捨てられ王子の綺羅星

トウリン

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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

ラムバルディアの城下町:老狸の思惑

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 アレッサンドロの眼が、窓の外に走る。
 それは無意識のことで、そうしている自分に気付いて、彼は眉をしかめた。
 目の前の書類から気が逸れてしまうのは、午後の執務が始まってからこれで三度目だ。己の行動が制御できていないことが腹立たしい。
 腹立たしいのだが――どうしても視線が彷徨い、花が咲き誇る中庭の中に栗色の巻き毛を探してしまう。
 城に来たばかりのときからステラはよく庭に出ていたが、数日前に北方から新しい苗が届いてからというもの、午後は必ず庭師と共にその世話に勤しんでいた。しかし、今日はまだ一度も彼女の姿を見出すことができていない。いつもと変わらず忙しそうに立ち働いているのは、庭師だけだ。

 アレッサンドロは書類に目を通し、署名しながら、苛々と指先で卓上を叩く。
 天気はいいし、庭師は忙しそうだ。ステラの手が必要とされていないということはないだろうし、仮にそうであっても、彼女は庭に出ることはやめないだろう。
(具合が悪い、とか?)
 いや、それならば報せが来るはずだ。彼女に何か問題が起きたなら、それがアレッサンドロの耳に届かない筈がない。

 どうにも執務に集中できず、アレッサンドロが小さく息をついた時。

「ステラ殿は街に行かれたようですよ」

 まるでアレッサンドロの頭の中を覗き込んだかのように声が届き、彼は顔を上げる。
 リナルドだ。
 執務机から少し離れて佇んでいた彼が、泰然とした眼差しをアレッサンドロに注いでいる。その銀色の瞳からは、何を考えているのかをさっぱり読み取ることができない。

「……別に、訊いていない」
「さようでございましたか」
 リナルドはサラリとそう言い、次の書類を差し出した。まるで何も言わなかったかのように淡々としたその態度にアレッサンドロの腹がジワリと煮える。

「……何をしに?」
「はい?」
 アレッサンドロが何を聞きたいかなど判っているはずなのに何食わぬ顔で首をかしげるその様が、憎たらしい。
「あの人は何をしに街に行ったんだ?」
 奥歯を食いしばるようにして言葉を足したアレッサンドロの前で、リナルドは髭をしごく。
「さぁ……ディアスタ村の子どもたちに土産でも買いに行かれたのでは?」
 リナルドのその答えに、アレッサンドロのみぞおちの辺りがキュッと締まった。
 土産、ということは。

「あの人が、帰ると言ったのか?」
 ついに、その日が来てしまったのか。
 アレッサンドロの手の中で、羽根ペンがへし折れる。リナルドはそれを見遣りながらかぶりを振った。
「いえ。そのようなことは伺っておりませんが」
 煽っておいてシレッとしているリナルドを、アレッサンドロは睨み付ける。
「どうしてあの人に帰るように言わないんだ。もう二ヶ月になるんだぞ」
「こちらからお呼びしておいてさっさと帰れなど、私のように小心な者にはとてもとても申し上げられません」
 この男が小心者なら、この世の九割が蚤の心臓の持ち主になるだろう。
 ああ言えばこう言う。
 本当に、腹立たしいことこの上ない。
「だいたい、何だってあの人をここに呼んだりしたんだ……」
 その呟きは、答えを求めて発したものではない。この二ヶ月間というもの、もう何度も同じことを面と向かって訊ね、何度もはぐらかされてきたのだから。
 泥の中に手を突っ込むよりも、手応えが感じられない。
 八年間折に触れ散々味わってきた苛立ちが、この瞬間、アレッサンドロの中で最高潮を迎える。だが、どうせまた、聞き流されるに決まっているのだ。

 諦めの境地でアレッサンドロは書類を読み、いくつか指示を書き込んでからリナルドに差し出した。

 が。

「リナルド?」
 なかなか受け取られない書類に訝しく思いつつアレッサンドロは顔を上げる。目が合うとリナルドは書類を引き取り、それに目を通しながら言った。
「あなたはこの八年間、一心に国の為に尽くしてこられました」
「は? 何を突然」
 何の脈絡もないリナルドの台詞に、アレッサンドロは眉をひそめる。と同時に、イヤな予感を覚えた。老獪な宰相が目的もなく誉め言葉を口にするわけがない。いや、目的というより、見返りか。

 警戒の眼差しを向けるアレッサンドロに次の書類を差し出しながら、リナルドが言う。
「そろそろ、何かご褒美があって然るべきかと」
 アレッサンドロは、その台詞を聞いてすぐさま意味を理解することができなかった。
(褒美……? 何のことだ……?)
 胸中でその一言を繰り返し、次の瞬間、少し前に自らがこぼした問いと、つながった。彼は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がる。

「あの人はモノじゃない!」
 吐き捨てるように言ったアレッサンドロとは対照的に、リナルドは淡々とした態度を崩さず静かな眼で見返してきた。
 その銀色の瞳は鏡さながらで、アレッサンドロの怒りの眼差しを跳ね返す。

 この男は、国の利益の為ならば何だってする。
 一人の女性の幸せや未来など、眉一つ動かすことなく踏みにじるだろう。

(そんなことは、させない)

 もしもアレッサンドロがステラをここに置くことを望んでいると思っているのなら、それは大間違いだ。それは、彼にとって、目の前にぶら下げられたニンジンにはならない。

(俺は、あの人を傍に置いておきたいなどとは、この口が裂けても言わない)

 たとえそうしたいと思っていても、絶対に。
 アレッサンドロが望んでいるのはステラの幸せを守ることだ。その幸せの中に自分の存在がなくても構わない。それは、望んでいない。

 奥歯を食いしばったアレッサンドロは、自分に注がれているリナルドの眼差しに気付く。深い沼の底にあるものを探ろうとしているかのような、眼差しに。
 危うく胸の奥に押し込めてあったものを曝け出すことになりかけ、寸でのところでアレッサンドロは我に返った。苛立ちのため息を漏らし、話を切り替える。

「……で、誰が護衛についているんだ? 何名付けた?」
「カロリーナと二人だけです」
「何だと?」
 射殺さんばかりの眼で睨み付けたが、リナルドはそんなもので動じる男ではない。
「カロリーナは街に詳しいですし、むさ苦しい男どもが付いて回ったら、楽しめないでしょう」
「危険な目に遭うよりはましだ」
 アレッサンドロが低い声でそう言うと、リナルドは事も無げに肩をすくめた。
「十年前ならいざ知らず、アレッサンドロ様のご尽力のお陰で警邏隊もまともに機能するようになっておりますから」

 いくら治安が良くなったとはいえ、若い娘が二人だけでうろついて、何があるか判ったものではないではないか。

 荒い足取りでリナルドの横を抜け、アレッサンドロは扉へと向かう。
「お出かけですか?」
 返事の代わりに睨み付けると、リナルドは身を屈め、長椅子に置いた袋から何かを取り出した。
「では、こちらを」
 その言葉と共に彼が差し出したのは、黒髪のかつらだ。
 ジトリとそれを見つめていると、リナルドは平然と肩をすくめて付け加える。
「貴方様の御髪は、少々人目をお引きになりますので」
 悪びれもせずそんなことを言う老宰相に、アレッサンドロは殺意に近いものを抱いた。
「この、狸が」
 唸るようにそう絞り出し、彼はかつらをひったくった。
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