ジア戦記

トウリン

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第三章:角笛の音色と新たな夜明け

それぞれの、出立②

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 遠ざかっていく者達の姿が視界から消えるまで見送って、フレイはミミルとサーガに向き直った。彼には、二人に言わなければならないことがある。
 フレイが言葉を選んでいるうちに、先に口を開いたのはミミルだった。

「では、我らは城に戻るとしましょうか。戦場から遠く離れた地でできることといえば、祈ることだけですからな」

 老宰相は、未だフリージア達が消えた方へと目をやりながら、そう言う。だが、フレイに帰城を促しながらも、彼の心は彼女達を追っているかのようだった。

 普段は淡々とした姿しか見せないミミルだが、決して冷淡なわけではない。長い年月を共に過ごしてきたフレイは、それを知っていた。ゲルダが命を落としたあの夜も、一晩中月を見上げて佇んでいたミミルの姿があったのだ。
 今も、安全なこの地にとどまる自分のことを、歯がゆく思っているのだろう。

 フレイはもう一度フリージア達が消えていった地平線を見つめ、そしてそのまま視線を流した。彼の視界を満たすのは、活動を始めたばかりのグランゲルドの大地だ。未だ緑は少ない。しかし、新しい命の息吹きはそこかしこに溢れている。

 いずれまた、むせるような緑に埋め尽くされるであろう、豊かなグランゲルドの地。
 グランゲルドの民がこの自然の恩恵を被ることができるのは、ただ単に、この地に産まれることができたからだ。
 それがどんなに幸運なことなのか、この地に住んでいる者は気付かない。恵みに感謝をしながらも、ただそれを甘受するだけだ。

 フリージアは、そのことに疑問を抱いた。そしてそれを変えることを望み、戦いの場へと駆け出していった。

 愛しい娘の帰りを、フレイはその身を案じながらただ待つしかないのだろうか。
 三日前にフリージアから『彼女の計画』を聞かされて以来、彼は何度も自問を繰り返し、そうして、答えを得た。

 希望を抱いた娘の父親として、このグランゲルドの王として、フレイには為すべきことがあった――できたのだ。

「サーガ、宰相」
 フレイは二人を呼ぶ。彼女らは地の彼方から彼へと目を移した。

「余も、出立しようと思う」

 二人の視線を受けながら、フレイは告げる。彼の意志を。

「マナヘルムへ、ですの?」

 そう問い返してきたのはサーガだ。彼女はその聡明な空色の目に全てを理解している色を浮かべている。

「そうだ。余は、これまであるものを受け入れるだけで、自ら動こうとはしなかった。目の前の平和しか見ようとしていなかった」
「王はこのグランゲルドの王です。この国の安寧を支えておられればよいのです」
 低い声でのフレイの呟きに、ミミルが答える。だが、フレイは彼にかぶりを振った。

「いいや。それが、エルフィア達に今のように――マナヘルムの奥に引きこもり、閉ざされた空間で生きることを受け入れさせ、ザイン将軍にはつらい決断をさせてしまった。ゲルダの死も、余が責を負うべきものなのだ」
「それは違います! あれはお父様が勝手に――」
 鋭い声でそう返したサーガに、フレイは穏やかな眼差しを向ける。
「余が、いけないのだよ。この平和を護る為に余がもっと動いていれば――その姿勢を見せていれば、ザイン将軍も安心して余に全てを任せていられたのだろう。余が不安を与えたばかりに、彼を先走らせてしまったのだ」

 静かに、だがはっきりと言い切るフレイの台詞は、サーガの反論を封じた。
 唇を噛んだ彼女を柔らかく微笑んで見つめ、そして、フレイはその笑みを消して再び繰り返す。

「だから、余は、エルフィアの元へ赴こうと思う。あの娘の望みを叶える為に」

 城からほとんど出ることのないフレイにとってマナヘルムへの道は険しいものになるが、フリージア達が進もうとしている道程ほどではない。成し遂げられない筈がなかった。

「いつ、お発ちになられますか」
 静かに、ミミルがそう問う。いや、それは問いではなく、確認だった。
「でき得る限り、速やかに」
「承知いたしました。では、すぐに準備を整えましょう」
 そう答えた老宰相は一礼をして身を翻すと、老いを感じさせぬかくしゃくとした足取りで去って行く。

 フレイはサーガを見下ろした。まだ、その目には不満そうな色が残っている。それが彼に対するものではないことは、判っている。だが、全ての事の遠因はフレイにあるのだ。

「ふがいない夫で、済まぬ」
 そうこぼしたフレイに、サーガは一瞬目を丸くした。そして微笑む。
「いいえ。フレイ様はわたくしとって素晴らしい夫であり、王ですわ。わたくしは、貴方以外を望みません。世界で二番目にお慕い申し上げておりますもの」

 『一番』が誰なのか。
 それは問わずとも知れた。

 フレイは黙って王妃を抱き寄せる。その温もりを腕の中に感じながら、彼は南の空へと視線を向けた。

   *

 フリージア達の出立とほぼ時を同じくして、ニダベリル軍も進撃を開始した。

 ――グランゲルドとニダベリルとが最初に剣を交えるのは、これからおおよそ三十日後のことになる。
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