捨てられ王子の綺羅星

トウリン

文字の大きさ
8 / 48
Ⅱ:捨てられ王子と金の馬車

しおりを挟む
 謁見の間は、アレッサンドロの記憶にあるものと何一つ変わっていなかった。
 煌びやかな模様が描かれた高い天井。
 壁に並ぶ重々しい甲冑。
 冷たい石の床に真っ直ぐに敷かれた厚い絨毯。
 それを進んだ先に置かれた豪奢な玉座は、数段高い位置にある。

 アレッサンドロがここに足を踏み入れたのは、これで二度目だ。
 一度目は、父を亡くしてすぐのことだった。だから、アレッサンドロが玉座にある父の姿は見たことがない。母からは誇りと威厳に溢れたその様がどれほど素晴らしいかという話を聞かされてはいたけれど、実際に目にしたことはなかった。
 アレッサンドロの記憶の中で、父の姿はおぼろげだ。母と中庭にいると時折声をかけてきて、そっと頭を撫でて、去っていく。月に数度しか顔を合わせることがなかったから、穏やかで優しい人だったということをぼんやりと覚えているくらいだった。
 アレッサンドロを捜していたという兄は、その父とよく似ている――と思う。少なくとも、かつてはそうだった。アレッサンドロの母から教えを受けているところに彼が入っていっても邪険にすることなく、父と同じように静かに微笑みかけてきた。その頃のアレッサンドロは、彼のことを確かに慕っていた。それだけに、その後の仕打ちに裏切られたという思いを強く抱いたのかもしれない。
 その後の仕打ち――アレッサンドロと母の、王宮からの放逐という、辛酸を舐めさせられた時に。

 兄とアレッサンドロとは、母が違う。
 当時はそれに疑問を抱くことがなかったが、王宮を出て市井で過ごすうち、兄弟で母が異なるということが『普通』ではないことを知った。そういうことがあるとしても、通常は、兄の方の母は何かの理由でいなくなっているのだということも――両方の母がいることは、あまり望ましくない状況なのだということも。
 だからなのか、兄の母はとても綺麗な人だったけれども、父が存命の間はアレッサンドロたちに視線を投げかけることすらしなかった。本当にごくたまにすれ違ったりすることがあっても、背筋を真っ直ぐに伸ばし、まるでアレッサンドロたちが存在していないかのように通り過ぎて行った。
 彼女が初めてアレッサンドロを視界に収めたのは、父を送った翌日のことだった。ほとんど夜明けと言ってもいい時間に起こされ、謁見の間に呼び出された。初めて足を踏み入れたその場所で、彼女は悠然と玉座に身を置き、首を垂れる母とアレッサンドロを、顎を高く揚げて見下ろしていた。
 そして、憎々しげな眼差しと声で、アレッサンドロに向けて言い放ったのだ。
 ――お前さえ生まれなければ、まだ赦せたものを、と。

 彼女は他にもたくさん言葉を浴びせてきたけれど、あの頃のアレッサンドロにはほとんど理解できなかった。耳には届いていても、彼女から発せられる憎悪の念の生々しさに呑まれてしまって、頭が受け入れられなかったのだと思う。
 そんな中、ただ一つ、はっきりと理解したことがある。
 それは、母が責めを受けているのは自分のせいなのだということ。
 自分さえこの世に現れなければ、母はこれほどひどい言葉を投げつけられずに済んだということだ。
 全てアレッサンドロのせいだというのに、母は彼を守るように抱き締め降り注ぐ非難の数々をその身に受け止めていた。
 そして、そんなふうにアレッサンドロたちを罵る人の後ろに立っていた兄は、ただ黙って目を伏せているだけだった。何も言わなかったということは、優しい笑顔の裏で同じように思っていたということなのだろう。

(あんなふうに追い出したのに、どうして今更)
 アレッサンドロは、唇を噛み締める。これからどんな話をされようと関係ない。彼はここに留まるつもりなど、微塵もなかった。遥々五日もかけてここまでやってきたのは、ステラがそう望んだからだ。
(そうでなければ、こんなところ、二度と来たくなかった)

 グッと握った拳に力を込めた、その時。
 玉座の脇の扉が重々しく開かれ、そこから一人の男性が姿を現した。

 アレッサンドロとよく似た淡い金髪。
 優しげな面立ちの中の深みのある青い瞳が、アレッサンドロを捉えた瞬間、大きく開かれる。

「アレッサンドロ……」

 名前を呼ばれ、一瞬、時が巻き戻されたような気がした。
「……父上」
 思わずアレッサンドロは呟いたが、すぐにそうではないと胸の内でかぶりを振る。
 違う、この人は父ではない。

 この人は――

「兄上」
 そう、兄のジーノだ。
 ジーノ・ティスヴァーレ。
 父の跡を継いでティスヴァーレ国の王となった人。

 ジーノは玉座が置かれた高台に留まることなく、真っ直ぐにアレッサンドロの前まで下りてくる。
 間近で見れば見るほど、兄は父と似ていた。
 父がそうであったように、背は高い。けれど、線は細い。豪奢な衣装の下の身体は、年の割にがっしりしているレイとそう大差がないように思える。
(兄上は、僕より九つ上だっけ……?)
 それならもう二十歳にはなるはずだというのに、実際の年齢よりもいくつか下に見えた。

「アレッサンドロ」
 また、兄が名を呼んだ。
 それは記憶にあるジーノの声よりも低く、父のものに近い。
 まだ記憶が混乱しているせいか、アレッサンドロは彼の呼びかけに応えることができなかった。
 押し黙ったままのアレッサンドロに、ジーノの顔が曇る。
「やっぱり、私を恨んでいるのだね」
「え……?」
「五年前、君たちを守ることができなかった私のことを、赦せないのだろう?」
 悲しげな兄の微笑みの前で、アレッサンドロは目をしばたたかせた。
「恨む……赦せない……?」
 呟いたアレッサンドロは、自分の中にそれらを探した。

 が。

「別に、もう、そんなふうには思ってない」
 自然と、そんな台詞が口からこぼれ出した。
 確かに、ここで罵られた記憶はある。腹が立った記憶も、恨んだ記憶も。
 だが、果たして、それらの感情が今現在も存在しているかと言われると――否、だ。
「僕は、もうここの人を恨んだりなんてしていない」
 そんな感情は、もうない。
 ここに足を踏み入れ、兄に問われて、初めて気が付いた。ようやく、気が付いた。
 自分にとって、ここは過去だ。
 もうどうでもいい、良くも悪くも関係のない場所なのだ。
 ステラと過ごした温かな日々が、ジーノが言う恨みもつらみも、全て過去のものにしてくれたのだ。
 そして、大事なのは過去ではなく未来で、アレッサンドロは未来に過去を持ち越したくはない。彼の未来にあるものは、ステラだけでいい。
 教会で迎えの馬車に乗ってからアレッサンドロの中に重く圧し掛かっていた何かが、サッと取り払われた気がした。

 晴れやかな気分になったアレッサンドロとは裏腹に、ジーノは表情を曇らせている。
「でも、君は帰ることを拒んでいたと、聞いているよ?」
「だって、来たくなかったから」
「恨んでいないのに、帰ってくるのは嫌なのかい?」
 眉をひそめたジーノの問いかけに、アレッサンドロは深く頷く。
「うん。だって、僕が帰るのはディアスタ村だから」
「ディアスタ、村……?」
「そう。ステラと約束したんだ」
 揺るぎのない眼差しで、アレッサンドロは兄を見上げた。
 確かにステラは言ったのだ。
 アレッサンドロが望むなら帰ってきたらいい、と。
 いつでも彼の帰りを待っている、と。
 こうしている今も、ステラの笑顔を心に浮かべるだけでたった今まで冷えていた指の先まで温もりが染み渡る。
 思い出してしまったら、もう居ても立っても居られない。

「僕、ディアスタ村に帰る。今日、帰れる?」
 その望みが叶うことを微塵も疑わず、目を輝かせてそう訊ねたアレッサンドロから、しかし、ジーノはフイと眼を逸らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中

白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。 思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。 愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ 向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。 アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。 そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___ 異世界恋愛 《完結しました》

【完結】一途すぎる公爵様は眠り姫を溺愛している

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
リュシエンヌ・ソワイエは16歳の子爵令嬢。皆が憧れるマルセル・クレイン伯爵令息に婚約を申し込まれたばかりで幸せいっぱいだ。 しかしある日を境にリュシエンヌは眠りから覚めなくなった。本人は自覚が無いまま12年の月日が過ぎ、目覚めた時には父母は亡くなり兄は結婚して子供がおり、さらにマルセルはリュシエンヌの親友アラベルと結婚していた。 突然のことに狼狽えるリュシエンヌ。しかも兄嫁はリュシエンヌを厄介者扱いしていて実家にはいられそうもない。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、若きヴォルテーヌ公爵レオンだった……。 『残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました』『結婚前日に友人と入れ替わってしまった……!』に出てくる魔法大臣ゼインシリーズです。 表紙は「簡単表紙メーカー2」で作成しました。

簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安
恋愛
穏やかな美青年王子が、即位した途端に冷酷な王に変貌した。そしてそれが、不羈の令嬢ベアトリスの政略結婚相手。 ポストファンタジー宮廷ロマンス小説。 ※拙作「山賊王女と楽園の涯」の完結編という位置づけでもありますが、知らなくとも問題ないよう書いてあります。興味があればそちらもお読みください(ただしずいぶんジャンルが違い、とても長いです)。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

猫になった悪女 ~元夫が溺愛してくるなんて想定外~

黒猫子猫
恋愛
ディアナは欲深く、夫にも結婚を強いた悪女として知られた女王だ。当然のように人々から嫌われ、夫婦仲は悪く、病に倒れた時も誰も哀しまなかった。ディアナは、それで良かった。余命宣告を受け、自分の幸せを追い求める事などとうに止めた。祖国のためにできる事は全てやった。思うままに生きたから、人生をやり直せると言われても、人間などまっぴらごめんだ。 そして、《猫》になった。日向でのんびりと寝ている姿が羨ましかったからだ。いざ、自堕落な生活をしようと思ったら、元夫に拾われてしまった。しかも、自分が死んで、解放されたはずの彼の様子が妙だ。 あなた、隙あらば撫でようとするの、止めてくれる? 私達は白い結婚だったでしょう。 あなた、再婚する気がないの? 「お前を愛したりしない」って嬉しい事を言ってくれたのは誰よ! 猫になった孤高の女王×妻を失って初めて色々気づいてしまった王配の恋のお話。 ※全30話です。

国王陛下はいつも眠たい

通木遼平
恋愛
 八つの国が一つになって建国されたフォルトマジア王国では、「主家」と呼ばれる八つのかつての王家が順番に王位を継ぐことが決まっていた。その一つであり先々代の王家でもあったエリーディアに生まれたフィーナディアは、ある日突然、現国王であるトゥーランのラグルに嫁ぐよう父から告げられる。彼女の父親と姉は自分たちこそ王位にふさわしいと言ってはばからず、どんな手を使ってでもラグルを陥れるよう命じたのだった。  しかしそんな父たちの考えに賛同できないフィーナディアは、父の企みをラグルに伝え、婚約もなかったことにし、後は自由にさせてもらおうと考える。しかしふとしたきっかけでラグルとの距離が縮まっていき……。

真実の愛に目覚めた伯爵令嬢と公爵子息

藤森フクロウ
恋愛
 女伯爵であった母のエチェカリーナが亡くなり、父は愛人を本宅に呼んで異母姉妹が中心となっていく。  どんどん居場所がなくなり落ち込むベアトリーゼはその日、運命の人に出会った。  内気な少女が、好きな人に出会って成長し強くなっていく話。  シリアスは添え物で、初恋にパワフルに突き進むとある令嬢の話。女子力(物理)。  サクッと呼んで、息抜きにすかっとしたい人向け。  純愛のつもりですが、何故か電車やバスなどの公共施設や職場では読まないことをお薦めしますというお言葉を頂きました。  転生要素は薄味で、ヒロインは尽くす系の一途です。  一日一話ずつ更新で、主人公視点が終わった後で別視点が入る予定です。  そっちはクロードの婚約裏話ルートです。

出ていってください!~結婚相手に裏切られた令嬢はなぜか騎士様に溺愛される~

白井
恋愛
イヴェット・オーダム男爵令嬢の幸せな結婚生活が始まる……はずだった。 父の死後、急に態度が変わった結婚相手にイヴェットは振り回されていた。 財産を食いつぶす義母、継いだ仕事を放棄して不貞を続ける夫。 それでも家族の形を維持しようと努力するイヴェットは、ついに殺されかける。 「もう我慢の限界。あなたたちにはこの家から出ていってもらいます」 覚悟を決めたら、なぜか騎士団長様が執着してきたけれど困ります!

処理中です...