87 / 133
第三章:角笛の音色と新たな夜明け
それぞれの、出立②
しおりを挟む
遠ざかっていく者達の姿が視界から消えるまで見送って、フレイはミミルとサーガに向き直った。彼には、二人に言わなければならないことがある。
フレイが言葉を選んでいるうちに、先に口を開いたのはミミルだった。
「では、我らは城に戻るとしましょうか。戦場から遠く離れた地でできることといえば、祈ることだけですからな」
老宰相は、未だフリージア達が消えた方へと目をやりながら、そう言う。だが、フレイに帰城を促しながらも、彼の心は彼女達を追っているかのようだった。
普段は淡々とした姿しか見せないミミルだが、決して冷淡なわけではない。長い年月を共に過ごしてきたフレイは、それを知っていた。ゲルダが命を落としたあの夜も、一晩中月を見上げて佇んでいたミミルの姿があったのだ。
今も、安全なこの地にとどまる自分のことを、歯がゆく思っているのだろう。
フレイはもう一度フリージア達が消えていった地平線を見つめ、そしてそのまま視線を流した。彼の視界を満たすのは、活動を始めたばかりのグランゲルドの大地だ。未だ緑は少ない。しかし、新しい命の息吹きはそこかしこに溢れている。
いずれまた、むせるような緑に埋め尽くされるであろう、豊かなグランゲルドの地。
グランゲルドの民がこの自然の恩恵を被ることができるのは、ただ単に、この地に産まれることができたからだ。
それがどんなに幸運なことなのか、この地に住んでいる者は気付かない。恵みに感謝をしながらも、ただそれを甘受するだけだ。
フリージアは、そのことに疑問を抱いた。そしてそれを変えることを望み、戦いの場へと駆け出していった。
愛しい娘の帰りを、フレイはその身を案じながらただ待つしかないのだろうか。
三日前にフリージアから『彼女の計画』を聞かされて以来、彼は何度も自問を繰り返し、そうして、答えを得た。
希望を抱いた娘の父親として、このグランゲルドの王として、フレイには為すべきことがあった――できたのだ。
「サーガ、宰相」
フレイは二人を呼ぶ。彼女らは地の彼方から彼へと目を移した。
「余も、出立しようと思う」
二人の視線を受けながら、フレイは告げる。彼の意志を。
「マナヘルムへ、ですの?」
そう問い返してきたのはサーガだ。彼女はその聡明な空色の目に全てを理解している色を浮かべている。
「そうだ。余は、これまであるものを受け入れるだけで、自ら動こうとはしなかった。目の前の平和しか見ようとしていなかった」
「王はこのグランゲルドの王です。この国の安寧を支えておられればよいのです」
低い声でのフレイの呟きに、ミミルが答える。だが、フレイは彼にかぶりを振った。
「いいや。それが、エルフィア達に今のように――マナヘルムの奥に引きこもり、閉ざされた空間で生きることを受け入れさせ、ザイン将軍にはつらい決断をさせてしまった。ゲルダの死も、余が責を負うべきものなのだ」
「それは違います! あれはお父様が勝手に――」
鋭い声でそう返したサーガに、フレイは穏やかな眼差しを向ける。
「余が、いけないのだよ。この平和を護る為に余がもっと動いていれば――その姿勢を見せていれば、ザイン将軍も安心して余に全てを任せていられたのだろう。余が不安を与えたばかりに、彼を先走らせてしまったのだ」
静かに、だがはっきりと言い切るフレイの台詞は、サーガの反論を封じた。
唇を噛んだ彼女を柔らかく微笑んで見つめ、そして、フレイはその笑みを消して再び繰り返す。
「だから、余は、エルフィアの元へ赴こうと思う。あの娘の望みを叶える為に」
城からほとんど出ることのないフレイにとってマナヘルムへの道は険しいものになるが、フリージア達が進もうとしている道程ほどではない。成し遂げられない筈がなかった。
「いつ、お発ちになられますか」
静かに、ミミルがそう問う。いや、それは問いではなく、確認だった。
「でき得る限り、速やかに」
「承知いたしました。では、すぐに準備を整えましょう」
そう答えた老宰相は一礼をして身を翻すと、老いを感じさせぬかくしゃくとした足取りで去って行く。
フレイはサーガを見下ろした。まだ、その目には不満そうな色が残っている。それが彼に対するものではないことは、判っている。だが、全ての事の遠因はフレイにあるのだ。
「ふがいない夫で、済まぬ」
そうこぼしたフレイに、サーガは一瞬目を丸くした。そして微笑む。
「いいえ。フレイ様はわたくしとって素晴らしい夫であり、王ですわ。わたくしは、貴方以外を望みません。世界で二番目にお慕い申し上げておりますもの」
『一番』が誰なのか。
それは問わずとも知れた。
フレイは黙って王妃を抱き寄せる。その温もりを腕の中に感じながら、彼は南の空へと視線を向けた。
*
フリージア達の出立とほぼ時を同じくして、ニダベリル軍も進撃を開始した。
――グランゲルドとニダベリルとが最初に剣を交えるのは、これからおおよそ三十日後のことになる。
フレイが言葉を選んでいるうちに、先に口を開いたのはミミルだった。
「では、我らは城に戻るとしましょうか。戦場から遠く離れた地でできることといえば、祈ることだけですからな」
老宰相は、未だフリージア達が消えた方へと目をやりながら、そう言う。だが、フレイに帰城を促しながらも、彼の心は彼女達を追っているかのようだった。
普段は淡々とした姿しか見せないミミルだが、決して冷淡なわけではない。長い年月を共に過ごしてきたフレイは、それを知っていた。ゲルダが命を落としたあの夜も、一晩中月を見上げて佇んでいたミミルの姿があったのだ。
今も、安全なこの地にとどまる自分のことを、歯がゆく思っているのだろう。
フレイはもう一度フリージア達が消えていった地平線を見つめ、そしてそのまま視線を流した。彼の視界を満たすのは、活動を始めたばかりのグランゲルドの大地だ。未だ緑は少ない。しかし、新しい命の息吹きはそこかしこに溢れている。
いずれまた、むせるような緑に埋め尽くされるであろう、豊かなグランゲルドの地。
グランゲルドの民がこの自然の恩恵を被ることができるのは、ただ単に、この地に産まれることができたからだ。
それがどんなに幸運なことなのか、この地に住んでいる者は気付かない。恵みに感謝をしながらも、ただそれを甘受するだけだ。
フリージアは、そのことに疑問を抱いた。そしてそれを変えることを望み、戦いの場へと駆け出していった。
愛しい娘の帰りを、フレイはその身を案じながらただ待つしかないのだろうか。
三日前にフリージアから『彼女の計画』を聞かされて以来、彼は何度も自問を繰り返し、そうして、答えを得た。
希望を抱いた娘の父親として、このグランゲルドの王として、フレイには為すべきことがあった――できたのだ。
「サーガ、宰相」
フレイは二人を呼ぶ。彼女らは地の彼方から彼へと目を移した。
「余も、出立しようと思う」
二人の視線を受けながら、フレイは告げる。彼の意志を。
「マナヘルムへ、ですの?」
そう問い返してきたのはサーガだ。彼女はその聡明な空色の目に全てを理解している色を浮かべている。
「そうだ。余は、これまであるものを受け入れるだけで、自ら動こうとはしなかった。目の前の平和しか見ようとしていなかった」
「王はこのグランゲルドの王です。この国の安寧を支えておられればよいのです」
低い声でのフレイの呟きに、ミミルが答える。だが、フレイは彼にかぶりを振った。
「いいや。それが、エルフィア達に今のように――マナヘルムの奥に引きこもり、閉ざされた空間で生きることを受け入れさせ、ザイン将軍にはつらい決断をさせてしまった。ゲルダの死も、余が責を負うべきものなのだ」
「それは違います! あれはお父様が勝手に――」
鋭い声でそう返したサーガに、フレイは穏やかな眼差しを向ける。
「余が、いけないのだよ。この平和を護る為に余がもっと動いていれば――その姿勢を見せていれば、ザイン将軍も安心して余に全てを任せていられたのだろう。余が不安を与えたばかりに、彼を先走らせてしまったのだ」
静かに、だがはっきりと言い切るフレイの台詞は、サーガの反論を封じた。
唇を噛んだ彼女を柔らかく微笑んで見つめ、そして、フレイはその笑みを消して再び繰り返す。
「だから、余は、エルフィアの元へ赴こうと思う。あの娘の望みを叶える為に」
城からほとんど出ることのないフレイにとってマナヘルムへの道は険しいものになるが、フリージア達が進もうとしている道程ほどではない。成し遂げられない筈がなかった。
「いつ、お発ちになられますか」
静かに、ミミルがそう問う。いや、それは問いではなく、確認だった。
「でき得る限り、速やかに」
「承知いたしました。では、すぐに準備を整えましょう」
そう答えた老宰相は一礼をして身を翻すと、老いを感じさせぬかくしゃくとした足取りで去って行く。
フレイはサーガを見下ろした。まだ、その目には不満そうな色が残っている。それが彼に対するものではないことは、判っている。だが、全ての事の遠因はフレイにあるのだ。
「ふがいない夫で、済まぬ」
そうこぼしたフレイに、サーガは一瞬目を丸くした。そして微笑む。
「いいえ。フレイ様はわたくしとって素晴らしい夫であり、王ですわ。わたくしは、貴方以外を望みません。世界で二番目にお慕い申し上げておりますもの」
『一番』が誰なのか。
それは問わずとも知れた。
フレイは黙って王妃を抱き寄せる。その温もりを腕の中に感じながら、彼は南の空へと視線を向けた。
*
フリージア達の出立とほぼ時を同じくして、ニダベリル軍も進撃を開始した。
――グランゲルドとニダベリルとが最初に剣を交えるのは、これからおおよそ三十日後のことになる。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
卒業パーティーのその後は
あんど もあ
ファンタジー
乙女ゲームの世界で、ヒロインのサンディに転生してくる人たちをいじめて幸せなエンディングへと導いてきた悪役令嬢のアルテミス。 だが、今回転生してきたサンディには匙を投げた。わがままで身勝手で享楽的、そんな人に私にいじめられる資格は無い。
そんなアルテミスだが、卒業パーティで断罪シーンがやってきて…。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。 〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜
トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!?
婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。
気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。
美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。
けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。
食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉!
「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」
港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。
気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。
――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談)
*AIと一緒に書いています*
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる