いです)。

猫になった悪女 ~元夫が溺愛してくるなんて想定外~

黒猫子猫
恋愛
ディアナは欲深く、夫にも結婚を強いた悪女として知られた女王だ。当然のように人々から嫌われ、夫婦仲は悪く、病に倒れた時も誰も哀しまなかった。ディアナは、それで良かった。余命宣告を受け、自分の幸せを追い求める事などとうに止めた。祖国のためにできる事は全てやった。思うままに生きたから、人生をやり直せると言われても、人間などまっぴらごめんだ。 そして、《猫》になった。日向でのんびりと寝ている姿が羨ましかったからだ。いざ、自堕落な生活をしようと思ったら、元夫に拾われてしまった。しかも、自分が死んで、解放されたはずの彼の様子が妙だ。 あなた、隙あらば撫でようとするの、止めてくれる? 私達は白い結婚だったでしょう。 あなた、再婚する気がないの? 「お前を愛したりしない」って嬉しい事を言ってくれたのは誰よ! 猫になった孤高の女王×妻を失って初めて色々気づいてしまった王配の恋のお話。 ※全30話です。

【完結】一途すぎる公爵様は眠り姫を溺愛している

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
リュシエンヌ・ソワイエは16歳の子爵令嬢。皆が憧れるマルセル・クレイン伯爵令息に婚約を申し込まれたばかりで幸せいっぱいだ。 しかしある日を境にリュシエンヌは眠りから覚めなくなった。本人は自覚が無いまま12年の月日が過ぎ、目覚めた時には父母は亡くなり兄は結婚して子供がおり、さらにマルセルはリュシエンヌの親友アラベルと結婚していた。 突然のことに狼狽えるリュシエンヌ。しかも兄嫁はリュシエンヌを厄介者扱いしていて実家にはいられそうもない。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、若きヴォルテーヌ公爵レオンだった……。 『残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました』『結婚前日に友人と入れ替わってしまった……!』に出てくる魔法大臣ゼインシリーズです。 表紙は「簡単表紙メーカー2」で作成しました。

国王陛下はいつも眠たい

通木遼平
恋愛
 八つの国が一つになって建国されたフォルトマジア王国では、「主家」と呼ばれる八つのかつての王家が順番に王位を継ぐことが決まっていた。その一つであり先々代の王家でもあったエリーディアに生まれたフィーナディアは、ある日突然、現国王であるトゥーランのラグルに嫁ぐよう父から告げられる。彼女の父親と姉は自分たちこそ王位にふさわしいと言ってはばからず、どんな手を使ってでもラグルを陥れるよう命じたのだった。  しかしそんな父たちの考えに賛同できないフィーナディアは、父の企みをラグルに伝え、婚約もなかったことにし、後は自由にさせてもらおうと考える。しかしふとしたきっかけでラグルとの距離が縮まっていき……。

真実の愛に目覚めた伯爵令嬢と公爵子息

藤森フクロウ
恋愛
 女伯爵であった母のエチェカリーナが亡くなり、父は愛人を本宅に呼んで異母姉妹が中心となっていく。  どんどん居場所がなくなり落ち込むベアトリーゼはその日、運命の人に出会った。  内気な少女が、好きな人に出会って成長し強くなっていく話。  シリアスは添え物で、初恋にパワフルに突き進むとある令嬢の話。女子力(物理)。  サクッと呼んで、息抜きにすかっとしたい人向け。  純愛のつもりですが、何故か電車やバスなどの公共施設や職場では読まないことをお薦めしますというお言葉を頂きました。  転生要素は薄味で、ヒロインは尽くす系の一途です。  一日一話ずつ更新で、主人公視点が終わった後で別視点が入る予定です。  そっちはクロードの婚約裏話ルートです。

出ていってください!~結婚相手に裏切られた令嬢はなぜか騎士様に溺愛される~

白井
恋愛
イヴェット・オーダム男爵令嬢の幸せな結婚生活が始まる……はずだった。 父の死後、急に態度が変わった結婚相手にイヴェットは振り回されていた。 財産を食いつぶす義母、継いだ仕事を放棄して不貞を続ける夫。 それでも家族の形を維持しようと努力するイヴェットは、ついに殺されかける。 「もう我慢の限界。あなたたちにはこの家から出ていってもらいます」 覚悟を決めたら、なぜか騎士団長様が執着してきたけれど困ります!

処理中です...