ジア戦記

トウリン

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第二章:大いなる冬の訪れ

解放①

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 深まりつつある秋の山奥は、日が落ちると急に冷え込みがきつくなった。

 グランゲルドではこの時期まだ虫の音が響いているが、気温が低い為か、全ての村民が眠りに就いた村の中はシンと静まり返っている。

 村の出口に旅の装備とウルを残し、今、フリージアとオルディンは医者の家を目指していた。空に浮かぶのは半月だが、夜目の効く二人なら動くのに支障はない。

 こんな辺鄙な場所にある村には、『見知らぬ者』というのは滅多に訪れることがないのだろう。医者の家は鍵もかかっておらず、簡単に中に入り込むことができた。外から見る限り、部屋数もそう多くはない筈だ。

 入ってすぐは昼に訪れた治療室で、その奥に扉がある。開けてみると廊下が伸びており、左右に二つ、奥に一つ、扉が付いていた。
 侵入する前に外をぐるりと一巡してみたのだが、裏手の窓は板で塞がれていた。外から打ち付けられている、ということは、外部からの侵入者を防ぐよりも中からの逃亡を阻止するのが目的だろう。つまり、逃がしたくないものは奥の部屋にいるということだ。

 足音を殺し、二人は廊下を進む。

 フリージアが奥の扉に手をかけると、そこには鍵がかかっていた。家の外へと続く扉は、無施錠だったというのに。

 片手を振って彼女を下がらせると、オルディンが膝をついて鍵穴を覗き込んだ。そうして取り出した細い棒を穴に差し込むと、慎重に指を動かす。

 じきに、ピン、と微かな金属音が静寂の中に響いた。
 立ち上がったオルディンがそっと扉を押し開け、フリージア、そしてオルディンの順にスルリとその中に滑り込み、閉める。

 物置のような部屋には、窓に打ち付けられた板の隙間から射し込む月明かり程度しか光源がない。
 その暗さにも慣れてくると、部屋の片隅にうずくまる白い影が人の形をしていることが見て取れる。

 フリージアは、ゆっくりとそちらへ近付いた。

 室内は、呼吸の音すら響き渡りそうなほど、静寂に満たされている。
 あまりに静かだったから泥のように眠り込んでいるのかと思ったけれど、エルフィアは、目覚めていた。

 暗闇の中で、銀色の大きな目が微かな光を弾いて煌めく。それは、ジッと近付くフリージアの動きを追っていた。エルフィアの前まで行くと、目の高さが合うように膝をつく。

「あたしはフリージア。昼間、ちょっとだけ会ったよね……って、覚えてないか。ホントに一瞬だったもんね」
 静かな声でそう訊いたが、答えはない。エルフィアは、ジッと彼女を見つめるだけだ。

「その首輪、外すからちょっと待ってね。ジッとして、動かないでよ?」

 言いながら、フリージアは取り出した短刀を皮の首輪にあてがった。エルフィアは刃を怖がる様子もなく、されるがままだ。着けてからしばらく経っているのか、首輪はピッチリと皮膚に密着して、余裕がない。

 エルフィアの白い肌を傷つけないように、フリージアは細心の注意を払って手を動かす。

 やがて、プツリという小さな音と共に首輪が切り離された。グルリと首に残る赤い痕が、痛々しい。だが、エルフィアは痛みなど二の次のように、目に不思議そうな色を浮かべて首回りに触れている。

 フリージアは立ち上がり、エルフィアに向けて手を差し出した。
「おいで、ここから出て、あたしと一緒に行こう? 仲間のところに、連れて行ってあげる」

 空気は、動かない。エルフィアはただ黙って、目の前のフリージアの手を見つめている。

 いつまでもグズグズしているわけにはいかないことは、解かっている。けれども、フリージアは急かすことなく待った。

 背後で、微かに物音がする――オルディンが扉を開いたのだろう。

 エルフィアの視線がそちらに動き、またフリージアの手に戻り、そしてフリージアの目に移った。視線が交差し、彼女はエルフィアに笑いかける。励ましを込めて。

 と、何に驚いたというのか、エルフィアの目が微かに見開かれた。その銀色の眼差しの中に、それまでとは異なる光が宿る。

 ――何か、したかな……?

 エルフィアの表情を動かした要因を探そうと、フリージアは自分の行動を振り返ろうとしたが、振り返れるほどのことはしていない。
 ただ、手を差出し――笑って見せただけだ。
 別に、特別でもなんでもないことだった。

 首を捻るフリージアの指先に、不意に、ひんやりとした、けれども確かな温もりを持ったものが触れる。見下ろせば、彼女の手の上にあるエルフィアの指は細く、そして微かに震えていた。

 何がエルフィアを動かしたのかは判らない。判らないが――フリージアはその手をしっかりと握ると、グイと引っ張り上げる。

 エルフィアは、フリージアとそう大差のない、十二、三歳程度に見えた。だが、予想外にその身体は軽く、引っ張った反動で彼女はよろめきそうになる。

 ふらついたエルフィアをしっかりと立たせ、歩けそうなことを確認して、フリージアはゆっくりと歩き出した。手を引いてもエルフィアは拒むことなく、彼女と共に一歩を踏み出す。

「行こう」

 扉の傍に立つオルディンにそう声をかけ、フリージアは檻のようなその部屋を後にした。
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