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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
執務室で
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長らく王の為の机と椅子しか置かれていなかった執務室には、少し前から椅子が一脚増えていた。
寛ぎを重視した安楽椅子だが、もちろん、アレッサンドロが休む為のものではない。そこに座るのは本来のこの国の王であるジーノ・ティスヴァーレだ。アレッサンドロが政務を執り行うようになってから執務室に足を踏み入れることがなかったジーノだったが、今はよほど体調がすぐれない日以外は、ほぼ毎日のようにこの部屋を訪れるようになっている。
そうなったのは、ステラに助けられ、面と向かってアレッサンドロと兄が過去を振り返ることができたことがきっかけだった。
ジーノの身体が多少なりとも回復し始めた数年前から、何か少しでも手伝うことがあればとの提案は彼から為されていた。だが、アレッサンドロは、二度とこの城の者に気を許してなるものかと、差し伸ばされるその手を頑なに拒んできたのだ。
――愚かにも。
(本当に、馬鹿みたいだ)
アレッサンドロは書類に目を通しながら、声に出さずに呟いた。
何も知ろうとせず、頑迷に兄やリナルドたちを責めるばかりだった己が恥ずかしい。
十三年前、自分の目に見えていたものの裏にあったことを聞かされた今となっては、どれほど視野狭窄になっていたかを思い知り、恥じ入るばかりだ。
彼らが差し出してくれていた手をずっと拒み続けてきたのだから、今度はアレッサンドロの方から動くべき。
そう思って始めたことが、ジーノの為の椅子を執務室に用意することだった。
ジーノが執務室にいられるのは、一日の内、わずかな時間だけだ。しかし、それでも、関係修復の足掛かりにはなるだろう。実際、日を重ねるごとに、室内に漂っていたぎこちなさは和らいできていた。
それに、変わったことが、もう一つある。
やってみて自覚したのだが、独りで政務を担うことを、アレッサンドロは相当に重荷に感じていたらしい。国という巨大なものに対する責を分かち合ってくれる者がいるということは、随分気を楽にしてくれるのだ。時折意見を仰ぐもののジーノはほぼただ存在しているだけで、実際の政務の負荷は大して変わっていない。にもかかわらず、彼が執務室にいるようになってから、アレッサンドロは不思議なほど気が楽になった。
自分は誰かの助けなど必要としない人間だと、アレッサンドロは思っていた。守られる側でなく、守る側である、と。そうあるべきだ、と。
だが、それは独りよがりの驕りに過ぎなかったのだ。
(ガキだな、俺は)
アレッサンドロは小さく息をこぼし、署名を終えた書類を揃える。そうして、地方からの嘆願書に目を通している兄に声をかけた。
「兄上、そろそろ部屋にお戻りください」
「ん? ああ」
答えて、ジーノは時計に目を走らせる。時刻はもう昼間近だ。
「もうこんな時間か」
彼は少し驚いたようにそう言った。時間を気にせずにいられるようになったということは、それだけ体力がついたということなのだろう。良い兆候だ。
医学は日々前に進んでいる。
また近々、北方の医師を招く予定だ。それでまた、何か良い治療法が見つかるだろう。
そんなことを考えていたアレッサンドロに、ジーノの静かな声が届く。
「昼食にはまだ間があるな。……少し話をしたいが、いいか?」
アレッサンドロは眉根を寄せてジーノを見返した。そんなふうに改まらずとも、真相を知ってから、皆の話にちゃんと耳を傾けるようにしているはずだ。
「何ですか?」
怪訝な眼差しを向けたアレッサンドロをしばし見つめ、ジーノは口を開く。
「ステラのことだ」
一瞬、アレッサンドロは息を詰めた。それをジーノに気付かれぬよう静かに吐き出し、問い返す。
「彼女が何か?」
「彼女『が』というか、彼女『を』だな」
「?」
兄の意図を読めずにいるアレサンドロに、ジーノは続ける。
「お前はステラをどうするつもりなんだ?」
「どう、とは?」
「彼女をここに招いてから、もうずいぶん経つ。そろそろ、この先どうするかを考えてもいいのではないか?」
この、先。
アレッサンドロは奥歯を食いしばった。
それは、常に目の前にぶら下がっていたにもかかわらず、ずっと見まいとしてきたことだった。
黙り込んでいるアレッサンドロを、ジーノは彼と同じく口をつぐんで見つめている。
あれ以来、ステラとは話をしていない。挨拶やちょっとした言葉を交わすことはあっても、会話らしい会話はしていない。アレッサンドロは何を言っていいのか判らなかったし、ステラの方は、どことなく彼を避けているようにも見えたからだ。
いつまでも、ステラをここに引き留めておくわけにはいかない。
それは嫌というほど理解していたが、アレッサンドロは、『今』から動きたくなかった。
――ステラが傍にいない日々に、戻りたくなかった。
答えを出せないアレッサンドロの代わりに、ジーノが現実を目の前に突き付けてくれる。
「ステラをここに招いたのは、私だ。私が一言口にすれば、彼女はここを去るだろう」
その台詞に、アレッサンドロはビクリと反応してしまう。ジーノはそれに気付かぬふうに、淡々と言葉を継いだ。
「どうする? お前は、それでいいのか?」
まるで、アレッサンドロが頷けば、すぐにでもそうしそうな口振りだった。
アレッサンドロの中に、焦燥が込み上げる。
ステラには、ステラの人生がある。
ただ傍にいて欲しいからというだけで、無為に自分の傍に縛り付けておくわけにはいかない。
(それは、判ってる。判っているんだ)
どれだけ考えようとも答えを出すことは難しい。いや、本当は、正しい答えはもう判っている。判っているが、それを呑み込みたくないだけなのだ。ステラにとって正しいことが、アレッサンドロにとって望ましいこととは限らないから。
アレッサンドロは卓の下で拳を固める。うつむいていた彼は、そんな弟に向けるジーノの思案深げな眼差しには気付かなかった。
寛ぎを重視した安楽椅子だが、もちろん、アレッサンドロが休む為のものではない。そこに座るのは本来のこの国の王であるジーノ・ティスヴァーレだ。アレッサンドロが政務を執り行うようになってから執務室に足を踏み入れることがなかったジーノだったが、今はよほど体調がすぐれない日以外は、ほぼ毎日のようにこの部屋を訪れるようになっている。
そうなったのは、ステラに助けられ、面と向かってアレッサンドロと兄が過去を振り返ることができたことがきっかけだった。
ジーノの身体が多少なりとも回復し始めた数年前から、何か少しでも手伝うことがあればとの提案は彼から為されていた。だが、アレッサンドロは、二度とこの城の者に気を許してなるものかと、差し伸ばされるその手を頑なに拒んできたのだ。
――愚かにも。
(本当に、馬鹿みたいだ)
アレッサンドロは書類に目を通しながら、声に出さずに呟いた。
何も知ろうとせず、頑迷に兄やリナルドたちを責めるばかりだった己が恥ずかしい。
十三年前、自分の目に見えていたものの裏にあったことを聞かされた今となっては、どれほど視野狭窄になっていたかを思い知り、恥じ入るばかりだ。
彼らが差し出してくれていた手をずっと拒み続けてきたのだから、今度はアレッサンドロの方から動くべき。
そう思って始めたことが、ジーノの為の椅子を執務室に用意することだった。
ジーノが執務室にいられるのは、一日の内、わずかな時間だけだ。しかし、それでも、関係修復の足掛かりにはなるだろう。実際、日を重ねるごとに、室内に漂っていたぎこちなさは和らいできていた。
それに、変わったことが、もう一つある。
やってみて自覚したのだが、独りで政務を担うことを、アレッサンドロは相当に重荷に感じていたらしい。国という巨大なものに対する責を分かち合ってくれる者がいるということは、随分気を楽にしてくれるのだ。時折意見を仰ぐもののジーノはほぼただ存在しているだけで、実際の政務の負荷は大して変わっていない。にもかかわらず、彼が執務室にいるようになってから、アレッサンドロは不思議なほど気が楽になった。
自分は誰かの助けなど必要としない人間だと、アレッサンドロは思っていた。守られる側でなく、守る側である、と。そうあるべきだ、と。
だが、それは独りよがりの驕りに過ぎなかったのだ。
(ガキだな、俺は)
アレッサンドロは小さく息をこぼし、署名を終えた書類を揃える。そうして、地方からの嘆願書に目を通している兄に声をかけた。
「兄上、そろそろ部屋にお戻りください」
「ん? ああ」
答えて、ジーノは時計に目を走らせる。時刻はもう昼間近だ。
「もうこんな時間か」
彼は少し驚いたようにそう言った。時間を気にせずにいられるようになったということは、それだけ体力がついたということなのだろう。良い兆候だ。
医学は日々前に進んでいる。
また近々、北方の医師を招く予定だ。それでまた、何か良い治療法が見つかるだろう。
そんなことを考えていたアレッサンドロに、ジーノの静かな声が届く。
「昼食にはまだ間があるな。……少し話をしたいが、いいか?」
アレッサンドロは眉根を寄せてジーノを見返した。そんなふうに改まらずとも、真相を知ってから、皆の話にちゃんと耳を傾けるようにしているはずだ。
「何ですか?」
怪訝な眼差しを向けたアレッサンドロをしばし見つめ、ジーノは口を開く。
「ステラのことだ」
一瞬、アレッサンドロは息を詰めた。それをジーノに気付かれぬよう静かに吐き出し、問い返す。
「彼女が何か?」
「彼女『が』というか、彼女『を』だな」
「?」
兄の意図を読めずにいるアレサンドロに、ジーノは続ける。
「お前はステラをどうするつもりなんだ?」
「どう、とは?」
「彼女をここに招いてから、もうずいぶん経つ。そろそろ、この先どうするかを考えてもいいのではないか?」
この、先。
アレッサンドロは奥歯を食いしばった。
それは、常に目の前にぶら下がっていたにもかかわらず、ずっと見まいとしてきたことだった。
黙り込んでいるアレッサンドロを、ジーノは彼と同じく口をつぐんで見つめている。
あれ以来、ステラとは話をしていない。挨拶やちょっとした言葉を交わすことはあっても、会話らしい会話はしていない。アレッサンドロは何を言っていいのか判らなかったし、ステラの方は、どことなく彼を避けているようにも見えたからだ。
いつまでも、ステラをここに引き留めておくわけにはいかない。
それは嫌というほど理解していたが、アレッサンドロは、『今』から動きたくなかった。
――ステラが傍にいない日々に、戻りたくなかった。
答えを出せないアレッサンドロの代わりに、ジーノが現実を目の前に突き付けてくれる。
「ステラをここに招いたのは、私だ。私が一言口にすれば、彼女はここを去るだろう」
その台詞に、アレッサンドロはビクリと反応してしまう。ジーノはそれに気付かぬふうに、淡々と言葉を継いだ。
「どうする? お前は、それでいいのか?」
まるで、アレッサンドロが頷けば、すぐにでもそうしそうな口振りだった。
アレッサンドロの中に、焦燥が込み上げる。
ステラには、ステラの人生がある。
ただ傍にいて欲しいからというだけで、無為に自分の傍に縛り付けておくわけにはいかない。
(それは、判ってる。判っているんだ)
どれだけ考えようとも答えを出すことは難しい。いや、本当は、正しい答えはもう判っている。判っているが、それを呑み込みたくないだけなのだ。ステラにとって正しいことが、アレッサンドロにとって望ましいこととは限らないから。
アレッサンドロは卓の下で拳を固める。うつむいていた彼は、そんな弟に向けるジーノの思案深げな眼差しには気付かなかった。
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