捨てられ王子の綺羅星

トウリン

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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星

四阿で:叶えてはならない望み

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 その時、アレッサンドロは、この上なく心地良い微睡の中を揺蕩っていた。
 これが眠りの中だと判ったのは、現実では決して有り得ない心地良さだったからだ。だからこれは現実ではなく、夢の中に他ならないのだ。
 時折優しい手が髪を梳き、ずっとこのままでいたいと、彼は眠りに浸ったまま願う。二度と目覚めなければいいのに、と。

 こんなふうに思うのは、いつぶりだろう。
 ラムバルディアに来てから、アレッサンドロにとって眠ることは体調管理に必要な義務のようなもので、『心地良い』と思うようなことも、そこに居続けたいと思うようなことも、もう何年もなかったのだ。

(母さま)
 アレッサンドロは、もうおぼろな面影しか持っていないその人を呼ぶ。
 呼びながらも、今自分に触れている手は彼女のものではないと、判っていた。彼女を思い出させる優しさを感じるけれども、違う。
 確かに、アレッサンドロがまだ幼く、偽りの幸せに間抜けにも浸っていた頃、この温もりをくれたのは、母だった。
 だが、長くて辛い旅の中で、穏やかな母の笑顔も、柔らかく温かな手も、失われてしまったのだ。
 その痛みさえ、今はもう遠い。何故なら、あの時、痛みを癒してくれた人がいたからだ。夜ごとに抱き締め、絶えず笑いかけてくれた人がいたからだ。
 幼いアレッサンドロに深く刻み込まれた喪失の傷を癒し、代わりに彼の手を取ってくれた、その人は――

 柔らかな栗色の髪。
 キラキラと緑の星が散る、優しい茶色の瞳。
 想うだけで、胸が苦しくなる。
 とても、大事な人。
 母と同じくらい、いや、もう今となっては母以上に、失えない存在となった人。

 アレッサンドロにとって、彼女を守ることが存在意義となっている。彼女の為に国を守り繁栄させていく――彼女が生きるこの国を幸福に導くことで、彼女も幸せを得ることができる。アレッサンドロは、そう信じていた。だから、彼女から遠く離れたこの地でも、今までやってこれたのだ。たとえ彼女の傍にいられなくても、彼女が幸せであってくれればそれでいい、そう思って、この地で生きてきた。

 だが、その信念が、最近崩れつつある。

 ひびが入ったのは、八年ぶりにこの目で彼女を見てしまったあの時だ。
 振り返った彼女がアレッサンドロを見て浮かべた笑顔に、一瞬、焦がれる想いがついに幻を見させてくれたのかと思った。
 触れられる距離にいたら、きっと、抱き締めようと手を伸ばしてしまっていた。
 そうなる前に我に返った自分を、褒めてやりたい。

 彼女には彼女がいるべき場所があって、早くそこへ帰してやるべきだったのに、それからも彼女はアレッサンドロの日常の中に居続けた。

 自分自身の欲求よりも、彼女の幸せを優先すべき。
 八年前にこの地に留まることを選択した時、それこそがアレッサンドロにとって何よりも重要なことだと認識し、それが彼の為すべきことだと決めたはずだった。
 彼女の幸せを守れるなら、どんな代償でも支払おう、どんなことにも耐えられる、と、信じていた。

 だが、祝賀会で、兄と共に去ろうとする彼女の背を見送った時。
 アレッサンドロは、あれを許容できなかった。走り寄り、力任せに二人を引き離したくなった。

 ディアスタ村を発ってからの八年間、彼女と再会するまでは、幼い頃の面影にすがり、ただひたすらに職務を全うすることで満足していられたのだ。だが、少女だった彼女の笑顔を糧に、それを守っているのだと自負することで良しとしていられたのは、単なる自己満足にすぎなかったのかもしれない。
 だから、目の前に現実の彼女が現れた時、そんな脆い支えなど、いとも簡単に崩れ落ちてしまったのだ。

 微睡の中、過去の彼女と現在の彼女が、アレッサンドロの前に入れ代わり立ち代わり現れる。

 優しく微笑む彼女。
 嬉しそうに顔を輝かせる彼女。
 包み込むような温かな笑みで見守る彼女。

(俺は彼女が欲しい)
 アレッサンドロにはこれが夢だと判っていた。
 だから、ためらいなく望みを吐露することができた。

 昼も夜も彼女のすぐ傍にいて、彼女に触れて、花のような笑顔を間近で見ていたい。
 アレッサンドロの髪を撫でていた手がするりと動き、彼の頬に触れた。アレッサンドロはそれを取る。

 胸が痛くなるほど、小さく華奢な手だった。
 かつてはアレッサンドロの手を包み込んでいたそれが、今は彼の手の中にすっぽりとおさまってしまう。

 これは、夢だ。
 だから、何をしても許される。

 アレッサンドロはもろい砂糖菓子に触れるような心持ちで、そっとその手を広げた。そして、柔らかな手のひらの真ん中に、口付ける。
 刹那、その手がビクリと跳ね、次の瞬間、アレッサンドロは首に縄をかけて引き上げられるような勢いで、眠りから覚めた。

「ッ!」

 パッと見開いた目の間近にある、緑の星が散る茶色の瞳。
 前髪が触れ合いそうな距離で覗き込んでいるそれと、まともに目が合った。
 その近さと後頭部に感じるほど良い弾力。

 一瞬後には自分が置かれている状況を理解し、アレッサンドロは殆ど転がり落ちるようにしてステラの膝から下りる。いや、落ちるように、ではない。実際に、転がり落ちた。

「な――」
 何故、こんなことに。
 みっともなく立ち上がりながらそう言おうとしたが、言葉にならない。

 狼狽するアレッサンドロに、ステラが小鳥のように細い首をかしげる。
「えっと、アレックス? 大丈夫? 怪我、しなかった?」
 心配そうな面持ちで手を伸ばしてきた彼女から、アレッサンドロは後ずさった。

 これでは、だめだ。
 共に過ごす時間が増えるほど、ボロが出る。懸命に隠そうとしていることが、隠しきれなくなってしまう。
 共に過ごす時間が増えるほど、離れがたくなってしまう――手放せなくなってしまう。手放して、彼女に相応しい場所に戻してやらなければ、いけないのに。

(重要なのは俺の幸福じゃない)
 何より大事なものは、ステラの幸福だ。それが、それこそが、最も優先しなければいけないことなのだ。彼女がいるべき場所はここではなく、彼女の傍にいるべきなのは、自分ではない。もっと平凡で穏やかで温かな日々が、彼女を幸せにしてくれるはずなのだ。
 アレッサンドロは、懸命にその考えにしがみつく。
 ほんの少しでも気を緩めれば、理性という名の堤防は瞬く間に決壊するだろう。

「アレックス?」
 眉根を寄せたステラの呼びかけに、アレッサンドロは両手を硬く握り込んだ。そうしないと、その手を彼女に伸ばしてしまいそうだったから。

 また一歩近寄ってきたステラを拒むように顎を引き、アレッサンドロは乾いた喉からどうにか声を絞り出す。
「俺は、忙しい」
 それだけ告げて、踵を返してその場を後にした。

 ――放り出されるように一人残されたステラがどんな思いになるかは、百も承知の上で。
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