ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

囚われし者②

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 一晩の宿を求めたオルディンたちにあてがわれたのは、村民たちが共同で使っている納屋だった。

 路銀に貨幣では足が付くだろうと考え、彼らは砂金で相当量を用意してきたのだが、雨露をしのげる程度の納屋を一晩提供する代金として村長が要求してきたのは、その砂金一つまみである。医者には治療費として軽く一掴み分を要求されたから、持ってきた路銀の半分がここで消えたことになる。
 ――それは、グランゲルドであれば五人が七日は暮らせるような額だった。

 フリージアをその粗末な納屋に残しておいて、オルディンはウルを迎えに行く。彼の身体は完治していて、すぐにでも出発できそうなほどだった。

 納屋に入り、フリージアの姿を認めると同時にウルは彼女に駆け寄り、その前にひざまずく。

「フリージア様! 申し訳ありません、あなたを助けなければならない僕が、助けられてしまって……!」
「いいよ、別に。怪我治ったんだね、良かった」
「はい、もう、この通りすっかりです」
「気を失ったきり、全然動かないから心配したよ。でさ、見下ろしてるの好きじゃないから、立ってくれない?」
「あ、はい……」

 フリージアに促されて立ち上がったウルは、それならば、とばかりに恭しげに彼女の手を取った。そうして、仔犬のようにキラキラと輝く眼差しを彼女に注ぎ、熱く語る。

「僕は、あなたの為ならこの命を捨てても構いません。いかようにもお使いください」
 だが、感極まったような彼のその言葉に、フリージアは鼻の頭にしわを寄せた。

「そんな重いもの、いらないよ」
「え?」
 拍子抜けした声を出し、ウルがフリージアをポカンと見つめる。

「ウルの命はウルの好きに使ったらいい。あたしの為に死ぬとか、そんな重いの背負ってたら、あたしの方が生きてけないよ。だいたい、ウルは財布を拾って届けたら、中身を全部もらうわけ? ちょっとお礼、くらいなら嬉しいけど、全部もらったら困るでしょ」
「え……ええ、まあ……」
「ね? だからさ、そうだな、あたしが城を抜け出す時にちょっと手伝ってくれるとか、そんなでいいや」
「はあ……」
 気負いを根こそぎ引っこ抜かれたウルは、声からも気が抜けている。

 自由気ままなフリージアらしい言い様だったが、ふと、オルディンは不安になった。

 この娘は、自分が置かれている状況を、これから先起ころうとしていることを、真に理解しているのだろうか、と。

 ロウグ家を継いで、将軍になった。
 そして、春には恐らく戦になる。

 ――その先にあるものが、フリージアには見えているのだろうか。

 恐らく、見えてはおるまい。

 つい今しがたフリージアがウルに放った言葉に、それが表れていた。

 将になるということは、即ち、部下の命を背負うということだ。フリージアのあの細い肩には、ウルのものも含めて、すでに三百からの命が乗っているのだ。彼女は、それに気付いていない。

 ――フリージアがそのことに気付いた時、彼女はどうなるのだろう。その重みに、耐えられるのだろうか。

 オルディンはこれまで、目に見えるものからは、フリージアの身体を護り通してきた。彼自身の手で、あるいは、彼女に自らを守る手立てを教えることで。だが、他人の命を背負うという事態は、オルディン自身にも経験がないことだった。その重責がフリージアにのしかかってきた時、果たして彼にできることがあるのかどうか、今は想像すらできない。
 オルディンにできる唯一確かなことは、どんな時でも彼女の傍にいることだけだった。

「ねえ、オル!」

 不意に名前を呼ばれ、オルディンは我に返る。顔を上げると、フリージアとウルの視線が彼に向けられていた。

「何だ?」
「もう、聞いてなかったの? だから、あの子を連れ出しに行くの、いつ頃にしようかって」
「ああ……ウルはもう話を聞いたのか?」
 オルディンはフリージアの隣に立つウルに確認した。彼はキリリと顔を引き締めて頷く。

「はい。僕もあの子を見た時はギョッとしました。人に首輪を着けて、その上鎖でつなぐだなんて、有り得ません」
「まあな」

 義憤に燃える青少年には、何を言っても無駄だろう。オルディンは下手なことを口にせず、先を続ける。

「村の住人が寝静まってからだな。月が中空を過ぎたくらいがいいだろう。あいつを連れ出したら、その足でこの村を出るぞ。エルフィアがいないことに気付かれれば、当然、俺らが真っ先に疑われる。ヘルドにも連絡が行く筈だ。だが、少なくとも、このナイからヘルドに使者が行き、それから追跡隊が出されるとすれば、逃げられるだけの時間は稼げる。その間にバイダルに合流して、さっさとこの国からずらかるからな」
「わかった」
 フリージアが深く頷く。

 一つ気になるのは、一度ヘルドに近付かなければならないことだ。バイダルのいる対岸へ渡るには、下流にある橋を渡る必要がある。

 こうなると、ラタにバイダルの元で待機するようにと言ってしまったのが、少々悔やまれた。ラタがいれば、いざという時、フリージアだけは逃がすことができたのだが。

 ――まあ、大丈夫だろう。

 不安要素は抱えながらも、オルディンはそう呟く。

 ふとフリージアに目をやると、彼女から返されたのは能天気なことこの上ない、笑みだった。
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