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第二章:大いなる冬の訪れ
知るために②
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しばしの会議延期を言い渡されたその翌日に、フリージアは会議室に皆を集めた。彼女が何を言おうとしているのかは聞いていなかったが、その場にオルディンも呼ばれた時に、すでに彼には嫌な予感があったのだ。
卓に着くフレイ、サーガ、ミミル、ビグヴィル、スキルナ、そしてオルディンの顔をぐるりと見回すと、フリージアは何のためらいもなく宣言した。
「あたし、ちょっとニダベリルを見てきたいんだ」
まるで「ちょっと近くの湖に」とでも言うようなその口調に、一堂は互いに顔を見合わせた。オルディン以外の者は、彼女が放った言葉が母国語だとは思えなかったに違いない。
「それは……おっしゃることがよく解からないのですが? 不条理な条件を突き付けて宣戦布告をしてきた隣国に、その国に、『行きたい』、というように聞こえたのですが、私の耳がおかしいのですかな?」
表情を変えることなく、嫌味なほどにゆっくりと疑問の形を取りながらそう言ったミミルに、フリージアは真面目な顔で答える。
「おかしくないよ。あたしはそう言ったの」
「ならん」
フリージアの台詞を殆ど遮るように放たれた、却下の声。断固とした響きのそれは、ミミルから出されたものではなかった。
椅子を倒して立ち上がっていたのは、王だ。
皆の視線を一身に浴びて、彼はもう一度繰り返す。
「それは、余が許さぬ。あまりに危険だ。いったい、そなたは何を考えておるのだ?」
いつも穏やかな風情を崩さぬフレイの険しい口調に、フリージアは瞬きを一つ二つした。そして答える。
「大丈夫だよ……です。ここに来るまではオルとずっとあちこち旅してきたんだし、二人だけならあっちにも怪しまれない筈です」
「二人……?」
「そう、オルと二人だけで行くんだ」
平然と頷いたフリージアに、フレイは絶句する。見れば、他の者も目を丸くして彼女を凝視していた。
フリージアと十年以上も共に過ごしているオルディンからすれば想定内の彼女の言動だったが、普通の感覚を持っている者ならば彼らのように反応するだろう。何となく、彼らが気の毒になってくる。
我に返ったフレイが、再び頭を振った。
「言語道断だ。なおのこと、認めることはできぬ」
「でも、このままじゃ、相手のことが見えてこないんだ。ニダベリルの人たちが何を考えているのか、何で戦いたいのか、何が欲しいのか!」
「彼らは、ただ、己の国を富ませたいだけだ。その為に、略奪し、搾取する。他に、どのような理由があるというのだ?」
厳しい声音で、フレイは断言する。
恐らく、他の重臣たちも王が声を荒げるところなど見たことがなかったのだろう。誰も口を挟めずにフレイとフリージアのやり取りを見守るだけだ。
「その理由を、知りたいんです。ホントに、ただ欲しいから取るだけっていうんなら、それはそれでいい。でも、相手のことを知ったら、もっと何か解かるかもしれないじゃないか。ただ、攻めてくるからやっつけるっていうだけじゃ、これからも何度もやってくるだろ……でしょう? そんなのきりがない。何か他にできることがないのか、探したいんです」
使い慣れない改まった言い回しに四苦八苦しながら、フリージアは懸命に王を説き伏せようとする。だが、彼は、眉間にしわを刻んだまま、また、首を振るだけだ。
「では、誰か他の者をやって、その報告を聞けばいい」
「人から聞いた話じゃ、ダメです」
「そなたが行くのは、断じてならん!」
「王様!」
二人とも、自分の主張を撤回するつもりはないようだ。睨み合ったまま、微動だにしない。
フリージアの性分、彼女の頑固さは昔から変わらない。だが、穏やかに見えるフレイがここまで強い姿勢を見せるのには、オルディンは意外さを覚えていた。確かにフレイは許可しないだろうとは思っていたが、もっと、困ったように苦笑しながらやんわりと説く彼の姿を想像していたのだ。
彼らは緑の眼差しを絡め合って、他の者のことは全く眼中にない。
いずれにせよ、この国の将軍となったフリージアがそう簡単に国外へ出るわけにはいかないだろうから、彼女を説き伏せるしかないのだろうが。
二人とも、一歩たりとも譲歩する気はなさそうだ。これは長くなりそうだとオルディンが欠伸を噛み殺した時、ようやく仲裁に入る者が現れた――彼が望まぬ方向で。
「ロウグ将軍のお言葉にも一理ありますね」
割って入った物静かな声は、スキルナのものだ。彼は穏やかな眼差しをフレイとフリージアに交互に向けた後、続けた。
「確かに、ロウグ将軍を間者だと思うものはいないでしょう。一見したところでは、ただの少女です。その髪の色は少々特徴的ではありますが、まさか、一国の将軍が単身敵国に潜入するとは思いますまい」
想定外のことを言い始めた彼に、オルディンは内心で「オイオイ、ちょっと待てよ」と呟いた。ここは、満場一致でフリージアを引き止めるところの筈だ。
そんな彼の心の声が届いたかのように、スキルナはオルディンの方へと顔を向ける。
「オルディン殿であれば旅も慣れておりましょうから、下手に人を増やすよりも目立たずに行けるのではないでしょうか」
「大丈夫、絶対、大丈夫!」
スキルナの後押しに、フリージアは卓に両手を突いて身を乗り出して、勢い込む。
「だが、ザイン将軍……そのような暴挙、あまりにも危険過ぎる」
「王のお気持ちはお察しいたします。けれど、ロウグ将軍であればきっと心配はいらないでしょう。何しろ、十年以上も旅暮らしだったのですから」
「しかし……」
「そのように反対なされるのは、ロウグ将軍が年端もいかない少女だからでしょうか? しかし、それでは彼女を『将軍』として尊重されていないようにも見えます。ロウグ将軍を信じるからこそ、私はこのように申し上げているのですが」
まるで、王はフリージアを軍人として信じていないのかと言わんばかりの内容だが、スキルナの表情も口調も穏やかで、その言葉の裏に何かがあるようには全く感じられなかった。心の底からフリージアのことを信じているから、自由にさせるのだと、それがスキルナの本心のように聞こえる。
王もさぞかし反論しにくいことだろうと、オルディンが胸中で苦笑したところで、別の方向から声が上がった。
「しかし、戦の準備をせねばならぬかもしれないというこの時に、将軍が不在というのもいかがなものか。兵や民は不安に駆られましょうぞ」
ミミルだ。冷ややかな青灰色の彼のその目はスキルナの心中を見通そうとしているかのように、すがめられていた。スキルナは静かに微笑んで、老宰相に返す。
「ロウグ将軍が戻ってこられるまでの間くらい、私とラル将軍だけでも大丈夫です。そうでしょう、ラル将軍?」
「ええ、まあ、確かに」
唐突に水を向けられて、ビグヴィルは滑舌悪く頷いた。
スキルナとミミルの間に火花が散っているわけではない。だが、どこか穏やかならざるものが漂っている気がして、古参の者は皆、口を挟めずにいた――が、そんな中で、能天気な声が響く。
「あ、じゃあさ、あたしは国境の様子を見に行ったっていうことにしたらどうかな?」
一斉に向けられた一堂の視線に、フリージアはニッと笑い返す。そして、得意げに続けた。
「ほら、戦いになる場所の下見っていうか」
「おお、それはいい口実です」
「でしょ?」
賛同してくれたスキルナに胸を張り、フリージアは真面目な顔つきになって再びフレイに向き直った。
「王様、お願いです。行かせてください」
深々と頭を下げられ、フレイは視線を揺るがせる。そして、しばしの逡巡の後、口を開いた。
「やはり、許可はできぬ」
「王様!」
「駄目だ……余は、そなたまで失うわけにはいかぬ……失いとうない」
終盤は、囁きのような声だった。だが、そこに織り込まれた想いの深さに、フリージアがハッと息を呑む。
彼女は一度俯き、唇を噛むと、クッと顔を上げて立ち上がるとグルリと卓を回った。
フレイの隣に立ったフリージアが、彼の手を取る。そうしてその若芽の色の目を真っ直ぐに覗き込みながら、言った。
卓に着くフレイ、サーガ、ミミル、ビグヴィル、スキルナ、そしてオルディンの顔をぐるりと見回すと、フリージアは何のためらいもなく宣言した。
「あたし、ちょっとニダベリルを見てきたいんだ」
まるで「ちょっと近くの湖に」とでも言うようなその口調に、一堂は互いに顔を見合わせた。オルディン以外の者は、彼女が放った言葉が母国語だとは思えなかったに違いない。
「それは……おっしゃることがよく解からないのですが? 不条理な条件を突き付けて宣戦布告をしてきた隣国に、その国に、『行きたい』、というように聞こえたのですが、私の耳がおかしいのですかな?」
表情を変えることなく、嫌味なほどにゆっくりと疑問の形を取りながらそう言ったミミルに、フリージアは真面目な顔で答える。
「おかしくないよ。あたしはそう言ったの」
「ならん」
フリージアの台詞を殆ど遮るように放たれた、却下の声。断固とした響きのそれは、ミミルから出されたものではなかった。
椅子を倒して立ち上がっていたのは、王だ。
皆の視線を一身に浴びて、彼はもう一度繰り返す。
「それは、余が許さぬ。あまりに危険だ。いったい、そなたは何を考えておるのだ?」
いつも穏やかな風情を崩さぬフレイの険しい口調に、フリージアは瞬きを一つ二つした。そして答える。
「大丈夫だよ……です。ここに来るまではオルとずっとあちこち旅してきたんだし、二人だけならあっちにも怪しまれない筈です」
「二人……?」
「そう、オルと二人だけで行くんだ」
平然と頷いたフリージアに、フレイは絶句する。見れば、他の者も目を丸くして彼女を凝視していた。
フリージアと十年以上も共に過ごしているオルディンからすれば想定内の彼女の言動だったが、普通の感覚を持っている者ならば彼らのように反応するだろう。何となく、彼らが気の毒になってくる。
我に返ったフレイが、再び頭を振った。
「言語道断だ。なおのこと、認めることはできぬ」
「でも、このままじゃ、相手のことが見えてこないんだ。ニダベリルの人たちが何を考えているのか、何で戦いたいのか、何が欲しいのか!」
「彼らは、ただ、己の国を富ませたいだけだ。その為に、略奪し、搾取する。他に、どのような理由があるというのだ?」
厳しい声音で、フレイは断言する。
恐らく、他の重臣たちも王が声を荒げるところなど見たことがなかったのだろう。誰も口を挟めずにフレイとフリージアのやり取りを見守るだけだ。
「その理由を、知りたいんです。ホントに、ただ欲しいから取るだけっていうんなら、それはそれでいい。でも、相手のことを知ったら、もっと何か解かるかもしれないじゃないか。ただ、攻めてくるからやっつけるっていうだけじゃ、これからも何度もやってくるだろ……でしょう? そんなのきりがない。何か他にできることがないのか、探したいんです」
使い慣れない改まった言い回しに四苦八苦しながら、フリージアは懸命に王を説き伏せようとする。だが、彼は、眉間にしわを刻んだまま、また、首を振るだけだ。
「では、誰か他の者をやって、その報告を聞けばいい」
「人から聞いた話じゃ、ダメです」
「そなたが行くのは、断じてならん!」
「王様!」
二人とも、自分の主張を撤回するつもりはないようだ。睨み合ったまま、微動だにしない。
フリージアの性分、彼女の頑固さは昔から変わらない。だが、穏やかに見えるフレイがここまで強い姿勢を見せるのには、オルディンは意外さを覚えていた。確かにフレイは許可しないだろうとは思っていたが、もっと、困ったように苦笑しながらやんわりと説く彼の姿を想像していたのだ。
彼らは緑の眼差しを絡め合って、他の者のことは全く眼中にない。
いずれにせよ、この国の将軍となったフリージアがそう簡単に国外へ出るわけにはいかないだろうから、彼女を説き伏せるしかないのだろうが。
二人とも、一歩たりとも譲歩する気はなさそうだ。これは長くなりそうだとオルディンが欠伸を噛み殺した時、ようやく仲裁に入る者が現れた――彼が望まぬ方向で。
「ロウグ将軍のお言葉にも一理ありますね」
割って入った物静かな声は、スキルナのものだ。彼は穏やかな眼差しをフレイとフリージアに交互に向けた後、続けた。
「確かに、ロウグ将軍を間者だと思うものはいないでしょう。一見したところでは、ただの少女です。その髪の色は少々特徴的ではありますが、まさか、一国の将軍が単身敵国に潜入するとは思いますまい」
想定外のことを言い始めた彼に、オルディンは内心で「オイオイ、ちょっと待てよ」と呟いた。ここは、満場一致でフリージアを引き止めるところの筈だ。
そんな彼の心の声が届いたかのように、スキルナはオルディンの方へと顔を向ける。
「オルディン殿であれば旅も慣れておりましょうから、下手に人を増やすよりも目立たずに行けるのではないでしょうか」
「大丈夫、絶対、大丈夫!」
スキルナの後押しに、フリージアは卓に両手を突いて身を乗り出して、勢い込む。
「だが、ザイン将軍……そのような暴挙、あまりにも危険過ぎる」
「王のお気持ちはお察しいたします。けれど、ロウグ将軍であればきっと心配はいらないでしょう。何しろ、十年以上も旅暮らしだったのですから」
「しかし……」
「そのように反対なされるのは、ロウグ将軍が年端もいかない少女だからでしょうか? しかし、それでは彼女を『将軍』として尊重されていないようにも見えます。ロウグ将軍を信じるからこそ、私はこのように申し上げているのですが」
まるで、王はフリージアを軍人として信じていないのかと言わんばかりの内容だが、スキルナの表情も口調も穏やかで、その言葉の裏に何かがあるようには全く感じられなかった。心の底からフリージアのことを信じているから、自由にさせるのだと、それがスキルナの本心のように聞こえる。
王もさぞかし反論しにくいことだろうと、オルディンが胸中で苦笑したところで、別の方向から声が上がった。
「しかし、戦の準備をせねばならぬかもしれないというこの時に、将軍が不在というのもいかがなものか。兵や民は不安に駆られましょうぞ」
ミミルだ。冷ややかな青灰色の彼のその目はスキルナの心中を見通そうとしているかのように、すがめられていた。スキルナは静かに微笑んで、老宰相に返す。
「ロウグ将軍が戻ってこられるまでの間くらい、私とラル将軍だけでも大丈夫です。そうでしょう、ラル将軍?」
「ええ、まあ、確かに」
唐突に水を向けられて、ビグヴィルは滑舌悪く頷いた。
スキルナとミミルの間に火花が散っているわけではない。だが、どこか穏やかならざるものが漂っている気がして、古参の者は皆、口を挟めずにいた――が、そんな中で、能天気な声が響く。
「あ、じゃあさ、あたしは国境の様子を見に行ったっていうことにしたらどうかな?」
一斉に向けられた一堂の視線に、フリージアはニッと笑い返す。そして、得意げに続けた。
「ほら、戦いになる場所の下見っていうか」
「おお、それはいい口実です」
「でしょ?」
賛同してくれたスキルナに胸を張り、フリージアは真面目な顔つきになって再びフレイに向き直った。
「王様、お願いです。行かせてください」
深々と頭を下げられ、フレイは視線を揺るがせる。そして、しばしの逡巡の後、口を開いた。
「やはり、許可はできぬ」
「王様!」
「駄目だ……余は、そなたまで失うわけにはいかぬ……失いとうない」
終盤は、囁きのような声だった。だが、そこに織り込まれた想いの深さに、フリージアがハッと息を呑む。
彼女は一度俯き、唇を噛むと、クッと顔を上げて立ち上がるとグルリと卓を回った。
フレイの隣に立ったフリージアが、彼の手を取る。そうしてその若芽の色の目を真っ直ぐに覗き込みながら、言った。
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