大事なあなた

トウリン

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迷子の仔犬の育て方

十二

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「じゃあ、大石。また明日、学校でな」

 聞いたことのない男性の声に、誰が来たのかと、一輝は玄関まで様子を覗きにいく。
 そこにいたのは、弥生と、彼女の高校の制服を来た男子生徒だった。

 甘く、かつ爽やかな顔立ちに、スラリとしているのにひ弱な感じはない身体つき。弥生よりも優に頭一つ分は背が高い。

 人を判断する時に第一印象はかなり大事だが、この男ならその点において面接で困ることはないだろう。
 端的に言って、好青年というやつだ。
 十人いたら、九人には好かれそうな男。

 にも拘らず、一輝は、弥生の隣にいる彼に対して何かモヤモヤとした感情を抱いた。

 そう、これは『感情』だ。

 自覚して、彼は眉間に皺を寄せた。

 対象が何であれ、何らかの判断を下す時、一輝は必ず理論的に考え、結論を出す。
 にも拘らず、二人のその姿を目にした瞬間、一輝の中で感情が先走った。

 弥生を見る彼の眼差しが、妙に一輝には気に障ったからだ。それが何故なのか解らないが、とにかく、気に障る。

「ありがとう、森口君。荷物持ってくれて助かっちゃった」
 そう言いながら、弥生は森口と呼んだ男子生徒からスーパーの袋を受け取っている。
「別に大したことじゃないから」
 そう言って彼は弥生に笑いかけたが、その『良い笑顔の見本』のような笑顔に、一輝はまたイラッとした。

 彼の姿が視野から消えるまで見送ってから、弥生は上がってくる。
 廊下に立つ一輝に気づくと、彼女はいつものように笑顔になった。

「ただいま、一輝君。今日は学校どうだった? 面白かった?」
 その、普段と変わらない様子に、一輝は胸がザワザワする。その感覚を何と呼ぶのか、彼は知らない。だが、不快なことは確かで、自然と声が尖ってしまう。

「お帰りなさい。先ほどの方は……?」
「え、ああ、森口君。同級生なんだけど、たまたまスーパーで会って、荷物が多いからって、家まで半分持ってくれたの」

 親切な人なんだよ、と屈託なく弥生が言う。その屈託のなさに、一輝は余計にイライラが募ってくる。今まで、弥生に対して――というよりも、他人に対して、こんなに荒い気持ちを抱くことなどなかったのに。

 一輝らしくない硬い表情に気付いて、弥生が首を傾げる。
「一輝君? どうかした?」
「別に、何も」
 ぶっきらぼうな言い方が、何でもないと思わせる筈がない。
「でも、なんか変だよ? お熱でもあるんじゃない?」

 弥生は荷物を置くと、一輝の額に手を伸ばしてきた。その手を、彼は思わず払いのけてしまう。弥生が目を瞬いているが、彼自身、何故こんなふうに気持ちが波立つのかが解らない。
 廊下での騒ぎを聞きつけたのか、居間から橘《たちばな》が顔を覗かせ、更にタイミングよく玄関からは睦月《むつき》が入ってきた。

「何してんの?」
 睦月が二人を交互に見て、当然の質問をする。
「え、えっと……一輝君の具合が悪いのかも……?」
「その『かも』ってのは何なんだよ。一輝、具合悪いのか?」
 弥生の言葉に首を捻り、睦月はストレートに一輝に問いかける。
「別に、悪くは……」
 珍しく歯切れの悪い言い方とその表情に、睦月は一度瞬きをして、次いで、「ああ」というような顔になった。

「あー、いいよ、姉ちゃんは買った物を片付けてこいよ。こいつからは俺が話を聞いとくから」
「え、あ、うん。……お願いね」
 頷きながらも気になるようで、弥生は何度か振り返りながら台所へと入っていく。

 そんなふうに彼女に気を遣わせてしまったことに、そして自分自身をコントロールできなかったことに、一輝は自己嫌悪を覚えた。
 そんな彼を、睦月は顎をしゃくって自室へついてくるように促す。

「おら、来いよ」
 連れ立って歩く睦月と一輝の後を、橘も続いた。
「あれ、おっさんも来るの? まあ、いいか」
 呟いて、そのまま部屋に入る。扉をぴたりと閉めると、睦月は二人に座るように目で示した。

「お前さ、森口に会ったんだろ」
 直球で、睦月がその名を口にした。一輝は一瞬口ごもりながらも、頷く。
「……ああ。会ったというか……見た」
「やっぱりな。あいつ、姉ちゃんに気があるんだよな。家の方向全然違うのに、この近所のスーパーによく出没するんだよ。で、うまく姉ちゃんとかち合うと、荷物持つの手伝うからって言って家まで来るんだ。ま、そんだけなんだけどな」

 あんなに露骨なのに、姉ちゃん気付いてないんだよなぁ、と若干気の毒そうに睦月が呟く。それを聞いて、橘の顔が輝いた。

「ということは、坊ちゃま……」
「やきもち、だろう?」
 睦月が遠慮なく引き継ぐ。

「坊ちゃまが……坊ちゃまが……やきもち……」
 橘は感無量というように両手を組み、天井を仰いでいる。
 だが、当の一輝は、困惑するように眉根を寄せて首を振った。

「僕が、嫉妬? 何故……」
「はあ? そんなん、自分で解れよ。でも、姉ちゃん、ああ見えて天然の魔性の女だぜ? 覚悟しとけよ。姉ちゃんの周りをちょろちょろしている奴、俺は他にも二人知ってるぜ」
「おモテになるんですねぇ……まあ、解らないでもないですが」
 納得顔の橘に、睦月の刺すような眼差しが飛ぶ。

「何だよ、まさか……」
「いえ、私はそんな……。ただ、あの雰囲気といいましょうか、癒し系ですよねぇ」
「ああ? 癒しを求める奴には、姉ちゃんはやらねぇよ。ただでさえ色々背負ってんのに、この上彼氏までおんぶに抱っこするような奴なんか、冗談じゃねぇよ」
「男はやっぱり包容力ですよね」
 そう言いながら、橘は腕を組みつつうんうんと頷いた。

 ベッドに寄りかかった睦月が頭の後ろで腕を組んで伸びをする。
「結構な、森口って奴は見込みあるんだよなぁ」

 その台詞に、一輝はギュッと両の拳を握り締める。視線を床に落としていた彼は、睦月がチラリと目を走らせてきたことには気付かなかった。

「俺はさ、別に、姉ちゃんのことを護ってくれるなら、誰でもいいんだよな。誰もいなかったら、俺がするし」
 睦月の言葉には迷いがない。彼の目を見れば、そうすると心に決めていて、そうできると確信していることが伝わってきた。

 ただの中学生で権力も財力もない睦月だが、きっとその宣言を実現させるだろう。
 そう思わせる強さが、彼の声の中にはあった。

 ――僕は……僕はどうなんだろう。

 一輝は我が身を振り返る。

 自分は、弥生に救われるばかりだった。
 確かに、初めて会った時から彼女のことを追い、問題が起きれば金銭的な援助はした。だが、それは『護る』のとは違うような気がする。身近に接するようになったら赤ん坊のように彼女にすがりつき、今日は訳の解からない感情に振り回されてあんな醜態まで晒した。

 こんな自分では、彼女に頼ってもらうどころか心配させるばかりだ。

 一輝は奥歯を噛み締める。

『力』とは何なのだろう。
『護る』というのは、どうする事なのだろう。

 一輝が手にしている新藤商事という『力』は、他者から与えられたものだ。それを行使して『護る』のは、何か違う気がする。

 ――僕自身で、この僕の手で、成し遂げなければいけないんだ。

 何をどうやって、というのはやっぱりまだ判らないけれど、少なくとも、今のままではいけないということは、判った。

 知らず知らずのうちに、一輝の口からはため息が漏れる。
 何故、こうも一つ一つ指摘されなければ気がつかないのだろうかと、一輝は自分が情けなくなる。
 今まで身につけてきた知識は、一体なんだったのだろう。十年来、家庭教師には素晴らしい頭脳だと称賛されてきた。だが、この数ヶ月は、自分の愚かしさを実感させられるばかりだ。

「僕には、知らないことが多すぎる」

 ポツリと呟いた一輝の言葉に、睦月も橘も、是とも否とも答えなかった。
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